10話 異文化交流と異世界日記
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時刻は夕暮れ。今日の修行を終えた俺は、大広間のソファーに腰掛けて休んでいた。
「ふぅ〜…」
溜息を吐きながら天を仰ぐ。窓から吹き込む風と差し込む夕陽が、何ともノスタルジックな雰囲気を出しており、修行で疲れた心身によく染みる。初日なので当たり前だが、魔法の修行において多くの課題に直面した。
何より、魔力の持続性だ。疲労が溜まった状態だと《氷球》すらまともに発動せず、ただの小さい氷に逆戻りしてしまう。
「魔法は使えば使うほど練度が上がる」とレイラは言っていたが、一日に使える魔力はまだまだ微々たる物だ。
他にも威力、精度…挙げていけばキリがない。午後はレイラが植物魔法で作った案山子…否、地面から案山子の形状で生やした木に魔法をぶつける修行をした。
《氷球》だと一撃で破壊できず、何発か打ち込む必要があった。他にも氷の初級魔法には、《氷弾》や《氷柱》といった、より攻撃的な魔法もある。が、これらは初級魔法の中でも魔力消費量が多い。それに、何発かは的を外してしまった。野球ボールを的に当てるのとは勝手が違う。まぁ、そもそも球技は苦手なのだが…。
とはいえ、悲観し過ぎるのも良くない。千里の道も一歩から、という言葉もある。明日は風の魔法についても、詳しく教わりたい。今日の修行で体感したのだが、氷の魔法は少し難しい。もちろん修行は継続するつもりだが、風の魔法は折角『適性がある』とレイラに太鼓判を押された代物だ。是非とも身につけたい。
「はい、お疲れ様。季節リンゴのジュースを飲んで、疲れを取ると良いよ。」
レイラは昨日と同じように、ジュースを作って俺に渡してくれた。
「ありがとう、レイラ。」
家主に礼を言って、コップの中身を飲み干した。果実の甘味と爽やかさが、疲れた身体に染み渡る。
そして肉体的な疲れが取れたのを期に…俺はずっと考えた事を彼女に伝えた。
「…なぁ、俺って『レイラの助手』なんだよな?異世界研究の。」
「そうだよ。異世界の事をより深く理解するには、召喚したキミに色々協力して貰わないとね。」
「でもさ、今俺って…レイラの世話になってばっかりじゃん?そろそろ、俺も助手らしい事の一つでもしないとダメだと思うんだ。」
俺は昨晩から考えていた。食事や衣類、魔術の修行までレイラの世話になっているのが現状だ。昨日は特製のポーションまで作ってくれた。側から見れば『ヒモ』だ、ヒモでしかない。
いや、まぁ、『ヒモ』という生活自体を否定するつもりは無いし、そういう暮らしに憧れが無いと言えば嘘になる。
だが出会ったばかりの、しかも年端もいかない少女にずっと生活の面倒を見てもらうのは、流石にダメだろう。長命のエルフとは言え、見た目からして少なくともレイラは大人では無い。こんな生活を続けていれば、良心の呵責と罪悪感でおかしくなってしまいそうだ。
なら、この状況を脱する方法は?一つは俺に与えられた『異世界研究の助手』の仕事を全うすること。他にできるのは…家事手伝いぐらいだろうか。異世界で良くある『魔物を倒して日銭を稼ぐ』と言うのはまだムリだ。魔法の修行が足りてない現状では、魔物の晩飯になるのがオチだ。
なので、ひとまずは家主であり召喚者であるレイラに意見を伺ってみる。
「ほうほう、どうやらやる気十分みたいだね。その意気込み、ボクが買ってしんぜよう!」
…早速で悪いんだけどさ、使い方を教えて欲しい道具があるんだ。見てくれないか?」
レイラは大仰に言ってのけると、隣接する空き部屋のドアを開けた。チラリと中の様子が見えたが、どうやら物置部屋になっているらしい。少しの間物色した後、中から箱を抱えて戻ってきた。
「この異世界アイテム、どう使うのかさっぱり見当も付かなくてね。ラルダに教えて欲しいのさ。」
魔女がそう言いながら、箱の中身を取り出す。
それは日本人なら所有してはいなくとも、一度は見た事のある調理器具。夏祭り、そして縁日屋台の人気者。ご存じ『たこ焼き器』だ。
「電気を流すと、鉄板が熱くなるのは分析できたんだ。そして『熱した鉄板で何をするのか?』を考えた場合、真っ先に思い浮かぶのは料理だ。多分、これは調理器具…という所までは予想できたんだ。」
