イリスウーフ
錆びた、不快な音をさせて開くドア。
私有地から誰か出てきた。フービエさんに続いて二人目だ。
「お……女の人……?」
何が出てくるのかと恐怖に震えていたクオスさんがそう呟いた。そう、確かに部屋から出てきたのは長い黒髪の、全裸の女性だった。随分と年上のようにも見えるし、同時に少女のようにも見える。ただ一つ言えることは、エルフのクオスさんと同じくらいかそれ以上に美しく、可憐で、そして儚げな女性だという事。
そんな美女が、全裸でふらふらと部屋から出てきたのだ。まさかレイプされて……とも思ったが、少し状況が分からない。なぜなら部屋からは逃げた女性を追う人影がない。あの部屋は今、無人なのだろうか。
「血の匂い……」
クオスさんが顔をしかめる。私には分からないが、まさかあの女性が部屋にいた人間を皆殺しにしたとか……? でも返り血がついていないからそれも違うか。
女性は頼りない足取りでふらふらと歩み寄ってきて、そしてとうとう私達の方に向かって倒れた。ダンジョンの床に衝突しそうになる寸前で、なんとドラーガさんがそれを受け止める。さっきまで駄々こねてたくせにこういう所ではキメてくるな。
「大丈夫か、お嬢さん?」
本当キメてくるなあ、あったまくる。
「う……」
女性は薄く目を開けてうめく。どうやら大分体力を消耗しているみたいだ。
「何者……なんでしょう?」
私が尋ねるとドラーガさんは少し顎をさすって考え込む。
「うぅむ……」
そしてちらりと彼女の胸を見る。
「哺乳類だな」
ホント殺してやろうかこの男。私だけでなくクオスさんも彼をジト目で睨む。
「マッピ、よくわからんが回復魔法をかけてやれ」
そう言いながらドラーガさんは女性を床に寝かせると羽織っていたマントを脱いで彼女の上に被せた。意外とこういう所は気が利くんだな、と思ったけれども、私は逡巡する。なぜならこの女性の正体が分からないからだ。もし敵……魔族側の人間だったら敵に利することになってしまう。回復させてもいいものかどうか。
「冒険者心得、一ツ、冒険者ハ常ニ民草ノ味方デ在レ……だ」
むう、確かにそんなのもあった。さっきまでさんざん主婦感覚を見せつけて冒険者失格状態だったのに、こういう所ではしっかり冒険者風を吹かせてくる。ずるいなあ。
戸惑いながらも私が回復魔法をかけると、女性は目を開いた。まだぼーっとしているみたいだけれど。
「大丈夫か? 今こいつが戸惑いながらも回復魔法をかけてくれた。体調はどうだ?」
戸惑いながらも、とか言うなボケ。言わなきゃわからないのに。
「あんたはこのダンジョンから逃げ出したい。違うか? 俺が助けてやろうか?」
唐突に話題を先に進めるドラーガさん。女性は最初「何のことやら」という表情をして惚けていたが、しかしようやく自分の置かれている状況を確認したのか、こくこくと無言で頷いて、そして次にかすれるような声で小さく呟いた。
「た……たす、けて」
ドラーガさんはその言葉を聞いて私の方を見てからニヤリと笑う。
「よし、これで3対1だ。まだ文句あるかこのまな板女」
あん? 誰がまな板だコラ。
……とはいうものの。
とはいうものの、だ。
状況が大分違ってきた。
部屋から逃げてきた息も絶え絶えの女性。その彼女が助けを求めているのだ。しかもドアは未だ開いたまま。いつあそこから敵のボス達が姿を現すか分からない状況。
さらに言うなら情報収集。
これも脱出した後、実際にあの部屋から出てきたこの女性に聞けば分かるという状況。なんか、だんだん逃げる方が「お得感」が強い状況になってきたのも事実だ。
「決まりだな。そうとなれば扉の向こうのボンクラどもが動き出す前に逃げるぞ。さ、お姫様、俺の背中におぶさりな」
「あ……」
その言葉に一瞬クオスさんが表情を歪める。しかしこの三人の中で一番体格の大きいドラーガさんが彼女を運ぶのは妥当だ。クオスさんは不満げながらも口を噤み、まだフラフラとしている女性は素直にドラーガさんの背中におぶさった。
しかし、何というか、この人……
「俺の名はドラーガ・ノート。そっちのまな板はマッピで、エルフはクオスだ」
「あ……私は、イリスウーフと言います」
何やら会話をしながらもうフービエさんの向かった方向に歩きだしている。
完璧にやられたなあ……
お気づきでしょうか皆さん。結局ドラーガさん、自然な言動で帰る流れを作りながらも、一言も私とクオスさんに「帰るけど構わないよな?」とか確認してないんですよね。
確認したら否定される恐れがあるから。
8割方大丈夫とは思っても、敢えて聞かずに行動を始めることで相手に有無を言わさずに従わせる。
……なんというか、プロフェッショナルだなあ。自分に都合のいい意見を通すことが凄く上手い。これも無刀新陰流の技の一つなんだろうか。釈然としないながらも私達はついていくしかない。
クオスさんは弓に弦をかけたまま、一番前に出て、慎重に、慎重に前に進む。私は例の部屋からなるべく目を離さないように殿を務めてドラーガさんについていく。
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「はぁ、はぁ、はぁ……」
暗いダンジョンの中を妙齢の黒髪の女性が駆け抜ける。
「ああ、冗談じゃない。何でこんなことに……」
何度も後ろを振り返りながら。目には涙が溜まっている。仲間はおそらくみんな死んでしまった。自分も後一瞬判断が遅れていれば逃げ出せずに殺されていたかもしれない。
そうだ。こんなことならば。魔族と協力をしろなどというギルド側からの指示があった時に突っぱねるべきであった。魔族、モンスターと冒険者は基本的には相いれない者、討伐すべき者。
それと協力をして、逆にアルグス達人間に害をなすなどがそもそもの間違いだったのだ。
頭の中を後悔の念がぐるぐると回る。ふと気づけば随分と入口に近い場所にまで来ていた。メインの道から枝分かれした通路の突き当りにある仕掛けを作動させて、隠し扉を開く。
暗くて見えないので小さな炎を出すと、例の最初にアルグスを嵌めようとした崩落の部屋のすぐ下のシュートの横に出た。上の部屋の床が崩れたことにより瓦礫が積みあがっているが、道は塞がれていない。
もうすぐだ。もうすぐで外に出られる。泣きながらも彼女は滑らないように慎重にシュートを通り、瓦礫の山をよじ登る。
息が上がり、顔は涙でぱりぱりに荒れている。逃げている間にいつの間にか引っ掛けたのだろう、ローブもほつれ、破け、いたるところに鮮血が滲んでいる。だがそれでも、だがそれでも必死で、力の限り逃げなければ、いつまたあの悪魔どもが追ってくるか分からない。
もうすぐで頂上というところでカッと明かりがつき、人影が見えた。
炎か何かの魔法であろうか。だが少なくとも彼女にとって今ここに味方が助けに来るとは思えない。魔族の四天王とかいう奴らなら論外だし、ダンジョンに巣食うモンスターどもも当然敵だ。アルグス達には自分の方から敵対してしまった。カルゴシアの街には「闇の幻影」の非戦闘員や二軍冒険者たちがまだ少し残っているが、彼らが独自の判断で救出に来るなどあり得ない。
明るすぎて見えないが、どうやら成人男性のようだ。その人影は別段気を張った様子もなく、のんびりと言葉を発した。
「ん……? 魔導師フービエか……」




