第二話 混乱しています 5
今日の最後の授業が終わるチャイムが鳴った。
最後の挨拶と同時に、教室を飛び出す数人の後を追う。
「部活は、休もう・・・」
部活に行っても、結局は今の僕のままで接してくるはず。
こんな事を言っちゃダメかもしれないけど、僕は女の子である事を誇りに思ってる。
色んな服も着れるし、気分によって色んな衣装を選べるのは、女の子の特権だと想う。
その証拠に、男の子はスカートを履けない。
お洒落が好きな僕にとって、それが出来ないのは苦痛以外には感じない。
「はぁ・・・はぁ・・・」
息を切らしながらも、下駄箱で靴を履き替え、急いで門をくぐる。
喉の奥から少しずつ熱を生み出しながら、それでも僕は全力で地面を蹴る。
同じ学校の生徒や、ベビーカーを押すお母さん達をも追い越し、S字に曲がったカーブを減速せずに進む。
こんな僕を見てか見ずか、信号の通りも良く、一度も足を止める事無く、目的地までの最後の信号も渡った。
「はぁ・・・はぁ・・・」
一本の電信柱に手をつけて立ち止まる。
喉の奥が熱い。
それに加えて、この乾いているような感じ。そこに直接空気が触れて咳き込みそうになる。
後ろから一台の自動車が通り過ぎたけれど、そんなのを気にする余裕も今の僕には無かった。
「ふぅ・・・」
荒かった息を整え、カバンの中からペットボトルを取りだしては、それを口に付ける。
一度二度と喉を通したと思ったら、その勢いに思わず咽せてしまった。
「たしか、神社までもうちょっと・・・」
今いる場所からだと神社は見えないけど、目の前の電柱と、その奥の電柱を過ぎて、最後の道路を渡った先にあるはず。
それがわかると、少しだけ気持ちも落ち着いては来たけど。それに反して、ここまで走ってきた分、脚の重みはいつも以上に重たかった。
ゆっくり進んだ先に小さな公園がある。
ううん、遊具は無いから、どちらかというと広場みたいな感じ、かな。
そこには子供が数人と、ベンチに座る後ろ姿の男の人が一人。
その人は、子供の動きを追っている様な頭の動きをしている。
保護者の人かな。
呼吸もようやく落ち着いてきた所で、広場の角まで進むと、中に居た男の子が泣き出した。
男の人の目の前で、傍にある木の枝付近を指差して泣いている。
思わず僕も、遠目ながらもその先を見てみると、枝の上にボールが引っかかっている。
「うぇーん・・・」
時々咽せながら泣く男の子を見てか、男の人はゆっくりと立ち上がり、その木にゆっくりと両手を付け始めた。
やっぱり、保護者の人だったんだと思ったのも束の間、その男の人はヒョイヒョイと軽くステップを踏むかの様に木の幹を上っていき、そこにあるボールに手をかける。
そのあまりの早業に、遠くながらも見とれてしまう自分がいて、そんな事をしている自分の口が思わずぽかんと開いてしまっている事にも気付かなかった。
けど、その男の人はボールを男の子の元へ落とすのではなく、広場の外へ向かって放り投げた。
「あー!」
当然のように男の子がそれを追いかけていく。
ボールは転々と転がり、広場の外へゆっくりと進んでいく。
「えっ・・・」
広場の隅に茂っていた木々の隙間からしか見えなかったけど、ボールはゆっくりと大通りへと転がる様子がわかった。
それにも気付かず、男の子はボールを追いかけていく。
「・・・・・・」
あの子のお母さんかお父さんはいないの?
ボール遊びをしていたのなら、あの子の友達とかはいないの?
なんで誰も呼び止めようとしないの?
嫌な予感がどんどんと募っていく。
「・・・・・・」
広場を見ては男の子に視線を向ける。
誰もその子を追いかける様な人は現れない。
「こうなったら・・・」
間に合うかどうかはわからない。
でも、このまま指を銜えて見ているなんて事、絶対に出来ない。
歯を食いしばりながら、これでもかと強い力で足を動かしたが、その子はもう大通りに爪先が入りそうな程まで来ていた。
「だめー!!」
喉が壊れる程に叫ぶ。
ボールは既に大通りの向こう側で止まっているのが見えた。
けど、その子の動きは止まりそうにない。
「だめだってばー!!」
その時だった。
大きなクラクションを轟かせながら、大型のトラックがその子目がけて突進して来るのがわかった。
「!?」
ダメ・・・
僕の足じゃ間に合わない。
男の子も、大型トラックに気がついたみたいだけど、避けられる程の余裕は無さそうだった。
大きなクラクションがおさまったと思ったら、今度は大きなブレーキ音が周辺に響く。
「っ!?」
大型トラックと男の子が接触する、と感じてしまったその瞬間から、まるでスローモーションのように世界が動き始める。
もうダメだ。
ぶつかっちゃうんだ。
さっきまで大きく動いていた僕の足も、間に合わないとわかった瞬間に動かなくなってしまっていた。
そして、その瞬間を焼き付けたくないあまりに、力一杯に目を閉じてしまう。
けど、それ以降は特に何も感じず、何も聞こえず、ただ真っ暗な世界が広がっているだけだった。
一分くらい経って、ようやく目をゆっくりと開ける。
「・・・・・・」
ここからだとよく見えず、現場の近くまで歩み寄る。
「・・・大丈夫か?」
「あ・・・」
傍まで近づいていくと、見慣れた人が男の子を抱きかかえるようにその場で腰を下ろしている。
「えっぐ・・・」
何が起こったのか、ようやくわかった男の子は大きな声で涙を流していた。
「田辺・・・先輩」
「これからは気をつけろ。わかったな」
「・・・うぇー・・・」
大泣きする男の子を見て、鋭い眼差しを向ける田辺先輩に、何故か僕の方がドキドキしてしまう。
そんな自分を振り払うように、なんとかして話題を作る。
「なんで、田辺先輩が・・・部活はどうしたんですか?」
「部長が体調不良で欠席。お前も来ないし。だから帰って寝ようとしたら、この有様だ」
「あ・・・」
男の子の頭をぽんぽんと二度優しく叩くと、男の子はボールも持たずに広場の方へ帰っていった。
自動車がまだまだ行き来している大通りに残されながらも、ふとある事を思い出した。
「そうだ、あの人!?」
「・・・あの人?」
木に上り、ボールを手にしてはこの大通りに投げ捨てた男の人。
なんであんな事をしたのか。なんであの子を危険な目に遭わせようとしていたのか。
もし、別の場所で違う子が今回と同じ様な目に遭う事になったらと考えると、いてもたってもいられなくなった。
「おい!?」
背後から先輩の声が聞こえたけど、何も返さずに広場の中へ。
そこまで大きくない広場だから、中に入ればすぐにわかる。
ここにはいない。
もう、逃げられた後だった。
「・・・・・・」
あの子が感じた恐怖が、なぜか僕の心にも浸食してくる。
男の子も、広場の片隅で踞って泣いていた。
「・・・はぁ」
本当は追いかけたいけど、姿が見えないなら仕方が無いか・・・
赤の他人が近寄ったらビックリするかもしれないけど、今はあの子の傍にいてあげた方が良いかもしれない。
田辺先輩は、広場の外からこちらを見ていたけど、軽く会釈をすると頭を掻きながら家路につき始めた。
「・・・大丈夫?」
泣いている男の子の隣に座っては、背中をさする。
その背中は、僕が思っていた以上に、小さくて細いものだった。