レイラは自分の推測を述べた後、「う〜ん」と唸りながら天井を見上げた。
「でも、この鉄板の窪みは何だい?単に肉や魚を焼くなら、形状は平らで良いだろう?試しにフライパン同様に使ってみたら、窪みの中で食材が溜まって取りづらくなったんだ。
…この謎は結局、解明できずじまいさ。
だが!」
レイラはいきなりバッ、と俺の方へ向き、スタスタと直り歩み寄ってきた。
「今のボクには頼もしい助手がついているのだよ♪
さぁ、ラルダよ。ボクに異世界の知識を授けてくれ給え!」
相変わらず台詞は大仰だが、レイラの瞳は好奇心に輝いている。昨日、俺に彼女の『宝物』…ラジコンや家電を紹介した時と同じ顔だ。子供が持つ純粋な瞳、新しい事に興味を持ち、学びを得る時の目だ。
そして、今彼女に知識を分けられるのは俺だ。なら今こそ、助手としての役割をこなすべきだろう。それにしても、多少は知っている機械で助かった。
「これは『たこ焼き器』といって、球体状の食べ物である『たこ焼き』を作るための道具なんだ。」
「タコヤキ…『タコ』というと、海とかに住んでいるあの?」
「そう、それに小麦粉と卵で生地を作って…確かキャベツやネギ、そしてタコを入れた生地を作るんだ。その生地を、この窪みの中に入れて熱することで、先ずは半球体の生地が出来上がる。」
「ふむふむ、でもそのままじゃ『球体』の食べ物は作れないよ?」
実際にたこ焼きを作ったことはないので、少々雑な説明しか俺には出来ない。だが、レイラは拙い説明の中でも真剣に聞いてくれて、尚且つ知識を掴み取ろうとしていた。
「そう、たこ焼き最大のポイントは『生地を回す』事なんだ。熱を加えれば、半球体の表面が焼けて固まる。そこで上下正反対に、くるっと引っくり返すのさ。固まり切ってない生地は下へ零れ落ちて行き…」
「今度は零れた生地が焼き固まる!上下合わせて、球体の『たこ焼き』の完成って事だね!」
「その通り!
…とは言え、俺も実際使った事が無いから、説明通り簡単に行くかは怪しいんだけどね。」
ハハハ…と苦笑しながら、俺は続けた。
「でもさ、キミの知識があれば、『完璧』でなくとも『ある程度』の再現はできるんじゃ無いかい?
実際に、たこ焼き器での料理を実演してくれると助かるんだけど…頼めるかい?」
「…悪いんだけど、たこ焼きは食べた事はあっても作ったことは無いんだ。材料だってうろ覚えだし、何より森の中だとタコや魚のだし汁とかの材料は手に入らないだろ?」
「じゃあ…この道具を使うところは見られないって言うのかい?」
レイラは見るからに残念そうな表情をした。
…流石にマズい、罪悪感がヤバい。家主であり魔法の師匠でもある彼女を、今俺は悲しませている。とは言え、レシピとかは本当に知らないし…。
いや待て、確か『たこ焼き』以外の料理にも使える筈だ。
以前、料理動画で見たことがある。そして昨日の夕食、パンケーキの生地さえあれば…。
「たこ焼きは無理だけど、パンケーキの生地をこの鉄板に流し込むのはどうかな?この道具で一風変わったお菓子を作ってみる…と言うのはどう?研究に役立つかな?」
レイラの表情はパァッ、と明るいものになった。
「その手があったか!ドロドロの生地を焼き固めて、回しながらボール状のパンケーキにする!早速やってみよう!」
「ああ、もちろん!異世界研究、早速開始だ!」
すっかりご機嫌となったレイラに触発され、俺も二つ返事で研究の手伝いに取り掛かる。
「先ずはラルダ、早速着替えてくれ!着替えは既に、キミの部屋に用意してあるから!」
「了解!」
俺は師匠の号令に、勢いよく返答した。
…ん?着替え?
あれか?料理するからエプロンを着けろとかそう言う話か?
◆
「うんうん、よく似合ってるよ!やっぱり何事も、形から入るのが一番だよね〜♪」
レイラは自分が用意した『着替え』を身につけた俺をみて、大層ご満悦のようだ。
「……ッ//
何でわざわざこんな格好をするんだよ!?ただ料理するだけじゃんか!」
俺に用意されたのは黒のワンピースに、フリルのついた白のエプロンとヘアドレス。要するに…メイド服だ。しかも中世風のロングスカートではなく、秋葉原にあるメイド喫茶で着るようなミニスカートのヤツだ。
「ん?だって可愛いじゃん?
