8 ゴルディアスの解け目
高層ホテルのスイートルーム。
軟禁されていた俺に突きつけられたのは『日本の主権者はニート』という言葉。主権者がニートって、それはつまり……どゆこと?
俺のその動揺を察しているのかいないのか、その無表情からうかがい知ることは出来ないが、宗像かなたはまた語り始めた。
「これからの日本はニートの支配下に入ります」
「ごめんね、俺には意味がわからないよ」
「先ほどの放送にあった通り、これまでの日本で国民の権利があるのはニートだけだったということです」
宗像かなたは俺に言う。
これまでの日本の、愚にもつかない政策に抵抗していたのはニートだけ。働かない者だけが、辛うじて民主主義国家の国民だった、と。
同時に、ニートたちにスポットライトが当たるのは至極当然、とも言った。
「ニート様……あなたたちの勝ちです。この日本社会は全員が間違っていました」
「そうなの?」
「そうですよ。日本政府、日本企業、そして数多の日本人は民主主義的価値観を持たない者ばかりでした」
「いやいや、さすがにその言いぶんは無茶すぎるでしょ」
「事実ですよ。誇っていいんですよ」
「じゃあその……あんたたちの言うことでは、日本の破綻に加担しなかった俺たちニートだけが正義ってこと?」
「そうです。国家の経済的、人道的な悪政に対し、良心的抵抗権を行使していたニートだけが民主主義国家の市民です」
こいつの話はいささか難解で、何を言ってるのかわからないが、どうしてもニートを持ち上げたいのだけはわかる。
「不正を見過ごしてきた大多数の国民には、市民の資格がないというわけです。彼ら日本国民に主権を与え続けた結果、日本は途上国並みの生活になってしまいました」
眼の前のスーツ女は善良な市民たちをこき下ろし、「どう考えても国賊ですね」と付け加えた。
「でも、だからって……それは論理の話で、ニートが正義ってのは……ねぇ?」
「論理的に正しいということは、それが正義ということです」
「え~、それって屁理屈じゃないか?」
まぁ理論としてはそうだ。しかしそんな雑な話、「はいそうですか」と納得できない。
そんな俺に宗像かなたは
「ではその証拠に……ご覧ください」
『ワーワー』
『うおおおおお!』
テレビに映っているのは大量に詰めかけた群衆。
街に人があふれている。蟻の群れの密度を300倍にしたような群衆だ。これを見せるとはなんだ?まさか、これがニートのために集まってるとでも?
テレビカメラが映し出すのは渋谷・スクランブル交差点。そこにすし詰めの群衆が詰めかけている。道は封鎖され、横断歩道を渡るものなど一人もない。
尋常じゃないその場所を見つめると、モニタに映った群衆の中のあるものは万歳三唱。あるものは切腹するジェスチャーをし、あるものは土下座しすぎて座ったまま倒立している。
「民衆は皆、ニートという新たな指導者の誕生を喜んでいるのです」
「いやいや、おかしいでしょう」
カメラが映し出す場所が変わる。
人が集まっているのは渋谷だけじゃない。
人混みの新宿駅前、東京駅の正面口、銀座の歩行者天国、原宿竹下通り、サラリーマンでごったがえす新橋駅前……
『我々、日本国民は愚かでした!何かおかしい、と思いながら何もしてこなかった!』
『不甲斐ない日本人は全権をニート様に委任します!!』
『う~ん、国民や政治家には任せられないから、消去法でニート!』
『日本からこんな偉人が出るなんて誇らしい!』
『この道しかないんだよなぁ~』
東京中に集まった群衆たちは思い思いの言葉をニートにぶつけている。
「イエス・キリストと十二使徒、啓蒙思想、フランス革命、アメリカ独立……歴史の中では真理を尊び、抵抗した者だけが正しかった……つまりニートだけが民主主義の守護者だったのです」
みんな熱に当てられたようになっている。
それこそ新世界の救世主の誕生を祝うかのような熱狂っぷりだ。
「国民は抵抗者であるニートを望んでいます」
熱しやすい国民性……こいつらはいつも無責任。上から命令されることを望んでいる。
立場が上の存在なら何でも良いんだ。それこそアホでも子供でも、ニートでも。
…
……
………
どれくらいの時間が経ったのだろう。
テレビに映った群衆を見つめながら気が遠くなり、しばらく呆然としてしまっていた。
そんな俺に宗像かなたは告げる。
「あなたは日本の最高権力者。お好きに権力を行使してもよろしいですよ」
権力?どういうことだ?
