風の想い【里緒菜】
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転移してから明くる日の昼――。バルサザール公爵領、ダリア砦。
颯手里緒菜は戦闘訓練の合間に、他の級友たちと連れ立ってバルサザールの元を訪れていた。砦の建屋の最上階にある指揮官室に入ると、禿げ上がった頭に赤いたんこぶを作ったバルサザールが、従者の回復魔法を受けている。
その様を見た里緒菜は、吹き出しそうになるのを懸命に堪えた。
(うぷぷっ、ざまあないわね。大方、手籠めにしようとしたところを酒瓶か何かでぶん殴られたんでしょ)
視線をそっと巡らせば、周りの級友たちも似たような表情だった。
偉そうに説教垂れてたウザイおっさんが、級友の地味子へのセクハラ未遂で一発かまされたのだ。失笑したくもなろうというものである。
「……えらいことになってますね。バルサザールさん」
そんな中、先頭に立っていた舘岡が口火を切った。口調こそ神妙だが、顔には嘲りの色を多分に含んだ笑みが張り付いている。
バルサザールは従者を下がらせると、しかめっ面で口を開いた。
「笑い事ではありませんぞ、【武極大帝】殿。我々にとって極めて重要な意味を持つ人物が、逃走したのですから」
この世界では、能力の名を二つ名として扱うらしい。里緒菜も最上位級能力である【業嵐の魔女】を有しているおかげで、折に触れてその名で呼ばれている。
「新治のことは聞きましたよ。あいつの能力、たしか最下位級だったはずじゃ……」
舘岡の言葉を聞いた途端、バルサザールはゆっくりと首を振った。
「能力の価値は、等級だけを以て推し量れるものではありません。考えてもごらんなさい。戦場のあまねく者の位置が分かる上、奇襲や伏兵、果ては暗殺者の類まで見抜くことができるのですよ」
「ヘッ……。そんなもんなくたって、オレひとりで終わらせて見せますよ」
「あなたの力を疑うつもりはありません。ですが、個人の武のみで終わらぬのが戦場です。ましてあの能力が旧王派に渡ったとなれば、非常にまずいことになる。私が真に恐れているのはそこなのです」
バルサザール曰く――。今、王国で起きている内乱の原因は、王位継承権を巡るものらしい。
バルサザールたちは先王亡き後、国の安定のために王弟の息子を王に据えんとする新王派。対する旧王派は先王とともに戦った軍閥貴族たちで、どこの馬の骨かもわからぬ先王の遺児を王に据えんとしている。
新しき血筋か、旧き血筋か。早い話が、よくあるお家騒動である。
(どっちが勝とうが、どうだっていいけど。そんなことより私には……)
話をよそに思考に耽溺しようとした時、居室の扉が開いた。
入ってきたのは、四十がらみの浅黒い肌をした日本人だ。転移者たちの指導教官、荒木である。
「閣下。【星眼の巫女】の件で、ご報告が……」
「……見つかりましたか?」
「いえ、それが……。探索に出した転移者二名が、戻ってきませんで。この者の推挙だったんですがね」
荒木はそう言いながら、舘岡を見据えた。顔立ちはいいし、革鎧を着こんだ立ち姿も悪くないのだが、どことなく小者臭い雰囲気がすべてを台無しにしている。
しかし舘岡は気にするどころか、鼻で笑って見せた。
「おいおい頼むぜ、教官サマよ。こっちは戦闘訓練があるってのに、人手を出せって言うから二人も出したんじゃねえか。どうせお楽しみでもしてんじゃねえの?」
「貴様、教官に向かってその口調はなんだッ! もう正午をまわる……何にしても遅すぎるッ! そもそも逃げ出したのは、貴様らの学級の人間だろうがッ! 貴様らが責任を取るのが筋というものだッ!」
舘岡の言葉に反応した荒木が、顔を真っ赤にしてまくしたてる。
ちなみにこの荒木、十五年前の内戦の頃に転移してきたらしい。妙に古めかしい考え方は、昔の名残だろう。内戦でもとりたてて功を上げられず、こうして転移者向けの教官として燻っている――という話を、里緒菜は人伝てに聞いていた。