それに、やっぱり料理と言ったらメイドさんでしょ!」
「俺は男だぞ!?」
「でも今のラルダは、可愛いエルフの女の子だよね?」
魔女はニヤニヤしながら、メイド服を着た俺の前に姿見を持ってくる。鏡に映るのは、スカートの裾を押さえながら赤面する金髪の美少女だ。
「ボクの手伝いをするって言ったよね?なら、ちゃんと言う事聞いて貰わなきゃだよね♪」
「ぐぬぬ…//分かった、分かったから!早いとこ調理に取り掛かるぞ!」
生活の面倒を見て貰っている手前、彼女の指示には逆らえない。とは言え、このまま鏡の前に居たら気が狂いそうだ。俺は鏡の中にいる美少女メイドから、目が離せなくなりそうだった。彼女の美貌と豊満な肉体も目に焼きつくが、それが他ならぬ自分自身の身体だと思うと、何とも倒錯的で背徳的では無いか。理性を失う前に、さっさと調理を済ませなければ!俺はキッチンに早足で向かう。レイラも楽しそうに着いてきた。
◆
「そうそう…その調子で小麦粉を振るって、全部振り終えたら、卵の黄身と砂糖を混ぜるんだ。」
異世界にはホットケーキミックスの様な、便利な商品は無い。故に粉を振るいにかけて、卵も黄身と白身を分けて使用する。秤はかろうじて、バネ製のアナログ式の物があった。小麦粉、砂糖、牛乳の重さをレイラの指示通りに量る。そして混ぜる。電動のハンドミキサーは無いので、手動の泡立て器でかき混ぜる。
「次に卵白を泡立てるんだ。所謂メレンゲだね。ボウルを少し傾けてしっかり空気を混ぜるのが、フワフワの食感を出すコツだよ。」
レイラのアドバイスに従いつつ、再び泡立て器を使ってかき混ぜる。無心で混ぜた事で少しずつ泡立って来たが、まだメレンゲの完成には遠い気がする。
「ここから3回ぐらいに分けて砂糖をいれて、全体的に雲見たいに柔らかく泡ができたら完成さ。どう?上手くやれそうかい?」
「一応泡立ってはいるんだけど…ちょっと泡立ち具合が足りない状態です…。」
単に力任せに泡立て器をシャカシャカ混ぜるだけでは、どうやら上手くいかないらしい。何かコツがあるのか?
「なら、ラルダにアドバイス♪
『卵は冷やした方が泡立ち易い』よ!」
冷やす…調理前に冷蔵保存するならまだしも、調理中に冷やす手段なんてあるわけ…。
ある。氷の魔法だ。
俺はボウルを持っている手に、水色の魔法陣を浮かべる。詠唱は無し、弱い冷気と小さな氷で十分だからだ。生地に氷が入らないように、ボウルの外側だけを冷やす様に意識する。そのままシャカシャカと泡立て器を動かすと…すんなりとモコモコに泡立ってくれた!
「やった、上手くできた!魔法を使った料理、さしずめ『異世界クッキング』って所か!」
ついテンションが上がってしまい、思い浮かんだ事を口にしてしまう。
「『異世界クッキング』…面白い!中々キミは面白い事を言うじゃ無いか。
そんな感じで、魔法を生活の中で使う事も少しずつ覚えて貰えると嬉しいな。」
レイラは微笑みながら、ボウルに砂糖を加える。俺はまた泡立てて、再びレイラが砂糖を投入する。計3回繰り返してメレンゲが出来上がった。そのまま小麦粉生地のボウルと合わせて、パンケーキの生地が完成した。
「行くよ〜。それ〜♪」
レイラは生地をお玉で掬い、たこ焼き器に流し込む。既に油を敷いて、程よく熱した状態だ。投入した生地はすぐに、ふつふつと泡立った。
「よし、今だ!」
手にした竹串で、鉄板に触れている部分をひっくり返す。顔を出した生地は、程よく焼き上がっていた。
「おお!そうやってひっくり返していって、最終的にまん丸の料理ができる訳か!」
レイラは眼鏡の奥で、両目をキラキラと輝かせていた。
「パンケーキだから膨らみ易いし、焼けるのも早いな…。これ、油断すると焦げたり溢れるぞ。」
「なら、2人で協力しよう!一緒にクルクルと回そうじゃないか!」
鉄板の窪みの中で焼き上がる菓子を、2人がかりで慌ただしく処理していく。皿の上には次々に、焼き菓子の球が並んで行った。ボウルの生地を半分くらい使ったところで、一度手を止める。
「これが…これが別世界の料理…!よ〜し、一旦試食と行こうじゃないか、ラルダ♪」
「ああ…それじゃ、いただきます。」
2人で食卓につき、小さなケーキをフォークで口に運ぶ。小麦粉と砂糖だけの、シンプルな味付け。それでも素材の味が良い分、そして焼きたてを食している分、とても美味い。
「成程…味自体は普通のパンケーキと大きくは変わらないね。どちらかと言うと調理過程、鉄板の生地を回す楽しさに重きを置いているのかな?」
