僕の心臓をあげることはできませんか?
小説というより、日記になってしまったかもしれません。こんなことがあったんですって。この前書きの時点で物語の最後は分かってしまうかもしれません。だけど、この経験を誰かに伝えたい。そう思って指を走らせました。登場人物の名前など一切出てきません。あなたの目線で読んでください。
「ういー!お疲れ様さん!」続々と職場の仲間や地元の仲間が家のベランダに入ってくる。
「お父さん、差し入れ買ってきたよ。」「おお、悪いな!一緒に飲もうな!」
今日は年に一度、地元で開催される花火大会の日。毎年、親戚やら友だちやらを呼んで、ベランダで飲み会をしている。去年は親戚を呼んだから、今年は友だちを呼ぶことになったのだ。
毎年開催される花火大会当日は、道に交通規制が敷かれ、花火が見える野球場には長蛇の列が出来る。うちわを片手に汗を拭いながら夏の風物詩を楽しむ人が大勢いる中で、僕たち家族はベランダで冷たいコップにビールを注ぎ、優雅に花火を見るわけだ。
そんないい話はないと、毎年友だちや親戚さえもこの日を楽しみにしているのだ。今年は友だちを呼ぶことにしたよ、と声をかけられた親戚からは残念な声が聞こえるほどだ。
今年はざっと15人程が集まった。初めましての人も乾杯しちゃえば友だちだ。
僕は大卒で働き始めた24歳独身。男だが保育士をしている。20歳の頃、友だちに連れて行ってもらったBARにハマりそこから交友関係が一気に広がった。
今では店のドアをくぐれば「お疲れさん!」と誰かしら友だちがいる。友だちがいなくても、お店の人と話している内に、近くに座ったお客さんと気付けば仲良くなっている。仕事に大満足している訳では無いし、彼女もいない。でも、悪くない毎日だ。
親父とお袋はおにぎりを握ったり、唐揚げを仕込んだり、朝から大忙しで「ああ、大変……。」と声を漏らすが、その顔はどこか楽しげだ。自分の息子がたくさんの友だちに囲まれる姿を見て、自分たちも楽しく酒が飲めるのだから悪い気分ではないのだろう。
「よし、じゃあ乾杯するか」僕がそう一言発すると待ってましたというようにみんなが一斉にグラスを手に取る。幸か不幸か呑兵衛しかいないもんで、物凄い量の空の瓶やら缶やらが残されていくのがたまにキズだ。
「浴衣美人に囲まれちゃっていいのかなあ」
「おい、酒入ってないのにいきなりめんどくせーな」
「ははははは」
そんな冗談を言い合いながら「乾杯!」と宴が始まった。
グラスとグラスがぶつかり合うと同時に
「ドカーン」と大きな音を立てて花火が打ち上がり始めた。
「おお!しかしいいなあ。毎年こんないい所で花火が見られるなんてよ。うまい酒にうまい料理、目の前には綺麗な花火!隣にいるのがお前じゃなくて、可愛い彼女だったらなあ……」
「じゃあ来年から来なくていいから頑張って可愛い彼女でも作ってみろよな」
「ったく、お前もそんなこと言っておいて本当は可愛い彼女と花火見たいんじゃねーのー?」
「俺は人混み嫌いだからパス。ま、可愛い彼女は欲しいけどな」
「クリスマスまでにはなんとかなんねーかなー」
なんて言いながら仲間と酒を酌み交わす。
「お父さん、灰皿あります?」
「おお、端っこに置いてあるぞ。部屋に入らないようにな!」
「大丈夫ですよ。有難うございます」
僕の両親はタバコは吸わない。とはいえ、親父は昔やんちゃだったらしく14歳からタバコを吸っていた。僕が生まれてスパッと止めたらしい。肉体労働をしながら毎日晩酌をし、キレやすい性格なもんだから、お袋は親父と二人きりの夕飯は憂鬱だとかなんとか。そんな親父だが、子どもが生まれてすぐにタバコをやめたのは唯一尊敬出来るところだ。