「じゃあ誰かを殴りたいって言ったら殴らせてくれるのか?」
「まぁ時と場合によりますが、基本的に誰でも」
「たとえば……日本崩壊の半月前、世田谷の街で俺を轢きそうになった男を殴れ、って言ったら?」
「了解しました」
誰かいますか?と聞いてくるので軽い気持ちでそう言ってみた。
宗像かなたは慣れた手付きで懐から無線を取り出し、どこかと通話する。
なんだ?どういうことだ?俺が事態を把握するより早く、折返しの無線が入り、宗像かなたが顔を上げた。
「監視カメラの映像から、車の持ち主を特定しました。ニート様直属のSPが確保に向かってます」
「え、なんて?」
「犯人は、高級車の所有者である品川区の会社員……こちらで間違いないですね?」
そうして俺の眼前に差し出されたタブレット端末に映し出されたのは、間違いない。外車に乗ったあの男の顔。あの時の男だった。
俺は驚くより先に、これまでの熱が一気に冷めるような感覚に陥った。こいつらは、国家の諜報機関というものは、こんなことが出来るのか?
「っていうかそれ!いくら公権力だからって、個人情報的にダメだろ!!」
監視カメラの映像をプライバシーを侵害している。
権力者だかなんだか知らんが、早速やらかしてる。ニートの国だかなんだか知らないが、こんなのがすっぱ抜かれたら、早速国家崩壊の……
「国民に権利なんてありません。ニート様に必要なら、国民はすべての情報を開示する義務があります」
「バカかよ」
「そして、あなたたちニートには、自由にする権限があります」
「パンツを見たいって言ったら自由にできるの?」
「はい」
「パンツの中も?」
「左様」
……いいの?
「どうやら確保したようですよ」
端末を覗き込むと、件の男が自宅のガレージで数人の黒服に取り押さえられてる。
あの男だ……ツーブロックの男。おあつらえ向きに、あのときのケバい女も一緒に捕まっている。
指示から数分で特定し、確保まで済ませてしまった。恐ろしいまでの手際だ。国家権力には、こんな秘密警察のような奴らがいたって事実に戦慄する。
『おい!ふざけんなよ!?』
『もぉ~~何なの、これ!?』
タブレット端末から連中の声が響く。聞きおぼえのある声。
その声を聞いてたらあの時の記憶がよみがえる。ムカついてきた。
「どうにでもできますが……いかがしますか?」
「じゃ、じゃあ……お、お尻ペンペンとか……」
「了解しました」
バシン!バシン!
かなたが無線に指令を下すと、端末の中の映像の男が殴打された。尻を。
フレームレートは低い映像だが、はっきりわかる。こいつはかなたの指令で、尻を叩かれている。
『お゛ああああああああ!!』
『キ、キャアアアァーーー!!』
音割れした音声が響く。
「はははっ……」
なんだよ、これ。ジョークにしても酷いな。
絶えず尻を叩く音が
「ハハハハハ!!ひでえな、これ!」
失笑に近い、乾いた笑いが漏れる。
「いかがします?他にご命令は?」
まだいいの??
目を丸くするが、すぐに気づく。これは俺の下した命令。俺が下した処罰なんだ。
「そうだな、こいつが気を失うまで……くすぐれ!」
「かしこまりました」
『あひ!?ひひぃい!!?あぎゃあああああああ!!!』
端末のスピーカーから、音割れした断末魔が響いた。
この力、ドッキリとかじゃなく、マジなのか?
こうなりゃ主権者だか何だか知らんが、なんでもいい。
せっかく力があるんだ、いまのうちに少し遊んでやるか!?




