第20話「かつて亡霊と呼ばれた盗賊団」
ヴォールト公爵領内の目立った蠻獣を全て可処分所得に変えたローリーは、再び暇を持て余していた。狩った蠻獣の素材は公爵家が全て買い取ってくれたため、懐は相当に温かい。
ローリーは傭兵団長でありながら、これまで金貨を持たせてもらったことがなかった。故に知らなかったのだが、今彼が所有している財産は現金だけでちょっとした貴族の邸宅ならば買い上げられるほどのものであった。
意外にも、公爵家は蠻獣の素材を全て適正価格か、それに少し色を付けた値段で買い取ったのだ。
もちろん、ここは王国内でも辺境に位置するヴォールト領である。蠻獣も強力で、その素材は国内外に高く売れる上、現在はローリー以外に供給元がほとんど無くなっていたので、多少高めに買い取っても十分儲けは出たのだが。
何故か「そこで出た利益は王都のディランの元に送られヴォールト家の地盤固めに使われる」という報告が公爵よりダミアンを通してローリーに届けられたが、ローリーは興味が無かった。
「ふむ……。もう、領内に蠻獣が出るところはないのかな」
「あ、ありません! もうありませんよ! 領内どころか、領外の森の蠻獣だって遠くに逃げちゃってますよ!」
「そうか……」
領内の蠻獣を狩り尽くせ。
公爵はそう命じたという。領外の蠻獣については言及されていなかったが、とりあえず領内を優先させるべきなのだろうという事はローリーにも理解できた。
しかしそれだけでは物足りなかったローリーは、公爵領と人外領域の境目に立ち、投石で森の木々を破壊して蠻獣を挑発し、領内まで誘き寄せた。
小型、中型までならそこまでの知恵は持たない蠻獣だが、大型のものになると人語を介するほどにまで知能が発達する個体も出てくる。
そんな賢い獣たちが、たかが格下の人間ごときに挑発されて我慢できるはずがない。
蠻獣たちは悍ましい咆哮を上げながらヴォールト領に進撃をし──ローリーに残らず狩り取られた。
それを見ていたのか、その後は挑発しても蠻獣は現れなくなってしまった。
ダミアンが言っている「遠くに逃げた」とはそういう意味だ。
大陸の中央にはネムス大森林が横たわっており、大陸の全ての森は大森林に通じ、全ての蠻獣は大森林より現れるとされている。付近の蠻獣たちはおそらくそこまで逃げていってしまったのだろう。少なくともヴォールト領の周辺地域では、大中小合わせてあらゆる蠻獣の気配が感じられなくなっていた。
悲しいかな、それがわかるくらいには、ダミアンの感知能力も引き上げられてしまっていた。
そうならなければ、死んでしまうような環境に置かれていたからだ。
ローリーは蠻獣の狩りにダミアンを連れ回した。
ダミアンが彼の従者であることを考えれば、ある意味では当然のことだったかもしれない。
しかし普通は貴族が害獣の討伐に出かけると言えば、騎士団なり何なりの部隊を率いていくものだ。従者の仕事も、行軍中の主人の身の回りの世話くらいのものである。
ところがローリーはワンマンアーミーである。「主人の身の回りの世話」の範囲が、限定的ながらも「軍全体の世話」に変化してしまうのだ。
そうなるとダミアンの仕事は、目標策定から兵站、果ては戦後の後始末まで多岐に渡ってしまう。
アーミーがローリーだけとは言え、軍事行動に関わるあらゆる雑事をダミアンひとりで熟せるはずがない。また慣れていないこともあり、始めのうちは至らないところやミスも多かった。
それを見たローリーは、これまでの恩を返すなら今だとばかりに、得意分野である軍事的なあれこれについて張り切ってダミアンに教授した。
しかし残念ながらローリーが得意だったのは軍隊の世話ではなく、前線で戦うことだった。
その結果、ダミアンはろくな準備も出来ないまま蠻獣ひしめく人類領域の最前線を連れ回され、何体もの蠻獣と戦わされ、結果、たくましく成長することが出来たのだ。
軍事行動の補佐について学べることはひとつとして無かったが、自分自身とローリーのふたり分の装備品の準備や補修をする程度ならいつの間にか出来るようになり、狩った蠻獣の処理もかなり上手くなった。もっとも、ローリーの使う装備品は特にメンテナンスなどをしなくても小さな傷ならいつの間にか勝手に治っているのだが。
そのようにこの世の地獄を連れ回されたダミアンは、多少距離が離れていても蠻獣の発する独特な気配を察知する事が出来るようになってしまった。ローリー曰く、傭兵団ヴェルミクルムにおいてはごく基本的な技能であるらしい。
また連日に亘り生死の狭間に置かれ続けたせいで、蠻獣の相手というのがトラウマのようになってしまっていた。
故に、さらなる蠻獣を求めるローリーに対して強く否定したのだった。
