08 止まない波紋
「パパがいるから大丈夫だと思うけど、気をつけてね」
「ん」
母の言葉に一度頷くと、取り付けが終わったのか背中をぽん、と軽く一度叩かれる。
同時に前に一歩踏み出し、くるりと身を翻して母に見せつけた。
「うん、似合ってるわリリィ」
笑いながらそう言われると、なんだか実際に似合っていたのだとしても似合っている気分はしない。
というかコレに似合う似合わないは無いと思うと思いつつ胸を軽く触る。
別に俺が自分の胸を触って悦に浸る趣味を持つ変態というわけではない。たった今、母に装備させてもらった防具の感触を確かめる為だ。
ゲーム風に言えば、皮の胸当て、とでもいうのだろうか。外見は新品であるこれは普通の皮より柔らかかった。おそらくは防御力よりも動きやすさを重視させたのだろう、身体を捻ってみると、身体の動きをなるべく阻害しないような硬さになっていた。
多分新品の物に処置を加えたのだろう。もしかしたら、丁寧に使われてきた中古という可能性も捨てきれないが、呪われでもしていない限り俺が気にすることなんてなかった。
「準備できたか!」
「ええ、今から行くわ!」
既に準備を完了している父から声が掛かる。
使い慣れた木剣を手にとって急ごしらえしたこれまた皮の鞘に収めた。
多分自分の姿を客観的に見れば、剣士ごっこにでも興じる子供のようにみえるに違いない。
母もきっと、そんな風に見える俺に笑ったのだろう。
「おぉ、似合ってるじゃないか」
「でしょう?」
母と共に玄関に向かうと、俺の姿を見た父が同じことを言い、母と顔を見合わせて笑う。
これは不貞腐れても許される筈だ、いやそうに違いない。
少しばかり仏頂面を深めた俺に、悪かったとでも言いたげな手つきで父は俺の頭を撫でた。
「それじゃ行ってくる。夕方には帰ると思う」
「はい。あなたも、リリィも気をつけてね」
「ああ。リリィ、行くぞ」
「ん。行ってきます」
「行ってらっしゃい」
玄関先まで出てくる母に、俺は何度か振り返る。
俺がそちらを見るたびに小さく手を振ってくる母に生前の母さんを思い出した。
……いや。やはり、きっとそういうことなのだろう。
俺は一人納得しつつ、見えなくなるまで母に対して手を大きく振っていた。
母が見えなくなり、父の背を見る。
俺と同じような皮の装備を纏っている父の歩みは堂々としていた。
それに対して俺の足は重い。その理由は至って単純。
もう既に見えている、村の入口。そこに待っている一つの影こそがその理由の全てだ。
それは俺達を……いや、父を確認すると直ぐ様駆け寄ってきた。
「師匠、おはよう!」
「おはよう、テオ。早いな、もう少しゆっくりしていても良かったんじゃないか」
テオ――テオドール・ピスノフ。
これこそが、俺の気を重くしていた原因。
……最も、その理由は一から十まで俺が悪いのだけれど。
「……!」
「…………っ」
俺がテオを見ていたのをテオに気付かれ、目を逸らす。
しかしテオはまだこちらを見ているような気がして、俺は父を盾にするように移動した。
喧嘩というにもおこがましい、俺がテオに八つ当たりをしてから丁度一週間。
その間、俺はテオの姿を確認することはあったにせよ、会話を交わすことは一度もなかったのだった。
☆
舗装された道を辿り、途中から父を先頭にテオ、俺の順番で道なき道を行く。父がその道に入る前に喋るなと言ったので、俺もテオも一言も喋らない。
今日俺達が向かうのは、平原よりも魔物の多く生息する森の中だ。
なんでも深層で小、中規模の魔物の巣が発見されたらしく、その討伐をするのだそう。
といっても俺とテオは浅層の、比較的安全な場所で留守番。それもそうだろう。父がいくら凄腕だったとしても、足手まといを二人抱えてその魔物の巣を制圧するのは難しいに違いない。深層なら尚更だ。
その魔物の巣がどのくらいの規模でどんな形なのかも俺は知らないし、深層にいけば難しくなる=強い魔物が出てくるというのは俺の勝手な想像なのだが。
しかし、俺は父の仕事をしている姿を初めてみて、技量は分からないが流石冒険者だ、と改めて思う。
まず、俺達が歩きやすい様に最低限だが草を掻き分けている。それだけなら誰にだってできるのだろうが、普通に歩くよりほんの少し遅いだけで音もなくそれを成し遂げていた。
その上を歩く俺達ですら、多少なりとも足音がなってしまっているというのに。
そして時折、あらぬ方向を向いてその方向をじっ、と見つめることがある。
暫くしてから視線を外すのを見るに、恐らく魔物がその視線の先にいるのだろうが俺にはさっぱり感じることも見ることも出来なかった。
どちらもスキルなのだろうとは思うが、仮に技術だとするのなら会得するのにどのくらいの歳月が必要となるのだろうか。
「もうすぐ出るぞ。眩しいから注意しろよ」
そうしてどれだけ歩いたのだろうか、父が不意にそう言った。
父の言う通り、行く先には強い陽の光が射しているのがわかった。
