17 故郷の面影
学校を出て、大通り沿いに南へ二十分程。
制服を着た少年少女達の大きな波に逆らわず進んでいくと、やがて一つの家が見えてくる。
いや、家といっていいのかもわからない。他の家より一、二回り大きなその建物は窓の数から見るに四階建て。更にその上に教会にあるような大きな鐘がぶら下がっている。
もしアレが毎朝鳴るのだとしたら、すごく煩そうだなと少し思う。
「おぉ、結構立派なんだな」
「ああ、『剣』と『魔』の寮は学校創設からずっとある寮でな。今でこそ色んな場所に寮があるが、在校生が少なかった時はこの二つだけで回していたらしい。だから立地も便利な場所にあるんだ」
パパ曰く、学園寮も千差万別。
比較的早い時期に建てられたものはそうでもないみたいだが、後期になって建てられた寮は新しいのはいいのだが立地が悪い寮が多く、パパの場合は身を持ってそれを思い知ったらしい。
その代わりと言ってはなんだが、同じ苦労を背負ったもの同士で寮内の結束は高かったようだが。
「よし! じゃあリリィ、行こうぜ!」
「ちょっ、まてまて!」
寮の前で立ち止まっている私達の横を通って人達を見て我慢できなくなったのか、テオはいきなり寮の敷地内に入ろうとする。
が、それは叶うはずもなく。つい先程の、私の髪を引っ張ったテオと違ってパパは見事にテオの服の襟を掴んで止めていた。
流石Aランク冒険者。すごいのかすごくないのかは未だによくわかってないけど。
「……なんだよ師匠、何かあるのか?」
不服そうに口を尖らせるテオにパパは少しばかり苦笑する。
「ここは『魔』の寮だ。興奮するのはわかるが、テオの寮は『剣』だろう?」
「そのくらいわかってるよ。でもリリィの相部屋の奴を見とかないと駄目だろ? もし男だったら色々言っておく必要があるじゃん」
「いや寮自体は男女混合だが、部屋というか階自体別だぞ。心配しなくても、リリィの同室は女の子だ」
入学手続きの時に二人一部屋だという旨は既に私もテオも伝え聞いていた。
だからこそ入学式の時に同じ部屋云々と話していたわけだが、そもそも一緒の部屋になることはルール上はなかったようだ。
その事実にテオは少しだけ胸を撫で下ろす様な挙動を見せるも、すぐにハッとしてパパに言う。
「獣人だったらどうするんだ? リリィが暴走とかしたらやばいだろ?」
「あー……確かにその可能性はあるが、リリィは無理強いはしない、と思う」
二人して私を一体どういう目で見ているのか
私はちょっとペット系が好きなだけだ。無差別に近寄ったりはしない。
一方そんな私はといえば、パパから買い与えられた林檎……もとい、オオアカの実を食べている。
この小さな体だと、これ一つでも結構お腹が膨れる。よく食べなきゃ大きくなれないとは言うが、大きいから多く食べられるのではないだろうか。
寮に入って行く人を見ると、私より身長の低い人は殆どいないように見える。まだ十歳なのだし、大きな差はないと思っていたのだけど発育の良い人が多いみたいだった。
……いや。ママを見るに私にもポテンシャルはあるはず。少なくとも、身長は欲しいところだ。向こうにいた頃はお世辞にも高いとはいえなかったし。
不意に背中を軽く叩かれ、思わず手の中のオオアカの実を落としそうになってお手玉した。
しかしその甲斐なく、オオアカの実は私の手から離れて地面を転がった。土がついて汚れてしまい、洗ったら一応食べられはするだろうが健康であることは保証できない。
文句ありげに、私の背中を叩いた人――つまりパパ――を見ると、罰が悪そうに眼をそらした。
「あー、すまんリリィ。しかしこのままだとテオを寮に送る頃には日がくれてそうだからな、寮の手続きをしてくれていいぞ」
「師匠!」
「パパは明日一度家に戻るつもりだから、明日の昼過ぎぐらいに来るからな」
テオの叫びを無視しつつパパは話を進め、私もそれに倣った。
