28 少年と少女の関係性
私誘拐事件から早二週間。
あの日からアイリス先輩の接触は未だなく、週一ぐらいでカエデを通してローリエ先輩の報告を受ける(とはいっても、そちらにもアイリス先輩の連絡が来ないというぐらい)日々。
はっきりいって、平和な毎日でした。
ですが。
近頃、テオの様子がおかしいのです。
何がおかしいといえば難しいけれど……そう、過保護度が上がったような気がするのだ。
一例をあげるなら毎朝の出来事。一体何があったのか、レスターと共にテオも『魔』の寮まで向かえに来るようになったし、帰りも絶対と言っていいほど送るようになった。カエデも居るというのに、だ。
そのせいで猫たちと戯れられなくなったし、帰り際のちょっとした買い食いも難しくなってしまった。
そして今だってそうだ。
「リリィ!」
後ろを振り返ると、テオが少し慌てた様子で駆け寄ってくる。きっと今の私の眼はいつもより一層うんざりとしていることだろう。
授業の間のちょっとした休み。テオが他の人と話している隙をついて教室を抜けだした私が十歩進んだところでテオが追いつく。
「どこ行くんだ? 俺も行くぞ」
「……大丈夫。テオは教室に居ていい」
「いやそんなわけにはいかないだろ。あんな奴がいつリリィを攫ってくかわかんないんだから」
はぁ、と私はこれ見よがしに溜息を吐いた。その文句を何度聞いたことか、何を言い返しても聞く耳を持たない。
ちなみにあんな奴、というのは言うまでもなくアイリス先輩のことだろう。そういえば去る時に調べ物、と言っていたがそれほどに時間のかかるものなのだろうか。
まぁ魔法の使えない体質、となるときっと珍しいものなのだろう。そちらの方向で珍しさは欲しくなかったが。
私はテオの事を考えずに早足で廊下を行く。いきなり動き始めた私に対してテオは慌てて駆け足を始め、すぐに私の横に並んだ。
「ちょっ、だからどこに行くんだよ?」
「……すぐに戻るから、教室に戻ってて」
「いやでも……」
授業休みに教室から出るこのパターンは一応何回かあったのだけど、なんというか……学ばない。
三人寄れば、とはいうけれど。今のテオが三人いたとしてもきっと同じことをするに違いない。だから私が少しばかり切れてしまうのも仕方のない事だと思う。
丁度目的地の前。私は徐ろにテオを睨みつけるようにしてじっと見詰める。
流石に私が怒っている事に気がついたのか少したじろぎつつ、テオは口を尖らせた。
「な、なんだよ……リリィがはっきり言ってくれないから悪いんだろ?」
「……まだ、気づかないの?」
「は? 何言って……あ」
テオが何かに気がついたように声をあげる。その視線の先は私の後ろであり、更に言えば壁だ。
そこには一つのマークと共に一つの文字が書いてあることだろう。
『女』と言う文字が。
「テオ、教室に戻る? それとも、一緒に入る?」
トイレに、という単語も勿論付け加えておく。
☆
結局、ここまで来たら後には引けなかったのかテオは『トイレの前で待っている』と言った。
それはそれで変態ではないだろうか。そう言ったらきっと怒るだろうから胸にしまっておく。いつか責める時の手札の一つとして使わせてもらおう。
「ふぅ」
便座に座って小さく息を吐く。
しかし、全く。テオには参った。いつもならトイレに着く前にトイレだと言っているけれど、授業と授業の間に抜けだした時は大体トイレなのだからそろそろ察してほしい。
いくら内面は男で言っても構わないと思っていても外面は女なのだ。テオが他の人と話している時にトイレに行ってくる、なんて堂々言おうものならあらぬ噂でも立てられかねない。
……それはテオがトイレの前で待っている時点でそうなっているかもだけれど。
女子というのは大体が噂好きである。
どこそこの誰々は◯◯らしい。どこだかで××があったらしい、等など。
この『らしい』というのが味噌だ。
あくまで自分がそう思ったというわけではないという線引き、そして本当か嘘かもわからないということで気軽に口にすることが出来る。会話を無数に広げる女子にとっては好都合だろう。
そして聞いた話、或いは偶然耳に入れたりした話をまた別の人に『らしい』と流す。そしてそれを受けった人は……と噂とはこのように広がっていく。
特に、恋沙汰には随分と目敏い。いやこの場合は耳聡いというべきか、とにかく足が早い。腐りやすいという意味ではなく。
さて、話は変わるが女子トイレの構造について説明しておこう。
廊下から入るには扉はなく、二度角を曲がれば洗面所がある。鏡はないが。
そこを抜けると個室のトイレが都合五つ。その個室の真向かえには何もなく、ただの壁があるのみ。
まぁ、男子トイレの立ち便器がないだけだ。つまりトイレも絶対に個室の中でするわけで、例えば男子が間違って入ってきても何も見えないから少し立ち入っただけで『変態』だとは何事なのか。
そりゃあ個室の上のスペースから覗き込もうとしたら変態となるかもしれないが、言ってしまえば待合室に踏み込んだようなものだ。別に裸も見られていないし何かされたわけでもないというのに。
いや、別に男子が女子トイレに入るのを肯定するわけではない。そういうわけじゃないけれど、そうやって過剰反応するから虐めというかいじりの一環として女子トイレに投げ込まれるやつもいるわけで……
……話が逸れた。
つまるところ、女子トイレは噂の温床なのだ。
だって、そうだ。女子だけしかいない明け透けな会話ができる空間であり、且つ個室に入っている人は周りの目を全く気にすることなくその話に聞き耳を立てることが出来る。
例えばたった今進行形で囁かれている様に。
