18 血を継ぐということ
中世のようだ、中世みたいだといっても私はさほど中世に詳しいわけではない。
イメージするものや人物としてはナポレオンだとかジャンヌダルクだとか、あとはかの有名なラストの処刑寸前に髪が真っ白になる漫画ぐらいのものだ。読んだことはなかったけど。
しかし、なんとなくこの世界の技術はあやふやというか、ちぐはぐな気がしている。
元から世界はこんなものであり、今までは不便な田舎に住んでいたからそう感じるだけなのだと言われればそうなのかもしれないが、それだけでは納得できない部分もある。
この、トイレットペーパーだってそうだ。
なんで本が流通していないのにこういったトイレットペーパーが普及しているのか、私にはちょっとよくわからない。
多分、私みたいな人達が持ち込んだ技術による弊害だとは思うのだけど。
まぁ、魔法なんて便利なものがあるこの世界そのものが原因だと言えなくもないが。特に不自由をしないのだから、代替を開発しようなんて思わないだろう。そういう風に人々の認識が出来上がってしまっているのだ。
もしかしたら、私も何かしらの技術をこの世界に伝えるために生まれ変わったのかも?
……いやいや、ないだろう。私は製造業とか何かに秀でた知識を持っているわけじゃない。ただの偶然か何かだ、この期に及んで自分が特別な人間だと自惚れるつもりはない。
私は手にとったトイレットペーパーを股間部に当てて、そこについている水を撫でるようにして拭き取る。
そのまま二つ折りにして座っていた洋式トイレに放り込み、レバーを捻って水を流す。
くるくると回転しながら奥に吸い込まれていく水を見つつ、そういえばトイレも立派だよなぁと思う。
ビデやらおしりやら音姫やらはないけれど、ちゃんとした水洗トイレだ。恐らく四階にも設置されているのだろうし、中世には過ぎた長物ではないだろうか。昔のパリでは汚物は窓から捨てていたというし、日本でも田舎ではボットン便所があるとかなんとか。
……って、トイレを凝視して何を考えてるんだろう。便利な分には文句はないのだから別にいいじゃないか、素直に恩恵を享受しよう。
でも変に現代知識があると、コレがあるならアレも当然あるだろうという発想に至ってしまう。この十年でこの世界の常識は覚えたけど、都会にある技術は村では聞かないようなものもあるし、その辺りは知識とのすり合わせが必要になる。
あるとかないとか、似たようなものがあるだとかそのぐらいだけどね。
トイレを出て部屋に戻ると、ベッドに腰掛けて木札の部分を持って鍵を振り回していたカエデが私を見て立ち上がり、近づいてくる。
「おまたせ。待った?」
「別にトイレぐらいで文句いわないってば。それじゃ行こっか」
「ん」
苦笑しながら言うカエデに私は答え、身を翻してほんの一足先に玄関へと向かう。
段差の無い場所で靴を履く、というのになんとなく違和感を感じるが家の中で靴を履いているのが当然に鳴ったように、それもそのうち無くなるだろう。
鍵を開けて扉を開くと、結構防音要素の強い室内に廊下で行われていた談笑が飛び込んでくる。
もう結構な人が起きているみたいだ。食堂は一応全員が座れる席はあるけれど隣に人がいたりしたらなんとなく話もし辛いしもうちょっと早く起きるべきなのだろうか。
ちなみに大浴場はなかった。がっかり。
「おっ。おはよう、新入生。今日からよろしくねー」
「あっ、おはようございます!」
カエデが部屋の前を通った(多分)上級生に声をかけられて挨拶を返す。
私は軽く頭を下げるのみだったが彼女は微笑ましく見守るような表情だったし特に問題はなかったのではないだろうか。
流石に一対一で挨拶されたら私も返すけど。
「これでよし。行こう、リリィ」
言うやいなや、カエデは少しよそ見をしていた私の手を握って歩き出す。
