占い師の言葉で。
「あなたは卒業式で殿下に断罪の上、婚約破棄されます」
「えっ…」
「婚約破棄を止める人は誰もいません。王やあなたの家族、友人すべてが賛成します」
目の前の占い師にきっぱりと言われ、私は言葉を失う。
社会勉強のため王都の市場周辺を訪れた時、ふと道の外れに異国風の格好をした占い師を見つけ、物珍しく立ち寄れば先程の言葉を得た。
「卒業式は…明後日よ」
「そうなんですね、お気の毒に」
「なぜ断罪されてしまうの?」
「あなたの日頃の行いが良くないからです」
「日頃の行い?」
「平民を虐げ、居丈高に行動し、殿下の周囲に悋気をまき散らし攻撃的な態度をしているからです」
「そうなの?」
私、そんな態度をしていたのね。
知らなかったわ。
「反省します。心を入れ替えて償う方法を考えなくちゃ」
「もう遅いです」
「えっ?」
『今の状況だと、全ルートで悪役令嬢バッドエンドが確定ですから』
占い師は知らない言語で何か呟いた。
「ごめんなさい、聞き取れなかったわ」
「なんでもありません」
「今のはあなたの国の言葉?」
「……そうですね、祖国です」
「何国かお聞きしても?」
「答えてもこの国の人はご存知ないでしょう」
「不勉強でお恥ずかしいわ」
一通りの国のことは学んだのだけれど…滅亡してしまったり、地図に載っていない新興国かもしれない。
少し悲しそうにうつむく占い師はまだ若い女性に見えた。
国から遠く離れてさぞかし心細いのだろう。
「あの…」
「……占いの続きです。あなたに婚約破棄を避ける術はありません」
「ないのですか? では私は……」
「卒業式後は修道院で一生を終えます。けれどそれも自業自得でしょう」
『命があるだけマシです。他のゲームではもっとひどいことをされてるから』
前半の言葉は聞き取れたけど、ぼそりと呟いた後半の言語がよく分からない。
私に気を遣って告げていないけど、さらに恐ろしいことを言っているようだ。
鼓動が急激に高まり、ふらりとよろめいてしまい侍女に支えられる。
「お嬢さま、そのような占いを信じないでください」
「いいえ、言われてみれば確かに私は、侯爵令嬢という身分に驕っていたのだわ」
不安が募り、体が震え出す。
「私の役目は殿下を心から愛すること。そして嫁いで子を産み、国のために身を捧げることと教わってきたけれど……」
「立派な心得にございます」
「けれど、そうね。そこには私以外の人間に対する視点が欠けていたわ」
民と貴族、王族。
身分で隔てるのではなく、他者の存在があるから自分が生きていける。
「多くの人が身を粉にして働いているおかげで私は存在できている。それに今まで気付かず、感謝の念が足りなかった私は、確かに反省するべきところがたくさんあるのよ」
私は周囲を見渡す。
市場で働く多くの人たち。その先の商店のにぎわい。
荷馬車を操る馭者、その馬も。
治安を守る部隊、そして私の護衛と侍女。
「今までごめんなさいね、私は…」
「お嬢さま、落ち着いてください」
「いいえ、視野の狭い私では殿下にふさわしくない。断罪などと辛い役目を殿下にさせてしまうくらいなら、いっそこちらから身を引きましょう」
私の言葉に占い師は気の毒そうに、でもそれが正解だとしっかりと頷いた。
そして二日後、卒業式に出席せず私は領地へ旅立つ。
「殿下への詫び状はもう届いたかしら。どうか私より良い妃を迎えてほしいわ」
馬車に揺られながら、ぼんやりと殿下のお顔を思い出す。整った顔立ちは女生徒の誰もがあこがれていた。
もちろんお顔だけじゃなく、言葉遣いや態度も誠実で信頼の置ける方だった。