パパの持っていた私のバッグを受け取って肩にかける。何か言うべきか少し迷ったけれど、うん。いつも通りでいいだろう。
「行ってきます」
「ああ、また明日な」
「テオも、また明日」
「あっ、ちょっ! リリィ、置いてくな! 師匠!」
何がそこまで彼を駆り立てるのか。絶対私の心配だけじゃないと思う。純粋な想いならごめんなさいだけど。
門を潜って小さくなってから立ち止まって後ろを振り返ると、そこに二人の姿は既にない。小さくなっていた声がさらに離れていくところをみるに、パパがテオを持ち上げて強制連行でもしているのだろう。
まぁどうせ明日また会えるし、学校が始まればルームメイトなど紹介する機会もあるだろうから心配など杞憂だったとすぐにわかるだろう。
私は落としたオオアカの実を拾いつつ、楽観的にそんなことを思った。
☆
そんな風に思っていた時が私にもありました。
開きっぱなしの扉を抜けて寮の中に入ると、そこにあったのは四階まで吹き抜けになっている大広間だった。まるでホテルのような様子で二階以上の階の手すりからは在校生だろうか、新入生達を一目見ようと身を乗り出している人が多く見受けられた。
一階の玄関先には受付があって、外部の方はこちらって張り紙がしてあるところを見るに外部から来た人はそこで何かしらの申請をしなければならないようだ。
そして今回はその受付に私達新入生も行かなければいけないようだった。現にここの寮の人なのか、腕章をつけた人が『入寮者はこちらで受付をしてください』と声を張り上げていたのだし。少し出遅れたために入学式の列よりかは短いとはいえ、再び並ぶ必要があったのだが。
まぁそのくらいなら別に許容範囲だった。バッグだって持っていられないほど重いわけではないし、並ぶだの待たされるだのというのは日本でよく慣れている上にこの十年どちらかといえば時間に追われないスローライフを送っていたのだ。
問題は、そうやって並び始めた後のこと。並んでいる私を見るなり近寄ってきて、
「ねぇ、あなた。綺麗な髪してるわよね。入学式の時に見かけたのだけど傍に他の人がいたし、私にも親がいたから話しかけられなかったの」
とか、
「なぁ、お前名前なんていうの? 部屋は?」
とかそんな風に話しかけてきた人が男女問わず数人いた。
人見知りの気が若干ある私にとってはそういうことを言われても『ありがとう』だとか『どうして?』としか返すことが出来ない。
しかし、十六歳とかそこらならいざ知らず、十歳程度なら大体の人が可愛い盛りではないのだろうか。パッと見る限りでも全体的にルックスのレベルは高いだろう。他にも話しかけられている人は何人かいるように見えるけれど、私が一番話しかけられているような気がする。
それとも髪が珍しいのだろうかとママ譲りの銀髪を手繰り寄せる。入学式で認識した通り、この髪の色を持つ人は少ない。それが目を惹いて、且つ見目もそれなりにいいから話しかけてくる人が多いのではないかと適当に推測を立てた。
テオの心配はこういうことだったのかもしれない。もしかしたら村で他の子供達と遊ぶ時もテオが何かしら牽制していたのかも。
村の大人達にママに似て可愛いだとか綺麗だとか言われることはたまにあったけれど、まさかまだ人格も未熟な子供の眼を引くほどだったとは。もしかしたら気がついていなかっただけで街中でも色んな人の眼を惹いていた可能性もある。
これは、これからの身のふりも考えなきゃいけないなと考えていると、丁度受付の順番が回ってくる。
ああちなみに、オオアカの実は入り口にあったゴミ箱に捨てた。半分ぐらいしか食べていなかったから少しもったいなかったけれど、落ちたものを拾って食べるほど卑しくはないつもりだ。無論、そういうのを食べなければ生きていけない人がいることも知ってはいるが、余裕があるのなら少しでも人間らしさを追求すべきだろう。
