19 リリィ・オールランドの躁鬱(前)
少し日付が飛びます。
「おはようございまーす」
「あっ、おはよう二人とも。今日も早いね~……はい、今日の朝ごはん。喉に詰まらせないようにね」
「ん、ありがとう……ございます」
カウンターで朝食を受け取り、食堂へと足を向ける。
一階の大半を占めているこの食堂はまだ閑散としていて、席に座っているのは十人もいない。
後三十分も経てば騒がしいぐらいに生徒達がひしめき合うのだろうが、私達にはその時間まで待っている余裕はない。
「カエデも、私に無理して付き合わなくてもいいのに」
「んー? 別に無理はしてないよ。リリィとは違うクラスだし、一緒にいられる時間は朝と昼と夜と、あと鍛錬の授業だけでしょ? だから、出来る限り一緒にいたいだけ」
カエデは『魔』の黒白姉妹だしねーと笑いながら付け足す。
『魔』の黒白姉妹とは、この寮での私達二人の呼び名だ。別に大したことはない、私とカエデはそれぞれルックスは悪くなく、良い方である。そして特徴的な髪色を備えていて、且つ姉と妹のように仲がいい。ただそれだけのことだ。
また私は同学年なのに妹なのか、とか私の髪色は白というより銀なのだけど、とか色々言いたいことはあるけれど数多い新入生の中、珍しい外見で目立っているのが同室なのだから仕方がないのかもしれない。
ちなみに、クラスは小中高の様な一人用の机椅子セットのものではなく、大学のような黒板に対する扇型の席で一クラスに約120人、それが10クラス。計1200人とのことだ。
国中から集めたにしては少ない気もするが、農家の子なら農業を手伝わされたり、そもそも通わせるためのお金がなかったりするからしかたがないのかもしれない。
そう考えたら、私とテオ二人分の入学金を収める余裕がある私の家は大分凄い。流石Aクラス冒険者。例の如く凄さがまだよくわからないが。
カエデの言っていた鍛錬の授業は二クラス合同で、1組と6組、2組と7組のようにそれぞれの組番号に±5した組とペアで行われる。ちなみに私とテオは4組、カエデは9組だ。
とはいっても一年のうちはそんな本格的なことはやらないと言っていた。基本は基礎体力作りに努めることになり、二年生から本格的に武器の使用方法を学ぶらしい。
座学の方も二年生までは広く浅く。ちゃんと学校の体を成してていた。まぁ、これまでやったことといえば文字と算術の足し引き、それから下級冒険者がよく目にするだろう薬草や魔物についてなどだけだが。
他にも、この学校を建てる要因となった勇者カエデの話も聞いた。といってもその子孫であるカエデから概要は聞いていたがあくまで概要だったのでどんな英雄譚が聞けるのかと思えば、学校創立者の賢者ラ……だかリ……だか……ええと、賢者何とかさん(長い名前で忘れた)との恋愛話が大半だった。
ぶっちゃけた話、人の恋愛話には興味がないのだ。なので私は話半分で聞き流した。テオは真面目に聞いていたようだったが。
「ごちそうさま」
「ごちそうさまでした」
カエデと私は手を揃えて同じ文句をいう。
勇者の子孫であるタチバナの家は勇者がしていたというこの文句を食事時の習わしとしているらしい。私もそれに倣って同じ事をしている……ということになっている。
本音を言えば、村にいた時もご飯を食べる時ついついやりそうになっていたのだ。10年で言わないことにも慣れていたが、それでも若干の違和感は拭えなかった。どうもこういった挨拶は日本人の魂に深く刻まれているようだった。
これ以外にも部屋の中では靴を脱ぐとか日本人らしいことを多数出来て、どうなるかと思っていた寮生活は中々にうまくいっているといえるのではないだろうか。
「それじゃ、行こう……あれ、カエデ珍しい」
カエデの朝食を見ると、そこには雑穀パン(雑穀分多め。私は結構好き)が半分だけ残っていた。かくいう私の皿にも同じように半分乗っているのだが、それは理由があってのことだし。
目敏くそれを見つけた私に、カエデは苦笑する。
「ああ、たまには私もーってね。リリィがしてるの見て、私もやりたくなっただけ」
「そう……ありがとう。みんな喜ぶ」
「いいっていいって。もたもたしてるとアレが来るし、早く行こう?」
「んっ」
二人揃って配膳をカウンター横の返却口へと置き、爪楊枝のようなもので歯の汚れを落し(磨いている、とは言いがたい)つつ、その足でそのまま玄関へと向かう。
玄関のゴミ箱に爪楊枝のようなものを捨て、扉を開きつつ周囲を警戒するように見渡すが警備の人以外に人影はない。
ほっ、と一息つくと男性の警備員と眼が合った。まぁ、扉が開いたら普通見るよね。私は小さく頭を下げつつ口を開く。
「おはよう、ございます」
「ああ、おはよう。あの緑髪のはまだ来てないぞ」