それは私の手より若干ながらも大きく、少しばかりざらついているような感触はあったが人のぬくもりとしての暖かさがそれらの感想を上書きする。
やっぱり手が冷たい人が心が温かい、逆も然りは迷信だと思う。長い付き合いをしたどころかまだ一週間も経っていないのに人間性が大体分かるのだから少なくとも冷たくはないだろう。
……いや、もしかしたら騙っている可能性も否定出来ないけどもしかしたら卒業するまでルームメイトでいる相手に仮面をつけていたら疲れるというものではないだろうし。
ちなみに、こういう距離感が近い人は私としてはあまり好みじゃない。私はどちらかといえば騒がしいのはあまり好きじゃないタイプだから。
しかし、それでも私が少しだけ安心するのはやはり彼女のその見た目が関係しているのだろう。勿論、話しかけやすそうなその人柄も一因だと言えないこともないが。
……さて。少し前置きが長かったけれど、彼女について少しだけ語るとしよう。
カエデ・タチバナ。ウレア帝国の一領主……つまり貴族のご令嬢であり、私のルームメイト。
そして先代の勇者の血を色濃く持つ、恐らくこの世界で最も日本人に近い人間である。
☆
「えーっと……ごめんね、今なんて言ったの?」
それが私の日本語を聞いた彼女の反応だった。
いや、私が問いかけた後すぐに返ってきたわけではない。まずは眉に皺を寄せて、片手をもう片方の手の肘にあてて眉間を指で押さえる。かと思えば唸りつつ天井を見上げて腕を組む。
そうした行動を経由した後の、これだ。これが演技だったら大したものだと思う。だから念の為もう一度区切って言った私は悪く無い筈だ。
しかしそれでも色良い反応は得ることが出来ず、私は深く落胆することになったのだ。
今思えば、仮に彼女が日本人だったとしても少し軽率な行動だったかもしれない。なにせ今はこんな形でも昔は男だったのだから。別に言わないこともできるが、日本女子あるあるなんてされると私には同意するのは難しい。
そう考えたら、かえって彼女が日本人でなくてよかったのだと思う。うん、そう思うことにしよう。
その後、仕切り直しに行われた自己紹介。
そこで知った事実は、確かに彼女は日本人ではなかったが日本人の血を引いた人間だったということだ。
「私のご先祖様……先代の勇者様も髪と目の色が黒だったらしくてね。だからその勇者様の名前の、カエデって名前をつけられたんだ。ちょっと大仰で、恥ずかしいよね」
自己紹介にて名前を聞いた後、やっぱり日本人みたいな姓名だなと思って彼女をまじまじと見たらはにかみながら返ってきた返答がこれだった。
勇者の英雄譚は私自身もママから子守唄代わりに聞いたことがあった。が、外見は疎か名前すら伝わっていなかったから、勇者が日本人だったことに結構な衝撃を受けたことは間違いない。
もっと詳しく聞いてみたかったが、あんまり質問攻めにしても悪いと思って質問はその辺りで引き上げておいた。同室なのだからこれから互いの家族について聞くことなどあるだろうし、結構頭の中がこんがらがっていたというのもあるが。
ちなみに、その先代勇者と契を結んだその相手こそがこの学校の創設者だというのも教えてくれた。三百年程前とのことで、つまり大体……五代から六代前ぐらいだろうか? そのぐらいに学校もできたということになる。それにしては綺麗な学校でこの寮も綺麗だけれど、それは魔法でちょちょいとしているのだろう。
……まぁ、創設者の生死を知りたかったから学校の出来た時期を知りたかったのだが。順番が逆になってしまった。
その先代勇者と創設者、どちらがこの制服を考えたのかはわからないが、或いは制服のデザインは服屋に一任されていたのかもしれないが、何れにせよこれを考えたのは日本に住んでいた人なのだろう。
やっぱりどの人も死んでいるから、確かめることも出来ないが。
☆
朝食を終えた私達は一旦部屋に戻り、何も忘れ物などが無いか確認した後に寮を出る。
