盆踊りして
僕達は盆踊りの会場へ向かった。けれど、鮫島先輩は祖父を探すそぶりもない。こういう辺り、やっぱりこの人はよくわからない。
「あの、おじいさんとは合流しなくてもいいんですか?」
「え? なんで? 盆踊り踊っていくでしょ?」
全てが読めない状況にいた。鮫島先輩は他の人達と一緒に盆踊りを踊るような人じゃない。どういう風の吹き回しでここに集まったのだろうか。当然、おじいさんの盆踊りを見る為でもない。
スピーカーからややひび割れた音頭が流れ始め、人々がやぐらを囲い始める。そして僕達も、その円の弧となる。
そして鮫島先輩は、あろうことか僕と向かい合い、ほっそりとした手で僕の手をむんずと掴み、もう片方の手は僕の肩口をひっつかんで――よもや社交ダンスの構えで踊り始めた。
音頭のリズムなんぞ振り切り、滅茶苦茶な歩幅で、盆に帰還せし死者からすらも奇異な視線を浴びせかけられるような、輪を――和をかき乱すスウィング。
その時の鮫島先輩が、こんなにも晴れやかに笑っている様を、僕ははじめて見えた。先輩の顔は高揚に上気し、滲み出る汗が瞬いて見えた。
「先輩これ、ヤバいですって色々と!」
目立って仕方がない上に、彼女の祖父だってこの乱痴気を見ているのだ。気まず過ぎる。粛々と盆踊りをしていた人達の視線で、皮膚が炙られるようだった。
「なんで盆踊りを踊っている時に、盆踊りしなきゃならないわけ?」
「盆踊りだからですよ!」
間違ったことを言ったハズはないが、恥ずかしさと暗黒盆踊りで僕はゲシュタルト崩壊しかけていて、正直、自分にイマイチ自信が持てない。
「楽しいでしょ!? ねえ楽しいでしょ!?」
「イカれてる!」
まるでお互いを振り回すような、盆踊りならぬ盆暗踊りを続けていると、いよいよ熱さで脳みそが痛んできたのか、だんだん生臭さが鼻の奥にわだかまっているような気がしてきた。
「時はあああああああ来たれりいいいいいいいい!」
にわかに叫ばれるドウマ声に、盆踊りは中断された。スピーカーから流れていた音頭も唐竹を割るように途切れる。
やぐらの上に、一人の老人が立っていた。
「おじいちゃん!」
鮫島先輩は叫んだ。え、あのやぐらの上にいるのが先輩のおじいさん? 夏祭りの運営委員会に関わっていたのか、とか勘ぐっていたのも束の間、
「キサマら愚民がヘラヘラ盆踊りを踊ってくれたお陰で、邪神ゾンビシャーク復活の儀式を成功させてくれてありがとう!」
鮫島先輩のおじいさんは、文法がおかしい日本語で素っ頓狂なことを言い出した。
「じゃあ、儀式は成功したんだね、おじいちゃん!」
とうとう鮫島先輩もおかしなことを言い始めた。空には渦を巻く暗雲が立ち込め、紫色の閃光と共に雷鳴すら鳴り響く。この二人の狂気が、世界を蝕み始めたかのようだった。
「ぐはははははは!
我が主うううう、来ませえええええええええりッ!
其の名は、邪神ゾンビシャーク!」
名状しがたいその名前は、ともすれば海外のB級、いやC級パニックホラー映画を彷彿とさせる、チープで間抜けたものだった。
僕が混乱しているのも束の間、雷霆がやぐらに激突し、やぐらが粉砕される!
「大変だ! 離れろ! 離れろ!」
盆踊り参加者が、慌ててやぐらから離れる。僕達も早く逃げないと! けれど先輩は、そのやぐらが崩れ落ちる様を、うっとりと惚けながら見つめていた。
「先輩! なんかよく分からないけど、危ないですよ!」
「危ないぃ? 別にいいじゃない。これから世界は滅ぶんだから」
世界が滅ぶ? 何言ってるんだこの人は?