「しかし、守るべき屋敷も失ってしまった今、こうやることがないとどうにもな。無駄飯食いというのは軍において最も忌避すべき蔑称だ。何か、公爵閣下に仕事でも貰えないものかな」
守るべき屋敷というのは例の離れのことだ。
さしものローリーも、辺境領軍が対蠻獣、対帝国軍のために鍛えていた法兵隊の全力の法撃をまともに受けるわけにはいかなかったらしい。彼は法撃の予兆を察知すると、ダミアンの首根っこをひっつかんで離れの窓から離脱した。
さらに庭の隅にダミアンを放り出すと、気づかれないよう法兵隊のすぐそばへ駆けていき、全力法撃直後で余力を失っている法兵隊を素早く全滅させたのだった。
法兵隊は強力な兵科だが、法撃直後は脆弱だ。その瞬間を狙って逆撃を仕掛けるのは実に理にかなっている。とは言え、その後精鋭部隊も引き裂いてしまった事を考えると、いちいちタイミングを計る意味があったのかどうかは疑わしいが。
ちなみに、ローリーは「守るべき屋敷を失った」と言っているが、「守れなかった」と言ったことはない。
その理由は、離れへの攻撃を指示したのが他ならぬ公爵自身だったからだそうだ。
クライアント、あるいは上官がそう判断し実行したのなら、その作戦は妨害すべきではない、のだという。
もっともその後、その上官率いる部隊を文字通り全滅させ、上官に向かって「親子喧嘩するか」と脅していた事実を考慮すると、これは単にローリーの負け惜しみの可能性が高いが。
「……でしたら、公爵様に何かないか聞いてきましょうか。ローリー様が暇を持て余している、と報告すれば、すぐさま何かしらの用事を申し付けてもらえると思いますが」
たったひとりで領軍を壊滅せしむる力を持ち、都合の良い時だけ反抗期になる戦力が、自分の居城で暇を持て余している。それを聞かされる公爵の心境はいかばかりであろうか。察するに、常人の精神ではとても耐えられまい。何でもいいから理由をつけて、仕事を割り振り、城から出かけさせるに違いない。
ダミアンとしても、城の中で腫れ物を触るような扱いを受けるのには少々辟易してきていた。
ローリーはほとんど自室から出ないので、腫れ物扱いをされているのは主にダミアンだ。ほんの少し前までは下働きとして城の最底辺と認識されていたにも関わらず、である。
これもローリーの従者を命じられているからか、それとも誤ってどこかから落ちてきた花瓶が、頭部に直撃しても無傷でいたからか。
蠻獣の攻撃と比べれば蝿の羽ばたきに等しいあの程度の衝撃で今のダミアンが怪我などするわけがない。
◇
「──ふむ。盗賊団の壊滅または捕縛、か。壊滅ならともかく捕縛は難しいな。いや壊滅の場合も、盗賊団が確かに居たという証拠を残さなければいけないわけだから、相応に手間だな」
跡形も残さず滅ぼすつもりか、と以前のダミアンならば思っていたかもしれないが、今のダミアンはローリーの言葉を特に不思議には思わなかった。
「最近ヴォールト領内で暴れている連中のようですね。被害者もいますし、被害の程度もわかっています。まあ普通の野盗ですね」
「普通でない野盗がいるのか?」
「ああ、そうですね。これはすでに終わっている話ですので、一般常識というよりは王国の近代史に近いかと思って話していませんでした。
今から10年ほど前の事になりますが、目撃者も被害者も、犯行の痕跡も何もかも、一切を残さずに殺戮と略奪を繰り返していた盗賊団が居たそうです。目撃者も被害者も痕跡もないわけですから、発覚する事さえなく、実際の被害額がどのくらいになっていたのかは想像もつかないレベルだそうです。ちょうど、王国内の蠻獣の被害が減少傾向にあった時期でしたからまだよかったのですが、そうでなければどうなっていたか……」
「ほう。そんな盗賊団がいたのか。それは恐ろしいな。で、どうなったのだ? 終わった話ということは、討伐されたのか?」
「いえそれが、一度は尻尾をつかむところまで行ったらしいのですが、結局逃げられ、いずこかへ消えてしまったそうです。その後も何度か被害は出ていましたが、ある時期を境にそれ以後の被害は出ていない、のだとか。それなりの人数だったそうですが死体も全く見つかってませんので、もしかしたら今もどこかでわからないように犯行を繰り返しているのかもしれませんが……」
「……なる……ほど……?」
「まあ、今回の盗賊団は風体が分かる程度には目撃者も被害者も存在してますし、その伝説の盗賊団──通称ゲシュペンストとは別口なのは間違いないでしょうが」
「んふふ。ゲシュペンストか。少しかっこいいじゃないか」
「ですから別口ですよ」
「わかっているとも。では、その新興の盗賊団とやらを片付けにいくか」
「かしこまりました。準備をいたします。
あ、ちょうどいい機会ですから、ローリー様にはもう少し一般的な対処というものを学んでいただくために──」