と言っても鍵以外に持つものはない。パパに貰った剣も使用するのは二年生からだ。一年時はひたすら基本に従事するらしい。
また文字や算術も行うが教科書などはなく、配られるミニ黒板で練習するとパパが言っていた。
「うーん、やっぱりリリィの髪って綺麗だよね。きらきらしてる」
歩きながら、カエデは私の髪を手に取る。少しばかりくすぐったい。
私はカエデの髪にも触ってみたいけれどカエデの髪はとても短い上に身長も向こうの方が少し上だ。歩いているときは我慢することにしよう。
「私も勇者様と一緒っていうのは嬉しいけど、でもリリィみたいなのがよかったな。伸ばしても目立つだけだからね、私の髪は」
カエデはもう片方の手で自分の前髪を弄りながら言う。
つまり、目立つのは嫌いじゃないけど綺麗な方がよかったということだろうか。
日本人も結構黒い髪が嫌で染めている人が多かったけれど、黒いのは地味だというイメージが強かったみたいだしそういう傾向になるのも仕方のないことだったのかもしれない。
私は黒髪のロングがストライクなのでその風潮は否定したいにも程があったのだが。
「私は、カエデの髪好き。夜みたい」
「リリィは夜の方が好きなの?」
「ん」
「そっか。うん、ありがとね」
そう言うとカエデは少し嬉しそうに笑みを浮かべる。
ちなみに夜というのは『朝から夜まで』というエロゲのヒロインだ。一番ではないが、私的ランキングで上位に入るぐらいには好きなキャラだった。ちなみにネットではタイトルに関して『ライ◯ンwww』だとか『今月のハズレ目』だとか言われてたけど今となっては珍しい正統派純愛ゲーで結局その月のエロゲランキングで一位をとっていたのは余談である。
そのキャラクターの夜はつい先程述べた黒髪のロングで今のカエデとは似ても似つかないけれど、色が同じという点ではそっくりだから嘘は言っていない。
それに、実際昼より夜の方が好きだし……本当だよ?
そんなことを話していると、学校が近づいていくる。
校門を潜ると、結構な数の生徒が邪魔にならないよう道の端で固まっていた。
きっと入学の日に寮の上階から見ていた先輩達と同じで、新しく入ってきた後輩や同級生が気になるのだろう。なにせまだ年齢的には小学生や中学生なのだから。
そしてその視線は、物珍しそうなものを見る顔で私やカエデに多く向けられる。尤も、私もカエデも珍しい髪を持っていて美少女と言える外見だ。本当に珍しく思っているのだろう。
そんな風に見てくる生徒たちを私もまた一瞥していると、見知った顔をその中に見つける。
「……テオ?」
「テオって……リリィが帝都に一緒に来たって言ってた男の子? 見たい! どこどこ?」
あれ、と指を指すのと同時にテオがこちらに気が付いて走って寄ってくる。その後ろから、制服の上にケープを羽織った緑色の髪の男の子が慌てた様子でついてきている。多分テオのルームメイトだろう。
ああ、今更だけれどテオの髪色は赤と橙色の中間ぐらいだ。真っ赤だったら主人公色とか言えたものを。
「おはよう、リリィ。無事に遅刻しないで来れたみたいだな」
「ん、おはようテオ。こっちは、一昨日言ったと思うけど同室のカエデ・タチバナ」
パパの見送りをする時に、軽くどんな人かは話してある。
テオは値踏みをするようにカエデの頭から足の先まで見るが、それは私を心配しているだけだと信じたい。
カエデにもテオは結構私に対して過保護だと言っていたので苦笑しながら口を開く。
「リリィから話は聞いてる。私はカエデでいいから、呼び方はテオでいい? そのほうがしっくり来るし」
「ん? ああ、大丈夫だ……っていうかリリィ何話したんだ?」
「ん……テオは心配性だって」
「当たり前だろ! お前眼を離したらすぐにどっかいくんだから!」
だから、心配してもらわなきゃいけないほど自分の面倒が見れない人間じゃないんだけども。
