葬送の軍【里緒菜】
お読みいただき、ありがとうございます!
時は少し遡り、夜襲明けの朝。バルサザール領、ダリア砦跡地。
「――菜ッ! 里緒菜ッ!」
名を呼ぶ声で、里緒菜はゆっくりと目を開けた。真っ先に視界に飛び込んできたのは、目に涙を浮かべた波留の顔だった。
意識がはっきりした途端、何かが焦げたような嫌な臭いが鼻をつく。
「……私、生きてる?」
「里緒菜……! よかったあ……」
抱きついてくる波留の頬を撫でると、ゆっくりと身を起こす。
着ていた魔法戦衣は、幾年も着古した襤褸のように穴だらけになっていた。波留が用意してくれたのか、普通の魔法使いが着る長衣がかけてある。
だが何より気になったのは、左胸の破れ目から見える火傷のような痕だった。
「ごめん、傷跡残っちゃった。そのうち消せるようになるから……」
服の上から傷のあたりを撫でていると、波留が悲しげに俯く。
「ううん、いいの」
この傷は、零仁にもらったものだから――。
言いかけた言葉を吞み込んで、立ち上がってあたりを見回す。
砦の外壁は焼け落ち、櫓は燃え落ち、主棟も半ばまでが崩れ落ちていた。爆ぜ散ったと思しき黒々とした瓦礫が、周囲に転がっている。
臭いの元は、ところどころに転がっている消し炭のようなものらしい。焼けた兵たちの身体であることは、容易に想像できた。
「これ、零仁がひとりで……。私、なんで生きてるんだろ……」
「西のほうから魔法で帰ってくるなり、倒れこんだの。全身ボロボロだった……。祓川くんと戦ったの?」
「うん。多分、全力でやったけど……負けた」
「……そっか」
波留はぽつりと言ったきり、険しい表情で押し黙った。
全力どころか、本来やれないことまでやって負けた。新治や能力を具現化した灰の剣など、いくつかの誤算はある。
だが何より口惜しいのは、自分の知らないところで零仁が変わったことだ。
(あんな顔をする男、見たことない。もっと情けない顔する生き物でしょ……?)
灰の剣を持ち、新治を庇うように立った零仁は、里緒菜が知らない男の顔だった。守るべきものを得た男は、ああいう顔になるものなのだろうか。
なおも考え込んでいると、波留が思い出したように顔を上げた。
「そうだ。バルサザールさんが、里緒菜の意識が戻ったら主棟のほうに来いって」
* * * *
波留と連れ立ち主棟に向けて歩いていくと、嫌な臭いが一層ひどくなった。地は黒ずみ、人の形をした灰の塊がいたるところに転がっている。
バルサザールは、主棟跡地の前でへたりこんでいた。金属鎧は焼けただれ、わずかな側頭部の頭髪は焦げて縮れている。
その背を見守るように、舘岡や庄山、塔村といった面々が整列していた。
里緒菜たちの気配に気づいたか、バルサザールが肩越しに赤く腫れた顔を向けた。
「あなた方は一体……なにをしていたのですか?」
バルサザールの前には、白い布をかけられた亡骸が横たわっている。
布の隆起からして、下半身しか残っていないらしい。わずかに覗く具足から、アンドリアスだと分かった。
「……【遺灰喰らい】の追跡を」
ひりつくような怒気を感じた里緒菜は、即座に口を開いた。
千里眼の魔法で見ていた限り、顔に二つ目の傷をこさえた舘岡はじめ、騎兵隊は散々な目にあっていた。堪えたのは敗北か叱責か、嘲り混じりの軽口がまるでない。
「負傷者の手当てを……」
次いで答えたのは波留である。先ほど身を起こした時、少し離れた位置にたくさんの負傷兵が横たわっていた。噓ではない。
その様に焦ったのか、地咲が目を泳がせながらも口を開いた。
「……急襲してきた敵の迎撃、を?」
「同じく、だ」
もごもごした声に、火音がぶっきらぼうに続く。
見ていたわけではないが、明らかに嘘だ。
その瞬間――。
「…………嘘を抜かせえええええええッ!」
バルサザールはやおら立ち上がると、目を剥いて一喝した。
「【焦熱の女帝】と【地恵の女君】は寝こけていた上、戦うことなくさっさと森に逃げたと兵どもから証言があがっているっ!」
「うっ……」
呻いた地咲が、気まずそうに目を背ける。
火音のほうは涼しい顔だが、その視線には露骨に怒気と殺意が混じっていた。
「【波濤の聖女】よ、負傷者より敵を討たんかっ! 【業嵐の魔女】よっ! 【遺灰喰らい】はどうしたっ⁉」
「申し訳ありません。あと一歩まで追い詰めましたが、仕留め損ねました」
「【星眼の巫女】はっ⁉」
「……取り逃がしました」
「このっ……このっ、無能どもがあああああっ!」
(ゆーて、あんたもご丁寧に待ち伏せかましたわりには、息子と一緒に火だるまになってたじゃん?)
