いないいないバア~
「やるやんっ!」
「やったねママ♪」
ニュートラルコーナーに凭れる吉川へ、崇と藤井が声を掛けた。
しかし吉川に浮かれた様子は無く、2人の言葉に対してもチラリと1度視線を走らせただけだった。
「ママ、、、嬉しく無いのかなぁ、、、」
寂しそうに藤井が呟く。
「いや、、、これでいい」
そう答える事で崇が安心させようとした。
いや、、、事実、崇は吉川の姿に安心感を得ていたのだ。
今のダウンは謂わば奇策を用いて奪った物である。
まして相手は格上の保科、ローキック1発で沈むはずなど無い、、、必ず立って来る。
その事を自身が理解しているからこそ、吉川は喜びを見せていないのだ。
「これでいい」という先の言葉は、心に隙を作らぬ吉川に対する崇なりの賛辞である。
「ファ~イブッ!!」
「シ~クスッ!!」
ダウンカウントが半分を超えた。
「立たないね、、、」
藤井が両拳を白くなる程に握りしめながらリング上を見つめている。
心のどこかで
(このまま勝てるかも)
そんな淡い期待を抱いているらしい。
しかし崇の答えはそんな期待をバッサリと切り捨てた。
「いや、立つ。休んで回復図っとるだけや。カウント9で必ず立つ」
「、、、だよね」
藤井がそう言いながら視線を落とす。
「顔を上げてちゃんと見とけっ!ママを勝たせたいんやろっ!?」
崇の檄を受け、藤井が顔を上げる。
そこにはもう落胆の影は無く、力の宿った眼差しが戻っていた。
崇の予告通り、カウント9で保科が立ち上がる。
状態を確かめる様に右足を曲げ伸ばしすると、納得したらしく1つ小さく頷いた。
レフリーが両者をリング中央へと呼び寄せると、保科と吉川が視線をぶつけ合ったまま歩みを進めた。
クリーンヒットを許した瞬間こそ怒りを露にしていた保科だが、ダウン中ダメージと共に心の回復も図ったのだろう、今は闘志と平静のバランスが保たれているように見える。
対する吉川も1ポイント先取したアドバンテージ等は無かったかの様で、その冷静な佇まいからは驕りや油断といった類いは微塵も感じられない。
そんな両者が再び構えを取り対峙する。
そこへ試合再開を告げるレフリーの声が響いた。
吉川は又もサウスポースタイルで上体を揺らしている。
しかし保科は少し違っていた。
相変わらずオーソドックスではあるが、先よりも少し前傾姿勢で、クラウチングスタイルに近い形となっている。
更には両前腕で顔の前に壁を作り、上体を止める事無く左右に振り始めた。
「ピーカブースタイル」
いないいないバア~の形に似ている事から、ボクシングでそう呼ばれる構えである。
それを見た崇は危険を感じたらしく、隣の藤井がビクリと身を震わせる程の声量でアドバイスを飛ばした。
「インファイトで来るぞっ!絶対に打ち合うなっ!!」
ピーカブースタイルは、リーチの短い者がインファイトに持ち込む為の構え。
鉄壁とも言える顔面の防御で、多少強引にでも間合いを詰める事が出来るが、その代償としてボディの防御は手薄となってしまう。
つまりは突進力・打撃力・頑強なボディ、それら全てが揃った者にのみ使いこなせる、選ばれし者の構え。
それを保科が用いたという事は、、、
嫌な予感から崇がリング下で爪を噛む、
その顔は僅かばかり汗ばんでいた。
それを見た藤井も不安に駈られ、祈る様な目でリング上を見つめている。
吉川が右ジャブで間合いを保とうとする。
1発、2発と連打し、少しタイミングをずらして3発目を放った。
最初の2発は上体を振った保科には当たらない、しかし3発目だけは上手く正面を捕らえていた。、、、が、前に立てられた腕の壁に阻まれ、顔面には届いていない。
そのまま保科が更に前へと出たっ!
吉川が前蹴りでそれを突き放すっ!!
放った前蹴りは保科のボディを捕らえ、2人の間に少し距離が生まれた。
しかし、、、これは悪手であった。
吉川が蹴り足を引くタイミングで、保科が一気に間合いを詰めたのである。
頬一杯に空気を溜め、拳を振り上げた保科が吉川の眼前に迫るっ!!
「ガードッ!!!」
崇のその声に反応し、吉川が咄嗟に両腕で頭部を包んだ!
しかしガードなんてクソ喰らえとばかりに、保科がその拳を振り下ろし、凄まじい音と共に吉川の身体が浮いたっ!
たった一撃の右フック、、、それだけで吉川の身体はロープ際へと運ばれたのである。
ロープを背にした吉川へと、更なる追撃が襲いかかるっ!
「マ、ママ~~ッ!!」
大きくうねる歓声の中、悲鳴にも似た藤井の叫びは一際大きく響いていた、、、