舘岡が荒木を煽り返す前に、颯手はすかさず口を開く。
「……宍戸くんと本橋くんに、なにかあったとは考えられませんか? たとえば、返り討ちにあったとか」
「マジで言ってんのかよ? 新治の運動神経、最低の中の底辺だぞ」
「新治さんがやったとは限らないじゃない? 他に人がいたりとか……」
「たとえば~……祓川くんとか~?」
里緒菜の言葉を喰って、視界の端から茶髪ショートボブの女子が顔を出した。
――庄山地咲。女子カーストトップグループのムードメーカーにして、最上位級能力である【地恵の女君】の保有者だ。
「そ、そんなの……分からないけど」
「にひひ~。無理なさいますなって、里緒菜さぁ~ん。祓川がいなくなってから、元気なかったもんねぇ」
「ハッ、それこそお笑い種だろ。下位級の本橋はともかく、宍戸は上位級だぜ? 仮に能無しと二人がかりだって、負けるはずがねえ」
舘岡の言うとおり――。転移者の特権である身体補正は、能力の等級や性能に左右されるらしい。
宍戸はもともと運動部に所属していた上、上位級能力である【影潜り】を保有している。しかも本橋まで一緒にいるのだ。普通に考えれば最下位級の新治はもとより、能力を持っていない零仁がいたとしても、負ける要素はない。
「でも、なんかあってからじゃ遅いでしょ? なんなら私が探しに行きます。さっきの訓練で、風の移動魔法を覚えたし……」
「とかなんとか言いつつぅ~? ほんとはオキニの祓川を探しに行きたい里緒菜さんなのであったぁ~」
「……地咲。話の腰を折らないで」
やいのやいのと騒ぐ面々の声を、バルサザールのため息が遮った。
「いずれにせよ論外ですな。あなた方は戦闘訓練を終わらせることに集中してください。……アラキ。この件は貴殿に一任します。日暮れまでに終わらせなさい」
「ひっ、日暮れまで⁉ し、しかし逃げたのは、こいつらの学級の……」
「……それを掌握するのが、貴殿の役目でしょう。これは貴殿の失態です」
(うっわぁ~。どう考えたってあんたのセクハラが原因じゃん。責任、部下に押し付けたよこのハゲ)
荒木は顔を引きつらせていたが、すぐに口を開いた。
「ぬううっ……せめてッ、こいつらの中から何名か連れて行かせてくださいッ! さっきの話じゃありませんが、なにがあったかも分からないッ! 戦闘訓練にもなりますッ!」
「若干名ならいいでしょう。ただし最上位級の帯同は認めません。彼らには疾く速く、前線に出てもらわねばならぬのですからね」
「ぐぬぬっ……! 承知しました……」
「へっ、最下位級ひとり捕まえに行くのに供連れかよ。下位級の教官サマは大変っすねえ」
「やかましいっ! クソッ……失礼します」
舘岡に煽られた荒木は、不満げな表情のまま部屋から退出していく。
(どうしよう。もし私の零仁くんが、あいつらに見つかったら……)
記憶に残る、想い人の姿を思い起こす。教室で、廊下で、催し物の整列で。ふと気づくと、見られている。
もっとも男子の視線は慣れっこだ。気づいて微笑んでみせると、彼はバツが悪そうに目を逸らすのだった。
(じっとりと求めてくる感じ、たまんない……。私の玩具にして、一方的に嬲ってあげたい……。あの卑屈な目で、もっと見つめてほしい……)
下腹のあたりが熱を持つ。妙に渇く唇を、ちろりと舐めた。
この熱を以て、想い人と繋がりたい――。そんな衝動が、理性と知性を侵食していく。
(零仁くんがあいつらに見つかったら、タダで済むわけない。捕まっちゃう、殺されちゃう……。ダメだよ、そんなの。私が助けてあげなきゃ……)
窓から東の空を見つめた。何故だか、そちらに零仁がいる気がしたのだ。
地咲に声をかけられるまで、里緒菜は窓から空を見つめ続けていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
お気に召しましたら、続きもぜひ。




