スイッチ
「お前、知っとったん?」
「ううん、、、僕も初めて見た、、、」
崇と藤井が目を点にしながら言葉を交わした。
そんな唖然とする2人の眼前で構えを取る吉川の姿、、、それは右腕・右足が前となっていた。所謂サウスポースタイルである。
その構えに移行し2、3度軽くステップを踏んだ吉川。
その動きに何等ぎこちなさは見えず、オーソドックスに構えた時と遜色無く動けている。
しかし吉川は先天的な両利きでは無い。
以前グングニルでの練習に於いて、彼女のスパーリングパートナーをサウスポーの女性会員が務めた事があり、その時に吉川はサウスポー相手のやりにくさを知った。
それからの吉川は左も使えるようになる為、日常生活で積極的に左手を使う癖をつけ、身体の動かし方も左右対称で行えるようにと訓練を重ねていた、、、誰にも知られる事無く。
だがその姿を見ても保科は、顔色1つ変えなかった。
彼女の長いキャリアの中では、当然の事ながらサウスポーを相手にした事など幾度もあった事だ。
(どうという事は無い、、、)
保科は心の中でそう呟いていた。
オーソドックスとサウスポーが闘う場合、必然的に互いが攻めにくくなる。
例を出すと、オーソドックス同士ならば利き足の右でローキックを打つ時、最も当て易いのは最短距離で届く相手の左足である。
しかし相手がサウスポーとなると、その左足は奥にある為、当てるには深い踏み込みが必要となってしまう。
そうなると狙うべきは右足となるのだが、対角線上にあるそれに当てるには、距離を調整する為のサイドステップやバックステップが必須となり、どうしても1つ多くの予備動作が付き纏う。
勿論、ただ当てるだけならばそこまでの必要は無いが、ダメージを与えるのが目的ならばそういう事になる。
パンチにしても同様であり、つまりは本来狙い易い標的が、最も遠くなる事で攻めにくくなるのだ。
しかしそれは先にも記した通り、御互い様の事、、、攻めにくいのは吉川にしても同条件である。
そうなるとある意味、キャリアのある保科の方が有利と考える事も出来る。
だからこそ保科は思ったのだ
(どうという事は無い)と。
涼しい顔のまま保科が左ジャブで様子を見る。
1発、、、2発、、、
それを吉川が前にある右手で払い落とす。
1発、、、2発、、、
(チッ!)
保科が舌を鳴らした。やはり吉川の右手が邪魔と見える、、、
対する吉川もお返しとばかりに右でジャブを飛ばした。
1発、、、2発、、、
同じように保科もパリーでそれを叩き落とす。
1発、、、2発、、、
まるで将棋の「模写矢倉」のような攻防、、、しかし同じなのはここまでだった。
吉川はジャブを2発放つと、すかさずオーソドックスにスイッチし、深い踏み込みから右のローキックを走らせたのだ。
鞭打つかの様な破裂音が響き、保科の顔に皺が寄る。
同じ動きで来るとタカを括り、明らかに油断していた保科。
ましてや再びスイッチしての右ローである。
反応出来る訳も無く、体重のかかる軸足にモロに喰らっていた。
寝技も使えるとは言え、保科は打撃のスペシャリストである。
その自分がファーストアタック、、、両者にとって初のクリーンヒットを許してしまった。
それも格下の相手に、、、怒りと羞恥が保科を染める。
そんな彼女がイニシアチブを取り戻そうと、多少強引に間合いを詰めに行く。
しかし1歩踏み出したその時、異様な感覚が彼女を襲った、、、
(!?)
先程ローを受けた右足、、、
そのダメージは想像よりも大きく、歩みを出した瞬間に吸い取られたかの様に力が抜けたのだ。
体重を支え切れぬ右膝は、枯れ枝の様に力無く折れ曲がり、保科の身体はリングの引力に容易く引き寄せられた。
陸上競技のクラウチングスタートの形でマットに手をつく保科、、、
直ぐに立ち上がろうと試みるが、足に力は戻らず子鹿の如く震える事しか出来ない。
「ダウーンッ!!」
レフリー朝倉の宣告が会場に響き渡った。
「ワーンッ!」
「ツーッ!」
ダウンカウントの進む中、リング上に目をやったままで崇が呟く。
「コンビネーションにスイッチを組み込む、、、お前のママのセンスときたら、とんでもねぇな、、、」
それを受けた藤井も、リング上から目を離さぬままで頷く。
そしてその顔は吉川と感情を共有する彼らしく、とてもとても誇らしげであった。




