第二話:目的の地
何が楽しいのか、頭上から間延びした鳶の鳴き声が聞こえてくる。
ただでさえ真夏のような日光にうんざりしているというのに、ずっと鳴き続けるものだから勘弁してほしい、そう思いながら鬼子は街道を歩く。
鬼子は憎き桃太郎を殺害すべく旅に出ていた。
住んでいた島を出てから早一週間となる。
長老たちから持たされた地図のおかげで、旅自体は順調。
しかし、食料は保存食しかなく、寝床も基本的には空の下か、打ち捨てられた廃屋の中。
いくつかの集落を通ってきたが、人間の世話になるのは真っ平御免であったため、生活の質が上がることはない。
ここ数日は過ごしやすい気候であったため問題なかったが、今日は日差しが強く、ただでさえ無い体力が奪われる。
日除けの笠を被っているがこんなもの気休め程度にしかならない。
額の汗を拭う際に、コブのようなものに手が触れてさらに気落ちする。
この一週間で角が無いことによる違和感は大分薄れてきた。
人間の生活に溶け込む分には、良いのだろうが、鬼としては最悪だ。
街道も登り坂になり、沈んだ気持ちに追い打ちをかけてくる。
「はぁ、それにしても予定では、そろそろついてもおかしくない頃だけど、まだつかないの?」
鬼子はため息を吐きながら、坂道を上る。
やがて、坂道を登りきるとこれまでとは違った景色が目の前に飛び込んできた。
そこには連なる山々に囲まれた農業地帯があった。手前には田園が広がり、少し離れた場所に板葺き屋根の家が無数に立っている。田園の近くには川があり、釣りを楽しんでいる老人がいる。
畦道では木の棒をもった子供たちが楽し気に走り回っている。
特別なものなんてない。これまで通り過ぎた集落となんら変わり映えのない田舎の風景だ。
しかし、桃太郎は、こんな辺鄙な所に住んでいるそうだ。島中の鬼を相手に一人で勝ったと言うのに、都で暮らさず、このような田舎に暮らしているなど何を考えているのかわからない。無論、そんなことわかりたいとも思わないのだが。
何はともあれ、目的地には辿り着いた。
これからの流れは単純だ。桃太郎の家に女中という形で入り込み、夕食にでも長老達から託された毒を盛ればいい。そうすれば、あっという間に桃太郎は、眠りにつくかのように死ぬことだろう。
そのために、女中になるためのシナリオも考えてきた。
そのシナリオとはこうだ。
昔、桃太郎に助けられたことがあり、鬼子はその恩返しに来たと告げる。
その話を聞いた桃太郎はわざわざ訪ねてきた鬼子に感心し、女中として働いてもらうことにする。
あとは、ご飯に毒を盛り、殺したことがばれる前にいなくなればいい。
(完璧なプランね)
角を除き、人と見た目がほとんど変わらない鬼の中でも、美人ともてはやされてきた鬼子には、すべてがうまくいく自信があった。
毒を用いて殺すことにはいささかの不満はある。気持ちとしては四肢を潰し、あらゆる苦痛を与え続け、絶望の中で死んでいってほしい。しかし、人間よりも丈夫で力の強い鬼達を相手に、正面から圧倒した人物をそんな目に合わせることなど到底できるわけがない。例え毒で殺してから死体を弄ぼうにも、桃太郎の周りには、恐ろしく強い獣たちがその身辺を守っているとのことなので、結局のところ、そんな願いは叶わないだろう。
しかし、終わり良ければ総て良し。奴が死ねばそれでいいのだ。
(それにしてもまずは、桃太郎の元に辿り着かなければいけないわね。とはいっても、この狭い集落。そこらにいる人間に聞けばすぐにわかることでしょう)
鬼子は、釣りをしている老人に尋ねてみることにした。
「申し訳ございません。少々伺いたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
老人は川から視線を鬼子に移すとにこやかな笑みを浮かべた。
「えらい美人さんだが、一人かい? 一体こんな老いぼれにどんな用だい?」
どうやら、人当たりのよい人物に当たったようだ。
鬼子は作り笑みを浮かべながら尋ねる。
「実はある人を探して旅をしてきたんです」
老人は思い当たる節があったのか、苦笑いを浮かべると、釣り竿に視線を戻した。
「あぁ、成るほど…」
