新説 蜘蛛の糸
「どない思う、福さん?」
結果について大作が問う。
どうやら今一つ納得出来て無い様子で、唇が(ひょっとこ)の様にひん曲がっている。
「その顔やとどうやら俺と同じ意見みたいやな。いまいちピンと来ない、、、違うか?」
問われた崇も似た様な顔つきになっている。
それを受け大作は1つ頷くと、頭を掻きながら自分の意見を述べ始めた。
「あのパンチ、故意かどうかの判断は正直難しい、、、微妙な所よな?
松井さんのパンチが来ると思って、反射的に出してしもたんやとは思うけど、当ててもうた事は事実やしなぁ、、、」
「あぁ、、、実際、松ちゃんは本気の拳を向けてたからなぁ。あれを打ち込んでたら勝敗は逆になってた、、、なんで止めたかは知らんけど、よく思い止まったもんや」
顎をポリポリ掻きながら、顰めっ面の崇が答えた。
「、、、どうする?」
探る様な、それでいてすがる様な眼差しを崇へと投げた大作。
それを見返して困惑しながら崇が言う。
「俺に訊くなって!さっきも言うたけど責任者はお前やっ、お前が決めろ」
大作がリングへ目を向けると、松井が担架に乗せられる所だった。
しかし大作の視線は松井では無く、リングに座したまま愕然と項垂れる鈴鳴に奪われていた。
本部席に目を戻し、無言で実行委員の面々を見つめた大作。
それを受けた実行委員、大作の言いたい事が理解出来たのだろう。彼等も無言のまま頷き「任せるよ」と答えた。
意を決したかの様に立ち上がった大作。
「俺、やっぱ納得出来ん、、、ちょっと行ってくるわっ!」
そう言うと小走りで本部席を後にする。
崇は微笑を携えてそれを見送った。
リングに着くと直ぐ様レフリーの三島へと声を掛けた大作。
その視線の端には、セコンドに促されようやくリングを下りようとする鈴鳴の姿が映った。
僅かながらも、未だに飛ぶブーイングの中、大作が三島へと事情を説明する。
「、、、わかった。大ちゃんがそう決めたなら俺は従うだけや、、、」
そう言いながらも三島の表情は流石に固い。
「ごめんな、三島さん。今度、飯でも奢るからさ、、、」
両手を合わせて頭を下げた大作が、ちょろっと舌を出して詫びる。
本来なら判定にクレームを入れられるというのは、レフリーとして面目を潰されるにも等しいのだが、不思議な事に大作の愛嬌の前ではそんな想いすら掻き消されてしまう。
思わず表情を緩めた三島、深く鼻から息を吐くと、肩を竦めて頷いていた。
丁度それは、セコンドに担がれリングを下りた鈴鳴が、車イスに座したタイミングだった。
大作がそこへ声を掛ける。
「下原選手、控え室に戻るんは少し待っててくれ」
そう言ってウインクして見せた大作に対し、何んの事やら解らず戸惑った表情の鈴鳴陣営。
それを尻目にリングへと駆け上がった大作は、マイクを握ると四方へと頭を下げて見せた。
ラグナロク主催者であり、グングニル代表。
そして現役スター選手である男の登場に会場が湧く。
無言のままリングに立ち、その熱が冷めるのを暫し待つ、、、そして大作は静かに口を開いた。
「只今の試合結果につきまして、皆様に御報告申し上げます」
その言葉に再び会場がざわつく。
「下原選手の拳による攻撃、あれが故意であるのか、、、その事について本部席にて議論致しました」
本部席では、崇を除く実行委員の面々が苦笑していた。
それはそうである。
実際は議論などしておらず、崇との雑談紛いの中ほぼ大作の独断で決めたのだから。
崇が申し訳無さそうに実行委員へと頭を下げるが、皆は笑顔で手を振ってそれに応えた。
再びリング上の大作。
「状況をご説明しますと、組み合っている最中に距離を取る為に突き出した下原選手の左手、これが偶然にも松井選手の顔を捉えてしまった、、、これが事の発端でした。
これに激昂した松井選手は、明らかに当てるつもりで拳を振り上げました。
結果的に思い止まり、拳を止めはしましたが、これに反応した下原選手が本能的、あるいは反射的に右拳を突き出してしまった、、、
つまり故意的では無いと我々は判断致しました。
ルールに基づきますと、イエローカードによる警告が妥当となりますが、松井選手にダメージがあり試合再開は不可能。
よって、この試合を勝敗無しの無効試合とし、後日グングニルのリングにて再試合という処置を取らせて頂きますっ!!」
言い終えると歓声の中で一礼し、そそくさとリングを下りた大作。そしてリング下で待っていた鈴鳴へと目を向ける。
そこには信じられない物を見るかの様な顔つきの鈴鳴陣営が佇んでいた。
無理も無い、、、自分のジムの選手に1度下った勝利の判定、それを間違いだと言って代表自らが取り消したのである。
なかなか出来る事では無い。
唖然と見つめてくる鈴鳴に大作が問う。
「うちでの再戦、、、文句は無いな?」
身体に電流が走り、武者震う鈴鳴。
ようやく自分を取り戻したらしく、強い目力で黙って頷いて見せた。
喩えるならば先までの鈴鳴は、大きく口を開けた深淵の上で、1本の糸にぶら下がった頼りない存在と言えた。そう、名作「蜘蛛の糸」の様に、、、
いつ再び闇に沈んでもおかしく無い状況を、大作が救ったと言っても過言では無い。
事実あのままの判定ならば、鈴鳴は深淵に飲み込まれていただろう。
勿論、大作も崇も鈴鳴の暗い過去や、闇に沈みかけていた現状を知っていた訳では無いが、結果的に救いの手を差し伸べていたのだ。
そしてこの蜘蛛の糸では、その手が糸を断ち切る事は無かった。
鈴鳴は無事に糸を登りきり、己を取り戻したのである。
そんな彼の返答を見届け、背を向けた大作。
そこへ初めて鈴鳴が声を発した。
「ありがとう、、、」
一瞬歩みを止めた大作だったが、振り返らぬままで肩越しに手をひらつかせると、そのまま何も言わずに本部席へと戻って行った。