お袋も18歳頃から吸っていて、僕が生まれてからも吸っていたが、僕が中学三年生の頃、たまたま見ていた通販番組で離煙パイプが出ていて、ゴリ押しで買わせたらなんと禁煙成功。
止めさせた僕は高校三年生から吸い始め、町で警察に見つかり親に連絡されて思い切り怒られたこともあったが、さすがにもう何も言わない。
がしかし「あんたが私に止めさせたくせに。あー臭い臭い」これはお袋の毎度の文句だ。
親父は60歳を超え、お袋は50歳後半、アラシックスとでもいうのだろうか。
僕は一人っ子だ。なんだかんだ言いながら、今日みたいに仲間がたくさん来るのは微笑ましく思っているようだ。
「よーし、俺も一服するか」僕も友だちに便乗して、端っこの灰皿のところへ向かう。誰かが吸い始めてから吸おうと思うのは、どこか後ろめたさが心のどこかにあるからかもしれない。
「今日、誘ってくれて有難うな。お前の家こんなすげーのな。親父さんに感謝しろよな」
「うん。そこだけは、ね」とここでも楽しくたわいのない話をしていると、もう一人の友だちが「俺も吸わせてもらおうかな」と向かってくる。
「おい。お前大丈夫か?」
友だちが来るや否や僕の顔を覗き込んでそう問いかけた。
「え?何が?」僕はいきなりなんだと思い、驚きながら聞き返した。
「汗が尋常じゃねえぞ」と言いながらも、笑顔で写メを撮る。心配してるんだか、面白がってるのか全く失礼なやつだ。
僕は元々汗をかきやすいから、面白いネタになったくらいな感覚で向けられた携帯に変なポーズで応える。
「やばーい。汗だくじゃん!ははははは」と気付いた仲間たちが続々と注目する。
なんだかんだ、美味しいシチュエーションだなと僕もおどけて見せる。
どんちゃん騒ぎながら時間が経ち、場所をリビングに移し飲み直し、23時頃に解散の時間になった。
僕は飲み疲れからか、頭が物凄く痛くなりソファーに横になっていた。
「おい帰るぞ」「頭痛いんだってよ」「そうか、じゃあまたな」と声をかけられながらボーッと右手を挙げて友だちを見送った。
そのまま朝を迎えパッと起きると体が重い。ふと横を向くと酔いつぶれた友だちが一人寝ていた。どうやら泊まって行ったようだ。
「おはよう……」
友だちが目覚めの悪そうに起きてきた。
「おはよ……飲みすぎたね」
僕も調子悪そうに言葉を返す。
「腹減った。コンビニ行こう」
「え!調子悪いのに!?まあでも、確かに腹減ったな……」
親父とお袋はまだ寝ているみたいだし、思い腰を上げてコンビニに向かった。
なんかボーッとするし、フラフラする。二日酔いか……と思っていたが、帰ってきて熱を測ると38.5℃
「やっちゃった……。明日仕事休めないしな」
「おいおい、俺も明日仕事なんだからうつすなよな」
友だちが僕が持ってる体温計を覗きながらそう呟いた。
でもお腹はすいているので買ってきたお弁当をたいらげた。
「ちゃんと治せよ。親父さんとお袋さんによろしくな。治ったらまた飲もうぜ」
心配してなさそうな笑顔を残して友だちは帰って行った。
仕事を休むわけにはいかないので、僕はすぐに布団に入り、そのまま夜を迎え、夜も体調がすぐれなかったからそのまま朝を迎えることになった。
朝、アラームで目が覚めた僕は起きた瞬間に悟った。
「熱下がってないじゃん……」
測るのも面倒だったので、そのまま職場へ向かう。
「ちょっと、大丈夫なの?無理しないでね」
毎度の如く不安そうな顔でお袋が見送ってくれた。
職場まではバスで15分ほど。バス停まで、職場の最寄りのバス停からの時間を合わせると40分くらいかかる。
