深愛
既に試合を終えている山下を付き添いに、工藤は病院へと運ばれた。
対戦相手だった浦上も付き添いたいと申し出たが、彼も車イス利用者の為、救急車に乗れないとの事で断念せざるを得なかった。
敗れたとは言え、工藤の闘いぶりは恥ずべきものでは無く、皆の士気を下げる事は無かった。
むしろ次に出番を控える松井などは、その姿を見て何やら昂った様子ですらある。
リング上では一般参加者同士の試合が行われている。
これも工藤や松井と同じく、下半身に障害を持つ者同士、組技のみの試合である。
それを車イスに座したまま、入場口脇で見つめている松井。後ろでは例の如く、妻である美佐が車イスの押手を握っていた。
「この感じ、久しぶりでしょ?緊張してる?」
笑顔を携え美佐が問う。
(いや、むしろ楽しみでワクワクしてる)
そんなニュアンスの事を手話で答えた松井。
その瞳は少年のように輝いている。
障害を負う前は、空手家としての道を歩んでいた松井、、、しかし若き日の崇と同じく、その使い道は誤ったものであった。
路上で蛮勇を奮っていた過去を、ふと思い出した松井。
一瞬陰った目を伏せると、首を振って苦い想いを掻き消そうとする。
「どうかした?大丈夫?」
心配そうに尋ねる美佐に笑顔を返すと、既にその瞳から愁いは消えていた。
丁度そのタイミングでゴングが鳴り響いた。
どうやら試合が終わったらしい。
松井は両手で顔を2度叩き、戦場へ向かう己を鼓舞する。
セコンドは引き続き鈴本と高梨が務めるらしく、気付いた時には後ろに立っていた。
「美佐さん、代わるわ」
高梨が声を掛けると、美佐がゆっくりと首を振った。
「リング下まで、私に押させて下さい」
いつもの様に微笑みを浮かべているが、その目は強い力を帯びており、気持ちを汲んだ高梨も黙って頷きそれに応えた。
この試合も対戦相手が格上であり、松井が先に入場となる。
「よっしゃ、ほな行こか」
クールな鈴本らしく、静かな口調で声を掛けると、松井夫婦は互いを見合って笑顔で頷いた。
鈴本が先導し、美佐が車イスを押す。
最後尾で高梨がそれに続き、一行がついに入場口を潜った。
拍手で迎えられる中、リング下を目指す面々。
その足取りは早くも無く、遅くも無く、気負いは微塵も感じられない。
リング下に到着し、鈴本と高梨が松井に肩を貸す。それを支えに立ち上がった松井へと美佐が声を掛けた。
「もう1度、、、もう1度貴方の勝つ所を私に見せて」
それは意外な言葉だった。
鈴本も高梨も、当の松井ですらも驚きの顔を向けている。
普段の美佐を知る者ならば当然の反応だろう。
「気をつけてね」
「怪我だけはしないでね」
「無理はしないでね」
このあたりが美佐の言いそうな事である。
しかし今日の美佐は、はっきり勝って欲しいとそう告げたのだ。
この意味は深く大きい、絶大な信頼と愛情無くしては吐けない台詞である。
松井はその真意を汲み取ったからこそ、この言葉が嬉しかった。
力にこそなれ、重圧などは一欠片も感じない。
これも信頼と愛情の成せる業である。
先までと比べ物にならない、とびきりの笑顔を浮かべた松井は、己の胸をドンと1つ叩き、声は出せぬとも言葉を返した。
手話では無く、声無き声で伝えられたその言葉、、、音として響かずとも、唇の動きで美佐には解っている。
松井はこう言ったのだ
「任せとけっ!」、、、と。