01 生まれて死んで、また生まれ
「……生まれた! 生まれたぞエミリア! 俺の、俺達の子だ!」
俺が二度目の生を受けた時に初めて聞いたのは、そんな喜色に満ちた声だった。
いつまでも包まれていたい温もりから解き放たれた俺は、男のごつい腕に持ち上げられていた。しかしただのごつい腕ではなく、俺の身体程の太さがありそうな大きな腕で、だ。
一般男性の平均身長にギリギリ達していない俺を軽々と持ち上げているこいつは一体どこの巨人だ、と思い恐怖した。
いや、しかし。前後のやりとりがすっぽぬけていた俺はどうしてこんな状況になっているのかを混乱した頭で考え始める。
そして思い出す。直前まで俺が何をどうしていたのかということを。
☆
俺、時久誠は極普通の日本人だった。
家族構成は父、母、姉とペットの犬一匹。成績は中の上。性格は温和。
公立の中学に通い、適当な高校に行って、特別なことをするでもなく大学に進学。
強いて言えば無遅刻無欠席が自慢な、特徴のない男だった。
ただ一人だけいた親友を除いて、そこそこのオタクであることも家族にすら教えなかったという秘密を持つ。
まぁ、そんな人間。
どこにでもいる、どこにだっている、普遍的な日本人。
そんな人間だった俺は死んだ。
それはもう、酷くあっけなく。
別にテロに巻き込まれただとか、轢かれそうになっていた子どもや動物を助けたとか。そんな劇的なことなど一切なかった。
俺は自分で勝手に原因を作り、そして勝手に死んだ。
テスト勉強においての寝不足で頭がぼんやりしていたところを横からトラックに襲われた。
死ぬ間際には物事がゆっくりになるというが、よくわからない。
けれど、吹き飛ばされた時に偶然見えた運転手の顔が深く俺の印象に残った。
驚愕、悲痛、そして絶望。
一瞬のうちに移り変わる表情に、悪いことをした、と思ったのを覚えている。
『悪い、許せ』
それが俺が最後に、彼にあてた言葉だ。無論心の中で、だが。
今になって思えば、もっと他に何かあるだろうと思う。
例えば残して逝く家族のことだとか、今日のテストどうしようだとか(いやこれは違うか)、あいつ、HDDちゃんと処分してくれるかなとか。
恐らくだけれどもう少しでも時間があればそんなことも考えていたのだろう。
もしかすると、その未練によって是が非でも生にしがみついていたのかもしれない。
でもそれは叶わなかった。
何故か。答えは簡単だ。
打ちどころが悪く、俺は即死だった。この一点に尽きる。
☆
俺はただ揺蕩う。
まるで揺り籠のように揺らめくそこは、俺専用と言っても過言じゃないほどに心地のいい場所だった。
ここに居続けたい、と思う。
けれど、それは絶対にありえないことだとも理解していた。
そこには光があった。
俺は次第にそれに引き寄せられるように、或いは背中を押されるようにそれに近づく。
そして、最後には目を開けていられない程の光に吸い込まれた。
☆
そうして気がつけばこの巨人の腕の中だ。
巨人の腕の中で全てを思い出した俺は、一瞬ここを天国か何かだと思った。
直後にその考えを否定する。天国を信じていないわけじゃないが、巨人のいる理由がわからない。
そもそもとして、この男の言葉がある。
『俺の、俺達の子だ!』
泣きたくなった。
実際に泣いた。
遅れて実感する。俺はもう、家族に、友達に会えないのだと。
さんざめく俺を大人しくさせようと一定間隔で揺れる腕など気にも留めず、泣き散らした。
『どうして俺が』
『何故』
『何故』
言葉にならない、言葉に出来ない叫びは、いうなればまさしく子供の癇癪だったのだろう。なにせ寝不足で勝手に轢かれたのだ、自業自得に他ならない。
だとしても、感情は理屈じゃない。どうしようもないからこそ感情は感情足りえるのだった。
どのくらいの間泣いていたのかはわからないが、生まれたての身では体力など無いに決まっていて俺は泣きつかれてやがて眠気に誘われる。
薄れていく意識の中、静かになった俺を確認してそっと男……父の腕から女……母の腕に移されたのがわかった。
ふわりと温もりが俺を包む。
ああ、これが。これが、母の暖かさ。
父の腕もそれなりに暖かかった(あまり感じる余裕はなかった)けれど、これは別格だ。
全てを受け入れて、受け止めて、抱きしめてくれるこれは、生前の母にも共通して感じていたものだった。
自然と涙が零れそうになる。
俺は母の温もりをそのまま享受し、今まさに襲いかかっている睡魔を受け入れようと息を吸い込む。
その瞬間、父と母の声を遠くに聞いた。
「温かい……」
「ああ、そうだな……ありがとうな、エミリア」
「ううん、私が産みたくて産んだのだもの。私こそお礼を言うべきだわ。ありがとう、クロス」
「……んんっ! そっ、それで、名前はどうする? 名付けは男なら俺で、女ならお前だっただろう?」
ぴた、と涙腺の刺激が停止する。
……なんか今聞き捨てならないことを聞いたような。
それを確認するより先に、俺を抱いている母親から声が降ってきた。
「リリィ。この子は、リリィ・オールランド。私と、クロスの間に生まれた女の子」
「リリィか……いい名前だ」
ちょっとまって。
ちょっとまって。
ちょっとまって!
は? なにそれ!?
女!?
誰が!? 俺が!?
ちょっとまって! お願いだから、ちょっと……!!
いくら頭の中で叫んでも身体は欲求には逆らえず、俺は深い眠りの中に落ちていくのだった。
こうして。
時久誠は死に、リリィ・オールランドが生まれた。