普段なら音楽を聴きながら楽々と職場まで向かうのに、体調が悪いと地獄のように長く感じる。こういう時に健康の有り難さが身に染みるのだ。
職場に付いてすぐ、先輩達が声をかけてきた。
「タイムライン見たよ。また楽しそうに飲んでたね」
「はい。楽しかったですけど、飲みすぎちゃいました」
僕はそう返すと熱があることをバレないようにそそくさと保育室へ向かう。
「せんせーおはよー!」
まだたどたどしい言葉遣いで子どもたちが挨拶をして来る。調子が悪くても子どもたちには関係ないし、やっぱり可愛い。普段なら抱っこをするが、この日ばかりは風邪がうつったら大変なのでマスク越しにできる限りのハイテンションで挨拶をし返す。
普段通りの1日が始まったが、熱があることに気付かれるのに時間はそんなにかからなかった。
「ねえ、熱あるでしょ?体調悪いって顔に書いてあるよ」
と特にお世話になってる先輩に言われ、言われるまま熱を測ると38.5℃
「ほら!子どもにもうつるし、現場の人にもうつったら大変だから帰りなさい」
「すみませんでした……」
さすがに隠し通すのは難しかったか……。と更に足取りを重くし帰路についた。
早速病院に行って薬をもらった。
しかし、薬を飲んでも熱が下がる気配は一向にしない。明日も無理そうだと思った僕は職場に明日も休むと連絡を入れた。
先輩たちは酒好きなのを知っているからか「飲みすぎたのが祟ったのね」とでも言っていることだろう。
その夜、喉の乾きで目が覚めた僕は2階のリビングにあがりお茶を手にした。その瞬間。
フッ……と意識がなくなり、リビングに大の字になった。どれくらいだっただろう。意識を戻した僕は立ち上がるが、息苦しい。呼吸が上手くできないのだ。
なんだこの感覚……。ベッドで横になっても何をしても息がしづらい。息がしづらいどころか、さっき飲んだばかりのお茶を吐いてしまった。
1番心地よかったのが、上半身の服を脱いでうつ伏せで床に寝転がる状態だった。
寝て起きてを繰り返しながら朝を迎えた。
朝6時頃、出勤する親父か部屋を覗いた。
「おい!大丈夫かよ!」
驚くのも無理はない。ただの風邪を引いたと思っていた息子が上裸で床にうつ伏せになっているのだから。
お袋もその声で起きてきて、数時間後僕はお袋に寄り添ってもらいながら大きめの病院に行った。
息がしづらいので大きく呼吸をする。
しばらくすると名前呼ばれ病室に入る。
薬を飲んでも熱が下がらない、息がしづらいということで、血をとることになった。
その結果……。うちではなんとも言えないということで市内のもっと大きい病院へ搬送されることとなった。
親父が血相を変えて車を飛ばして病院に来た。
医者が来ると様々な書類にサインをした。泊まる先はHCUだった。
聞いたことのない名前に少し戸惑いを覚えたが、言われるままに病室へ入った。点滴をしているからかいくばか楽になった気がする。
でも、息がしづらいのは相変わらずで、ベッドを起こして座るような状態でないと息をするのが厳しかった。
朝になり、搬送されたときとは違う医者が僕の元へ来てこう言った。
「ICUに行きましょう」
I……C……U……
世間知らずの僕でも知っていた。衝撃的すぎて思わずこう言ってしまった。
「危ないってことですか?僕、危ないんですか?」
医者は安心させたいのか続けて
「ううん、そうじゃなくて、ICUのほうが近くで様子が見られるから、様子が見たいだけなの」と
その笑顔が少し怖かった。
僕はICUのど真ん中、ナースセンターが目の前にあるところに運ばれた。そこは、病院内で一番危ない患者が居座るところだと、僕はその時知らなかった。
お袋が無理に笑顔を作って
