第29話「初見殺しの即死攻撃はクソ」
あの蠻獣は何かをしようとしている。
そう叫ぼうとした。
しかし、舌は口内に貼り付いたように動かず、喉からは掠れた息しか出なかった。
この情けない身体は、足が動かせないだけでなく、声を出すことも出来ないらしい。
戦うローリーとは距離があるが、今のダミアンがその気になれば、あそこまで声を届かせる事など大して苦でもない。
しかしローリーに聞こえるということは、アストラコルヌにも聞こえるということである。
もしそれでアストラコルヌがダミアンに注意を向けてしまったらどうなるだろう。
ローリーはアストラコルヌの攻撃を躱してみせたが、同じ事がダミアンに出来るとは思えない。おそらくまともに食らってしまう。
そう考えただけでまた足ががくがくと震え始めた。
そうしている間にも、アストラコルヌの角の輝きは増していた。もはや疑う余地はない。明らかに金色に輝いている。
ローリーはなおも背中に短剣を突き立てているが、もうその行為は逆効果にしか見えない。
位置的に背中のローリーからでは頭の角の光は見えないだろう。彼が気付いているとは思えない。
このまま黙っていれば、きっとローリーの身にとんでもない事が起きてしまう。
しかしダミアンはわずかに唇を震わせただけで、そこから警告の言葉は一向に出て来なかった。
◇
ダミアンはヴォールト領都の孤児院で育った。
彼には姉がいて、2人はとても仲の良い姉弟だった。
2人とも小さな頃から容姿が整っており、また優秀な才能を持っていた。孤児院には何冊かの本があったが、2人は文字を教わるとすぐに全て読んでしまったほどだった。
賢い2人は、大人たちの会話も早くから理解していた。
その中に、孤児を雇い入れる事で国から支援金が貰える、という話があった。
支援金の額はそう大したものでもないらしいが──それでも平民ならば数年は食べていける額である──一部の富裕層や貴族にとっては金額は問題ではなく、国が推奨している孤児の救済制度に自ら名乗りを上げたという事実の方が重要であるという。
孤児院側としても国庫から支援金を引き出しておいて適当な人材を推薦するわけにはいかないため、推薦されるのはその時の孤児院で最も優秀な孤児に限られていた。
ダミアンとその姉は推薦枠の最有力候補であった。
仲睦まじいこの姉弟は、お互い相手には一切言わず、お互いを推薦するよう孤児院の院長に願い出ていた。
ダミアンよりも少しだけ年長で、少しだけ気が回り、少しだけ勘の良かった姉は、弟が自分と同じ願いを持っていることに気づいた。そして数年に一度というこのチャンスには、おそらく年齢的に上である自分が推薦される可能性が高いこともわかっていた。次回この孤児院に順番が回ってきた時、ダミアンならばまだ選考対象になれる年齢だが、自分はもう院を出ているはずだからだ。
しかし、次のタイミングでダミアンが選ばれるとは限らない。
弟の優秀さは疑っていないが、他にもっと優秀な人間が出てこないとも言い切れない。所詮自分たちは孤児で、この社会の広さを知らない。自分たち程度の子供なら、孤児院の外には実はいくらでもいるのかもしれない。そして新しく院に入ってくるかもしれない子供がその優秀な子供でないという保証はどこにもないのだ。
ダミアンの姉は、その時から露悪的に振る舞うようになった。何か物を壊したり、誰かを傷つけたりといった事はしなかったが、明らかに素行が悪いと判断されるような行動をとるようになった。
ダミアンは急に変わってしまった姉に戸惑い、理由を問いただそうとした。
しかし姉は取り合わなかった。むしろダミアンを避け、極力会わないようにした。
ある時、ついにダミアンは姉を捕まえ、素行を正すよう説得した。当然ながら姉は聞かなかった。
2人は喧嘩別れをし、結局仲直りをしないまま、推薦枠にはダミアンが選ばれた。
ダミアンを雇ったのは、領主であるルーベン・ヴォールト公爵であった。
公爵としては国や聖教会へのパフォーマンス程度の目的で雇っただけであったので、正直なところダミアンの働きぶりなどどうでもよかった。下働きとして採用し、後は屋敷の使用人たちに丸投げであった。
ダミアンは丁稚のような扱いで住み込みで働く事になった。仕事を覚えながら、かつ日々の業務をこなすのは大変で毎日忙しかったが、早々に仕事を覚えると休日に出かける余裕も作れるようになった。