その言葉で改めて安堵し、扉を開いて外に出た。続いてカエデも出てきて、警備員に挨拶をする。
「おはようございます。今日もお仕事頑張ってくださいね」
「おはよう。しっかり学んで来いよ、後輩共」
寮の警備は軍の兵卒が順繰りに行っているらしい。
今では元冒険者学校の生徒が多く志願して行っているようで、今日の警備員もその一人のようだった。
カエデは笑みを浮かべてはい、と返事を返すと私の手をとって街道へと出た。
朝の街道……大通りは案外静かだ。しかし朝から昼の時間帯にかけて客が多くなるのだからこんなものだろう。日本だって店は九時、十時開店が殆どだし。
というか私達が少し朝早いというのが最も大きいのだけど。準備中の露天もあれば、もう開いている露天もある。これを考えると、こんな早くから大人数の朝食を作ってくれている食堂の人達は凄いと思う。
カエデと並んで、もう営業している店や営業間近の店を見て回る。
急いで、されど慌てず見逃さないようにゆっくりと。最悪時間がなくなったらスルーしてもいいけれど、アレに対抗する私の清涼剤をあまり見逃したくはない。
「あっ、リリィ! あれ!」
カエデが繋いだ私の手をくいっと引いて、一つの準備中の露天を指差す。
厳密にはその露天の横にある、頑張れば人一人が入れそうな樽。更に言えば、その樽の上に乗っかってぷらーんと尻尾のみを樽の外に垂らしている大きな茶毛の猫。
後ろを振り向いているからまだこちらに気がついていない。
私はカエデと顔を見合わせ、カエデの手を離してから音を立てないように私が背後に忍び寄る。
十二分(まさに樽の真ん前まで)に近寄ってから、そっと猫語で声をかける。
『おはよう、ミスタ』
ぴくん、と茶毛の猫――ミスタの耳が立つ。名前は自分でつけたらしい。
彼は真ん丸にした眼をこちらへと向けるのと同時に雑穀パンを掲げ、見せつけるように左右に振った。
するとミスタは口を開いて犬歯(猫なのに犬歯とはこれ如何に)を見せつつ納得を見せる。
『おう。今日は来たのか』
『うん。今日はカエデも分けてくれたから、パン一つ分あるよ』
『わかった。まぁ、来る奴らは変わらんと思うからもし余ったら適当に分け与えておくぜ』
『じゃ、案内よろしくね』
ミスタは私のその言葉に答えず樽から地面に飛び降り、そのまま振り返らずに路地へと歩いて行く。
やっぱりそういうところは猫だなぁ、ついていけなくてパン貰えなくなったらどうするんだろうと思いつつ顔をあげると、露天を準備中の男性がこちらを見ていることに気がつく。
いや、まぁ。
そりゃ、まだ開店もしてない店先でにゃーにゃー言ってたら何事かと思うよね、当然。
私は若干顔が赤くなるのを自覚しつつ男性に軽く頭を下げ、カエデと一緒にミスタを追うのだった。
☆
ミスタとの出会いは二週間程前……つまり学校が始まって二週間ぐらいの頃へ遡る。
とある事情より早起きをせざるを得なかった私は早く起きすぎた為にあまりお腹が空いていなかった。ので、パンを好きな時に食べることにして寮を出たのだ。
そこで猫を見つけた、それがミスタだ。後から聞いた話になるけれど、露天の準備中なら餌を貰えたり、隙を見て盗ったりすることが結構できるらしい。
ミスタは、この帝都南区のボス猫だった。子猫の世話をよくみているようで、餌はいくらあっても足りないのだという。そこで私は朝食のパンをあげることにしたのだった。
ミスタも私に猫語で話しかけられた時はびっくりしたが、猫語を喋る白い人間が帝都に来たと噂には聞いていたらしい。まぁ、所構わず好みの動物を見かけたら話しかけたりしていたからね。
それを一週間続けた所、私(と、ついでにカエデ)は南区猫教会(仮)の名誉会員となることが出来たのだった。こんなに簡単でいいのだろうかと思ったけれど、私的には猫と戯れられるから別に構わないが。
そんなわけで、今の私の目の前には色んな子猫がいる。
『ちょうだいー』やら『あそんでー』やら舌っ足らずな言葉に笑みを浮かべつつ、パンを千切っては撫で、千切っては撫でを繰り返す。
今日はカエデもパンを持ってきたためカエデの方にも群がっている。私に比べて少しばかり警戒があるようだけれど、それもほんの少し……五十歩百歩の差だ。大して変わらない。
『おねえちゃん、僕にもちょうだいー』
『うん、ちょっとまってねー……はいどうぞ』
『はむっ……ありがとー』
私の手からパンを食べると、そのまますりすりと私の手に背中をこすりつける。
確か、これってマーキングの意味があったような、と苦笑する。種類にもよるけれど犬は主人本位で、猫は自分本位だという話を聞いたことがある。つまり『おねえちゃんは僕のだー』とでも言外に言っているのだろう。
まぁ、そのマーキングも一日に何度も上書きされるのだけどね。
