第26話「地上に現れた天災」
(……なるほど。ローリー様が敬虔な聖教徒を殺すのは、彼らがそれを望んでいると考えているから。だとすれば、罪を犯した聖教徒は罰として逆に殺さない、と。
こういうケースもあるんだな。まあ敬虔な聖教徒が罪を犯す事はあまりないだろうから、滅多にないパターンなのだろうけど)
ダミアンがローリーに全ての判断を委ねたのは、ローリーに与えていた例の課題の延長だった。延長というより採点と言った方が近いだろうか。
つまり、何をしても良いと師である──とローリーは思っている──ダミアンからお墨付きをもらった場合、彼が果たして無慈悲に全員の生命を奪うのか、それとも捕らえるに留めるのか、という。
その結果ローリーが選んだのは、死亡2、生存1だった。
クラヴィス男爵家の騎士である青年の方は普通に普通じゃない手段で殺されてしまったが、これは彼が騎士であったからだろう。ローリーが職業兵士を嬉々として殺すのと同じロジックだ。凱旋とか言っているし、彼の中ではあれも良いことをした扱いになっているに違いない。
ダミアンとしても、可愛い貴族令嬢を守って死ねたのだから、これ以上に名誉な死に方は無かったのではないかと思う。もうすでにかなりローリーに毒されてしまっている気もするが。
猟師の男を見逃そうと思っていたのは、一般市民である彼を無知の罪で裁く事に抵抗があったからだろうか。
能力の差はあれど、蠻獣を狩ったり、男爵家の敵をその弓で射殺したり、猟師の男の生い立ちはどこかローリーに似たところがある。
もっともダミアンから見れば、無知とは言いつつローリーとは違い一般市民程度の常識は持っていそうだし、その差こそがローリーと彼との人生経験の差にも直結しているような気がしたわけだが。つまり、いやらしい言い方をするならば、より普通の人間に近い猟師の男の方が、ローリーよりもまっとうな人生を送ってきたのだろうな、という事である。
もっと言えば、猟師の男はダミアンよりも恵まれた生まれである可能性すらある。いかにクラヴィス男爵家がアットホームな領主であったとしても、さすがに貧民を令嬢に近付けるような真似はしないはずだ。貴族籍でないとしても、そこそこ名のしれた平民の出であろうと考えるのが妥当だ。
言葉遣いや礼儀作法がわからない、というのは猟師の男の謙遜か、あるいは韜晦だろう。
そういう意味ではローリーは猟師の男の自己紹介に騙されたと言えなくもないが、今さら指摘をしても誰も幸せにはならない気がするので黙っておいた。これは後で落ち着いてからゆっくりと説明すればいい。いずれにしろ、終わった話だ。
そして首魁である男爵令嬢はまさかの生存である。
彼女に関しては絶対に生きては帰れないだろうなと思っていただけに、ダミアンとしても意外であった。
しかしその理由を聞けばなるほどとも思う。
実際、ローリーロジックに依らなかったとしても、この状況で生かされるのは彼女にとって何よりの罰となるだろう。
何しろ、貴族である彼女が言葉遣いを注意しない程度には親しんでいたらしい幼馴染が、2人とも彼女の言動の結果命を落としたのだから。
罰として生かしておく、という考え方もあるのだなと気づけたのは、ダミアンとしても見識が広がる思いであった。
結果的にだが、今回の事件はダミアンとローリーにとって実に意義のある結果に終わったと言えるだろう。
◇
赤く染まった金属の塊とバラバラになってしまった猟師の男を見つめ、座り込んだまま動こうとしない男爵令嬢をひとり山に放置して、ダミアンとローリーは盗賊団を連れて領城へと帰還した。
この人数を縛ったまま、辺境のさらに辺境の山から領都まで連行してゆくのはたいそう骨が折れたが、所々力技で解決することで何とかこなすことが出来た。力技とは歩き疲れた盗賊たちをローリーが引きずって走る事である。
これをすると早く移動出来る、とかそういう事ではなく、これをするとその後しばらくは盗賊たちが素直に走るようになるのだ。例えどれほど疲れていようとも。
あとは適量の水と食料だけ与えておけばいいので、管理としては楽なものだった。排泄物は垂れ流しなので道中で街に立ち寄る事は出来ないが、ここしばらくローリーと過ごしたことでダミアンは野宿に慣れてきていたし、ローリーは元々いつでもどこでも寝ることが出来る。問題は無かった。
領都へと到着し、領城に勤める兵士に盗賊団を引き渡す。
ダミアンは渡し際、約束通り兵士の隊長に「盗賊団は大人しくローリーに従った」と伝えておくことも忘れなかった。
