0 颯爽たるニート
あらゆる政治的結合の目的は、
人間の持つ絶対に消滅することのない自然的な諸権利を保全することにある。
これらの諸権利とは、自由、所有権、安全、および圧政への抵抗である。
~ フランス人権宣言 第二条 ~
都市の人工的な明かりが暗い部屋に反射している。
「デーン!デデデデ……デーン!」
部屋の中央には大仰な身振り手振りをする人影。
壁際にそびえる巨大な音響装置からは、弦楽器や金管楽器などから成り立つオーケストラの律呂が響く。
その曲は、チャイコフスキーの大序曲・『1812年』。ナポレオン・ボナパルト率いるフランス大陸軍が、遠くロシアへ遠征したその衝撃を描写した交響曲。
「クックックック……クハハ……」
曲の中を泳ぐように腕を振りまわし、口を歪ませ笑う一人の青年。
ナポレオン率いるフランス国民軍が、腐敗した王政に支配されていた欧州世界へ侵出していった時代……民主化された国が世界へ鮮烈な印象を与えていく様子を表すため、オーケストラの旋律がフランス国歌、ラ・マルセイエーズの旋律をなぞる。
「ハハハハハ!」
管弦楽曲の中では通俗的な趣きが強いと評されるこの曲だが、漆黒の床が光を反射し、まるでチープな映画のセットのようにギラギラしているこの部屋には、それがむしろ御誂え向きにも思える。
「ダラララララ……ドーン!!」
黒い部屋に舞う黒衣の青年は、大音響と共に大きく手を振り下ろした。その身振り一つで、傍らに控えていた黒服たちに指令が行き渡る。
こうして部屋を後にした者たちは、それぞれが目的の場に赴くことになる。車に乗り込み、幾筋もの軌跡を描き、東京の街へと散らばっていく。その姿を見送る。
ここにいる黒服は、そのすべてが彼の命令に従う。
そして黒服がはたらきかける数多の者たちも同じ。彼の従僕。
すべてが彼の意のままに動いている。その結果として動かされる組織も、影響を受けるすべての人間たちも。
そう、彼は日本のすべてを司る者。
一億人の日本人、そのすべての命運を握る人間。
彼は今、もっとも神に近い存在である。
* * * * * * * *
「…………」
先程の下界を見下ろしていた部屋とは別の広間。黒衣の青年はそこへと移動していた。
ビルのワンフロアをぶち抜いて高級な調度品をセットをした、VIPが集まるような広間。そこには彼以外にも十数人ほどの人影が見える。
「キャハハハ!!」
ガラスを引っ掻いたような笑い声。まだ年若い女の子のものだ。その方向には先述の十数人の人影以外の人間がいた。
このフロア、女の子の周りにある家具やオブジェはよく見ると、かすかに呼吸をして身をよじらせている。
「ちょっと!動きすぎなんだけど~?」
「フゴッ!」
そう言って女の子は半裸のおじさんへのしかかった。そのように人間椅子、人間絨毯、人間観葉植物と化した中年男性たちが女の子に弄ばれている。
「……しっかし汚いな、東京の街は」
黒衣の青年は大理石のフロアから、眼下の街を見下ろし、そう言った。
夜景に彩られた東京は、一見してきらびやかに見える。しかし、よく目を凝らしてみれば、乱雑に光が並んでるだけで、むしろゴミゴミしていた。まるでエントロピーが増加し、とりとめの無くなった原子の運動のよう。混沌……その一語を体現している。
「矮小で、醜悪。悪徳の街」
「まったくだ!博多の街を見習って欲しいものだよ!」
その時、同じフロアにいた天をつくような巨漢と、全身タイツの特撮ヒーロー然とした男が、黒衣の青年の言葉に同調した。
「下水道のほうがまだ綺麗でヤンス!」
四足で歩くせむし男。ゲジゲジを擬人化したような彼も、そう悪態をつく。
「う~ん。もっとこう、公共心にあふれた都市にしたいよな」
「と、東京に、お、お城を建てるんだな!」
「ケケケ!日本の首都は世界最強になる!世界の中心は東京!ニューヨークや香港なんて目じゃねぇ!!」
「……世界の中心……世界首都……ゲルマニア……」
「まずはこの忌々しい東京をぶっ壊しましょう」
「うん、そうしよう」
ランニングシャツの男、サバゲに行くような格好の男、やたら髪の長い眼鏡女、四十路のおじさん……容姿も世代もバラバラ。なんら共通点のない者たち。
だが、彼らの意思は『東京を改造する』という点で共通している。
「都心部は地上げ!みんな立ち退きだ!東京を作り変えるぞ!」
そう言った黒衣の青年は、先程と同じように手を振り下ろし、東京の街へ黒服をけしかけようとした。
「そんな!そんなご無体な!」
その時、人間家具のうちのひとつが声を上げた。人間家具としての自分の役割を放棄し、皆の前に飛び出してくる。
「あ?なんだお前は?」
「今、あなたたちが作り変えようとしている土地には、そこに住む者たち、それぞれの生活があるんです!どうか、どうか今一度、お考え直しください!!」
「お前、誰に口出ししてると思ってるんだ?」
誰もが誰も、将軍に直訴する百姓を連想する様子で、どうか!どうか!と、すがりつく。それを冷たくあしらう青年とその仲間たち。
「おい、お前。俺の前職を言ってみろ」
「む、無職です……」
「いわゆる無職をなんと言う?」
「……ニートです」
「声が小さいよ!」
「神戸正道様は!ニートです!!」
「よ~し、わかってるじゃないか」
「で、お前は何をしてたんだ?」
「……官僚です」
「あぁ?」
「私は、国家官僚でした!!」
「それじゃあダメだ。聞くわけにはいかないんだよなぁ」
「ククク……」
「アハハハ!」
「ギャハハハ!ひでぇな!」
人間家具男の願いは一笑に付された。
切なる願いを跳ね除けた彼らはニート。ニートでありながら、思いつきで都市計画を実行し、東京を作り変えることができる者たち。
そして、そこに住む人間の権利を一瞬で剥奪できる存在。全てをあごで使うことのできるのが彼らニート。
彼らには誰もが従う。つまり日本には一億の奴隷の奴隷がいるということ。
「さてと、下界の様子は……っと」
そんな彼らのその言葉で、黒服が端末を操作する。そうやって壁に掛けられた大型モニタに映し出されたのは、大地を埋め尽くす群衆。
手前に映っているのは今この場所。黒衣の彼らがいる禍々しい建物。
そのニートたちの居城に群がっている無数の日本人たち。車道を開け、沿道に行儀よく座った群衆。その中のあるものは土下座し、またあるものは合唱して拝んでいる。
『『『万歳!ニート様、万歳!!』』』
共通しているのは、ここにいるニートたちを崇拝しているということ。
彼らニートはなぜ尊敬されるのか?なぜニートであることを誇るのか?
それを知るためには、ほんの一ヶ月ほど時間を遡る必要がある。