「大丈夫よ」
と声をかける。
無理をしているのが丸分かりで、その顔が見ていられなかった。だから
「当たり前じゃん。俺だよ、俺。余裕だし」
と僕も笑顔で返した。
しかし、現実はそんなに甘くなかった。
「心臓のエコーをとらせてね」
医者の言葉が耳を貫いた。
「心臓?」
2日前はただの風邪だも思っていた。なのに今、ICUにいて、心臓の調子を見ると言っている。
現実に反抗したくても、する力がなかった。言われるがままエコーを受ける。しばらくすると形相を変えて医者が扉を開けて入ってきた。
「もう時間が無いから運んで!」「驚かせてごめんね。君の心臓は普通の人の4分の1しか動いてないの。だから、これから手術をするからね」
もう何も言うことは無かった。現実についていけないから、何も疑問に思うことがなかった。ただ一つだけ辛かったのが、お袋が終始笑顔だった。
「大丈夫だよ」と。
「余裕だよ余裕。チャチャッと終わるだろ」
と僕は右手を挙げて手術室へ向かった。
……手術前……
「お母さん、息子さんの病気は劇症型心筋炎というものです。今から首とももの付け根からバルーンパンピングというものを入れます」
「はい」
お袋は頷くしかなかった。何を言っているのか分からないのだ。
「あの、息子は助かるんですか?」
「一刻を争います。私達も全力を尽くします」
数日前、あんなに楽しそうに友だちと喋ってたのに
あんなに楽しそうにお酒を飲んで
あんなに幸せそうだったのに
心臓の……病気?
すぐさま携帯で親父に連絡を入れる。
「お前何言ってんだ!?とりあえず向かえばいいんだな?しっかりしろよ!」
親父は冷静にいられなかった。事情を話し病院へ向かった。
……手術室……
「すぐ眠くなりますからね」
その一言を最後に意識がなくなった。
……手術後……
医者が出てくるとお袋は医者に目をやる。
そこにいたのは白衣が血に染まった医者の姿だった。
心臓への手術だ。どれだけ大変なことかだけは分かっていた。
「息子は……」
「あとは様子を見るしかありません」
祈るしかなかった。
親父も病院へ着くなり、全てを聞いた。
心臓の拍動が弱まっていること。
一刻を争う事態だったこと。
そして、生存確率が20%だということを。
僕は一人っ子だが実は2人流産をしている。心の奥底から望まれて誕生したのか僕だった。
僕が小さい頃、風邪を引いたら親父がおどおどして、お袋が「何してんの!落ち着きなさいよ!」と言われていた。
学校へ入る際の手続きも親父は何もわからず全部お袋がやった。
友だちとトラブルがあっても堂々していたのはお袋だ。
でもこの日、あまりの衝撃で腰が抜けて倒れかけたのはお袋で
「しっかりしろ、大丈夫だから」
そう声をかけたのは親父だった。親父は一筋の涙も流さなかった。
2人は酸素マスクをつけ、20本という膨大な数の点滴を打ち込まれている息子のベッドの横に立った。
「おい、早く目を覚ませ。大丈夫だから。心配するな。また来年、花火大会やるんだろ?また、みんなで騒ぐんだろ?お前、週に何回もBARに顔出してるのに、急に来なくなったら皆ビックリするだろう?」
もちろん返事はない。
それから毎日毎日通い、2人は僕が生まれてからぶりにリビングに布団を敷いて一緒に寝た。
家の電話が鳴るたびに震え、病院からじゃないことを祈りながら電話に出て、ピークの時は「そんなことで電話するんじゃねえ!」と怒鳴った時もあった。
そして、手術から12日後、運命の日を迎える。
病院から電話があり、覚悟を決めて電話に出ると、都内にある心臓に特化した病院の医院長がわざわざ来ると言うのだ。理由も分からず、夜22時を回った頃病院へ2人は向かった。
