第一話:鬼の娘
変わり果てた土地が目の前に広がっていた。
私は岩山の上から故郷を臨む。黒い地面に染み込んだ血。
少し離れた小高い丘では夥しい数の墓標が突き刺さっている。
あんなに豊かだった土地が一晩でこんなになるなんて誰が予想できただろうか。
残った女子供は、涙を堪えて戦後の後処理に追われている。
死んだ兄弟や、家族の体の一部を抱きしめ、武具とともに埋葬し、欠けた角を綺麗な布に包んでは咽び泣き、ある者は悲しさのあまり、崖から飛び降りて己の命を絶った。
歯を食いしばり、血が出るほど拳を握る。
「鬼子、父様がお待ちだ!」
下を見下ろすと先の戦で、腕を失いながらも生き残った兄がそこに立っていた。
私は地面に降り立つ。腰まで届く黒髪が遅れて降りてきた。
「今すぐ行くわ」
春を迎える前だった。例年通り、収穫した魚やお神酒が振舞われ、皆が楽しく笑いあう筈だった。島の中央に聳え立った鬼桜の周りに敷物を敷いて、三日三晩寝ずに笑いあう。年に一度の祝いの席だ。薄紅色の花びらが舞い島の一面を桃色に飾る。それは、とても綺麗な光景だった。しかし、もうその光景を見ることは叶わない。
鬼子は草鞋の足を止めて、後ろを振り返る。思わず胸元を握り締めた。何度見ても何度見てもこの身が裂けてしまいそうになる。
その瞳に移る、無残にも叩き折られた鬼桜。樹齢五千年を超えるとされる鬼の神木はもう力を失っている。もうすぐ咲くはずだった桜の蕾は萎えて変色してしまった。
もう、あの頃の楽しかった日々は戻ってこないのだと、鬼桜に言われたように感じた。
鬼子は桜から視線を反らして、自分を待っている父のもとに向かった。父様が自分を呼び出した理由。
何となく見当はついていた。
◆ ◆ ◆
島にある祠の中に父様はいた。他にも、母様やこの島を支えてきた三人の長老達が神妙な面持ちで座している。この島を作り出したという神をたたえる祠は、鬼桜と同等の歴史を持ち、普段は立ち入りを禁止している。ここが解放されるのは、春の祝いの式と、族長の任命式、そして族長と長老が一同に集まり行うような重大な会議を行う時だけだ。今回この場所が解放されている理由は言わずもがな先の戦に関する会議の為だ。
私は父様たちの前に辿り着くと、茣蓙の上で正座し、地面につくまで頭を下げた。
「鬼子、ただいま参りました」
鬼子の言葉に父様なる鬼は頷き口を開いた。
「面を上げい、鬼子」
「はい」
父様の言葉を聞いて、顔を上げる。そこには、ボロボロになった父様の姿があった。島一番と言わしめた黒角は根元から折れてしまっていて、手足も一本ずつ欠損させている。母の支えがなければ、きっと満足に立ち続ける事も出来ないだろう。戦に赴いた鬼に、父様が怪我をしたとは聞いていたが、これほどのものとは思ってもみなかった。先の戦があってから三日三晩、族長である父様と長老達は会議を行っていた為に、鬼子が戦の後、父の事を見るのはこれが初めてだった。
鬼子は、父のそんな姿に思わず声をかけようとするが、歯を噛みしめて、無理矢理、出そうになった言葉を抑え込んだ。ここは公の場。私情を表に出して良いような場所ではない。
長老の一人『鬼一』様が父様と目線を交わすとこくりと頷き、自身の目の前に置いてあった巻物を取り上げて、一気に開く。
「武棘童子の娘、鬼子。貴殿に、桃太郎殺害の任を下す。人に擬態し、隙を突き我らが怨敵桃太郎を殺害せよ。手段は問わない! なお、この任は族長と我ら三人の長老によって決められた命令だ。拒否は認められない」
桃太郎の殺害。それは、この島に住む鬼達すべての願いであろう。
しかし、奴の力はあまりにも強すぎた。鬼族最強を謳われた父は、片手片足を奪われ満身創痍の状態にされ、そのほかの若い衆も殺されたか父と似たような状態にされ今も苦しみ続けている。
つまり、桃太郎と正面を切って戦えるような鬼はもういない。正攻法ではどうしようもない。
