散り逝く光
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零仁が本陣に戻った時、すでに日は西に傾いていた。
陣の中では、いたるところで魔法士が負傷者に向けて回復魔法をかけている。新王派軍は撤退したはずだが、戦勝を祝う雰囲気はどこにもない。
戦場も斯くやとばかりの喧騒の中を、たった一人を探して彷徨う。その時、視界の片隅に見慣れた糸目眼鏡と、怜悧な女性の顔が見えた。
「レイジ殿!」
「こっちっ!」
クルトとメイアに導かれた先は、荒らされた本陣の真ん中だった。グランスや騎士たちが取り巻く中心には、銀髪の男が横たえられている。その身体から、灰が舞っているのが見えた。
「……カークスさんッ!」
にじり寄る予感を振り払うべく、駆け寄って男の名を呼ぶ。
カークスはゆっくりと目を開けると、零仁の顔を見て微笑んだ。
「レ、イジくん、か……。すま、ない……恩を返す、はずが、この……ザ、マ……だ……。私は……いつも、こうだな……」
「しゃべらないでくださいッ! ……なんで回復魔法をかけないんですかッ! はやく……ッ!」
喚き立てると、クルトが無言で肩に手を置いてくる。
分かっていた。この世界の初歩的な回復魔法は、かけられた者の体力や魔力を治癒力に転換して傷を癒す。より高位の魔法ともなれば、四大元素や陰陽の魔力を癒しの力にできるものもあるが、使える術者は限られる。
カークスは困ったように笑うと、零仁に向けて手を伸ばした。
「たの、み、が、ある……」
「なんですかッ……⁉ なんでも言ってくださいッ!」
手を握りしめて言うと、カークスも弱々しく手を握り返してきた。
「私、を……喰って、くれ」
「……えっ?」
「私、を……連れて、行ってくれ……。この、くら、いしか……」
「やめてくださいっ! そんなこと……!」
「テ、ラ、くんを……助けに、行くん、だろう……?」
「……ッ!」
カークスの全身からは、今まで見たこともないほどの灰が舞っている。
まとわりつく灰が、零仁にはカークスの手を引く死神のように見えた。
「さ、あ……やる、んだ……レイジ、くん……」
「っ、ぐっ……ぐうううっ……!」
冷たくなった手をもう一度、強く握り返す。
「……【遺灰喰らい】!!」
灰色の、紋が現れた。黒い灰と嫌な音を撒き散らしながら、カークスの身体を貪っていく。その表情が、苦悶に歪んだ。
「ッ……ガアアッ……! テラ、くんを、守れ……君な、ら……でき……!」
言葉が終わる前に。カークスの頭が、紋の中へと吸い込まれた。指先から爪先に至るまでが喰い散らかされる中、脳裏にひとつのイメージが浮かぶ。
――見覚えのある場所だった。たしかアウザーグ村の郊外に同じ場所があったはずだ。あたりには野盗と思しき男たちの死体が三つ。そして目の前には女性と、少女の亡骸がある。
『――テレジア……エスト……』
血のついた剣を放り出し、カークスが亡骸の前に膝をつく。
『――お願いだ、目を……目を開けてくれ……。君たちがいなくなったら、私はどうしたらいいんだ……』
カークスは女性の亡骸を抱き上げながら、呼びかける。
だが女性も少女も、目を開けることはない。
『――あの子は……カテリーナはどうなる? わたし一人で、どうしたら……』
乱れた衣服と、頬についた血と、野盗たちの屍。
なにが起こったのかは、想像がつく。
『――ああっ……。ああああっ……あああああああっ!!!!』
(いつもそう、って……そういうことか? 助けられなかったから、今度は助けようとして……?)
