第17話「円満の犠牲者」
すみません! 昼寝してたら忘れてました!
貧民出の従者が全身から血を流しながらボロ雑巾のように廊下に倒れ込んだ。
彼のお仕着せは公爵家から支給されているものなので、非常に仕立てが良い。はっきり言って孤児や貧民にはもったいないものだ。
これだけぼろぼろにしてやれば、外見も中身に相応しくなると言うものだ。
「──はぁ、はぁ。強情なやつだ……。そろそろ、私に協力する気になったか……?」
両の拳を血に染め、アーロンが尋ねる。
ローリーの従者を痛めつけてやったのはいいが、少々やりすぎて息が上がってしまっていた。
血だらけのダミアンはもはや虫の息である。
アーロンとて、別にここまでやるつもりはなかったのだ。従者とはいえ所詮は貧民上がり。少し痛い目を見せてやればすぐに言う事を聞くと思っていた。
そう考えて、使用人宿舎の近くでローリーの世話を終え部屋に戻ってきたダミアンを待ち伏せ、襲った。
ところがダミアンはどれだけ殴ろうとも決して首を縦に振ろうとはしなかった。
ローリーが無茶苦茶をしたせいでダミアンが父に叱責されていた事は知っている。
普通に考えれば、たとえ熟練の従者であったとしても、この状態でローリーに対して忠誠心を抱くのは難しい。
これまでどこで何をして暮らして来たのかもわからず、貴族として何の教育も受けていないローリーが、果たして忠誠に値する人物足り得るだろうか。
さらに、忠誠に値しない主人のせいで雇用主に叱責されたとなれば。
まともな従者なら、ローリーになど早々に見切りをつけてアーロンの言う通りにするはずだ。
(だというのに、このダミアンとやらの強情さはなんだ!)
ダミアンは顔だけを起こし、問いかけたアーロンを睨みつけてきた。
(こいつ……! この私を何という目で……)
これではローリーに対する忠誠というより、アーロンに対する憎悪で抗っているかのようだ。
「……貴様……! 何だその目は!」
アーロンは倒れ伏すダミアンを蹴り上げた。
その拍子に、ダミアンがかけていたらしいペンダントのチェーンが切れて飛んでいく。
「──あぁっ……」
「ん? なんだ、今飛んでいった物は……」
これまでアーロンを睨むばかりで他に何も反応も示さなかったダミアンが、初めてアーロンから意識を逸らせた。その視線の先には飛ばされた何かがある。
それはこの強情な男にそうさせるだけの価値がある物、ということだ。
アーロンは興味を惹かれ、飛んでいったペンダントトップを探し、拾い上げた。
「これは……肖像画か? ふん。貧民ごときが贅沢な。まあ大方、ここに描かれている女が画家に身体でも売って描かせて……うん? 待てよ、この女の顔、どこかで……」
「……か……返せ……!」
ダミアンがイモムシのように地面を這いずり、アーロンの足にしがみついてきた。
それを蹴り飛ばしたところで、アーロンは思い出した。
「もしかしてこの女……あの娼館にいた女か! そうだ、思い出したぞ! ひと山いくらで売られていた貧民出の娼婦だ! 何をしてもいいという話だったから私は──そうか! この肖像画、貴様もしや、この女の家族か何かか!
