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TS少女の異世界人生録  作者: 千智
私が『魔導書使い』と呼ばれるまで
23/33

21 出会いはわりと突然に

 座学は、正直に言うと私にとって酷く退屈なものだ。

 なにせまずは文字を覚えるところから始まるのだ。これからどんな職業につくにしても、冒険者学校の卒業者は文章の読み書きが出来るというのが一種のブランドになっているようだ。

 既に習っている人も教室中には2、3割いるがそういう人も区別なく扱う辺りが本当に学校らしい。

 しかしそれはまだいい。言葉や文字を自由に使いこなせるとはいえ書くのが少し難しい字もある。そういったものを今の内に練習しておけるのだから。

 もっと退屈な授業は算術の方だ。異世界だろうがなんだろうが1+1=2だし、三角形の面積は底辺×高さ÷2だ。アラビア数字を用いていなけばまた変わったのだろうが、過去の勇者が持ち込んだのだろう、数式に使う数字記号から法則の式まで何一つ変わらない。法則には例外があるらしいが、ここにそんなのはなかった。

 そんなわけで、私は算術の授業中は若干顔を下に向けて考えている振りをしつつ妄想を馳せるのが日課だった。

 その妄想については機会があれば語ることにして。顔をあげると丁度先生が今やっていた問題の解説を終えるところだった。


「……と、答えは小銅貨7枚となるわけです、わかりましたか?」


 小銅貨10枚持っていたあなたは、小銅貨2枚のオオアカの実と小銅貨1枚分のショウアカの実を買いました。さて、この時あなたは何枚の小銅貨を持っているでしょうか。

 そんな簡単な引き算の文章題だ。手元にあるミニ黒板に書くまでもなく答えは導ける。

 しかし分からない生徒も多いようで、頭を捻っている生徒もいる。隣に座っているテオは時間が少しかかったけれど私に聞かずとも一応わかったみたいで、ほっとした表情をしていた。

 そんな色々な顔をする生徒達を先生が見渡していたところで、授業終了のチャイムが鳴り響く。


「わからなかった子は他の子に聞くか、放課後職員室に聞きに来てください。それでは、今日の算術を終わります」


 その先生の言葉を皮切りに、教室内が途端に騒がしくなる。

 前世のように机と椅子のガタガタという音がないだけまだマシだが、それでも多少のクッションはおいてほしいものだ。

 ほら、テオだって私と同じように呆れながら周りの生徒を見てい……


「よし終わった! リリィ、早く飯食いに行こうぜ!」


 ……うん。まぁ、仕方がないよね。10歳だもんね。小学生中学年ぐらいだもんね。

 そう思いながら立ち上がりつつ教室に一つしかない出入り口を見やると、生徒が到達するより少し早くその扉が勢いよく開いた。


「ちゅう、も――――――――――くっ!!!」


 教室中に響き渡る声に今にも扉に手をかけようとしていた生徒は怯み、尻もちをつく。というか、ゲームじゃ一律スタンに分類される奴がかかっているだろう。

 まだ席を立ったばかりの私達は大したことないが、あんな至近距離で受けたら堪ったものじゃない。

 ふむ、と頷きながら教室を見渡す、筋骨隆々とした男。というか、鍛錬の授業の教師だ。彼は大体、開口一番に空気を震わせるほどの大声を発して私達が硬直するのを見て不敵に笑っている。

 最近は来るとわかっていれば耐えることも出来るようになったけれど今回のように不意を突かれたら流石に辛い。

当の本人もそれは知っていると言わんばかりに尻もちをついている生徒を今にも笑い飛ばしそうな顔で一瞥しながら教室の中へと入ってくる。教室の中で唯一驚かなかった算術の教師は入れ替わるようにして教室から出ていき、ついでとばかりに扉を閉めていった。


「すまんな、今すぐに昼を取りたい気持ちはよく理解できるがいま暫く時間をくれ。午後の鍛錬の授業に関することだ……ああ、別に席につかんでもいい。すぐに終わる」


 その言葉に下ろしかけた腰を再び上げる者、そのまま座ってしまう者、そもそも怯んで床に座りこんで者、立ち続けている者に分かれる。

 それぞれが聞く準備が整ったと判断したのか、先生は一度満足そうに頷いた後に先程並とまではいかないが声を多少張り上げた。


「本日の鍛錬の授業は、武術系統と魔法系統に別れて行う! 武術系統は訓練場、魔法系統は演習場だ! 尚、今回選択した系統で二年生以降の授業が決まるわけではないので心配はするな!」


 だが、なるべくなら自分の志望する方を選んでくれと先生は締めくくる。

 つまり……なんだろう。二年以降の鍛錬の授業、そのお試し体験みたいなことをするのだろうか。

 友達関係で付き合うのもいいけれどその道には進まない可能性のほうが高いのだからちゃんと希望する方を選べ、と?