その余暇を利用して、孤児院に帰ってみた。
姉と仲直りをしようと思ってのことだったが、姉はすでに孤児院を出ていた。
困ったような顔の院長に、夜の店で働くことになった、と告げられた。会いたくても、ダミアンの年齢では気軽に会いにもいけない場所である。
あの時ちゃんと仲直りしておけば、とダミアンは悔やんだ。
姉は誰も傷つけないよう、自分の評判だけを落としたつもりであった。
しかしその行為は結果的に、誰よりも大切に思っていたはずのダミアンの心に深い傷を残してしまっていたのだ。
自分では人より少しだけ賢いと思っていた姉は、ダミアンが去ってからようやくその事に気づいた。そして、やはりそんな事にも気がつかなった愚かな自分より、ダミアンが推薦枠に選ばれて良かったのだと考えた。
愚かな自分はダミアンへの贖罪の意味を込めて、どんなにきつい仕事でも文句を言わずに従事しようと決意した。
ようやく夜の店に行ける年齢になった頃には、ダミアンは何故あの時姉が急に変わってしまったのかにも考えが至るようになっていた。
あれはダミアンだけを推薦枠に残すため、自ら身を引いたのだ。
孤児院としては少しでも優秀な人材を送り出したいため、ただ辞退すると言ったところで聞き入れてくれるとは限らない。であれば、孤児院が選考から外したくなるような人間になればいい。
あの時の姉はおそらくそう考えたのだ。
自分の浅はかさが嫌になり、一言謝らなければ気が済まないと考えたダミアンは、院長から聞いた店へ訪れ、そこで姉の名を告げた。
しかし。
◇
まるで走馬燈のように姉との思い出が脳裏をよぎる。
これはあの蠻獣の恐ろしさに死を感じているからだろうか。
いや、違う。
その姉を奪った憎い男に、ローリーが罰を与えてくれたからだ。
あのまま公爵家に仕え、姉の死にアーロンが関わっていると突き止めたところで、たかが孤児上がりの下働きに過ぎないダミアンに何が出来たというのか。いざという時のために暗器を用意し、それを使う訓練も積んではいたが、魔法が使え、兵士に守られながら身体を鍛えたアーロンに通用したとは到底思えない。
ところが、突然現れたローリーはたった数日でそれを成し遂げてしまった。
それはアーロンの罪に対する罰などではなく、ただローリーの無感情で機械的な善意によるものであったが、逆にそれでこそアーロンには相応しいように思えた。
アーロンだって、ダミアンの姉が憎くて殺したわけではない。ただ楽しみのために行動し、結果として姉は殺されたのだ。ならアーロンだって、憎しみによって罰を与えられるのではなく、さながら事故のように何の意味も価値もなくただ何もかもを奪われるべきだ。
何故今、そのようなことを思い出すのか。
ダミアンにとって大恩あるローリーに、かつてない危機がせまっているからだ。
そして、おそらくこれは、亡くなった姉がダミアンを叱っているに違いない。
ジャボタイごと、首にかけたペンダントを握り締める。
少しだけ呼吸が落ち着いてきた。
足の震えもいつの間にか止まっている。
そういえば、このペンダントをローリーに見られた時、神を信じているかと聞かれた事がある。
もちろんそのようなものは信じていない。もしもこの世に神がいるならば、姉があんな最期を迎えることなどなかったはずだからだ。
神など信じていないがしかし、ローリーの事は信じている。
例え神に出来ない事であっても、ローリーならば成し遂げる。
ここで大声を出したとして、それでダミアンがアストラコルヌに気づかれたところで、それが何だと言うのか。
これからローリーがこの大陸で成し遂げるかもしれない事に比べれば、ダミアンの命などいかほどの価値もない。いやダミアンだけではない。もしかしたら善意で殺されてしまうかもしれない、大陸中の聖教徒たちも同じだ。何ならダミアンがその神の御許とやらへのエスコート役をやってやってもいい。
そして本当に神の御許に行けたのなら、神を一発ぶん殴ってやるのだ。
「──ロッ……! ゲフンッ……! ローリー様ぁぁぁぁぁ! そのままでは危険です! 危ないです! なんか光ってます! やばい気がします! 今すぐそいつから、離れてくださぁぁぁぁぁぁい!」
叫んだ瞬間、アストラコルヌがダミアンの方を見た。心臓がきゅっと縮んだ気がする。
しかし同時に、その背中にいたローリーもダミアンを見たのがわかった。そして頷いたのも。
