26 放置した結果
布が擦れるような、耳触りの良い心地よい音が私の覚醒を促す。
薄っすらと眼を開けると寝る前とは違い、部屋の中は窓から差し込む光で照らしだされていて、ここの住人の姿もはっきりと捉えていた。
こちらに背を向けて着替えている水色の髪の先輩。きっと彼女も起きたばかりなのだろう、髪の隙間から覗くその姿は白寄りの肌色に塗れていて、さらにチラリと胸回りと肩に走る布が見えた。
瞬間、くるりと振り返る。その勢いで髪が靡き、しかしその身体がはっきりと露わになる。
眼と眼が合い、少しばかり釣り上がっているその目元が少しばかり柔らかくなる。
「おはよう。よく眠れた?」
「あ……はい」
返事をしつつも、私の心は此処に在らず。視線は眼があった後そのまま下へと移行していった。
お世辞にも巨乳とは言えない大きさの胸。しかしその括れた腰や顔、身体の大きさなどのバランスから考えればそれは丁度良く、十二分に魅力的であると言えた。少なくとも、見ているこちらが恥ずかしく思いながらも視線を逸らせない程度には。
ママは勿論だが、カエデの裸を見てもこうはならなかった。やはり昨日の出来事が関係しているのだろうか――と思った矢先に強引にキスされた瞬間がフラッシュバックする。
顔が赤くなるのがわかる。それが表情に出る前に私は顔を背け、寝返りを打ちながら身体を起こした。
「……心配しなくても、胸ぐらいすぐに大きくなるわ。特にあなたはまだ身体も小さいのだし、私ぐらいにはなるわよ、きっと」
そんな私の反応に対して何を勘違いしたのか、ローリエ先輩は私に対してそんな言葉を投げかけてくる。
いや、そこは心配してないです。というか胸に関してのみ大きくならないほうがいいです。
ああ、やっぱり男じゃないこの身体が恨めしい。リアルでは見たことがなかったが美少女同士なら女同士でもいいかなとは思う。が、自分がそれを受け容れるのにはまだ数回、ヘタをしたら数十回の段階を踏まなければならないだろうし、生理など避けられない事もある。
その段階を踏まないとは言わないがそれを熱心に進めるぐらいなら男に戻る方を優先したってバチは当たるまい。
あっ、そもそも男だったらこんな美少女な先輩達と知り合いになってないっていう突っ込みはなしで。
……などと考えていると少しは落ち着いてきた。
少し考えが男に寄っていたようだ。というより、そうであることを自覚した、というのが正しいのか。最初は女であることに拒否反応を感じて、その次は受け入れて女ではあったがそれは一時避難的な思考であったらしい、当然だが女として生きることを真に受け入れたわけではなかった。
それでも女性に対して興奮をするのは男であると思っていたためか、女性に対する性欲が今まで封印されていたのだろう。
それがアイリス先輩によって破られ、自分がそうであることを認識した為に女性に対して意識するようになってしまったというとこではないだろうか。うん、男性の機能としては正常なことだ。
……次にカエデの着替えを見ても、果たして私は大丈夫だろうか。いや、確かにカエデは美少女だが胸はまだないしどちらかといえば美幼女寄りだ、まだ大丈夫、大丈夫……
「……ん、大丈夫」
「あら、そう? ならいいけど……」
私の視界の端でローリエ先輩は制服に腕を通す。
……制服? あれ、今日ってもしかして平日だっけ? と思い、否と否定する。昨日が闇の曜日だったのだから今日は無の曜日のはずだ。遅刻だ、などと慌てる必要はない。
思いながら窓の方へと視点を移す。日はまだ登り切ってはいないようだが、いつも私達が寮を出る時間よりは大分遅いようだ。もし学校があるなら遅刻になる時間だ。
勿論無の曜日に学校に行くことも認められているけれど別にそれは制服でなくてもいい。一般にも訓練場として開放されているため、私服でも問題はない。どちらにしても校内に入るには手続きは必要だし、制服だからといって顔パスならぬ服パスをされるわけではない。
「よし、これでおっけー……はい、投げるわよ?」
「えっ? っ、と」
呼ばれて完全に顔を先輩の方へと向けると、そちらの方向から畳んである服が飛んでくる。
少しばかり動揺しつつそれを受け取ると、見覚えのある、ローリエ先輩も今着ているそれそのもの。
今更ながら自分の姿を確認してみると、それなりに透明度の高いピンク色のネグリジェ? ベビードール? と呼ばれるものだった……って!
