06 日々の合間に
この世界には娯楽というものが非常に少ない。
両親が言うには大きな都市にはギャンブルをするような場所などもあるというが、それにしたって一般市民の遊ぶようなものではないだろう。
生前で割と一般的だった読書も今世では難しい。なにせ印刷技術が確立されていないのだ。一冊の単価が割高となり、富裕層の嗜好品というのが一般家庭の見解だった。
何のための『祝福』だよ、これで魔法奪うとか本当に虐めじゃないの? とか思ったのは秘密だ。秘密ったら秘密だ。
つまり子供は遊ぶにしても極めて原始的な鬼ごっこや隠れんぼなどといったものしかない。
それでも元気に楽しそうに遊ぶのが子供の性なのだろうが、精神面では大人な俺にはそれに混じって遊ぶには少し辛いものがあった。
剣の訓練をしていればそんな時間もないのではと思っていたが、父は週に一、二回教えるだけで後は自由にしていい、という方針だった。恐らくは友人関係を構成してほしいという思いがあったのだろうが、俺にとっては余計なお世話でしかなかった。
そんな俺が遊びの代わりに見出したもの。それこそが鍛錬に他ならない。
ただ長距離を走る。ひたすらに素振りを繰り返す。
疲れたらマルタと戯れて一緒に昼寝をするだけで時間を忘れることが出来た。
いつしかそれは、俺の中で一つのノルマになっていた。
ノルマというよりは繰り返すことで身体に染み付いた、やらなければいけないという強迫観念の一種かもしれないが。
生前でも似たような経験がある。
俺は体調を悪くしない限りは絶対に遅刻などしなかった。仮に電車などが遅れていたとしても、だ。それは始業の一時間前には学校に来ていたからだ。
初めはそんなことはなかった。
授業開始の十分前。そんな時間に登校していたのだが、バスやら電車やらが少し遅れただけで遅刻しかけた俺はもう少し早く来ることを決意した。
そのうちバスやら電車やらの接続と待ち時間を鑑みて二十五分、三十分、三十五分……とだんだん早くなっており最終的には一時間前になった。
友人に『なんでそんな早く学校きてるんだ?』と問われたこともある。その時には電車とかで遅延が出ても大丈夫なようにと答えていたが自分でもなんでだろうと思うぐらいだった。
三十分もあれば十分だと知っていても、もはや自分ではどうにもならない。そういう風になってしまったのだから。
その御蔭で、ちょっとやそっとの寝坊や遅延では遅刻しなくなったのだが。
それと同じようなものだ。というかその間違いを俺はまた繰り返したのだ。
初めは村半周だったランニングはそのうち二周に、50回も精一杯だった素振りの回数は200回に。
どうしてこうなった、とは思わなくもないが存外に嫌ではないと思うのもまた事実だった。
そもそも暇つぶしの為に始めたものだ。心が無になるわけではないが走ること、振ることに集中したら時間はあっという間に過ぎる。
かくして俺は、鍛錬に明け暮れる毎日となったのだ。
それがテオを連れてくるという結果に相成ったわけだが、まぁ別にどうでもいい話だろう。
「――――。――い、――リィ」
ところで鍛錬繋がりだが最近少しわかったことがある。
集中するというのは何も心を無にする、というわけではないということだ。
寧ろ頭を極限まで働かせている状態のことを指しているのだろう。それ以外の何もかもが感知することができなくなるほどに。
つまり鍛錬に集中する、というのは瞑想の一種、或いは亜種でもあるわけだ。
心を落ち着かせ、悩みを紐解き、そして自分と向き合う。それこそが鍛錬の本質。
……なのではないか、と思っている。
何分生まれ変わってから始めたものだから、浅知恵にも程があると思うが。
しかしどんな時でも鍛錬を行うことで冷静になるというスイッチを作ることができれば……
「おい、リリィ!」
……いい、のだが。
「……うるさい」
どうやら俺はまだその領域には届かないみたいだ。
テオがこちらに来ていたのは気がついていた。しかし俺は日課の素振り中であったために気がつかないふりをしていた。
しかしテオは目の前に現れるだけでは飽きたらず怒鳴るように俺の名前を繰り返し呼んだ。
その結果、ついには俺の思考防壁が打ち破られてしまったというわけだ。
「やっと気付いたか。おいリリィ、」
「あと少しだから、黙ってて」
苛立ちを隠さず、にべもなく斬り捨てる。
