緑色、、、からの黄色
選手紹介の直前、蛮はコーナーで膝をつきリングシューズの紐を締め直している。
麻痺により胸元へと折り畳まれたままの右腕だが、どうやら指先だけは僅かに動くようで、器用に使って紐を結んでいる。
レフリーを務める新木は、それが終わるのを待ってから両者を中央へと呼び寄せた。
アナウンスが鳥居の身長・体重・所属団体を紹介し、最後にその名をコールする。
人数の増えた客席からは、拍手と歓声が吹雪の様に降り注いだ。
動く右腕だけを高く掲げ、小さく四方へと頭を下げながらそれに応える鳥居。
そして数瞬の間を置き、今度は蛮にコールの順が回った。
鳥居の時と同じく、アナウンスの声は抑揚無き淡々とした物、、、しかし蛮にはそれすらも不服であった。
(なんやテンション上がらんコールやなぁ、、、もっとこう、、、選手を昂らせる言い方っちゅうのがあるやろ~)
唇を左右にモゾモゾと捻りながら、その不満を遠慮無く顔に出している。
そしていよいよ、その名がコールされたその時である、、、事件は起こった。
「グラップス所属、、、ビッグ・蛮 選手!」
リング中央で高々と掲げられた左手は、その指で天を指していた。
そして自らが指差す天を仰ぐ様に見上げると、その口から緑色の液体を吹き上げたのだ。
それは宙空で霧散し、霧状となって辺りに舞い降りる、、、
「毒霧」
多くのプロレスラーが演出に、そして反則技に用いるギミックである。
アマチュアの、、、それも総合格闘技のリングでは決して目にする事の無い光景に、一瞬水をうったような静けさが会場を包んだ。
しかしそれは白けたからでは無く、信じられない物を見せられ呆気に取られたからである。
その証拠に直後には、爆音の如き歓声が先の静けさを喰い潰していた。
実は先程リングシューズの紐を締め直したのはプラフだった。
紐を結ぶふりをしてその実、靴の中に隠した液体入の小袋を取り出したのだ。
そして顔の汗を拭う動きをして、それを口に含んだのである。
コールの最中、唇を捻っていたのは、その小袋を潰していたのだろう。
蛮の行為により、緑色の雨跡がマットに斑点を描く。
己のギミックに酔いしれ、自らの喉元を手で抑えながら、緑に染まった舌を出す蛮。
しかし、、、
得意満面でパフォーマンスを続ける彼が、突然現実に引き戻された。
眼前に突き付けられた「物」を目にしたからである。
その「物」はレフリー新木の手に握られていた。
その「物」は黄色かった。
その「物」は四角かった。
その「物」はイエローカードと呼ばれていた。
前代未聞!!試合開始前のイエローカード呈示!!
「なんでやねんなっ!?別に相手に吹き掛けた訳ちゃうやんかっ!ルールに試合前、毒霧のパフォーマンスは禁止とは書いてへんでっ!!」
喰ってかかる蛮に新木は
「それ見てみ」
と言って指で下を指し示す。
するとそこには雑巾を手に、3人がかりでリングの液染みを擦るボランティアの姿があった。
「あ、、、」
「あ、、、とちゃうわっ!アホッ!!
お前の行動のお陰で試合の開始は遅れるわ、関係者に迷惑はかかるわで、ええ迷惑やっ!!
ルールの(スポーツマンとしてあるまじき行為)ってのに十分該当しとるねんっ!それが警告の理由やっ!文句あらへんなっ!?」
ただでさえ堅気と思えぬ風貌の新木が、強い口調プラス巻き舌で畳み掛ける。
その迫力に思わず肩を竦めた蛮が、力無く一言返す。
「えろぅすんません、、、」
その様子を見ていた鳥居も失笑していた。
(こいつ、おもろい奴っちゃな)
是非はどうあれ、この件で幾らかリラックス出来た鳥居。
それに対して蛮は、頭をボリボリ掻き毟りながらこんな事を思っていた。
(なんや窮屈やなぁ、、、格闘技って、、、)