「それでは、解散っ! 遅れるなよ!」


 言うべきことは伝えたと、先生は去っていく。

 私達はそれを呆然としたまま見送り先生の言葉の意味を考えること十数秒、1年4組の生徒諸君は揃いも揃って昼食に出遅れる結果となってしまった。


 ☆


 この学校の昼食は、まぁ、ぶっちゃけると食堂で食べる給食だ。その日その日に決められた食事を並んで受け取って、自由に席に座って食べる。ただそれだけ。

 別に学外で食べてもいいらしいけれどお金は別にかかるし、別にまずくはないからここで食べた方が断然お特だろう。

 出遅れた私達は少しだけ並ぶはめになってしまったが、まぁ昼休みは一時間もある。二十分並んだところで残り四十分もあるのだからよっぽどでもない限りは間に合うだろう。


「あっ、リリィさん! どうぞこちらへ、ついでにテオドールくんやカエデさんの席も」

「テオ、ここに座ろう」

「えっ、レスターは……ああ、うん、わかった。ここに座ろう、うん」


 そんなわけでお盆に昼食を受け取った私達は空いている席に対になって座る。

 テオが余所の方向を見て何かを言いかけた後に手のひらを返して賛成の意を示してくれたけれど、それは多分他にも空いている席があったからだろう。決して私が睨んだからとかそういう事実はない。ないったらない。

 ちなみに私達が座ったのは十二人掛け長机の端っこ、といっても別に珍しくもない。この食堂の席には二階(二階にも配膳して貰える場所はある)や中庭があるし、友人もそれほど多くなければ四人席や二人席に座る人だっている。私もできれば四人席がよかったけれど生憎近くの四人席は全て埋まっていたので仕方がない。


「んじゃあ早速食べるか」

「私は、カエデが来るまで待ってる」


 午後の鍛錬はカエデのクラスである9組と合同だ。多分私達と同じように先生が授業の場所変更の知らせをしていて遅れたのだろう。テオは見ていなかったのかもしれないけれど私は私達の少し後ろに並んでいたカエデを確認している。

 多分、もう三分もしないうちにこっちに来るのではないだろうか。そのぐらいなら待ってもバチは当たらないだろう。

 私の言葉にコーンスープをスプーンで掬って今にも口にいれようとしていたテオはその動きを止めて、スプーンをそのまま器の中に戻した。まだ口はついてないからセーフ?


「じゃあ、俺も待つ。リリィ一人だけ待たせるってのも、なんだかな」

「きっとすぐに来るから、テオは別に食べててもいいと思うけど」

「それならリリィも食えよ。別に変わらないんだろ?」

「……まぁ」


 いや、確かにそうなんだけどね。

 気持ちの問題というかなんというか。ちょっとだからこそ待ちたい、的な?

 そのちょっとで女子って、友達内でもその一人がいない時に悪口を言うらしいし……私もきっと、見知らぬ女の子に色々言われたりしてるんだろうな。実害がなければ別にいいけど、女子は嫌がらせも陰湿だって聞くし。

 カエデにまさか限ってそんなことはないと思うけど。前世でも友達が全員揃うぐらいまでは昼食を取るのを待ってたし、変に摩擦の起こるようなことをする必要もない。


「お隣、よろしいですか?」

「駄目。私が使う」

「分かりました。それなら、テオドールくんの隣に座らせて頂くことにしましょう」


 レスターが向こうの席からやってきた。ちっ、態々見て見ぬふりをしたというのに。

 私は宣言通りに椅子を二つ(また)ぐようにして座り、正面向かって左、テオから見たら右の席にレスターは座る。そのお盆の上にある昼食は既に湯気が消えていて、若干冷めてしまっているだろう。