しかし、みんな可愛くて困る。ミスタはどちらかといえば眼つきが悪いほうだけど子猫たちはみんな身体も眼も真ん丸でふわふわしてる。少し汚れているのが玉に瑕だけどこの程度ならマルタもそうだったしどうってことない。いっそ全部持って帰りたいぐらい。
きっと持って返ったら、私達以外の人も餌をくれるだろうし食いっぱぐれはないだろう。
一匹ぐらい駄目かなーとか考えながら目の前の子猫を一匹持ち上げると真横から翻訳できない声が響く。
『にゃー』
「……?」
すっ、と視線を横に向けたらそこには私と同じように猫を目の前に抱き上げて、にゃーにゃー言っているカエデがいた。
カエデは何度も何度も鳴き声をあげるが、持ち上げられた三毛猫は意味がわからないとでもいうように首をこてんと傾げていた。可愛い。
というかカエデは何をしているのだろう。『にゃー』っていっても『にゃー』しか伝わらないのは当然なんだけど……まぁ猫語がわからないならこうなってしまうのは当然なんだけど。
犬語にしても猫語にしても、教えるのは難しいんだよね……感覚というか、僅かなニュアンスで伝えてるわけだから人間の言語でにゃーと言ってもにゃーとしかならないんだよね。私の言語チートだと人にはにゃーと言ってるように聞こえても猫にはわんと聞かせることができるけど。
「うーん……やっぱりリリィほどには懐かれてないってことか~リリィって、まるで話してるみたいだもんねー」
『当たってら』
『うっさい』
『おぉ怖い怖い』
箱が積み重なった、一段高い所で私とカエデが餌を上げるのを見ていたミスタが笑い声を上げる。まぁ笑い声だと分かるのは私(と猫)だけなのだけど。
ちなみにミスタも、マルタと同じように人の言葉がわかるぐらいには長生きしているようだ。
こほん、と咳払いを一つ。
「……カエデも、そのうちわかるようになる」
「あっ、やっぱりリリィはわかってるんだ?」
「ご飯がほしいとか、撫でて欲しいとか、なんとなく。詳しくはわからない」
『嘘つくなよ、お前以上に俺達の言葉がわかるやつなんでいるもんか』
ミスタが茶々を入れてくるが、カエデにはわからないし聞こえなかったふりをする。
ミスタ曰く、獣人でもここまで繊細には動物と会話することは出来ないとのこと。やっぱり先天性と後天性の違いなのだろうか。
しかし、人は沢山いるんだし『あらゆる言語を理解できる』じゃなくても『猫語を理解できる』があってもおかしくはないと思うんだけどね。ミスタが知らないだけかもだけど。
カエデはミスタの言葉に首を傾げて、つい先程少しならわかると言った私へと問いかけてきた。
「今のはなんて?」
「お腹いっぱいだから要らないって。そろそろ学校行こう、遅刻する」
「あー……そうだね。そろそろ行かないと危ないかも。じゃあね、猫ちゃん」
『おい、おい! 冗談だよ、余ったのおいてけ!』
おいてけって。まぁ、別にいいけど。
カエデが先に歩き始めたのを確認し、ぽーん、と弧を描くようにミスタへと余ったパン(残りは元の五分の一ほど)を投げつける。
するとミスタは空中へと見を投げ出して口でそれをキャッチ、そのまま綺麗に地面へと着地した。
図体が大きいから機敏な動きは苦手かと思っていたが、やっぱり猫は猫のようだ。
『ナイスキャッチ。じゃあね、皆。また来るから』
『じゃあねー』『ありがとー』『さよならー』
『にゃー』
子猫達の合唱を聞き、カエデも微笑みを湛えつつ手を振りながら鳴き声を上げる。
獣人に比べて人間は動物言語の取得率は相当低い(それこそ一匹の猫の一生では取得できないレベル)らしいけど……カエデにもそのうちわかる時が来るのだろうか。
私の『祝福』で何とかコツを教えたりできないかなー
「……げ」
「みっ」
そんなことを思いながら路地裏から一歩先に出たカエデが急に立ち止まり、しかし私は立ち止まりきれずに顔面をカエデの背にぶつけた。痛い。
鼻をこすりながら何事かと背伸びしてカエデの肩越しに通りを覗き込むと、丁度それと目が合う。
あちゃー、と私は溜息を吐きながら額を抑える。
「……忘れてた」
「うん、私も」
不幸というのは、忘れた頃にやってくるのだなとしみじみ実感する。
彼は私を見つけるやいなや喜色の感情を表しつつ、こちらへと駆け足で向かってきた。
何分危害を加えてくるというわけではなく、やりすぎているというわけでもないので邪険にもできない。仕方がなしに、私はカエデを少し押して路地裏から通りへと身体を出す。
彼はその羽織っているケープを僅かに棚引かせ、紳士的に一礼をする。
様になっている辺りがまた私の頭痛を酷くするのだ。
「おはようございます、リリィさん。もう学校へ行ってしまったかと思っていました」
「……おはよう、ございます」
レスター・タウンゼント。
彼こそが初登校日から一ヶ月間、毎朝寮まで私を迎えに来る、私が早起きをしてまで避けたい人物だ。