なんの用があるかは知らないが、緊急性はないだろう。あるのだったら引っ張ってでも連れて行くはずだし、それを伝えようと喋りもする筈だ。
だがテオは俺の言葉に口を噤んだ。俺が苛立っているから触らぬ神になんとやらかもしれないが、とりたてて急ぐ用事ではないのだろう。
さて。今言った通り、残り回数は数回もない。
テオも見ていることだし、このぐらいなら別のことに思考を割かずに剣を振ることに集中することにしよう。
瞳を閉じて、息を吸い込む。
深く、深く。今の自分にできる、最大まで深く。
ゆったりと目を開く。同時、その動作とは裏腹に素早く踏み込んで一振り。
袈裟斬りにしたそれは、俺にとって最高とも呼べるタイミングで行えた。
息をつかせず、そのままもう一歩。
横薙ぎに振った木剣は先程より鋭さを増しており、強く風を切った。
はらり、と。木から丁度落ちてきた若葉がその風に舞う。
最後に、縦に一閃。
目の前に踊り出た葉は避ける間もなくその一閃を喰らい、刃物で斬られたかのように真っ二つに割かれた。
紅い残像が後を追って、間もなく消滅する。
驚きで剣を振り下ろした格好のまま動けなくなっているとテオが俺を無理矢理に振り向かせ、肩を掴んで強く揺さぶってきた。
それはもう、興奮した面持ちで。
「おっ、おい! 今のスキルか!? どうやったんだ、教えろよ!」
「ふあっ、ちょっ、やめっ」
ガックンガックンと揺さぶられて視界も定まらない。
掴まれた際に木剣を取りこぼした手を泳がせ、テオの顔を両手で掴む。
そしてそのまま強く引き寄せ、合わせて自分の頭を突き出す。
俺とテオの視界に星が舞った。
☆
「ふぅ」
一応鍛錬後で疲れている俺は背を木に預け、木陰で涼む。
顔をあげるとテオは立ったまま俺を見下ろしており、少しばかりバツの悪そうな顔をしていた。
多分今しがたあったことを振り返って、俺が怒っているとでも思っているのだろう。
「テオも座ったら?」
「……おう」
恐る恐るといった感じで、俺の前に座る。
普通、背凭れのある隣じゃないかな。まぁ話すのにいちいち横を向く必要があるっているのと、そこも日陰だから構わないんだけど。
ざわざわ、と枝が揺れて木がざわめく。
頬を優しく撫でる風は、鍛錬で火照った俺の身体を少しばかり冷やしてくれた。
それが止むのとほぼ同時に、テオは口を開く。
「……あのさ、リリィ」
「なに?」
「さっきは、ごめんな。つい興奮しちゃって……」
「別に気にしてないから、大丈夫」
最後の一振りで出てきた、紅い残像。あれはきっと、何らかのスキルが発動したのだろう。
スキルを見たのは父が見せてくれたことが何回かあるが、俺は自分で使ったのは初めてだしテオもまだ使えない。
使った俺自身でも驚いたのだ。テオが興奮しない通りなどなかった。
「あれはリリィも初めて使った……使えた? からよくわからない」
「そっか……でもリリィっていつも剣振ってるよな? やっぱそのぐらい素振りした方がいいのかなー」
俺のランニングと素振りはあくまで自主練だ。
テオも鍛錬を始めた時の父の言うことを聞いて俺の言うことを聞いてくれているが、休みなしでつきあわせるのは酷だということで週に一度か二度休みを入れている。テオは俺と違って、他の友人もいるみたいだし。
が、別に俺だって休まないわけじゃない。子供は疲れ知らずとはいえ限界はあるのだ。月に何回かは休む日を入れている。
だからテオに比べたら剣を振っているが、剣を仕事にしている人から見れば五十歩百歩だろう。
それをいうとどうしてテオがスキルを使えないんだという話になるため言わないが。
「わかんない。けど、パパに聞いたほうが早いと思う」
「まぁ、そうだな。リリィが出来たって言えば教えてくれるかもだし、師匠今日帰ってくるんだよな?」
「ん」
父はギルド関係で村の外に一週間程前から仕事に出ていた。
テオの言っていた通り今日帰ってくると言っていたし、丁度いい。
アレがスキルなのかどうかの真偽も含めてその辺りを相談してみることにしよう。
さてと。
遠回りしてしまったけれどそろそろ本題に戻ろう。
「そういえば、テオ」
「ん? なんだ?」
「なんか急いでたみたいだけど、何かあったの?」
「なんのことだ?」
その言葉に俺は少しばかり呆れる。
自分がここに来た目的をよもや忘れてしまうとは、そこまでテオは脳筋だっただろうか。
いや、スキルを目の当たりにしてみれば仕方のないこと……かな?