「今トイレの前にいたのって、あの白い子の……だよね?」
「そうそう、あの4組の! いつも一緒にいるよね!」
「だよね! 話に聞いたんだけどさ、最近毎朝寮が反対側なのに迎えに行ってるらしいよ!」
「そうなんだー、ってことは……」
きゃー。
一応トイレということもあり、声を潜めつつも黄色い声をあげる女子達。
それに反して私は比喩ではなく物理的に頭を抱える。叫びたいのはこっちだ、勝手に有る事無い事想像して……入学当初の天使発言での噂に比べたらずっとマシだけれど。
テオにしてみたら……どうなんだろう。私の露払いとしては丁度いいと言うかもしれないが、いざテオ自身に好きな人が出来た時に困ることになりそうだ。
きっと他の個室の人も聞いていただろうし、人の口に戸は立てられない。
こうして噂は広まっていくのだ……
「はぁ」
用も足し終わり、パンツを上げる。
スカートがパンツに引っかかっていないかを確認後、レバーを捻って水を流す。
一つとはいえもうすぐトイレが空きそうだというのに会話を続ける少女達の前に話題の中心である私が現れると、彼女らは途端に会話を止めて私を注視する。
聞いてませんよー、興味ありませんよーというようにポケットに仕舞ってあるハンカチを取り出しつつ素通りすると数歩歩いたところで小声が聞こえた。尤も、流石に会話の内容までは聞こえなかったが。
その後すぐに個室の扉が閉まった音がしたところを見るに、また後でね、とでもいったのだろう。また私の話になるかどうかは彼女らの気分次第というわけだ、やんぬるかな。
手を拭きながら入ってきた時と同じように角を二回曲がる。
するとそこには私を待っているはずのテオが……
「……いない?」
小さく首を左右に振って確認するが、テオの姿は見当たらない。待っていると言ったのだから待っている筈なのだけれど。
もしかしたらテオもトイレに行ったのかもしれない。それなら私も待つのが得策だろう。
そう思いながら壁に寄しかかろうとしたところ、テオがすぐ目の前にあった教室の中から現れた。
私が少し驚いているとテオもこちらに気付いて慌てて駆け寄ってくる。
「あっ、すまん。待たせたか?」
「ううん、今出たところ。何してたの?」
「いいや、別に。行こうぜ、そろそろ予鈴も鳴るだろ」
なんてことのないようにテオは言う。
きっと、寮の知り合いか誰かでも見かけたのだろう。テオは案外に顔が広いし。そういえば村でも同世代の中でリーダーっぽかったような気がする。
まぁ、それぐらいのコミュ能力がなければ偶然助けてもらったその日にパパに弟子にしてくれ、なんて頼むこともできないかな。
ちょっと考えが足りなくて猪突猛進なところもあるけれどテオはいい奴だし、友達もそれなりにいるのだろう。
一方私の友人はテオを含めて二人だけである。
……いや、別にさ、友達は多ければいいってもんじゃないから。多いに越したことは無いと思うけど、それって男子に限っての話じゃない?
女子の関係って、ほら。『二人いれば争いがおきて、三人いれば派閥が出来る』を地で行ってる気がする。なんというか、常に誰が上に立つかを水面下で争っている、というか。そんなドロドロの昼ドラみたいな関係は真っ平御免だ。関係を作らないことで自分に害があるというのならまた別だけど。
それに対して、カエデはそんなことはない……のかな? もしかしたら私の事を下に見てる可能性もあるけれど、嫌味を感じさせないし付き合っていても苦痛ではない。
結論。だから私の友人は、テオとカエデの二人だけでも十二分なのだ。Q.E.D。
「リリィ? 何一人で頷いてるんだ?」
「……なんでもない」
恥ずかしい所を見られてしまった。
それを誤魔化す様にテオの後ろに回り込み、その背中を両手でぐいぐいと押す。
「ちょっ、押すなよ!」
「うるさい。トイレまでついてこようとしたくせに」
「それはっ、リリィが言わなかったからだろっ!?」
押しながら、すぐ傍に人がいたりしないかを確認すると、こちらを見ている人に気がつく。
私と同じ制服を着ている女の子。違うところといえば、ふわふわとした顔を埋めたら気持ちよさそうな髪の毛とその犬耳、尻尾だろうか。
外見自体は人の方の血が濃いのか、その耳と尻尾さえ隠せば普人です、と言っても誤魔化せそうな感じだ。
4組には毛深いタイプの獣人、それも男しかいないため、ちょっとばかし見惚れてしまう。
「っ! とと……いきなり押すのやめるなよ、びっくりするだろ!」
「え? あ、うん、ごめん」
「お、おう……いや、いいけど」
さ、とテオが続けると同時に予鈴の鐘が鳴り響いた。
それを聞いた周りの生徒達は少しばかり慌ただしく自分の教室へと戻ろうと動き始める。
「お、丁度だな。リリィ、行くぞ」
「……ん」
最後に振り返ると、その犬耳っ娘もすぐ近くにあった教室(テオが先ほど出てきた教室)へと入っていく姿が見えた。
それを確認すると私はすぐに前を向いて再びテオの背中を押す。
「わっ、だから押すなって!」
「じゃあ、さっさと歩いて」
そうして十歳児が歩くには少し長い廊下を私達は行く。
この時の私は、またちょっとした面倒事に巻き込まれるだなんて夢にも思っていなかった。
しかし今回に限っては本当に仕方のないことだと思う。
なにせ今回の面倒事は私ではなく、目の前を行くこの幼馴染が持ってきたものだったのだから。
遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
おまたせいたしました。
お陰さまで試験には無事合格しました。
これからは定期的に投稿できるように、頑張ります。
よしなに。