カークスの慟哭が響くとともに――イメージが途切れた。
映像がどろりと溶け落ちて、ひとつの玉となる。記憶に、【燐光の抗剣】の名が刻まれた。
「……カークス、さん」
零れ落ちたなにかが、カークスの手を握っていた右手に落ちる。この世界に来て初めて流れた、涙だった。
「クソッ、タレ……」
口から漏れ出る言葉は、級友に向けてのものではない。力を持ちながらもなにもできなかった、自分自身への呪いだ。
「クソッ……タレエエエエエッ!!」
零仁の声が響く草原を、夏の風があざ笑うように過ぎ去っていった。
* * * *
夕日が草原の西の果てに沈む頃、零仁は陣地に繋いである軍馬の前にいた。防具は先ほど来ていたものだが、背には分離させて急ごしらえの鞘に納めた杉原の黒い両剣がある。
”斬獲双星”の銘が入ったこの両剣は、刃に刻まれた”連結”と”分離”の言葉とともに魔力を込めると、柄の半ばから分離して二振りの直刃剣となる代物である。鈍器ではさすがに取り回しが悪いので、ありがたく使わせてもらう。
「……行くか」
誰ともなしに言って、鐙に足をかけた時。
「どこに行く気だ」
いかつい声が、背に刺さる。
振り向いてみると、そこにはクルトとメイアを脇に従えたグランスがいた。三人とも軍装を解いていないあたり、今まで事後処理に忙殺されていたのかもしれない。
「ダリアです。魔草を喰わせましたから、駆け通せば夜中には着くでしょう」
「行って、どうする気だ」
「新治を助けます。忍び込んで連れ出すだけなら、俺ひとりでいい」
グランスは大きくため息をつくと、首を横に振った。
「ダメだ」
「……だったらっ! すぐにダリアを攻めましょうよっ! 相手が潰走した今なら、攻め時でしょうっ!」
半ば呆れた表情のグランスに、食って掛かる。
ドミナ平原の戦いは、旧王派の勝利に終わっていた。零仁が崩した右翼から浸透した旧王派の先鋒の勢いを止められず、バルサザールの本陣が撤退したのだ。
しかしグランスは戦勝の後にも拘らず、沈痛な表情でふたたび首を振る。
「お前の級友どものおかげで、こっちも結構な被害が出てる。テラのためだけに動くことはできねえ。なにより、主力の最上位級はまるっと温存されてんだぞ。獣がわんさかいる檻の中に飛び込むようなもんだ」
「……ッ!」
戦場に出てきた最上位級は、【武極大帝】もとい舘岡のみだった。
勝ちを得ることはできたものの、転移者の人的被害の面で見れば、新王派は【両剣使い】のみ。対して旧王派は【星眼の巫女】が拉致、グランスの旗主たる【燐光の抗剣】が戦死という痛手を被っている。なぜ負け戦を肯じてまで新治にこだわったのかという疑問はあるが、結果として痛み分けの状況だ。
「テラはたしかに得難い能力を持ってる。だからこそ、すぐ殺されるとは思わん……」
「死ぬより辛い目にあうかもしれないでしょっ! そもそも俺は、あなたの騎士じゃないっ!」
「……んなこたぁ分かってるわっ! 死に急ぐガキを見殺しにする趣味はねえっつってんだよっ! 聞き分けろっ!」
一喝とともに、身体が見えない力で掴まれた。グランスの能力、【大いなる御手】だろう。
ダリアには最上位級たちはもちろん、他の級友やバルサザール麾下の部隊が詰めている。単騎で乗り込むのは自殺行為だ。
「でも俺は行きます。新治をこのままにはできない。あいつ、血の海でも泥の中でもついていく、って……。なのに俺が何もしてやらないの、おかしいじゃないですかっ!」
グランスの目を、ひたと見た。
「それにカークスさんは、そのために、俺に……っ!」
グランスはなおも険しい表情をしていた。が、ややあって肩越しにクルトとメイアを見る。
「……クルト、メイア。オレの直属ですぐ動けるのはどのくらいだ」
「ざっと50くらいです。軽傷の者を合わせても、100に届くかどうか……」
「十分だ。馬には魔草、出る奴らには酒と肉をやっておけ。魔法士たちにも陣形魔法の準備をさせろ」
身体を縛めていた力が消えた。グランスの視線が、ふたたび零仁に向く。
「お前の覚悟は分かった。オレの直属だけだが、手伝ってやる」
「え、っ……あっ、その……えっ?」
突然の申し出に、言葉が出てこない。
だがグランスは対照的に、先ほどよりもさらに険しい表情を浮かべた。
「代わりに約束しろ。無理だと思ったらすぐに退け」
「……はい」
「もしテラを助けても脱出ができねえなら……。その時は、お前がテラを殺して喰え。頭数は減るが、能力は手に入る」
「……ッ!」
「お前のことは信じる。だが親切だけで動くわけにはいかねえ。それでも……やるか?」
新治だけではない。グランスに、クルトとメイア。さらに百人の、命がかかる。
「……はい。よろしく、お願いします」
零仁は、深々と頭を下げた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
お気に召しましたら、続きもぜひ。