「ほら、ごらん。世界を滅ぼす邪神ゾンビシャークを」
崩れて粉塵が舞うやぐらからは、卵が腐ったような硫黄臭と共に、何かが跳ねているような影が見えた。
「かつてこの地には、村一つを飲みこんでしまうほど、大きな大きな鮫がいた。
鮫は入り江から現れて、村を飲みこみに来る。
村を飲みこむ度に、鮫は大きくなっていく。
とある村が、生贄に娘を入り江に差し出した。
たまたまそこを通りかかった坊主が、不憫に思って法力で鮫を退治し、この地に封印した。
以来、毎年ここで盆踊りをすることで、鮫を鎮魂していた。
でも、その和を崩すと鮫は荒ぶり、再び村を飲みこむ――」
先輩は恍惚としたしたり顔で、この地にある伝承を語り始めた。その伝説は、地域民俗研究会の僕も知っている。
でもまさか、そんなことが本当にありえるのか!? みんなが盆踊りしてる時、僕達だけが下手くそすぎる社交ダンスを踊ったくらいで!?
砂埃がおちついたやぐら跡を見る。
ありえた。そこには鮫がいた。大きな鮫だ。それも、ところどころの鮫の肌が腐りおちた、おぞましい姿の鮫が。
びちびちびちっ!
地表のど真ん中で復活した邪神ゾンビシャークは、真っ黒な瞳で宙をにらみ、地面でひたすら巨体をのたうちまわさせていた。
びち、びっち、びっち、びち!
「ふはははは! ゾンビ邪神シャーク様! どうかこの地球をお召し上がりください!」
やぐらの残骸を跳ねのけて、鮫島先輩のおじいさんが叫び始めた。あっけに取られる僕。困惑する群衆。なんだかよく分からないけど、世界を滅ぼしたくてウズウズしてる鮫島一家。
「……え、この陸に上がった鮫じゃ無理でしょ?
そもそも、名前は邪神ゾンビシャークじゃ?」
そう言わずにはいられなかった。確かに鮫は大きい。でも鮫は鮫だ。魚類である。水の中じゃないと生きられない。当然、自由にも動けない。
「やかましい! くそ生意気なガキめ!」
マジでなんなんだよこの爺さん!
「アンタ本当なんなのよ! またそうやって良い子ちゃんぶって!」
「いや、世界を滅ぼすとか、正気か!?」
「どうせ、人と人とは分かり合えない。他人なんてうっとうしいだけでしょ!? だったら全部壊してしまえば良い!」
「ちがう、そうじゃない! あんなビチビチやってるだけの鮫を呼び出して、世界を滅ぼすとか正気か!?」
彼女は涙目になって僕を睨み、往復ビンタをかまして、おまけに金的蹴りまでかましてきた。
「うんぬッ!?」
正論はむしろ、より大きな反発を生むものだった。睾丸に与えられた衝撃が昇りつめて、下腹部に重い痛みが拡がっていく。
「孫娘よ! 今すぐ、雨乞いの儀式を始めるのじゃ! 竜巻を呼び起こして、それに邪神ゾンビシャークをライドさせて、街を襲わせて人間共をゾンビにするんじゃあ!」
何言ってんだこの爺さん!? 頭大丈夫か!?
「みんな、チェーンソーを持ってきたぞ! このクセえ鮫をやっつける!」
「でかしたぞ鈴木ぃ!」
たまたまどっかからチェーンソーを調達してきた鈴木という筋骨たくましい男が、けたたましい鋸を振り上げて、跳ねまわる鮫に躍り掛かる。動き回っているものをチェーンソーで切るって、もの凄く危ないと思うが、鈴木という男はやってのけた。
鮫の血とつみれみたいに潰れた肉が――あ、いやエグいからやめとこう。
とにかく、鈴木氏の見事なチェーンソー捌きによって、邪神ゾンビシャークは俄かに討たれたのだった。
あまりにも唐突で荒唐無稽な怒涛の展開の中でも、群衆はなんとなく大喝采。
皮肉にも、鮫島先輩の言っていた『合いの手を合わせた同じ瞬き』の圧勝だった。勝負にすらならなかった。絶対的な彼らを凱旋するかのように、花火が打ちあがった。火花が放射状に飛び散る様は、丁度闇にキラキラと光る星々に噛みつこうとオトガイを開け、その瞬間に消え去ったあぎとにも見えた。
あっけなく、そして結果の分かり切っていた野望の顛末に、鮫島先輩は膝が崩れて尻餅をついた。僕は、呆然としている彼女をいつまでも見下ろしていた。