 それでも私は彼を見習うことはしない。待ちぶせ好意(誤字に非ず)を止めてくれたら見習うかも。


「おまたせ~……あれ、待っててくれたんだ? 先食べててよかったのに」

「どうせ少しだけだからな」

「カエデはいつも私に付き合っててくれてるから、私も少しぐらいは待つ」


 言いつつ、私は自分の身体をテオの前の席にズラす。カエデはありがとーと言いながら私が占領していた席に座ってからふぅと一息。

 それじゃあ、と言うカエデの音頭に、私も彼女と一緒に両手を合わせた。

 ぱん、という小気味いい音が食堂の一角に響く。


「頂きます」

「いただきまーす!」

「……やっぱそれ、慣れねぇ」


 私達の仕草を見て、テオはポツリと呟く。

 そりゃあね。説明していなかったけれど、日本語での頂きますやごちそうさまはこちらに該当する言葉は無いみたいでこっちでも日本語だ。テオからしてみれば聞き慣れない言葉を言って変な儀式をしているようにしか見えないだろう。

 カエデも『そりゃそうだよねー』と不機嫌になることもなく流す。カエデだってそうは見えないけれど仮にも貴族の一人だし、日本流の作法に関して何か言われたりすることも多かったに違いない。それに比べれば裏も何もない、ただ慣れないというだけのテオの言葉など月とスッポンだろう。


「そうですね。この学校の設立者である賢者ラディスラス曰く、『かの勇者の生活作法は根底にまで染み付いた宗教作法である』らしいですから幼少時からそういった教育を受けていない僕達が不自然に感じるのは当然かもしれません」


 そうだ、ラディスラスだ。数日後にはまた忘れてそうな気がするけれど。

 というかこういうのがそういうものだってわかるんだね。だからこそ賢者なのかもしれないけど。


「ふーん……あれ、でもリリィは普通にしてるけど」

「それは、リリィさんですから」

「そう思うなら、つきまとうのはやめて欲しい」


 私のその言葉にレスターは困ったように肩を竦めるだけだ。従う気なんてさらさらないだろう。


「というか、なんでレスターは賢者ラディスラスの言葉なんてそんなの知ってるの? 勇者カエデは教国にとって不倶戴天の敵だって教わったんだけど」

「何それ?」


 思わず疑問がそのまま口から出てしまった。

 留学生を受け入れているのだから帝国と教国の仲は政治的なものを除いてそこまで悪くはないのだろうが、そんな話は初耳だ。カエデもレスターに対してそんな態度は見せていなかったし。


「勇者カエデはね、義に溢れる女性で教国……当時はまだ宗教だったらしいけど、その宗教は獣人や亜人を人間扱いしないものでね。それが許せなかったんだって聞いてる」

「その頃は帝国もアムシュリア教を受け入れていたらしいですが多大な功績を(もたら)した勇者カエデの血を国に残そうとした際に国内ではアムシュリア教を認めないと奴隷制度の廃止を条件にしたらしいです。帝国は色々な条件付きでそれを認め、つい……六十年ほど前でしたか。国内での奴隷制度は完全とは言えずとも廃止されているようです」

「へぇ、そうなのか?」


 カエデがいい、それをレスターが続けて。私はその事実を確認しようとカエデを見ると、関心したようすで数回頷いた。

 奴隷、というものがどういったものかよく知っていないテオはそういう生返事で返す。

 けどこれって結構相当なことだと思うんだけど。奴隷制度廃止を条件にさせて、死後でもそれを実際にさせるって相当なことだと思う。それ程までに勇者の力は大きかったってこと? だとしたらどれだけヤバイんだ勇者カエデ。


「その勇者カエデの……わかってるけど、自分の名前言うのって変な感じだね……の、夫である賢者ラディスラスの言葉を教国出身のレスターが知ってるのが驚きだったってわけ」

「それに関しては簡単なことです。勇者カエデとの関係も最早昔のことである、と僕は考えています。それに他の国へ留学へ来るのです、その国のことを事前に調べておくのは当然のことでしょう?」

「そういうものか?」

「そういうものです」


 どこか遠くに行くというのなら確かに事前準備は必要だ。こういう危険が身近にある世界なら尚更。

 けれどそれをやっているというのが10歳の男の子。本当に10歳? 実は年齢詐称しているとかないだろうか?