ローリーは両手の短剣をアストラコルヌの背中から引き抜くと、坂道を駆け上るように翼の上を走り、そのまま先端から大きくジャンプをした。まるで人間の動きとは思えない。距離があるせいかもしれないが、野良猫の背中から蚤が跳び出す光景を連想した。
そしてその直後。
晴れていたはずの空から、雲も無いのに突然雷が落ちてきた。
雷はアストラコルヌの角に直撃し、アストラコルヌの全身がまるで雷そのものになったかのように光り輝くと──その直後に爆発した。
あまりの光にダミアンは目を開けていられず、さらにあまりの音にまた耳が聞こえなくなり、よくわからないうちにその体も吹き飛ばされていた。
ゴロゴロと庭を転がり、城の壁にぶつかって止まった。
感覚器官の半分以上が馬鹿になってしまっていたため、ただ立ち上がるのにも苦労したが、時間をかけてのろのろと立ち上がった。
その頃には目も耳も回復していた。ローリーに連れられて蠻獣狩りをしていなかったら、下手をしたら今ので死んでいたかもしれない。
慌ててアストラコルヌを確認すると、角の光は完全に収まり、元通りの姿で宙に浮かんでいた。いや元通りというには少しみすぼらしく見える。眉間にも傷がある。ローリーが与えていたダメージはしっかり残っているらしい。
そしてその視線ははっきりとダミアンを睨みつけていた。
「……や、やっぱりさっきので僕を……」
「──いや。蠻獣が人の言葉を理解できるとは思えん。奴がこっちを見ているのは、私がここにいるからだな。先ほどは助かった。ダミアン殿。やはりダミアン殿は頼りになるな。逃げろと言っておいてなんだが、逃げずにいてくれて良かったよ」
ぽん、とダミアンの肩に手を乗せたのはローリーだった。
貴族然とした服も一部は焦げ、一部は破れてしまっている。
しかもローリーは額から血を流していた。
「ローリー様! 怪我を……!?」
ローリーが怪我をしているところなど初めて見た。混乱する頭に、ローリーでも血は赤いのだな、と場違いな感想が浮かぶ。
「ああ。いや、掠り傷だ。肉体の表層は柔らかいからね。簡単に破れるし血が出る。なに、放っておけばすぐに治るよ。人間の表面が柔らかいのは内部の重要器官に衝撃を伝えさせないためだ。表面が硬すぎると、衝撃を浸透させただけで簡単に死んでしまう事がある。岩のような鱗を持つ蠻獣は確かそうやって狩った事があったな。しかし……」
ローリーは額の血を拭いもせずにアストラコルヌを見据えた。
「あれはどうしたものかな……。ダメージを与える度に爆発されたのでは、まともに戦闘を続けるのは難しい。不可能ではないが、今のを何度も繰り返すというのは合理的ではないし、骨が折れる。次もタイミングよく逃げられるとは限らないしな……」
確かにそうだ。
ダミアンが常に見ていて、その度に警告を叫ぶというのもいいが、正直なところ、今回タイミングがよかったのはダミアンの足が竦んで動けなかったからという事もある。
全てわかっていてギリギリのタイミングを待つというのが出来るかどうかわからない。もっと早い段階で叫んでしまいそうだ。それで爆発しなかった場合、もう一度爆発ラインまでダメージを与えるためにローリーの負担が無駄に増えてしまう事になりかねない。
アストラコルヌはローリーを警戒しているようですぐに攻撃を仕掛けようという雰囲気でもないが、いつまでもそのままではあるまい。こちらが攻めあぐねていると気付けば、すぐにでも襲いかかってくるだろう。
「──……ので……わー……!」
その時、遠くから人の声のようなものが聞こえてきた。
どこから、と思って辺りを見回してみると、隣のローリーの耳にはダミアンよりもはっきりと聞こえていたらしく、どこか一点を見つめていた。
ダミアンもそちらを見やる。
すると、城の人間たちが避難したはずの方から、何やら紫色の人間が近づいてきているのが見えた。
あれは確か公爵の客人の、妙な貴族令嬢だ。さらにその後ろからは侍女と思われる女性が青ざめた表情で令嬢を追いかけて来ている。
その令嬢が何かを叫んでいた。
「──角! 角ですわー! 角を壊してくださいまし! アストラコルヌは角を破壊されると、先ほどの雷撃爆発は起こさなくなりますわ! しかも角を破壊した瞬間には特殊ダウンを取れまして、特殊ダウン中は全身のお肉がかなり柔らかくなりましてよー!」
エヴァ嬢「即死攻撃を回避するならモドリ玉が一番ですわ。わかっておりますわね」




