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第16話「家族円満の秘訣」





「──それでは、本日は失礼いたします」


「うむ。また明日頼む」


 一般常識を始めとする様々な事を教えてくれるダミアンを見送った。

 この日も実に有意義だった。特に家族に関する一般的な常識を教わった。


 ローリーは天涯孤独な身の上で、これまで生きる術を教えてくれたのは盗賊仲間や傭兵仲間、それと殺し合った森の蠻獣ばんじゅうくらいであった。

 蠻獣は当然常識など教えてはくれないし、盗賊仲間や傭兵仲間も、孤児であるローリーの事を慮ってか家族の話題を出す事はなかった。

 盗賊稼業や傭兵稼業を続けていく中で、新たに家族が出来た仲間もいた。

 そうした者は自ら群れを離れていき、いつの間にか姿が見えなくなっていた。あれもおそらくかしらであるローリーを気遣っての事だろう。当のローリーはほとんど気にしていなかったというか、家族を恋しいと思う感情すら知らなかったのだが。


 ダミアンから家族についての常識を教わるようになって、ようやく、ローリーは自分がこのヴォールト家に呼び出された理由を知った。


 グロワール王国からローリーを名指しで呼び出しがあった際、その連絡は、傭兵団として外部との折衝役を引き受けてくれていた元商人の傭兵仲間が受け取った。

 その彼はローリーと古くから付き合いがある信頼出来る男だったので、「親がいるなら一度実家に帰ったほうがいい」と言われ、ローリーはよく意味がわからないながらもとりあえず単身王国へとやってきたのだ。


 家族や血縁というものを知らないローリーにとって、「親」や「実家」とは自分に関係のないワードだとずっと思ってきた。だからその意味するところも正確には理解していなかった。

 ここに来たのも、はじめは元商人の交渉役がローリー用にそういう任務を引き受けたからだと思っていた。


 ダミアンに言葉遣いを教わり、初めて「親」であるルーベン・ヴォールト公爵に会った時も、ダミアンに言われた通りに「父上」と言っただけだった。

 それを本人に否定され、「公爵」と呼び直した時も、特に何も思わなかった。

 その感情は今も変わっていないが、改めてダミアンから家族についての一般常識を教わったことで、自身と公爵との関係がようやく理解できた。それが少し歪なものである事も。

 歪であるのは仕方がない。ローリーはこれまで常識さえ知らなかったような異端児だ。急に正常な親子関係を構築できる方がおかしい。関係はこれからゆっくりと改善していけばいいだろう。

 ローリーがそう言った時、しかしダミアンは目を逸らし曖昧な表情を浮かべていた。


 ローリーと公爵が親子関係であるならば、先日やってきたアーロンとは兄弟である。

 兄弟などいないと思って生きてきたローリーであったが、実は存在していたのだ。

 ただし先日の様子を見る限り、こちらも健全な関係とは言えないだろう。

 ローリーは兄弟についてもダミアンから聞いている。

 兄弟とは、兄弟喧嘩をするものらしい。

 喧嘩のひとつもできないようでは健全な兄弟とは言えない、とダミアンは言っていた。彼のペンダントを偶然見てしまった時のことだ。

 であれば、ローリーもアーロンと兄弟喧嘩なるものをすれば、多少は関係も改善されるかもしれない。


 喧嘩とは何かが具体的にはよくわからなかったので、これもダミアンに聞いた。

 喧嘩は一見すると戦闘に似ているが、大きく違う点がひとつある。それは死人が出ないことだ。死人が出てしまえば、それはもう喧嘩とは呼べない、らしい。

 つまり、お互いに相手を殺さないよう注意しながら戦うという、特殊なハンディキャップ前提の戦闘を喧嘩と呼ぶようだ。


 実のところ、大抵の相手とローリーの戦闘力差を考えれば、敵を無傷で無力化する事はさほど難しくはない。

 にもかかわらず、ローリーが敵対した相手を必ず殺すのには理由がある。


 人間は社会性を持ち、高度な知性を持つ生き物だ。蠻獣ばんじゅうと違い、理由もなく敵対したりはしない。敵対したとしたら、そこには必ず理由がある。

 理由というのは食べ物の奪い合いから政治上の対立まで様々だが、共通して言えることは、その理由が無くならない限り争いもまた決して無くならないということだ。

 ローリーは長年に亘る野盗生活、傭兵生活でそのことをよく知っていた。

 たとえ無傷で相手を制圧できたとしても、敵対の理由が無くならない限り、その相手とは必ずいつか再び敵対することになる。下手をすると解放した瞬間に攻撃を再開する者すらいる。