贅沢を追い求めることが人間らしさかと問われれば、そうではないのかもしれないけど。
「……あの?」
「……、今出す……ます」
受付の人に急かされて、我に返った私は慌てて鞄の中にしまっていた茶封筒を取り出し、手渡す。
受け取ったそれから入学証明書を取り出しザッと目を滑らせた彼女はにっこりと営業スマイルを見せて私へと確認を取る。
「リリィ・オールランドさんですね?」
「はい」
「それではこちら、301号室の鍵となります。そこの……広間の両脇にある階段から三階に登って、向かって右側が301から325号室、左側が326から350号室となっていて、部屋の扉には番号が彫ってあります。番号が読めない場合でも、こちらの鍵についている木札と同じ文様なので見比べると分かるかと思います」
そう言って見せてくる鍵には301と彫られた小さな木札がチェーンで繋がっている。
それを受け取ると受付の人は入学証明書を茶封筒にしまいながら『ですが、』と続けた。
「それでもわからない場合は……警備の人に聞くのもいいですが、上級生の、先輩の方に聞くのもいいかもしれません。これから同じ屋根の下で住む人達ですので、仲良くしてくださいね」
親交を存分に深めてくださいという意味の裏に、余計な問題は起こすなよという感情が見え隠れしているような気がする。
まぁ、そのぐらい管理してる側からすれば当然の感情だ。いちいち目くじらを立てるほどでもない。
「ありがとうございました」
「はい。それでは何かあった場合にはお越しください」
受付の前から抜け、私の後ろの人が呼ばれるのを尻目に私はまっすぐに階段へと向かう。
幾人かの人は同じ新入生の人達を相手に話し合っているみたいだけれど私はどちらかといえば口下手な方だし、そこにいるだけで話しかけられるのだから不必要に留まることもないだろう。
階段を上り、三階まで辿り着く。その間にも新入生を見定めていた先輩達に何回か声をかけられるが疲れているのだと言い訳して挨拶程度に止めておく。完全に無視してもいいのだが、後が怖い。創作物でしか見たことがないが、女子のイジメは陰湿だとかなんとか。
そのうち身を守るためにもどこかの派閥とかにも入らなきゃいけないのか……世渡りは大変だ。貴族さまとか権力者に特に逆らうつもりはないけど、長いものには適度に巻かれたほうが楽な道を辿れるかな。
というかこの世界の権力者って見たことないけど、やっぱり『下民は大人しく言うことをきいていればいい』なのだろうか。それならば自分がその絡まれる対象にならなければ、見ている分にはいい暇つぶしにはなりそうだ。
受付で言われた通りに右の廊下へ足を踏み入れる。数人の生徒が木札と部屋に彫ってある番号を見合わせながら少しずつ歩を進めるのに対し、私は廊下に入って数歩でその扉を見つける。
というか301だ。そりゃあ勿論、一番手前に決まっている。
扉は、意外にも木製ではなかった。かと言って、わかりやすい鉄性でもないのだが……なんだろうこれ。どこかで見覚えがあるような気がするのだけど……
一頻り頭を悩ませて、思い当たったのはホテルだった。よく見てみれば、床にも赤絨毯が敷き詰められているし、寮如きにどれだけのお金をかけているのだろうと思いたくなる。
もしかしたら、学校が成功しなかったらこの作りからして街の高級宿にでもする予定だったのかもしれない。そう考えればこの豪華さや立地にも納得がいくというものだ。
多分学校を考えた人と同じ人が考えたのだろうけれど、抜け目のない人だ。
私は鍵をドアノブに差し込み、ガチャンと捻る。そして手を掛けてドアを引いて開こうとするが、何かに引っかかったかのようにガチン! と止まる。首を傾げて今度は押してみるが、変わらず扉は開かない。
つまり、これは、なんだ。初めから鍵は開いていた?