「っ!?」
制服を抱えたまま慌てて掛け布団を被る。
えっ、何これ。私の寝間着は普通の布製の奴のはず……っていうか私の部屋じゃないんだった。
というか一体いつ着替えさせられたのか。恐らく私が寝ている時だとは思うのだけれど、もしかして気絶している時? 布団からちゃんと出なかったからずっと気がついてなかった?
エロゲのやり過ぎかもしれないが、私的にネグリジェやベビードールは寝間着というより下着の位置付けだ。スカートを履いて学校に通っている私が言っても説得力がないかもしれないが、男として女物の下着をつけるというその一線だけは超えたくなかった。
もしかしてと下半身に手を伸ばすが、そこはちゃんと着ていた、というか穿いていた。よかった、最後の砦は守られた。
というかこんな下着もあるんだね、この世界。こんなもの作るぐらいなら時計とか作ってよ、本気で。
そんな風に私が憤っていると、私が布団に潜ったせいでくぐもったローリエ先輩の声が聞こえる。
『あー……ごめんなさいね。あなたを制服で寝かせるのもなんだからって着替えさせようと思ったんだけど、私の持ってるもので丁度いいのがなかったからそんなものになっちゃったの』
いや、別にいいです……よくないけど。
ショックなのはこれを着ていたことに自分が気が付かなかったことだ。前に私の女の割合は1、2割と言ったような気がしたが、実はもっと高いのかもしれない……
はぁ、と一度溜息を吐き、カタツムリのように頭だけを布団から出す。例えばあっちの先輩が私のえっ……そういう姿を見ようと勝手に着せたのならまだしも、ローリエ先輩は善意だろう。それならば無碍に返すことは流石に憚られる。
「大丈夫、ちょっとびっくりしただけ。……です」
「そう……? とりあえず、外に出て朝食をとるから制服に着替えちゃってもらえるかしら? 勿論お代はこっちが持つから心配しないでいいわ」
その言葉に一度頷くと、私はベッドから降りるためにモゾモゾと身体を動かす。
なんだかこれを着ていると裸よりも恥ずかしい。そう思うのはやっぱり私が男だからなのだろうか? 発言からしてローリエ先輩のものらしいし……
まぁどちらでもいい、さっさと着替えてしまおう。そう考えて私は身体を勢い良くベッドの外へと投げ出した。
するとローリエ先輩が慌てた様子でこちらへと手を伸ばす。
「あっ! 待って!」
びくっ、として足を止める。ローリエ先輩の方を見ると、指で地面の方を指さした。
私がそのまま視点を下に下ろすと、そこには部屋の床で小さな掛け布団に包まっている人型大の何かが転がっていた。その先っぽからは金色が零れ出ている。
顔を上げると、先輩は『しーっ』とでもいうようにウインクしながら口元に人差し指を当てていた。私はその意図を理解し、なるべく大きな音を立てないように手早く着替えにはいるのだった。
☆
「……あ、テオ」
朝食を取るというローリエ先輩に連れられて寮の玄関に着くと、そこには見知った顔があった。
するとテオはばっ、と私の方を向いたかと思うと止める間もなくこちらへと走り寄ってくる。
「リリィ!」
「おはよう、テオ」
「ああ、おはよう!」
答えると同時に、グルンと表情が凄い勢いで変わる。
「……じゃないこの馬鹿! あれほど知らない奴について行くなって言っただろ!」
テオの怒声が耳に響く。
いや確かにそうは言っていたけど、こっちにだって事情がある。今となってはついて行ったことに後悔しかないが、誘われた当時は付いて行くのが最善だと思ったのだから。
だからつい文句が出てしまうのは仕方のないことだ、きっと。
「……耳が痛い。もう少し声を下げて」
「うるさい馬鹿! こっちがどれだけ心配したと思ってんだ!」
心配してくれと頼んだ覚えはない……と言いたいが、それを言ったらいつかの二の舞いだ。またあんなギスギスした関係になるのは真っ平御免。
しかし私にだって精神年齢的なプライドというものがある。前々から言っているが、テオは私を未だに手のかかる妹の様な存在だと思っているような節がある。今回は失敗したが、寧ろ失敗していない事のほうが多い筈だ。失敗のが目立つだけで。
