第二話 混乱しています 6
「本当にありがとうございました」
あの後、やって来た男の子のお母さんに事情を説明すると、深々と頭を下げられてそんな事を言われた。
「圭太もちゃんとお礼言いなさい!」
「あ、そんな気にしないで下さい」
叱責するお母さんを宥めながら、両手のひらをふりふりと相手に見せる。
本当に助けたのは、僕じゃなくて田辺先輩だし。それなのに、この子が僕にお礼を言うのはお門違いだしね。
「本当に、本当にありがとうございました」
もう一度深々と頭を下げると、その子を連れて広場から離れていった。
「・・・ふぅ」
なんとか一件落着みたいになって良かった。
なにより、あのお母さんが良い人そうで良かった。
周りから見たら、下手すれば警察の人が来てもおかしくない状況だったし。
泣いている男の子の傍で僕が座ってるんだし。兄弟と見てくれてたら良かったけど。
ともかく、本当に良かった。
「あ・・・」
そうだった。
僕には僕の用事があったんだった。
結果的に今日の部活は休みだったけど、いつもより早くに学校を出たから、まだ時間はある。
日は傾いているけど、僕自身の影がハッキリと確認出来るから、今から急いで神社に行って帰ってくれば、多分いつも通りの時間には帰れるはず。
広場に残っているのは、もう僕一人だけになっちゃったし、ここに長居する理由も無くなった。
今日は犯人逃がしちゃったけど、明日姿を現したら絶対に捕まえてやる。
なんて思ったは良いけど、問題の犯人の顔は全然わかんないんだけど・・・
田辺先輩も、多分見てなかったと思うし、次の機会を待つしか無いのかな。
そうなったら、また一人犠牲者が生まれるかもしれないのに・・・
「っと・・・」
そんな事を考えている時じゃなかった。
今回のこの件は、ひとまず置いておこう。
今は神社を目指さなくちゃ。
大きく息を吐くと、膝を支えに立ち上がり、側に置いていたかばんを肩にかけては神社目指しては知り始めた。
「はぁ・・・はぁ・・・」
やっぱり、運動はあんまり得意じゃない僕にとっては長時間走るのは難しいよ。
試しに後ろを振り返ってみると、さっき渡った信号の先に、これまたさっきまでいた広場の一部が小さく姿を出していた。
それなのに、喉の奥が針で刺されているかの様なチクチクとした痛みが走る。
足も、ちょっとずつ覚束なくなって来ていた。
けど、今日中に神社に行って、元の女の子に戻るようにお願いしなくちゃ・・・
そうやって何度も何度も心の中で唱えながら、ようやく神社の鳥居が視界に入って来た。
それを見つけると、再び足の動きが速くなる。
もうちょっと・・・
もうちょっとで、鳥居に辿り着く。
まるで何かの呪文かの様に、ぶつぶつとそんな事を呟いていたのに気付かないまま、僕は前へ進み続けた。
「はぁ、はぁ・・・」
鳥居を潜り、足の速度を遅めると、一気に呼吸が荒くなった。
それでも前へ進み、見覚えのある獣道を進む。
たしか、この先にある道から逸れた場所に例の祠があったはず。
前へ前へ進み続ける。ただ、それは良かったのだけど、一つの問題が僕の足を止めた。
「どの辺りで転んだんだっけ」
それがわかれば苦労なんてしないけど、それでもあの時の恐怖を一心に押し殺して前へ進み続けた。
見覚えのある道を通り、やがて獣道へと辿り着く。
ここまでは、まだ記憶に残っているから間違いは無い。
獣道を進み、左右を確認しながらゆっくりと足を動かす。
転んだのなら、木の葉とかが変にぐちゃぐちゃになってたりしてるかも。
そんな事を思いながら注意を向け続けていると、僕が進んでいるずっと向こうの方で微かに声が聞こえて来た。
「・・・・・・」
一瞬にして背筋が凍る感覚をおぼえる。
まさか、幽霊とかじゃないよね。
まさか、また我を忘れてどこかに走り回ったらどうしよう。
けど。もしかしたら、それをした結果、探している祠が見つかったりして。
なんて、不安と期待が入り交じった中だったけど、足はなかなか前へ進めないでいた。
怖さで心臓の動きがいつもより激しく感じてしまう。
もう少し強まっていたら、多分吐き気で踞ってしまっているかもしれない。
けど、僕は大きく深呼吸をして、なんとか最後の自我の砦だけは保ち続けた。
三回、四回、五回目の深呼吸を終えると、縛られていたかのように動かなかった足も言う事がききはじめる。
ゆっくりと前へ前へ進むと、また聞こえた。
大きさはあまり変わらないけど、男の人の声?