それで何が変わるかはわからないが、生き残った領城の兵士の中には訓練場の死体の片付けをやらされた者もいる。大半は新兵だが、彼らも数少ない先輩からローリーの話は聞いているだろう。この領城でローリーを侮る者は誰一人として居ない。少なくとも刑の執行までは酷い扱いは受けないはずだ。
浴室で旅の埃と汗を流し、室内着に着替えた所で、城内がにわかに慌ただしくなった。どうやら領城に来客があったようだった。
ここ最近、領城に勤める使用人たちはダミアンとローリーの前ではいかなるミスも決してしないよう気をつけている。理由はおそらく兵士たちと同じだ。
そんな彼ら彼女らが、ミスをしかねないほど慌てているとなると、来客は前触れのない突然のものであり、しかも無視が出来ない程の大物であるということだろう。
そんな話をローリーにすると、「なるほど。さすがはダミアン殿だな。実に賢い」などと褒められてしまった。
それほどの事でもない。兵士や使用人たちの感情を理解していれば容易く推理できる。彼らの感情をローリーが理解する日はおそらく来ないので、ローリーが同じプロセスで答えに辿り着く事はないだろうが。
もちろん彼がその手の感情を理解する必要はない。そういった部分は従者であるダミアンが補えばいいだけだ。
どの程度の大物なのかはわからないが、いずれにしてもローリーやダミアンに声がかかることはない。大物であればあるほどその傾向は強くなる。何かの間違いでローリーがその大物を害してしまわないとも限らないからだ。
なのでいつも通り、自室で2人でゆっくりと過ごしていた。
ところが、しばらすると慌ただしさが城の外からも聞こえ始めた。
「……これは……使用人ではなく兵士たちが騒いでいるのでしょうか。また誰か来たんですかね」
「そのようだな。ただし、来たのは人間ではないな。ダミアン殿、感じないか?」
「え? 感じ……? あ、もしかして上ですか!? 本当だ! な、なんだこの気配は……!」
あまりに想定外で、言われるまで全く気が付かなかった。
しかし確かに、上空からとんでもない威圧感が近づいてきていた。
何となく重い感じがするというか、嵐でも近づいているのかなと漠然と考えていたのだが──なるほどこれは、言われてみれば、蠻獣の気配に似ている。
そしてこれが本当に蠻獣の放つ気配であるとするなら、この辺境のヴォールト領に以前生息していた、あらゆる蠻獣と比べても全く異質な存在感である。
「とりあえず外に出よう、ダミアン殿。騒ぎになっているのであれば、城の庭から視認できるはずだ」
「は、はい……!」
ローリーの後を追い、以前より広くなった中庭に出てみると──離れが丸ごと更地になった分スペースが出来た──そこには多くの兵士や使用人、そして公爵本人と客人と思われる人物が居た。
皆揃って上を見上げて口を半開きにしており、若干間抜けな光景に見えないでもないが、そんな呑気な状況ではない。
外に出て直接空の気配を感じてみると、改めてわかった。
先ほど感じた、天候の崩れのような感覚も完全に間違いというわけではなかった。
そこにいた蠻獣は、もはや蠻獣というよりもひとつの天災。
嵐か、隕石か、大地震か、とにかくそういう、人間ではどうしようもない圧倒的な理不尽の権化だった。
「……ああ、なるほど。連邦の狩人ギルドで姿絵を見た記憶があるな。名前は何というのだったか。傭兵団の仲間に読んでもらった時は確か……。
そうだ。確か【天角獣 アストラコルヌ】だ。数十年だか数百年だかに一度、地上で興味を惹かれる物を見つけたときだけ降下して、周辺一帯に破壊と殺戮を振りまいていくという、はた迷惑なトカゲ型蠻獣、だったかな」
何ということだろうか。本当に天災だった。
ローリーからもたらされた情報と肌に感じるあまりの威圧感に、ダミアンが声も出せずにいると、公爵家への客人が呟く声が聞こえてきた。
客人はどうやら若い女性であったらしい。重苦しい雰囲気にそぐわない、鈴を転がすかのような澄んだ声である。
「──ええ……。何ですの、あれ……。あれではまるで、違うゲームの……そう、まるで……狩りゲーのラスボスでは……」
ほとんどの単語は何を意味しているのかわからなかったが、貴族女性はおかしな事を言うということはすでにわかっていたので、適当に聞き流すことにした。
今はそれどころではない。
蠻獣って具体的に何なんだろう、とお思いの事だったかと存じます。
そうです。
人外領域に居るレベルのやつは、完全に違うゲームのモンスターです。