順番的にテオが先にそこに辿りつき、小さく呻き声を上げる。
何を大げさな、と思うが俺も出口に着くと目に入ってくる光に思わず怯み、声をあげてしまった。
明るいところから徐々に暗いところに入っていったから気が付かなかったが、どうやら昼間だというのに辿ってきた道は随分と暗いところだったようだ。
父は森と言っていたが、どちらかといえば樹海の方が近いのかもしれない。イメージ的にだが。
先に言っておいたのに目が眩んだ俺達を見て、父は軽快に笑う。先ほどまで言葉一つなかったとは思えない程の明るさだ。
そんな父に文句の一つでも言ってやろうと口を開くが、出てくるのは感嘆の声だ。
「ほぁあ……」
変な声を上げた俺にまたもや父は笑う。
その笑い声に我に返り、睨みつけるが後の祭りだ。きっと母にも報告され、笑い話になるだろう。
テオも眩んだ眼がようやく戻ったのが、少しずつ眼を開いていくと目の前に広がる光景に今度は眼を見開く。
「おぉ……」
俺達の目の前に広がるのは、広い湖。
その水も澄んでいて、きっとそのまま飲み水にも転用できるのだろう。キラキラと陽の光も反射していて、森の内部よりも眩しい大きな理由はこれのせいでもあるのだろう。
小動物や草食動物も日向ぼっこをしていたりして、先程までの暗い雰囲気とは打って変わった状況だ。
「驚いたか? 実は、森や洞窟でこういうのは案外珍しくないんだ」
父曰く、こういった魔物がいない、または魔物が入ることの出来ないエリアを『セーブポイント』と呼ぶらしい。何故魔物がいないのかは未だにわかっていないようだ。神の加護による、というのが最も有力な説だという。
そしてセーブポイントより奥にいくとそれまでより強い魔物が出やすいらしく、生前でのゲームにおけるセーブポイントとは意味合いが違うが、なるほど人を助ける場所と考えれば強ち間違ってはない。
「初心者に限って、こういうセーブポイント見つけずに奥に進んでしまって帰らなくなることも多い。だから、こういった場所を探索する時は一方向だけじゃなくてあらゆる方向を隈無く探すのが重要だ」
といってもそれは初心者や中級者の、それも剣士系の冒険者に限った話であり、スキルの『探索』を取得していたり『地図』の呪文を覚えている魔法使いが一人いれば取り立てて問題はないと付け足す。
それ以外にもセーブポイントを知ることができるスキルは幾つかあるらしく、パーティに一人それを持っている人物を引き入れればいいようだ。
「まぁ一人で依頼をこなすこともあるだろうから、覚えておいて損はないだろう」
父はそう締めくくり、そして腰に下げている剣の柄をコンコンと叩いた。
「とりあえず俺はこれから依頼をこなしてくる。この場所を出ても浅層の魔物程度は二人の実力なら追い払えると思うが、その時はくれぐれも注意しろよ。っと、テオちょっとこっちこい」
父は手招きしてテオを呼び寄せ、目線を合わせて何かを耳元で囁やく素振りを見せた。
気にはなるがきっと俺は聞いてはいけないことなんだろうと思い、二人から距離をとって湖を覗きこむ。
透明度が高く、汚れ一つないこの場所は本当に休憩場所として優れている。夜になれば月が水面に映しだされて更に神秘的になりそうだ。
そしてそこに映し出される、俺の姿。
それは色こそないにせよ、家のガラスやピッチャーに映し出される歪んだものとは比較にならない鮮明さで描き出されていた。
そこにいたのは、紛れも無い美少女だ。日本人離れしているということを鑑みても、頭一つ飛び抜けている外見だと思う。
だが、俺は素直に喜ぶことなどできない。少し前ならば、複雑な気持ちを抱きつつもきっと諸手を挙げて喜んでいたに違いないのに。
「だっ、誰がそんなことするかよ!」
びくっ、と突然の大声に肩を竦める。
慌てて後ろを見遣ると、テオが父に対して食って掛かっていた。
「馬鹿、もう少し声を下げろ!」
聞こえたのはそこまでで、父とテオの口が動いているのはわかるが読唇術を持たない俺には何を話し合っているのかはさっぱりだった。
それから二、三言話した後、父は笑ってテオの頭をくしゃくしゃと撫でる。
俺に対する優しい撫で方とはまるで正反対のそれ。
だがしかし、俺にはそれが酷く羨ましく、そして妬ましく思えた。
ああ、ああ。
わかっている。テオを責めるのはお門違いだ。
俺が言ったのだ。俺と関わるのが嫌なら、教えてもらうのが嫌なら父に教えてもらえと。
この一週間で何があったのかはわからないが、テオが父と本当の親子のようにみえるのも仕方がない。
けれど。
だけれど――――
「……っ」
耐えかねて視点を戻すと、綺麗な筈の水が酷く濁って見えた。
思わず手で水面を乱し、それを打ち消す。
小さな波を起こした湖は、隅々までその波紋を広げていく。
「リリィ! それじゃあ行ってくるからな!」
俺は父のその声に行ってらっしゃい、の言葉すら返すことは出来ず。
ただ一度頷いただけで、暗い森の奥に消えていくその姿を見送った。