「・・・・・・」
ここの神社って、どこまで奥行きがあるのだろう。
あまり有名な神社でもないし、そこまで大きくはないと思うんだけど。
一周してみてもよかったかも・・・
なんて変な考えを巡らせながらも、なんとか足を持ち上げては前へ進む。
もう、転んだ場所は通り過ぎたかもしれない。
祠の事も気になるけど、それ以上に声の主の方に興味が変わりつつあった。
「・・・ぅ・・・」
向こうの方から聞こえてくる声が大きくなって来た。
「・・・ぅ・・・ぅぐ」
どんどんと突き進んで、ようやく見えて来たのは、神社の裏道とも言える遊歩道。
足元も、さっきのような獣道とは打って変わって、綺麗に舗装された道になっている。
「・・・回り道でも行けたじゃないの」
ビクビクしながら進んでいた自分が、なんだかバカバカしく感じてしまった。
はぁ、と大きくため息を吐いたけど、溜めていた空気を全て吐き出した瞬間だった。
「う・・・うがぁぁぁぁぁああああ・・・」
その声に戦慄が走った。
ついさっき聞いた声によく似ているけど、その大きさは、さっきとは比べ物にならないもの。
向こう側から聞こえていた声が、さっきの叫び声は、耳元で直接叫ばれている様な感覚を一瞬でも感じてしまった。
思わず後ろを振り返るけど、誰もいない。
左右を見回しても、犬も猫も鳥すらもいなかった。
「!?」
ただただやさしい風が頬を撫でただけなのに、それすらも恐怖で肩がすくんでしまう。
右を向いては伸びていた長い自分の影に、心臓が破裂しそうな程の緊張に声が出なくなってしまっていた。
「が・・・ぁが・・・ぐあああああああ」
また聞こえてくる声に泣きそうになる。
それでも、僕の前を横切っていく一人のおじいさんは、僕の顔を気にする様子も無く去っていった。
まるで、さっきの悲鳴が聞こえていないかのような。
「どういう・・・こと・・・」
聞こえていたけど、聞こえていないフリとか。
で、でも。そんな事出来るわけが無い程に、もがき苦しむ様な声だったんだけど。
「・・・・・・」
怖い。
さっきまで勇気で動かしていた足も、とうとう動かなくなってしまっていた。
悲鳴の発信源がわかればなんとかなるのかもしれないけど、それすらもわからないから、恐怖が何百倍にも膨れ上がっている。
風で揺れる木の葉の音すら、今の僕にとっては精神を蝕む原因の一つになってしまっている。
でも・・・
だけど・・・
足が動かない・・・
「・・・・・・」
さっきまでの声は聞こえなくなってしまった。
ううん、それが良い事かもしれないけど。
でも、足はまだ動きそうにない。
また一人、今度は小学生くらいの子が右から近づいて来た。
手から吊るしたサッカーボールを上手に蹴りながら、こちらに向かってくる。
「・・・・・・」
なんとなくだけど、その子にさっきの声の事を聞く前にわかった。
あんな声を聞いた小学生が、呑気にサッカーボールを楽しそうに蹴りながら歩けるはずが無い。
僕の心臓が小さすぎるのかもしれないけど、あんな声聞いて正気でいられるはずがない。
「・・・・・・」
何度も何度も深呼吸をする。
通り過ぎた小学生も、こちらを怪訝な様子で見ていたけど、足が動かせるようになるまで、一心不乱に深呼吸していた。
そして、とうとう動かせるようになる頃には、空はもう暗くなりかかっていた。
「・・・どうしよう」
恐いもの見たさというか・・・
気にはなるけど、そろそろ帰らないとお母さん達も心配しそうな気がする。
ここからだと、多少予測は出来ても、正直どのくらいかかるかわからないし・・・
「・・・帰ろう」
昨日の今日で、僕の体はもうぼろぼろだ。
今日は帰って、ゆっくり休もう。
幸い、明日は学校の創立記念日。
もう何も考えずに、明日一日ゆっくり過ごそう。
出来るかどうかもわからない思いの中、僕は来た道を帰ろうとせず、迂回しながら、街灯の下で帰路につき始めた。