三日間話し合われた会議では、今後の生活に関する話だけではなく、どうやって桃太郎を殺害するかについても、話し合いが行われていた。
そして今朝桃太郎の殺害計画の方針が固まり、島中の鬼達にその内容が伝達された。
その方法とは、誰かが人に扮して桃太郎に近づき殺害するというものであった。
殺害担当となる鬼の条件は、油断を誘いやすい年若い異性で、且つ、桃太郎を殺す上で欠かせない人に扮する覚悟を持つもの。島の若い女性で、この条件に当てはまるのは私しかいないだろう。
私は間髪入れずに返答する。
「無論、拝命します」
再び深く頭を下げて、目を閉じる。
我らが平穏を奪い去った憎き人間。顔は見ていないが、戦った者の話によると、無表情でただただ仲間たちを切り裂いていったとのこと。人間の仲間を引き連れるわけでもなく、犬と猿と鳥を使役して戦に赴いていたというのだから、なおさら質が悪い。ふざけている。
我らが必死の思いで集めてきた宝を根こそぎ奪い、土地を荒らすだけ荒らして帰ったのだ。お金が無ければ消耗品を得ることができない。土地が無ければ作物も育たない。
明日から我らはどうやって生きていけばいいと言うのだ…。
桃太郎が起こした被害は、数年では収まらない。見えない問題もこれから顕在化してくるだろう。
たかが金のために何故命まで奪われなくてはならないっ! 我らはいたずらに蹂躙されたっ!
抑えられない怒りに思わず、唇を嚙み切ってしまった。口の中に血の味が広がる。
奴だけは…必ず殺す。
「鬼子よ、面を上げなさい」
二人目の長老『鬼二』様に声をかけられて顔を上げる。
鬼二様は、自分の横に置いていた木箱を前に置きなおすと丁寧に木箱の蓋を開け中から瓶状の白い陶器を取り出した。
手に取った拍子に、わずかではあるが液体の音が聞こえた。
「鬼二様、それは?」
「”眠り酒”という劇毒だ。鬼族に代々伝わる代物で、これの存在は長老らと君の父しか知らない。いまは、君の母も加わったがな。製法が複雑であり数を作れないことに加え、この毒はあまりにも危険すぎる。世に出回るようなことがあってはいけない、そんな代物だ。効果については、人が一舐めすれば三日起きず、二舐めすれば一月起きず、三舐めすれば永眠に落ちる。無味無臭だから、この一瓶を食べ物にでも混ぜれば一瞬で奴を殺せるであろう。これを持っていきなさい。きっと役に立つ」
「貴重なものをありがとうございます。」
鬼二が話し終えたのを確認すると、三人目、最後の長老である『鬼三』様が立ち上がる。
「それでは最後に、鬼子。お前を人に擬態させるためにお前の角を切り落とす」
「承知、致しました…」
声を震わせないように気を付けながらゆっくりと私は返答した。
鬼にとって、角はその人自身といっても過言ではないほどに重要なものだ。
人生でたった一度しか生えてこず、再生することなどない。
鬼が角を切り落とすということはそれほどに屈辱的で、通常であれば訳あって島から追放されることになった罪人たちに施されるような仕打ちだ。
桃太郎の暗殺が成功し、この島に戻ってきても鬼子に歓声や、称える言葉などは待っていない。
今後、一生冷ややかな目を一身に受けながら過ごしていかねばならない。角落としはそんな意味を持つ儀式だ。
それでも鬼子は角を差し出した。自分がどんな目に合おうとも、今後辛く厳しい毎日が待っていようとも、鬼族のためにこの身をささげる覚悟が鬼子にはあった。
鬼三は鬼子の覚悟を受け取ると、壁に掛けてあった鋸のような刃を手に持ち、鬼子を傷つけないように気を付けながら、ゆっくりと丁寧に鬼子の角を切り落としていく。
材木を切るかのような音とともに、黒い粉末が目の前に落ちる。
自慢の角が、刃に引かれて切られていく。父親譲りの美しい黒角であった。
母にいつも褒めてもらっていた。
皆から羨ましがられていた。
その角を、私は今日捨てた。