過去 1
試合開始直前、鈴鳴はリング中央で松井と目が合うと軽く頭を下げた。
その意外な行動につられて、思わず松井も頭を下げる。
しかし両者共に目付きは鋭いままである。
だが、2人のそれはまるで性質の違う物だった。
松井の視線が闘志の表れならば、鈴鳴のそれは憎悪。
しかも松井に対してでは無く、世の中全てを憎んでいるかの様な、、、ある種、世捨て人の如き暗き双眸。
そのゾッとする眸を生んだのは、これまで歩んで来た辛き人生だと言えよう。
派手な遊び人だった鈴鳴の母親は、飲みに出た先で知り合ったブラジル人の男と、意気投合し一夜を共にした。
そうして鈴鳴を身籠る事となる。
しかしそのブラジル人の男とは所謂ワンナイトの関係、、、それっきり会う事すら無かった。
それでも彼女は産む決心をする。
いや、決心と言うのは少し違うかも知れない、不思議な事に、産むという選択肢以外は彼女の中に無かったのだから。
そして産まれて来た男児に父親と同じ名、鈴鳴と名付ける。
小学生ともなると、鈴鳴はどんどん父親に似てきた。
最早日本人とのハーフというより、純粋なブラジリアンと言われても納得出来る程に、、、
そしてここから彼の地獄は始まる事となる。
母親は酒に溺れ、父親に似てきた鈴鳴を罵り、八つ当たりの様に虐待を始めたのだ。
そして更なる不幸は、学校すらも彼の逃げ場とはならなかった事である。
その風貌と鈴鳴という名前でありながら、戸籍上は純粋な日本人、、、その事は残酷な生き物である子供にとって、いじめの対象とするに十分な理由となった。
やがて母親の虐待が発覚し、施設に引き取られる事となるのだが、ここも彼にとって安息の地とはなり得なかった。
施設の他のメンバーは、学校の連中と同じく鈴鳴をいじめの対象とし、蓄積された己の鬱憤を晴らしていた。
そして施設の職員すら、それを見て見ぬふりをしている、、、
数年は堪えて来たが、ついに鈴鳴は施設を飛び出し、学校へも行かなくなった。小学校中退である。
それからの鈴鳴は荒れた。
街の不良グループに入り、少年ギャングさながらの毎日を過ごす。
街を徘徊し、サラリーマンや老人を襲って金を奪っては遊びに費やす、、、そんな繰り返しの日々が過ぎて行った。
そして14才になったある日、運命の出会いをする事となる。
その日も鈴鳴は仲間2人と共に、いつもと同じく獲物を探して街をさまよっていた。
時刻は深夜2時を少し回った頃、人通りの少ない生田神社の西側裏通り。
そこで1人で歩いている老人を見つけた。
足取りは軽くしっかりしているが、その手にはステッキを持っており、和装に雪駄そして頭には縁あり帽子を被っている。
体格も小柄で手頃な獲物に思えた。
鈴鳴ら3人はいやらしい笑顔で頷き合うと、その老人に駆け寄り、直ぐ様囲んで見せた。
「オイッ!爺さんよっ!ちぃ~と人助けしてくれんかぁ?」
仲間の1人が威圧的に言う。
「人助け?ハテ、、、何んの事や?」
老人は首筋を掻きながら、飄々とどぼけて見せた。
「知らばっくれとんとちゃうどジジイッ!ええ歳こいて怪我しとぅ無いやろがワレッ!」
もう1人の仲間が派手に脅しをかけながらにじり寄り、キスでもするのでは?と思う程にその顔を近付けている。
鈴鳴は腕を組みニヤニヤしながら、ただその様子を見ていた。
いつもの連中と同じく、直ぐに半ベソをかきながら金を出すだろう、そうタカを括っていた。
だがしかし、その想像は砂上の楼閣よりも脆くボロボロと崩れ去る事となった、、、