そもそもテオだって頼りない部分はある。先輩と二対一で戦った時だってフェイントに引っかかって先に撃破されたし、文字だってまだ不完全、算数も曖昧な部分が多い。
だから心配される必要なんて無い、うん。
「……テオだって「はいはい、そこまでー」
口を開きかけたところでローリエ先輩が私の言葉を遮るように私とテオの間に立つ。
突然割り込んできた自分より大きな先輩に鼻白むテオにローリエ先輩は畳み掛ける。
「庇うわけじゃないけど、言わせてもらうわね? 今回リリィは確かに不用心だったけど、とった選択としては間違いじゃないの。平民出身の人には分かり辛いかもしれないけど、誘いを断っただけで恨みを買われる世界だって間違いなくあるんだから。その点をあの娘はわかっていたわね、流石勇者の子孫ってとこかしら」
それは例えば貴族だったり、力を持った派閥だったり。自分を特別な人間だと思っている人にありがちだとローリエ先輩は言う。
その言葉にはやけに実感が入っている。多少なりとも体験していたりするのだろう、カエデもわかっていたと言うところを聞くに、少し位の高い人達の間では珍しくない光景なのだ。
というかカエデと会ったのだろうか、そういえば、私がここにいると教えてくれたみたいだし、多分その時に会ったのだろう。
「ま、そういうことだから一方的に攻めるのはお門違い。でも心配をしちゃいけないってわけじゃないし、そのことに関してリリィが反論すべき余地はないわ」
パン、とローリエ先輩は一回手を叩く。
「リリィは心配をかけたことを、テオドールはリリィにいきなり怒鳴ったことを、互いに謝る。これで今回の件はおしまい。いいわね?」
「……ん」「……わかった」
私とテオの返事が重なる。
テオの返事は不承不承といった感じだったが、正しくないとは思っていないのだろう。ただいきなり言われた小難しいことに関して納得が出来ないだけで。
感情が優先される子供の頃はそんなものだ。大人が何かを理論的に言っても納得はしない。しかし反抗したら完膚無きまでに叩きのめされるから従うのだ。
でも今はそれでいい。何れ大人になるにつれて色々わかってくるだろう。出来ればその時がなるべく早く来るのを祈るばかりだ。
「いきなり怒鳴ってごめん。でも、今度からは少なくとも連絡はしろよな。昨日はその先輩に会うまでカエデやレスターと、散々街中を走り回ったんだから……本当に心配したんだぞ」
「……ん、こっちも心配かけた。今度から気をつける……ごめんなさい」
「そうですよ。前にも言いましたが、リリィさんは自分の立場を自覚なさるべきです」
うわ、さらっと入り込んできた。きっと今の瞬間、私の顔は酷くむっとしていたに違いない。
言うまでもなく、割り込んできたのはレスターだ。実は初めからテオと一緒にいた。いたのだが、あえて視界に入れないようにしていた。
というのに割り込んで来られたらどうしようもない。無視したらしたで面倒だし。
「それは嫌」
「こーら」
スパン、という軽快な音が頭上に響く。ついでに衝撃も。
「態々探してもらっておいてその言い草はないでしょうに。せめて『これからは気をつける』ぐらいいったらどう?」
薄々感づいていたけれど、ローリエ先輩は面倒見の良い性格をしているのだろう。本人に言わせれば『ただ放って置けないだけ』といった感じなのだろうが。
しかし今回ばかりはお節介が過ぎた。なにせ相手が相手、あのレスターだ。これで頷いたらそれこそ四六時中纏わりつくことの大義名分として受け取られかねない。だからといって先輩からの言葉を断ると角が立つ。
テオ公認だからテオに説明を丸投げもできないし、いちいち自分で説明するのも面倒くさい。
「……前向きに検討する」
これなら断ってもいないし、肯定もしていない。がマシな部類の言葉だ。
しかし前世を省みるに大体こういう言葉の時って検討するつもりもないよね。ちらりとローリエ先輩の顔を見ると呆れたような表情をしていた所を見るに、この世界でもそういうやりとりはよくあるのだろう。