そう思いつつも残念さを垣間見て、少しばかりテオへの好感度が下がった。別にテオルートなど目指していないが。
「リリィが素振りしてる時に、何かいいかけてた」
「…………ああっ! そうだ! リリィ、嘘ついてただろ!!」
「……何の話?」
一頻り頭を悩ませた後に急に立ち上がり、俺に向かって指を突きつけてくる。
しかし覚えのないことで責められる謂れなどない。
だから聞き返してみるが、テオは地団駄を踏みながら顔を真赤にする。
「だっ、かっ、ら! リリィ、自分の方が姉だって言ってただろ! 俺の方が先にうまれてるじゃねーか! 母さんが俺の方が少しだけ年上だから面倒見てやれって言ってたぞ!」
「……ああ」
もういつの話だ。
俺が今七才だから……大体二年前だろうか。
まさか今更そんなことで責められるとは。というかずっと気がついていなかったのか。
もはや呆れを通り越して哀れになってくる。
「……ばか?」
「こっの……! こうなったらまた勝負だ! もう俺だって昔と違うんだ、今やったら絶対俺がうおぁっ!?」
テオの宣言は最後まで告げられず、横から来た茶色い物体に押し倒された。
いや、物体などと言ったら失礼だろう。最も、日本では法律上では物扱いされているが。
テオは何かを言いつつ必死にもがいているがテオの身体より何回りも大きいその体躯は全く揺るがない。仕方がなしに助け舟を出すことにする。
「マルタ。もうマルタは大きいから、いきなりテオを押し倒したりしたら危ない」
『えー……』
『マルタ』
『……はぁーい』
一鳴きすると、ふてくされた子供のような返事をしてマルタはテオの上からよける。とことこと近づいてくる頭に手を伸ばして撫でると、機嫌を良くしたように手に身体を擦り付けてきた。
マルタは父の言っていた通り、出会った時よりは比べ物にならないほどに大きくなった。
前世でいう、ゴールデンレトリバーより少し大きいだろうか。今の俺の身体なら背中に乗っても余裕で動けそうだ。
しかし犬の一年は人の七年というが、マルタの精神はあまり変化していない。 他の動物とも会話をしたことがあるが、同一種でも性格は千差万別だった。だからきっと、年をとってもあまり変わらない。
ちなみに人間の言葉でも聞き慣れれば理解はできるようだ。喋れないのは声帯的な理由なのだろう。
この辺りを研究して生前の世界で発表すれば一躍時の人になれそうだ。
「……マルタ…………」
マルタを撫でながらテオを見ると、マルタの涎でベトベトになってしまっていた。
俺は舐められる(物理)が嫌いだと言っているしなるべく避けるようにしているのでマルタが俺を舐めることは無いが、テオは若干下に見られているのもあってよく涎まみれになっていた。
まぁでも、一言だけ言っておこう。
「きっと、明日はいいことがあると思う」
「……リリィ、やっぱり勝負だ! リリィに勝てばマルタだってきっと俺の言うことを、」
『マルタ、ゴー! 一応加減はして!』
『りょーかい!』
「うおぁっ!? ちょっ、リリィ止めろ!」
「や」
手のひらを返して求められた救援を拒否し、俺は木の根元に深く座り直す。
必死の形相で逃げるテオに、加減をしながらも追いかけるマルタ。
そんな二人(一人と一匹)を眺めて俺は不意に笑みを漏らした。
……ああ、そういえば。
ふと思い出したことに俺は立ち上がり、大声を張り上げてマルタから逃げるテオに呼びかける。
「テオ!」
「なんだよ!? 助ける気がないなら、せめて――」
「誕生日、おめでとう!」
「なっ……!」
その一瞬、テオは動きを止めた。
その隙を見逃すマルタではなく、テオは再びマルタに押し倒される羽目になる。
断末魔が村中に響いた。
木漏れ日の下、気のおけない友人達と共に戯れる。
そんなのも、たまには悪くないかもしれない。
そんなことを思いつつ、俺はマルタに捕まったテオを助けるために彼らに近づくのだった。