ははは! そうだったのか! なるほどなるほど! 言われてみればよく似ているな! いやいや、そんなに睨みつけるなよ。これでも私は彼女に感謝しているのだ。何しろ私の初めての相手だったんだからなあ!」
初めてと言っても性交の話ではない。
その娼館はいわゆる闇娼館であり、領主の認可を受けた店ではなかった。
娼館はその業務の性質上、様々な犯罪の温床になりやすい傾向にある。そのためグロワール王国ではほとんどの領地において、娼館の営業には領主の認可が必要になっているのだ。
以前アーロンが訪れたその娼館は認可を受けていない、いわゆる闇娼館だった。街の裏社会が経営している店で、正規の娼館では受けることが出来ない色々なサービスを受ける事ができる。
アーロンが受けたサービスもそのひとつで、「何をしてもいい」とは文字通り本当に何をしてもよく、プレイルームには本当に多種多様な道具が置いてあった。
「ふふふ。だんだんと思い出してきたぞ。私もあの時は実に興奮していたからなあ。
そうそう、あの女は痛めつけると実にいい声で鳴いたものだ。助けて、助けてダミアン、ってな。あの時はてっきり故郷の恋人か何かの名前かと思っていたんだが……。貴様の名前だったのか。
ははは。いい事を教えてやろうか。あの女の最期の言葉だがな。確か、そう……ごめんねダミアン、だったかな」
「──うううあああああああ! アアアアロオオオオオオオン!」
目を血走らせたダミアンが叫び、アーロンに飛びかかった。
「おおお!? 何だ、急に!」
血だらけで倒れるダミアンにまさかそんな力が残っていたとは露ほども思わないアーロンは、ダミアンに突き飛ばされ尻餅をついてしまった。
「ぐっ! く、くそ……!」
「はぁっ! はぁっ! アーロン! 貴様! やはり貴様が姉さんを!」
「だったら何だ! そんな事より、この私に手を上げてタダで済むと思うなよ、貧民!」
アーロンは転んだ体勢のまま、右手を突き出しダミアンに向けた。
ダミアンの勢いには少し驚かされたが、貧民ひとり如きアーロンの魔法なら一瞬で消し炭にする事が出来る。
しかし、アーロンが魔法を撃つべく魔力を集めるよりも、ダミアンが暗器を抜く方が早かった。
「死ねえ! アーロン!」
ダミアンの点穴針がアーロンの目を狙う。
「お、おわああ!」
アーロンは咄嗟に左手を目の前に掲げた。
その左手には、まだダミアンのペンダントが握られていた。
血走った目でアーロンを睨みつけていたダミアンの視線が揺れ、蓋が開いたままのペンダントを捉える。
「っ! ね、姉さん……」
ダミアンの点穴針がロケットの直前で止まった。
チャンスだ。
「──ふはは……貧民の身の程知らずが……! あの女と同じところへ送ってやる!」
アーロンの右手に魔力の輝きが収束していく。
「喰らえ! そして死ね! 【ヘルフレイム】!」
魔法発動のためのキーワードを言い放てば、右手に集まっていた魔力が地獄の炎の形をとって現世に顕現する。
──はずだった。
しかし、何も起こらなかった。
「……あ、あれ? お、おかしいぞ、なぜ魔法が発動しない……?」
早く撃たなければ、ダミアンが持つ点穴針がアーロンを再び襲ってきてしまう。
ところがダミアンの方も、このせっかくのチャンスを活かす事なく、あらぬ方を見て硬直していた。
「──ふむ。それはいかんぞアーロン卿。こんなところでそんな魔法を使ったら、城が破壊されてしまう。貴殿が公爵閣下に叱られてしまうのは忍びないのでな。僭越ながら私の方で止めさせてもらった。いや礼は結構。気持ちだけ受け取っておこう」
ダミアンが見つめる先を目で追うと、あの忌々しいローリーが立っていた。その手には、妙に見覚えのある何かを持っている。
その《《見覚えのある何か》》というのは。
「……え? あれ? わ、私の……腕が? な、なあ? あっ、あっあ、ああああああああああああ!」
「おや、もしかして知らなかったのかな? 魔法というのはたとえ魔力を集めたとしても、発動前に発動体を破壊してしまえば強制的にキャンセルさせる事が出来るのだ。発動体とは杖であったり指輪であったりトーテムポールであったり様々だが、今回の場合で言えば貴殿の腕がそれだな。いや私がこれまで見た中でも自分の体を直接発動体に出来るのは相当な腕利きだけだ。やはり優秀なのだなアーロン卿は」