先ほどまでの人当たりのよさは鳴りを潜め、心なしか鬼子に不信感を抱いているようにも感じた。
「えっと…あの?」
「お前さん、桃太郎を探してきたんじゃないか」
何故か、自分が尋ねようとしていたことをピタリと当てられた。
「その通りですが、何故わかったのですか?」
鬼子の返事を聞いて、老人の眉間に皺が寄る。
表面には決して出さないが、老人の想定外の反応に、鬼子にも緊張が走る。
(何故このような不可解な反応を? まさか、我らの作戦が漏洩を…? いや、だとしたらこんな素っ気ない態度をとるはずない。大声で付近の人間を呼び集めるはず。だとすれば、この反応は一体―――)
老人は鬼子の質問には返答せず、板葺き屋根の集落が集まった方角を指さした。
「桃太郎なら、あの集落の一番奥、竹林の側の家に住んでおるよ」
なぜ分かったのか疑問の念が押し寄せるが、鬼子が確かめるよりも先に、老人はまた口を開いた。
「お前さんがどんな目的で桃太郎を訪ねてきたのか分らんが、仮に彼の持ち帰った財宝や彼の強さを目的にやってきたのなら、おとなしく帰ってくれないだろうか。…私は――私たちは、これ以上彼を困らせたくないんだ」
老人はそういうと、それ以上口を開くことはなかった。
鬼子は、金や桃太郎の力を目的に訪ねてきたわけではないが、この老人にはそうは映らなかったらしい。
「そういった目的で訪ねてきたわけではないのでご安心ください。桃太郎さんの家を教えていただきありがとうございました」
鬼子はこちらを向かぬ老人に頭だけを下げると、老人が指さした方向に向かって歩き出す。
老人の最後の言葉で、何故急に態度が変貌したのか、何となくの想像ができた。
(どうやら、私たちから奪った財宝の噂を聞きつけて、ろくでもない人間たちが集まったようね)
それもそのはず、人生を何往復も出来る財宝と、鬼達を打ち負かす戦力を桃太郎は持っているのだ。欲深い人間たちであれば、桃太郎という極上の誘蛾灯に群がってきたに違いない。
どうやら、鬼子はそんな奴らの一人として見られているようであった。
(ただでさえ人間が嫌いなのに、その中でも特に嫌いな欲深い者たちと同列に扱われるなんて…)
坂道を上る時よりも長い溜息が思わず口からこぼれる。
それからの桃太郎の家に向かうまでの道中、多くの視線を感じたが、どれもよいものではなかった。
先ほどの老人だけでなく、下手したらその集落中の人間に歓迎されていない可能性もあるようだ。
それからもしばらく歩き、桃太郎の家らしき場所に辿り着いた。
裏手に竹林が見えるその家は、他の家屋に比べて随分と立派なもので、屋敷といってもおかしくないものであったが、立派なのはその大きさだけであった。随分と昔に建てられたようなその家は壁が欠け、障子も破れ廃屋と見間違えそうなまであった。よく見ると蜘蛛の巣まで張っている。
「こんなところに桃太郎が?」
鬼から奪った財宝でこんな家を買うだろうか。それともここが桃太郎の元からの家なのか。もしや先ほどの老人に騙されたのではないかと鬼子が思案ところで、家の戸が開いた。
中から出てきたのは長い黒髪の青年であった。
青年は屋敷と同様、ぼろぼろの衣服を身にまとい、男にしては長い髪型に寝癖をつけた、だらしないを体現したかのような風貌で、とてもじゃないが、鬼達を圧倒した桃太郎とは到底思えなかった。
青年は、フラフラと庭に設置された井戸へ足を運ぶ。
(まさか、彼が桃太郎? こんな人が我らを打倒したと? いや、でもまだ人違いの可能性だってあり得る)
鬼子の心情など露知らず、青年は水を汲んだ桶でのんきに顔を洗っている。
ここで立ち止まっていても仕方がない、鬼子は意を決すると青年に話しかけた。
「あの、もし。あなたが桃太郎さんですか?」
鬼子の声を聴き、桃太郎が顔を上げる。
「そうだけど、あんた誰?」
気だる気な三白眼が、鬼子を貫いた。
(まさかとは思ったけど、こいつが…)
鬼子は、怒りと憎しみを煮詰め込んだ自分の思いを気取られないように気をつけながら、笑顔を向けた。
「私は鬼子と申します。あなたの家で働かせてくれませんか?」
鬼子と桃太郎の視線が交わる。
梅の蕾が膨らむ暖かな春の日に、鬼子と桃太郎は出会った。