血走った目で唾を飛ばすバルサザールの言葉を、心の中で斬り捨てる。
バルサザールたちの待ち伏せも、千里眼の魔法で見ていた。案の定、返り討ちを喰らったところで、先んじて待ち伏せ地点の丘に出向いたのだ。
「たった一人だッ! 【遺灰喰らい】、たった一人のためにッ! 私は兵を失い、砦を失いッ! かけがえのない息子まで失ったッ!」
(そもそも零仁くん追放したの、あんたじゃん。なんなら私は反対したっての)
「挙句の果てに新たな脱走者まで出した上、そやつらは敵の手引きをしていたというではないかッ⁉」
(今すぐこのハゲ殺して、首を手土産に寝返るのが一番いいんだけど……零仁くんがブチギレるよねぇ。あれだけ暴れた後じゃ、受け入れてもらえるかも分からないし)
「貴様らを受け入れた時から、ずっとケチのつき通しだッ!」
(良平や他のみんなにしても、ここまでケチつけられた上に、殺されるかもしれない相手に寝返るとか絶対嫌がるしなぁ)
「この落とし前、どうつけてくれるつもりだッ! ええッ⁉」
(聞いてる感じ、王権を押さえているのは新王派。資源の量も圧倒的に有利。なにより、あの新治はきちっと殺っときたいし……。仕方ない、もうひと頑張りするかあ)
気づかれぬように長いため息を吐くと、一歩前に進み出た。
「……閣下、どうかお怒りをお沈めください」
バルサザールの視線が里緒菜に向いた。一応、話をする余地はあるらしい。
「此度の敗戦の責任は、すべて私たちにあります。そも【遺灰喰らい】は、私たちの同胞。どうか今一度、彼を討つ機会をお与えください」
「勝算はあるのか。ここまで負け通しの貴様らに」
「敗因は、【遺灰喰らい】の力を見誤ったことにあります。あの能力を無能と断じたことによって、彼は同胞を喰らい成長し、我らが痛手を被る要因となりました」
「……続けろ」
(おっおっ、自分も判断ミスあるから突っ込めないな?)
心の中だけでほくそ笑む。
実際、零仁と新治が逃げた段階で最上位級を繰り出していれば、あっさり決着がついていたはずの話だ。
それでなくとも小隊規模の人数を組にして行動させれば、ここまで人的損失が出ることはなかっただろう。
「対策はこれ以上、彼に転移者を吸収させないことです。私は一戦交えたゆえ、彼の持つ能力は把握しています。我ら一丸となり、彼を討つための集となりましょう」
「全員で、ということでよいのだな?」
バルサザールの険しい視線が、地咲と火音に向けられる。
悲しいかな、最上位級二名のサボタージュは元から看破されていたらしい。
「はい。ひとつどころにまとまり、彼を絡めとり誅する刃となります」
背後でふたたび地咲が呻いたが、気にせず言葉を続ける。
零仁の力は、今や最上位級に匹敵すると思っていい。さらに【大いなる御手】までいるのでは、さすがに二人を遊ばせておく余裕はない。
「差し当たり、遺灰を墓へと運ぶ儀式……葬送作戦とでも名付けておきましょう。いかがでしょうか?」
すると後ろで黙っていた舘岡が、不意に前に出た。
「……オレからも頼みます。もう一度、【遺灰喰らい】と戦らせてください」
そう言って、頭を下げる。舘岡が頭を下げるなど、知る限りでは初めてだった。
バルサザールは里緒菜と級友たちを見回した後、深いため息を吐いた。
「……よかろう。彼の者の力を見誤ったのは、私も同じだ。他の転移者も孤立しないよう、編成を見直そう」
「ありがとうございます、閣下」
(ちょっろ~い!)
心の中で舌を出すと、バルサザールの表情が下卑た中年のものに変わった。
「代わりに……。生き残った女子ども、日替わりで私の伽をせよ」
女子たちから、短い悲鳴が上がる。
(前言撤回、最悪……。まあいっか、他の女子をあてがえばいいし)
意識の中だけで西の空を見つめた。この空の果てにはきっと、零仁がいる。
(あの時の私……零仁くんを殺す気だった。それなのに、彼は打ち払って見せた)
形はどうあれ、全力を以てしても靡かぬ男に出会ったのは初めてだった。
もし彼が持つすべてを打ち崩したら、どんな気分になれるのか。
(八つ裂きにした新治の横で、ボロボロになったあなたに跨って、腰を振るの……。ねえ、どうかな?)
姿の見えぬ想い人に、心の中だけで声を投げかけた。
下腹部が熱くなるのが分かる。呼応するように、胸の傷がじんわりと疼いた。
(絶対、手に入れて見せるから……。待っててね、零仁くん)
里緒菜の熱と、想いを乗せて――。
初夏の風が、焼け焦げた砦の跡地を吹き抜けていった。




