距離と視点と速度
ゴングが鳴り、花山が構える。
一見すると普通のアップライトだが、それは堂に入った物だった。
倒され、マウントポジションを取られてしまうと、8割方勝負が決するバーリ・トゥードでは、危険過ぎてアップライトに構える選手はほぼ居ない。
しかしロープブレイクが認められ、各々の格闘技が持ち味を発揮出来るロストポイント制では、多くの選手がこの構えを選択する。
それでも寝技を警戒し、少し前傾姿勢にしたり、重心を落としたりして何らかのアレンジを加える物だが、花山のそれには何の迷いも感じられない。
まるでこの試合が立ち技格闘技の試合であるかの様に、当たり前の事としてその構えを取っている。
それは己の身につけた技術への自信というよりも、シュートボクシングその物への深い信頼が感じられた。
ところがである。
この構えを目にしながら、驚く事に島上はノーガードで前に出て行く。
まるで路傍を歩むが如く、、、
「誘っとるな、、、」
崇がボソリと呟き、吉川が無言でそれに頷く。
明らかな挑発。
(貴女の出来る事、全て私にやってごらんよ。出来るなら、、、ね)
島上の行為は無言でそう言っている。
そして同時に花山へ2択を迫る事にもなっていた。
花山からすれば距離を保ちたい為、前に出る島上を止めるには何らかのアクションを起こさねばならない。
しかしそれを承知で島上は前へと出ている、、、花山が打撃を出すタイミングで組みに来るのは明白である。
かと言って距離を取ろうと逃げ回っていては、いずれロープ際あるいはコーナーに詰められ、更なる窮地に立たされる事となる。
組まれるリスクを恐れず仕掛けるか、追い詰められるリスクを背負いながら逃げて機を窺うか、、、
花山が選んだのは当然の如く前者であった。
花山が下がり島上が前に出た瞬間、鞭打つ様な音が響き、島上の頭部が後方に弾けた。
「、、、あれ?」
そう言って島上が指先で顔を拭う。
するとそこには赤い物が纏われていた。
それはみるみる溢れ、リングに赤いドットを描き始める。
大量の鼻血、、、ドクターチェックを入れる為にレフリーが試合を一旦止めた。
「見えたか?今の、、、」
会場隅の壁に凭れかかり、腕を組んだ姿の崇が吉川に問う。
すると全く同じ格好をした吉川がそれに答えた。
「うん、一応。でもかなり速いね、、、第三者視点やから見えたけど、リング上で対峙してたらあんなん見えへんよ、、、」
吉川の言う通りである。
物の速度の見え方は距離や視点によって異なる。
遠くから見るとゆっくりに見える飛行機や新幹線だが、至近距離では目で追えぬ程の速度に感じる。
もっと解りやすく例えるなら野球中継だろうか。
テレビで見ていると軌道が判るピッチャーの投球でも、当事者としてバッターボックスに立つとそれが出来ない。ましてや眼前から迫るのだから尚更だ。
格闘技における打撃もそれと理屈は同じである。
花山が出した技、それは何の変哲も無い単純な左ジャブ。
ただし、わざと下がり、それを追って島上が1歩踏み出した所へ、自らも前へ出ての一撃だった。
格闘技において最速の技と言われるジャブ。
互いが前に出た事で距離が縮まり、島上には更に速く感じられた事だろう。
それがカウンターで襲って来たのだ、ノーガードの島上には喰らう以外に手は無い、、、
しかしどうやら折れてはいないらしく、止血処理だけ施され試合が再開された。
リング中央で握手を交わす2人。
「文句は無いよね?」
花山が言う。
「勿論よ」
島上が答える。
交わされた掌と言葉を断ち、再び距離を取った両者。
又も花山はアップライトに構えるのだが、続く島上の行動に会場は大きくどよめいた。