 思わずレスターをまじまじと見詰めてしまう。

 笑顔で返された。


「!」


 すぐに顔を逸らして、パンを一千切り口の中に放り込む。

 話を変えようそうしよう。


「ところで、やっぱりカエデも午後の授業のお知らせ?」

「あ、やっぱりリリィとテオもそうだったの?」

「ああ、授業終わるなりいきなり大声あげながら教室に入ってきてすごく驚いだぞ」

「あー……あの先生いっつも叫んでるもんね。こっちは、いつの間にか教卓のど真ん中に立っててびっくりしたよ」


 当然だが、カエデの方には違う先生が行ったらしい。

 しかし、いつの間にか教室内にいたということは瞬間移動? ……違うか。多分『隠密』スキルか何かなのかもしれない。となるとやっぱり鍛錬の先生が叫ぶのは『威圧』なのだろうか。

 だとすると、卒業時には『索敵』だとか、あるのかどうかはわからないが『威圧耐性』とかがついていそうだ。

 もしかしたら、『毒耐性』をつけるために給食の中に害のない程度の量の毒が入ってたりとか?

 ……流石にそれはないか。と思いつつ、また一口食べる。

 うん、やっぱりそこそこの味。


「? 何の話です?」


「ああ、今日の鍛錬の授業は武術系統と魔法系統で場所がバラバラなんだってさ。意味わからんよな」


「武術が訓練場で魔法が演習場だっけ? 多分こんなことをやりますよ―っていう感じの体験なんじゃないいかな」

「ということは、クラスごとに順番でしょうか。こうなるとリリィさんと一緒のお二人が羨ましいです。僕も9組か、あわよくば4組だったなら……」

「私は武術系統だから、どうせ魔法系統のレスターとは一緒にならない」

「……言われてみれば、確かにそうでしたね」


 いや言われる前に気付けよ。

 というかレスターのことだから『僕はリリィさんのいる武術系統へ進みます』とかそのぐらいは言うと思ったのだけれどそんなことはなかったようだ。

 突っ込んだら藪蛇になりそうだから言わないけれど。


「あれ、レスターのことだからリリィのいる武術系統に進みますとか言うと思ったんだけど」


 と、思ったらテオが私の思っていたことをそのまま言った。

 馬鹿! 本当にテオの馬鹿!

 すっ、と私は足をそのまま伸ばして真正面に座るテオの足を蹴り上げる。


「いってっ!」

「……テオ、余計なこと言わないの」


 どうやらカエデも思ったようだけれどあえて言わなかったらしい。私と同様に面倒臭いことになりそうだとは思っていたのだろう。

 しかしレスターは予想に反して軽く首を振り、言葉を返す。


「確かにそうですが、僕は魔法の道を行きます。仮に才能があったのだとしても今からでは出遅れてしまいますし、それなら既に多少の才能があるとわかっている魔法を誰よりも早く修めたいです」


 うん、いいと思うよ。いい考えだと思うよ。

 わかるわかる、よーくわかる、すっごくわかる。わかるからこっちの方を見て言わないで。

 言外で私を守るためにって言葉が入ってるのもわかってるから、こっち見ないでお願いだから。

 私は感じる視線を必死に見て見ぬふりをして、昼食を食べるのに専念することにしたのだった。


 ☆


 訓練場はグラウンドのことで、演習場は校舎の地下にある体育館のこと。

 つまり私達は校庭に向かえばいいということだ。

 私達は食堂を出ると昇降口にて別れを告げ(できることならそのままもう今日は会いたくない)、私達一行は少し早いが訓練場へと足を向けた。

 その辺りで丁度予鈴(授業開始十分前)が鳴り響き、校庭から来る生徒達とすれ違う。


「しっかし、本当何するんだろうね」

「? 体験訓練ってことになったんじゃねぇの?」

「いや、その内容のこと。私達が今揃ってやれることといえば素振りぐらいしかないけど、それにしたって皆武器は違うわけでしょ? 予め武器がどんなのか聞かれたとかそういうわけじゃないし、始まってから人数分用意するんだったら時間かかるなって」

「あー……確かにその通りだな」


 走ったり慌てたりして校内へと向かっていく生徒達の波に逆らいつつカエデとテオはこの後の授業に関して話し合っていた。

 授業の内容かー……体験訓練はハズレで、実は授業内容は一ヶ月間教えられた体術のテスト。この結果でこれからの鍛錬のクラス分けをする、とか?