「ええ、少しずつでもそう思っていただければ幸いです」
そうやって笑みを浮かべつつ答えるレスターは、わかっているのかわかっていないのか。
うーん、腹黒っぽい。本当はわかってそう。
「……まぁ、本人達が納得するならいいか。それより、あの娘はまだ来てないの?」
「あの娘って……ああ、カエデか。もう少ししたら来ると思う」
「そう……困ったわね、アレが追いかけてくる前にさっさと行ってしまいたかったんだけど……」
ローリエ先輩がそう呟くと同時に、寮の奥から結構な勢いで近づいてくる足音が響く。
その音に上を見上げると、金髪の先輩が手すりから身を乗り出してこちらを見下ろしていた。
しかしそこには昨日見たような美少女然とした姿ではなく酷く焦ったような形相で、なんとか制服を着込んではいるもの髪は跳ねて息も荒げている。その眼は何かを探すようにぎょろぎょろと動き、私達を捉えた。
「ローリエッ! そこ動かないで!!」
言うが早いか、これまたすごい勢いで階段を下って私達へと迫ってくる。それを見て、ローリエ先輩は半眼となって小さく溜息を吐いた。
……とりあえず私も、先輩の影へと移動しておこう。
そして当然一分どころか三十秒もしないうちにアイリス先輩は階段を下りきり、ローリエ先輩へと詰め寄る。
「なんで私を置いて行ったの!? 起きたらリリィもローリエもいなくてびっくりしたのよ!?」
「あんたが来ると面倒になるからよ。知っている顔どころかすごく仲が良いならまだしも、いきなり知らない顔を出して『私があなたたちの友人を攫った張本人です』って言っていい感情を抱く馬鹿がどこにいるのよ?」
「それはそうだけど、それなら話すのはリリィだけでいいじゃない! 私は今日、そのつもりで……」
「昨日学校まで慌てて助けを求めに来たのはどこの誰だったかしら? それに、リリィが帰らないことを問題にならないように態々寮へと伝えに行ったのは誰だと思ってるの?」
それを言われたら痛い、とばかりにアイリス先輩は顔を悔しげな表情をする。
「でっ、でも、その点に関してはちゃんとお礼もしてるし……それに他の人にまで話す理由にはならないわよね?」
「偶然にも、私が連絡しているところを見られていなかったら……ね。探していた事実も知っちゃったわけだし、教えざるを得ないでしょうに」
偶然にも、とすごく強調していたが果たしてそれは偶然なのだろうか、とも思う。
なんだかローリエ先輩はアイリス先輩に釘を刺すためにわざとやったんじゃないだろうかと邪推する。
「……そこの所、どうなの?」
「え……何が?」
「ええ。僕達が一通り街を探した後、念のため寮に行った時にこちらの方が丁度そのことを話していたんです。ところであちらの方はどなたですか? 話から察するに、リリィさんを誑かした本人のようですが……」
テオは私の言葉に首を傾げたが、代わりにレスターが問いに答える。
……ふむ、じゃあ本当に偶然か。ローリエ先輩は流れでその辺りを利用した、とそれだけの話だろう。
その後もアイリス先輩が少し反論をしてはローリエ先輩に尽くが論破されていく。さっきの『平民出身の人にはわからないかもしれない』の辺りから思っていたけれど、もしかしたらローリエ先輩も貴族なのかもしれない。
そう考えれば、あの寝間着にも納得がいくようないかないような……当の本人は寝間着として使用してないみたいだけど。
というか私は誑かされてなんかいないから。誑かされてないから! 大事なことなので二回言いました!
その後、私達はカエデの到着と同時に朝食へ向かう運びとなるのだが。
先輩二人の口論ではどちらが勝ったか、なんて。『おかしい』やら『こんなことは許されない』やらぼやきながら最後尾を歩くアイリス先輩を見れば、言わずともわかるのではないだろうか。
おかしい。本当はリリィの魔力について触れるはずだったのにローリエ回になってしまった。
一ヶ月も時間かけておいてこれは許されない。
……展開遅くて申し訳ないです……
――――ここから報告――――
タグに『百合キャラがいる』を追加しました。