テオにとっては、俺が私になったあの時からずっと面倒をみなければならない妹のままなのだろう。
この学校生活でなんとかそのイメージを覆すことができるといいのだけれど。
「……ところで、そっちの人は?」
「ところでって……まぁいいか、こっちは俺の同室。レスターっていうんだ」
テオはいうが、レスターと呼ばれた男の子は微動だにしない。
紹介をした当の本人も不思議がって彼を見るが、彼は眼を若干見開いたまま瞬きすらしない。
……なんだか私の方を向いている気がするのだが、気のせいだろうか。
彼の身長は私と同じぐらい。つまり男子の中ではとても小さな方だということになる。テオはいつも私にしているように、その顔を覗きこむようにしてから確認するように名前を呼ぶ。
「レスター?」
「……ぁ、えっ? なっ、なんっ……でしょう、か?」
「……大丈夫か? 顔赤いぞ?」
「いっ、いえ! なんでもないですよ! 何かあったとしても、テオドールが気にすることではないです!」
テオが突っ込まないところをみるに、彼はいつもこの丁寧な喋り方なのだろう。テオならタメ口でいいというはずだが、これが癖になっているというなら放っておくのだろうし。
そうか? とテオが首を傾げると少し腑に落ちないといわんばかりの表情をこちらに向けて、改めて紹介を始める。
「レスターだ。俺の同室……つまり『剣』の231だな。教国から来たらしいぞ」
「アムシュリア教国出身、レスター・タウンゼントです。よろしくお願いします。それで……こちらの方のお名前は?」
「リリィだよ、リリィ・オールランド。俺と同郷の奴がいるって言っただろ?」
「ああ……そうですか、彼女が……」
そうして彼……レスターはテオがカエデにしていたように私を上から下まで一瞥する。
その後、何かを決心したように一度頷くとテオより一歩前に踏み出して私の真正面に立つ。
「あの、リリィさん。つかぬことをお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「? どうぞ」
「あなたは、その……天使様、でしょうか?」
真剣な顔で、レスターはそう曰わった。
……天使?
ああ、そういえばアムシュリア教国出身って言ってたっけ。宗教国家だから天使とかそういう崇拝する存在がいてもおかしくないか。
でも、私にそう問いかけるのは間違ってないだろうか。仮に私と同じ名前の天使がいたとしても、そんなのがこんな場所にいるわけがないだろう。
「多分、違う」
『多分っていうか普通に違うだろ』というテオの突っ込みが聞こえたが、気にしないでおこう。
レスターはその答えを受けて考えこむように口に手を当てた。
「そうですか、違うのですか……それでは、僕の天使様になってくださいませんか?」
はい?
…………。
はい?
ちょっとよく意味がわからないですね。
テオとカエデの顔を順番に見てみるけれど、私と同じように意味がわからないと頭の上に『?』を浮かべている。
多分このまま放置しても場が進まないだろう。仕方がなしにその意味を問いただすことにする。
「ちょっとよく意味がわからない」
「あっ、申し訳ないです、僕としたことが説明不足でした。ええと……僕の、天使様になってくださいませんか?」
何も変わってない! このまま聞き返しても多分同じ返事しかこない!
助けを求めるように周りを見るが、相も変わらずテオとカエデも疑問符が頭に浮かんでいてフリーズしたように動かない。
よくよく見てみると、レスターの表情は告白する男子のように緊張して硬くなっていた。先ほどまでの意味不明な発言を聞くに、固まっていた時私を見ていたのは間違いではないらしい。
そんな私達の様子をおかしいと思ったのか、または話に聞き耳を立てていたのか周囲の生徒たちもざわざわと私達に注目をし始めていた。
……どうするのよ、これ。
意味の分からない状況に、私はただ頭を抱えるしかなかった。