エルフの少女は真面目な表情で、目の前にある菓子について、そして鉄板について分析する。
彼女の顔には覚えがあった。昨夜、ポーションを調合していた時の顔だ。材料を混ぜ、釜で煮詰めている時、彼女は楽しげではあったが同時に真剣だった。レイラは紛れもなく『研究者』であり、魔法薬だけでなく『異世界の文化』に対しても真剣に向き合っているのだ。
「確かに、その側面もあるな。例えば、友達同士が集まってホームパーティーを開く時、この道具は大活躍するんだ。みんなで材料を用意して、この鉄板を囲んで、それで回して食べる。そういうのも、このたこ焼き器の持ち味さ。」
彼女の推測は実際当たっている。レイラは結構観察力や推理力が鋭いと、この2日間の付き合いで少しずつ感じていた。
「おお…!『家族・友人と共に、食卓で作る料理』!またボクは、異世界文化の理解に大きく近づいたぞ!」
魔女は瞳を輝かせながら、興奮気味に言った。
「キミも前世では、お友達とたこ焼き作りをしたのかい?」
「すまん…得意げに語っては見たけど、実際に使ったのは今日が初めてだから、友達同士で云々ってのは又聞きの話なんだけどね。でも、友人同士の『タコパ』…たこ焼きパーティで使うってのは有名な話なんだ。」
「なら、さっきボクとたこ焼きケーキをひっくり返してた時は…『楽しかった』かい?」
そうか、言われてみればこれが『人生初のタコパ』になる訳か。2人でわちゃわちゃと慌ただしく、生地をクルクル回したのは…。
「勿論、楽しかったよ。」
俺は少しはにかんで、レイラに答えた。
その返答を聞いて、少女はとても嬉しそうだった。
「そうだ、今度は『具材』を入れてみよう。たこ焼きの主役は、生地の中に入れたタコだからな。より再現するなら、こっちも何かいれないと。」
「そっか…具体的には何を入れよっか?」
少女の質問に、俺は少しだけ考えを巡らせる。
「例えばチーズやバナナ、チョコレートだな。あ、この世界には『チョコレート』…って名前の茶色いお菓子はあるのか?」
この世界の食文化について、俺はまだまだ無知だ。暫くは、探り探りの会話になりそうだな…。
「あるよ、バナナもチョコレートもチーズも。ただ、どちらも都市部でしか売ってないね。バナナは南の方にしか生えてないから、どの道無理かな。」
となると、他に使えそうな具材は…とっておきの果物があったな。
「試しに『季節リンゴ』を入れてみるってのはどうだ?甘い桃味なら、パンケーキによく合う筈だからな!」
「おお、それは良いアイデアだね!採れたての季節リンゴを切って…あ、ジャムにした奴も入れてみよう!」
俺とレイラは、すぐに準備に取り掛かった。小さく切り分けた果実、そして甘いジャムを使ったプチパンケーキは、先程とは比べ物にならない程美味かった。
「中身がある事で、味や食感に新たな楽しみが生まれる。そういう意味だと、サンドイッチと似た所もあるね。兎に角、今日は勉強になったよ。」
レイラは懐から取り出したメモ帳に、ペンを走らせてメモを取っている。これからあのメモには、俺が前世で暮らしていた世界の事が沢山書かれるのだろう。それが纏まったら、彼女は論文でも書くのだろうか?魔法の大学で学術発表をするレイラ…結構様になるかもな。
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夕食後は食後の紅茶を頂き、入浴等を済ませた俺は自室に戻りペンを取った。レイラから与えられた助手としての業務として、日記をつけるためだ。異世界からの来訪者が体験した今日の出来事、そして感じた事をなるべく詳しく書く事。それにより、彼女の研究が更に進むそうだ。
まず記したのは今日教わった朝の日課と世界樹についての事。次に魔法修行の内容、手応えと明確化した問題点。そしてレイラとたこ焼き器でケーキを作った事を書いた。最後に総括として、魔法の有無をはじめとする前世との生活のギャップ、面食らう事はあれど楽しい生活を送れていると書き記した。
日記として渡された手帳を閉じ、ベッドに寝そべる。就寝前は毎日スマホでゲームやネットサーフィンをしていたのだが…今はやる事が無い。なので、さっさと寝る事にした。正直、スマホが無い生活は不便で味気ない気もするが、こればっかりは慣れるしか無い。
窓を開ければ、爽やかな夜風が舞い込んでくる。夏場とはいえ、この辺りだと夜は涼しい。異世界の新鮮な空気を堪能しながら、俺は眠りについた。