染まる、、、
「言ったよね?立たせて殺す、、、って」
怖い台詞を口にした花山。
己の義足へと絡み付くその腕を徐に剥がし取ると、そのまま島上の背中の方へと回し固めた。
スタンディング・アームロック。
立ち関節の認められるシュートボクシングでは時折見られるこの技。
しかしルールで立ち関節を認めていない柔道出身の島上は対処が出来ず、されるがままに極められてしまった。
花山が極めたその腕を、ゆるゆると目の高さまで持ち上げて行く。
絞り上げられた島上の肩関節が、ギリギリと悲鳴をあげる、、、
喰い縛った島上の歯がギリギリと軋みをあげる、、、
苦悶の表情に脂汗を浮かせた島上、膝立ちだったはずのその身が、痛みからたまらず立位へと変わっていた。
「ほ~ら、立った♪」
子供に接する母親の様に優しい口調で言う花山だが、その表情は爬虫類の様に冷たい。
リング中央、逃げ場も無くこのまま決着か?
誰もがそう思ったその時、信じられない事に花山は折角捕らえた島上を解放した、、、
呆気ない程に、何の未練も無く、、、
咄嗟の出来事に状況を把握出来ず、島上が呆けた顔を花山へと向ける。
すると冷血動物を想わせる表情のままで花山が言う。
「宣言通り立たせたでしょ?次は殺す番、、、打撃でね」
「くっ、、、!」
焦りと羞恥で顔を歪ませる島上だが、返す言葉は何一つ出てこなかった。
「勝負、、、見えたな、、、」
崇がぼそりと呟くと、吉川も無言でそれに頷く。
自らの土俵に引きずり込もうとして、それが成せなかった時、人は負のイメージが連鎖してしまうものである。
何をやっても返されてしまう気がして、どんどん手が出せなくなってゆく。
今の島上はまさにその状態と言えた。
実は島上が行った奇策には、ある1つの大きな理由があった。
それは隻眼であるが故の理由。
ボクシングの試合を観ていると、腫れ上がり片目の塞がったボクサーが、面白い程にパンチを喰らうシーンをよく目にする。
あれは遠近感が狂うと同時に、塞がった側からの攻撃が全く見えなくなるからであるが、隻眼の島上は元からその状態と同じなのだ。
だからこそ選んだ戦術がアレだった。
つまりは最初から立って闘う意志は皆無だったのである。
打撃に付き合うつもりの無い島上と、寝技をするつもりの無い花山、、、
似ている様にも聞こえるがそうでは無い。
打撃を畏れて逃げの戦法を選んだ島上と、打撃で組技に勝つ事を目指してきた花山ではその中身は全くの別物である。
そして今、畏れから組みに行けなくなってしまった島上、そんな彼女が打撃のスペシャリストである花山と、立って闘う事を強いられている、、、だからこそ崇は言ったのだ、勝負は見えたと。
ここからの光景はあまりに凄惨で、まさに地獄絵図であった。
覚束無い打撃しか使えず、防御すら儘ならない島上に対し、花山のえげつない攻めが降り注ぐ。
敢えて花山は、島上の見えない左側からの打撃を容赦無く多用したのだ。
右フックや右ハイキックまでもが容易く吸い込まれてゆき、見る間に島上の顔と胸元が朱に染まった。
しかし何発貰っても島上は倒れない。
恐らくは最後に残された意地、、、
小っぽけながらも大きな意地、、、
それだけが彼女の足を支えているのであろう。
レフリーの三島はこれ以上は危険と判断し、試合を止めようとしていた。
島上のセコンドもタオルに手をかけている。
島上本人もそれを察したのだろう。
止められるくらいなら、、、そんな想いが見える玉砕覚悟のタックルを強引に仕掛けて行った。
しかし神風が吹く事は無く、、、
花山の膝蹴りがカウンターで突き刺さり、崩れ落ちる様にしてマットへと沈みゆく島上。
ダウンカウントを数える事無く、レフリーの三島が己の手を頭上で大きく交差させた。
ゴングがけたたましく打ち鳴らされる中、朱く染まったボロ雑巾の様に横たわる島上。
雪崩れ込んだセコンドが声を掛けると、意識はあるらしくちゃんと返事を返している。
ハート型の眼帯も吹き飛び、窪んだ眼窩を晒しながらも何処か満足気な表情に見える島上。
実質、何もさせて貰えない内容だったが、経過はどうあれ最後は、、、最後だけは格闘家として散れた事がその理由だろうか、、、
セコンドに介抱される彼女の脇に花山が屈み込み
「アンタ、、、最後だけは格好良かったよ」
その一言だけを伝えると、勝ち名乗りの為にレフリーの元へと戻って行った。
8分7秒(中断時間は含まず)
この異質な闘いは幕を閉じた。
そして鳴り響く拍手の中、未だ横たわったまま笑顔を携えた島上が、一言こう洩らした。
「なんか、、、なんか気持ちいいや、、、」