そんな方に迷惑をかけていたなんて…面影を思えば思うほど胸が痛む。
城門を出れば、目の前に広がる大地。まばらに民家があり、農作業をしている姿も見受けられる。
ぽかぽか陽気の中進む馬車の窓から、私はぼんやりと景色を眺めた。
「馬車の進みがいやにゆっくりね」
「侯爵さまが足の遅い馬を選んだのですわ」
「なぜ?」
「私には分かりかねます」
侍女は微笑を浮かべたままそう言い、私はまた窓の外を見つめる。
「領地への道が違うわ」
「いつもの道はこの時間混み合いますので、避けたのでしょう」
「でもこれでは遠回りになってしまうでしょう?」
「景色をゆっくりごらんになれる良い機会かと」
そこで馬車の外から護衛の声がした。
「お嬢さま、そろそろ休憩にしましょう」
「出発したばかりなのに?」
「お嬢さまは遠出に慣れていらっしゃらないので、無理をさせないようにと侯爵さまより言付かっております」
「お父さまが?」
過保護な父親の意を受けた馭者が馬車を止めると、護衛が小高い丘の上でピクニックシートを広げる。
侍女がさっとお茶の用意をし、私は心地良い風に吹かれながらそれを口にした。
意を決して出て来た王都が目の前に広がる。王都の中心にそびえ立つ王城もくっきりよく見えた。
目をつぶって過去の行いを思い返していたら、かすかな音が聞こえた。
目を向ければ、王都からまっすぐこちらへ近付いてくる何かが見える。
隣に控えていた侍女がほぅとため息をついた。
「やっと追い付いて下さった」
「まさか、私を捕縛しにきた追っ手…?」
「追っ手と言えば、追っ手ですねぇ」
それならせめて、侯爵令嬢らしく捕縛されよう。
決意を込めて立ち上がれば、馬影とその馬上にいる人が認識できた。
金の髪を乱し、強ばった顔をしたあの方は……。
「殿下、なぜここに…」
「この手紙はどういうことだ?」
馬を止め、開口一番問いただされ、私は頭を下げたまま口上を述べる。
「書状にも記しましたが、私は今までの不明を恥じております。私の思いやりの無い言動の数々で殿下を始め、色々な方にご不快な思いをお掛けしていたとのこと、本当に申し訳ありません」
「思いやりの無い言動?」
「はい。私はこれから領地で学び直し、いつかきちんとした人間になって国に恩返しできるよう務めます」
「だから自ら修道院に行くと?」
「はい」
「何と言う勝手な…」
馬上から怒りの混じった厳しい声がして、私は足が震えた。
やっぱり私は嫌われていたのね。
きっとこれまでは我慢されていたのだわ。
でもいよいよ許し難く、こうして断罪にいらしたのだろう。ならば……。
「殿下、どうぞ私を罰してくださいませ」
「なぜ私が君を罰するのだ。罪状は」
「殿下の隣に立つには至らなすぎる人間ですので」
「具体的には…?」
「平民を虐げ、居丈高に行動し、殿下の周囲に悋気をまき散らし攻撃的な態度をしているため…」
占い師の言葉を反復すれば、殿下の眦がつり上がった。
「……そのような行動に心当たりがあるのか?」
「ありませんけれど、きっと無自覚で行っていたのでしょう。占い師に指摘されました」
「その占いを信じたと?」
私は一度頷き、そんな自分を否定するように首を横に振った。
「占いを信じたというより、占い師の言葉に我が身を振り返ったのです。私は無知でした」
私は殿下の目を見てから、ゆっくり頭を下げる。
「王族に嫁ぐのであれば、無知は罪。その罪をなかったことにしてはいけない。私はまだ殿下の隣に立つ資格はありません」
声がどんどん細くなる。けれど、きちんと自分の考えを伝えなくてはいけない。
「私は殿下を想うあまり、周りを見られていませんでした」
「私を、想う…?」