 ……あれ、自分で考えておいてなんだけど割とありえるかも。だとすると、抜き打ちってところが割と嫌らしいなぁ。


「リリィはどう思う?」

「……ん」


 前を行く二人が一歩後ろを歩く私へ振り返って話を振ってくる。

 丁度いい、今さっき考えた仮説を披露してみることにしよう。外れていたとしても話題の種ぐらいにはなるだろう。

 そう思って口を開いたと同時に、私の声を打ち消す程大きな声が背後から響く。


「ちょっ……ちょっとまって、ちょっと待ってそこの一年生! そこの、多分一年生の銀髪の子!」


 思わず立ち止まり、何事かと振り返って周囲を確認する。

 周りの生徒も私達とどうように立ち止まり、一人の女子生徒へと視線を集中させている。自然、私の視線もそちらへと向けられた。

 彼女は彼女自身よりも大きな杖を持って魔女っ子帽を被り、その下には僅かに金色が煌めいている。更に胸の辺りで留めた黒いマントを制服の上に(まと)っていた。一見して魔法使いだとわかる外見だ。

 そしてその彼女の帽子の奥にある眼は、一直線に私へと向けられている。


 ……私に?

 そういえば、多分一年生の銀髪の娘って言ってたような……

 もう一度周りを見渡す。周囲に銀髪の女子どころか男子すら存在しない。

 必然、彼女が指していたのは私、ということになる。


 ……え、何? 本当に?

 確認するように自分を指さして、軽く首を傾げてみる。

 すると彼女は深刻そうな顔をして一度頷くとゆっくりと私へと近づいてくる。


「……リリィ、下がってろ」


 テオは全身から警戒感を滲ませて私の前に立つ。

 丸腰で何が出来るかとは思うが、それでも庇わずにはいられなかったのだろう。

 魔女帽の彼女は私達の一メートルぐらい手前で止まり、カッ、と一度だけその杖で地面を打ち据える。


「……何か用か?」


 多分先輩だというのに不遜(ふそん)な物言いだ。

 しかしその先輩(仮)はテオの言葉を意に介する事無く、テオに庇われている私をただ見つめていた。

 私はテオの影に隠れるように移動し、しかしその先輩(仮)からは眼を逸らさない。


 そこでふと気付いた。私を見つめる彼女の瞳の色は、透き通るような赤色だということに。

 普段ならどうでもいい、気にも留めない事。

 しかしそれを見て、それを確認して、私の脳裏にはある一つの言葉が(よぎ)った。


 曰く。

 『深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ』。


「あなたは……」


 そう言いかけると、彼女は不意に眼を閉じる。

 次に彼女が瞼を開けた時には、その透き通る様な瞳は消え失せて普通の赤い目だけが残っていた。


「……ううん、違うわね。あなた、名前は?」

「……リリィ、オールランド」


 答えた途端、テオが驚いたように振り返って私を見るが、私もどうして答えてしまったのかがわからない。恐らく、彼女の迫力に飲まれてしまったのだと思うが。

 その当の本人は私の名前を繰り返すように呟き、それから納得したように一度だけ頷いた。


「リリィ、ね。うん、覚えたわ。ごめんなさいね急に呼び止めたりして」

「……ん。大丈夫」

「そう、それなら良かった。彼も、無意味に警戒させちゃってごめんね?」


 彼女はほんの少しばかりの微笑みを零し、帽子を深く被り直した。そして身を翻したかと思えば私達が来た方向……つまり校舎の方へと去っていく。

 他の生徒達は去っていく彼女と私達を見比べてなんだったのだろうと首を傾げつつも次の授業を受ける為に校舎へ、或いは研究棟へと向かう。

 残るのは、何が起こったのか何がしたかったのか何一つわからない私達のみ。


「……なんだったんだ?」


 警戒を解いたテオは困惑気味にそうボヤく。

 残念だけれどそれを聞きたいのは私の方だ。もしかしたらと希望を託してカエデの方を見遣(みや)るが、困ったように首を振るだけだった。


「……行こうか?」

「そう……だな」

「ん」


 いつまでもここで立ち止まっていたら遅刻になってしまう。

 私達は今さっきの出来事を無理矢理頭の隅に追いやり、そして再び校庭へ向かって歩き始めた。

 なんとか年内に間に合いました。

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