 そして大抵の場合、争いの理由を消し去ることは簡単ではない。

 ローリーやその仲間たちにとって、争いを終わらせる最も簡単な方法とは、敵対者の息の根を確実に止めることなのだ。


 戦いを生業なりわいにするという事は、戦うことで金銭を得るという事である。

 であれば、得られる金銭よりも多い労力を割いて戦ってはいけない。

 この事は傭兵団の皆が元商人の男から教わった。商売の基本である。


 だからこそ彼らは最速最短で戦いを終わらせるため、敵対した相手は必ず殺すようにしている。

 盗賊団時代もそうだった。

 盗んだ相手が後から盗品を取り返しに来たり復讐しに来たりすると、せっかくの戦利品より被害者の相手をする方が高く付いてしまう事がある。だったら最初から命も奪っておいたほうがいい。


 しかし今回は違う。

 ダミアンから聞いた一般常識、そしてローリーをグロワール王国に送り出してくれた仲間たちの話から判断するに、ローリーは今里帰りの最中、つまりは休暇中なのだ。

 仕事中ではないのだから、コストやメリットを考える必要はない。


 敵対した相手を殺してしまう必要などないのだ。

 敵対したにも関わらず逆に仲が深まるとは全く理解できないロジックではあるが、常識についてはローリーよりもダミアンの方が遥かに詳しい。その彼がそう言うのならそうなのだろう。

 いずれにしても、やってみればわかる事だ。


 まずは兄弟喧嘩とやらをし、アーロンを生かしたまま戦闘を終える。

 それが出来れば兄弟仲も改善され、ローリーも人として一歩成長する事が出来るはずだ。





 ◇





 ダミアンを見送った後、ローリーはこの日に教わったことを革の装丁の手帳に書き込んでいた。


 この手帳は傭兵団の皆と森の中で生活していた頃に作られたもので、ローリーが狩った獲物の皮から作られている。装丁の革はイノシシ型の蠻獣の皮を加工したもので、中の紙は小型の蠻獣の皮が使われている。羊皮紙よりも薄く柔らかいながらも丈夫であるが、穫れる皮が小さいため手帳サイズの本しか作れない。

 作ってくれたのは元革細工職人の傭兵仲間である。これを使って文字を勉強するように、と用意してくれたのだ。

 もっとも、その当時は文字など覚える必要を感じなかったので全く使っていなかったが。


 この城に来て文字を教わるようになった時も、専用の教材や紙が用意されていたため使うことはなかった。

 しかしここ最近、ローリーはダミアンに教わったことをこの手帳に書き込むようにしていた。こうしておけば何を教わったかを忘れてしまったとしても、後で読み返し反芻する事が出来るのだ。

 これは素晴らしい事である。ローリーはようやく、文字という文化の持つ価値を理解した思いだった。


 そうした日課の復習を終えると、ローリーは就寝するべく部屋の灯りを消した。

 すると視界が閉ざされた事で敏感になったのか、不意に嗅ぎ慣れた匂いが鼻をくすぐった。開けたままの窓の外から漂ってきたようだ。


 この匂いは、そう、血だ。

 人の血の匂いである。


「……これは……ダミアン殿の匂いだな。しかも新しい」


 それは今まさにダミアンが屋敷の中で血を流すような怪我をしているという事を意味している。

 しかし安全なはずの公爵邸の敷地内でそんな怪我などするだろうか。

 これほどまでに匂うとなると、ちょっと転んで擦りむいたというレベルではない。


 怪我をした人間が簡単に死んでしまう事は、ローリーもよく知っていた。

 匂ってくる血の量から推察するに失血死するほどの怪我ではないだろうが、仮に切創や刺創のような出血しやすい怪我でなかった場合、出血量とは関係なく命に関わる可能性もある。

 ダミアンからはまだまだ教わらなければならない事が山ほどある。死んでもらう訳にはいかない。

 何より、彼は神を信仰していないと言った。そして戦いが仕事ではない。ならば、死んでしまうのは哀しいことだ。おそらくは。


「気になるな。様子を見に行きたいが……。私はこの屋敷から出ないようにと公爵閣下より言い付けられている」


 ローリーは悩んだ。

 どうしようかと、手慰みに先ほどまで書き込みをしていた手帳をめくった。


 これは無意識の行動であり、特に意味があったわけではない。常識的に考えてそんなところに答えがあるはずがない事くらい、ローリーにもわかっている。

 これまで悩むという経験をほとんどしたことが無かったローリーだ。聞けば何でも答えてくれるダミアンから教わった事が書き綴られているこの手帳に、知らず知らずのうちに縋りたくなってしまったのかもしれない。


 しかしたまたまめくったページ、そう、ちょうど先ほどまで書き込みをしていて、ページに開き癖が付いていた場所にはこう書かれていた。


 ──子供には、親の言い付けにむやみに逆らう時期がある。これを反抗期と言う。


 と。





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― 新着の感想 ―
[一言] 純粋で素直な所が美点のサイコパスがかなり強力な自己弁護のカードを手に入れた。
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