「はい、心よりお慕いしております」
告げれば、キリリと胸が痛む。
「殿下を想うばかりの私は、民への視野が欠けています。もう一度しっかり学び直し、せめて世の役に立てるよう精進したいと思っております」
ちらりと見上げた殿下からの反応はなく、やはり呆れられているようだ。あの青い瞳で射貫かれては身も心も折れそう。
せめて引き際だけでも美しくありたい。
「ここでお会いできてよかった。本当はお手紙ではなく直接伝えるべきだったのですが……」
私は震える手を自分の胸の前で組み合わせた。
神様、どうぞ私に最後まで言葉を告げられる、心の強さをお与え下さい。
「お側にいられなくなるのはつらいですが…今までどうもありがとうございました。殿下のお幸せを遠くよりお祈り申し上げます」
声が震えて、涙が勝手に盛り上がって落ちていく。
それでも私は顔を上げて貴族らしく優雅に微笑んだ。
最後に殿下の姿を目に焼き付けておきたかったけど、涙で歪んで見えない。
「君は……っ」
殿下の声がすぐ側で聞こえた途端、抱きすくめられる。
「殿下っ?」
「私を想うなら……行くな」
「けれど」
「黙れ。なぜそんな考え違いを…」
そう言って殿下は私の侍女と護衛を睨む。
「お前たち、彼女を説得しようとしなかったのか」
「一応しましたけど、まぁたまには二人の関係にスパイスがあってもいいかなって」
「あと、いつも澄ましてる殿下の顔が焦るのが見たくて」
「楽しむな!」
「殿下?」
侍女と護衛は双児で殿下の乳兄弟。婚約が整った時に王家から派遣されてきた。
そのためよくこのような気安い会話を耳にするが、その度に彼らの関係性をうらやましく感じてしまう。
この気持ちは嫉妬で、きっと無意識に態度に出ていたのだろう。さぞかし醜かったはずだ。
でもそういう気持ちも抱きしめられている腕の中にいたら、不思議とさらさら溶けていく。
あたたかい。
ここから出たくない。
修道院に入る決心が鈍りそう。
つい胸にぎゅっとすがりついてしまったら、殿下が苦しげな声を上げた。
またご不快な思いをさせただろうか。
恐る恐る見上げれば、痛みをこらえるようなお顔をしている。
「くっ…」
「涙目で見上げる…お嬢さま、いい攻撃ですね」
「殿下の心にヒットしてますよ」
「外野は黙っていろ!」
殿下が叱りつけると侍女と護衛は私たちに背を向けた。
それを確認し、ため息をついて殿下が私の顔をのぞき込む。
「一体何をそこまで思い込んだのか知らないが……君は周囲に攻撃したりしてないし、居丈高な態度も取っていない」
「そう…でしょうか?」
「あぁ」
殿下はそっと私の頬に手を添えた。
「君以外を妃にする気はない。君は私の、最愛の女性だ」
その言葉にさっきまで痛みを訴えていた胸が熱くなる。
「……私は殿下のお側にいても良いのですか?」
「当たり前だ。嫌だと言っても…こうして逃げても絶対に捕まえてやる」
私の額に殿下のくちびるがそっと触れた。
胸の熱が額に飛び火して、さらに全身を駆け巡る。
「見知らぬ占い師より、私の言葉を信じてほしい」
「……けれど、国民の気持ちや暮らしぶりなど、思い至らないことがたくさんあって…」
「その気付きを大切にすればいい。そして民のことを思う妃になってほしい」
「民のことを思う妃…」
殿下の声はやさしい。
なれるだろうか。
殿下のことばかり想っていた私が立派な妃に。
不安を吐露すれば殿下はおだやかに微笑んだ。
「なろう。二人で」
「二人で…?」
「あぁ。私も民を思い、君を一生愛し続ける王になるよ」
彼の側にいたいならば、やるしかないだろう。
私は温かい腕の中で強く、しっかりと頷いた。