主治医が神妙な面持ちで「どうぞ」と座るように促す。
その隣には他院の医院長が座っていた。
主治医は相当言いづらかったのだろう。口が乾ききって何度も唇を舌でなぞっていた。
「息子さんは、大変危険な状態に変わりありません。そこで、この先生の病院で手術することを勧めます。その手術は……」
内容はこうだ。
このまま意識を戻すか分からない
その手術は心臓をパイプでつなぐもので、言葉以上に重い手術だが意識を戻し、院内であれば自由に動け、院内であれば外の空気も吸える、食事もできる
しかし余命は最大4年。
……死刑宣告だった。
お袋も親父も涙が出なかった。受け入れられなかったのだ。震える手を抑えながらお袋が口を開いた。
「よ、4年……ですか。今までその手術をした人は4年生きたんですか?」
「前回、と言っても7年前に受けた人は1年でした」
意味がわからなかった。7年前ということは7年間この病状で入院した患者はいなかったということだ。それはそうだ、適した薬もなければ、目を覚ました前例がないのだ。それほどの病気なのだ。
親父が静かに口を開いた
「先生、僕の心臓を息子にあげることは出来ますか?死に方はなんでもいいです。僕は60年以上生きました。もう何もしたいこともありません。僕がそこから飛び降りれば、心臓をあげてもらえますか?」
真剣だった。嘘偽りはなかった。そんなこと、法律上出来ないことくらい、少しは想像出来たはずだ。でも、その思いに少しの迷いもなかったのだ。
「お父さん、気持ちは分かります。ごめんなさい。」
「明日の朝6時半に搬送します。しかし、無事に向こうの病院へつく確率は6割。車の揺れに息子さんの心臓が耐えられるかが勝負です。」
こんなことがあるのだろうか。先日まで笑顔だった息子が倒れ、心臓の病気だと言われ、生存確率2割と言われ、4年間生きられる「かもしれない」手術に臨むために病院を移す。そこへ行くことすら6割の話なのだ。
2人は何も言い返さなかった。
お袋は僕のそばに来て足を擦りながら耳元で囁いた。
「絶対向こうで会おうね」
もう、ここで目を覚まして、普通の生活に戻ることを諦めた瞬間だった。
2人は無言のまま荷物を詰めた。無言だが、涙は止まることを知らない。そもそも流産を経験したお袋が僕を五体満足で産む確率すら元々低かったのだ。
母体も問題なく、僕にも問題なく出産を終えたことすら奇跡のようなものだった。
なのに
今、息子は10数本の点滴に打たれ、酸素マスクをつけ意識をなくしている。
こんなことがあるのだろうか
眠れるわけがなかった。時間だけが無情にも過ぎていった。数日前までこのリビングで喧嘩したり、笑いあったりしながら食事をしていたのだ。
なんなんだこの殺風景な空気は。嘘みたいだった。
朝を迎え5時半、電話が鳴った。
……覚悟した。搬送どころではないことを。
「もしもし……」もう涙は溢れている。
「お母さんですか?息子さんの数値が少し良くなったんです。なので、搬送を見送ります。今週は私どもの病院にいますので、また会いにいらしてください」
お袋は涙を流しながら親父に抱きついた。
「1週間……様子見るって」
助かった訳でもないのに何故か安堵の涙が溢れていた。
そしてその日の昼。お袋が先に病室へ着いた。
「お母さん、おはよ。2週間も意識なかったの?俺。危なかったのかな?心配した?」
「バカ息子……」
終
読んでくれた皆様、有難うございます。これが小説?と思ったと思います。僕もそう思います。笑
でも、生きているって素晴らしいですよね。
命に、仲間に、助けてくれた人に、そして親に、感謝しています。