もう一度差し込み逆回転に捻る。カチャン、と先ほどより優しい音が鳴り響き、鍵を引き抜く前にドアノブに手をかけると今度はすんなりと開いた。ちなみにドアは外開きで、引き戸という予想外な展開は流石になかった。
鍵を抜くのを忘れずに、部屋に足を踏み入れる。一番先に目に入ったのは、ドアから一メートル程のところに揃えておかれていた靴だった。
なるほど部屋の中に既に人がいたのか、それならば鍵が開いていたのも納得だ。私もその横に靴を脱ぎ揃え、部屋の奥へと歩を進める。
本当にホテルみたいな内装だ、奥の部屋がきっとベッドの置いてある寝室で、そこにいくまでの途中の壁についている扉は多分トイレなのだろう。
これだけあるなら一階辺りに大浴場もありそうだな、そういえばお風呂に入るのはいつぶりだっけ。小さい頃(まだ立って歩けてない)には桶一杯のぬるま湯に浸けられて身体を拭かれていたのが風呂だというなら、九年ぐらいだろうか。
やっぱり日本人としては風呂がいい。久々にのびのびと入りたい。……別に、女の子の裸を公認で見たいとかそういうわけじゃない。見たければ、自分の身体で見れるわけだし……貧相だけど。
不意に、入学式直前にテオが呟いていた『あんまり成長してないくせに』という言葉が脳裏に蘇る。いや、別に言われてショックなわけじゃない。やっぱり私にはポテンシャルがあると思うし、というか最悪胸はいいのだ、身長、身長さえあれば……
「わっ!!」
「ぃっ!?」
丁度奥に部屋を踏み入れた瞬間、大声とともに黒い影が飛び出してきて私は叫びともとれない声を出してしまう。
それどころか一瞬身体が硬直し、そのまま尻もちを付く形で倒れてしまった。
お尻がジン、と痛む。恐らく一過性のものだし気にする必要もないのだが、反射的に顔が歪んだ。
「っ……」
「わわっ、ごめん! そんなに驚くとはおもって、なく……て…………」
尻切れに消える言葉を追い、私は目の前に立つ少女――恐らく、ルームメイト――を見上げる。
すると彼女の目は驚きに見開かれており、それに映る私の顔もまた珍しく驚きに彩られていた。
だって、黒目だ。
そして、黒髪だ。
惜しむらくはショートカットで肩までも髪がないことだが、それでも十二分にそれらが似合っていた。
まるで……そう。まるで――――
「あー……うん、ごめんね。綺麗な髪だったからつい見惚れちゃった、立てる?」
「あ……ありがと、う……」
今日何度も言われた言葉に対してすらしどろもどろに答えつつ、差し出された手をとって立ち上がる。
が、足が縺れて彼女の胸の中に飛び込んでいってしまった。
ふわり、とどこかで嗅いだような香りが私の鼻孔を擽り、その匂いに僅かながらの懐かしさを覚えた。
そして同時に、一つの確信をする。
「わっ、とと……大丈夫?」
「……だっ! だいじょぶっ!」
その彼女の言葉で我に返った私は、彼女を突き飛ばすようにして距離をとった。
失礼な行動に当たるかもしれないけれど、だって、仕方がない!
だって、あまりにも突然だ! 心構えすらしてなかった!
いないとは思っていなかったけれど、こんなすぐに巡りあうだなんて考えすらしてなかった!
ばくん、ばくんと心臓が激しく高鳴る。聞くべきか、聞かないべきか。考えるまでもない事柄に自問自答し、緊張のあまり唾を飲み込む。
「あ……あのっ」
「え、あっ、な、なに?」
私の反応がおかしいのがわかったようで、向こうも自分が何かしたのかと思い焦っているのか聞き返すだけでも吃っている。
私は胸に手を当てて、焦っていることを深く自覚する。
目を瞑って、数回深呼吸。それぐらいで興奮が収まるならば苦労はしないけれど、僅かでも冷静になった頭で覚悟を固めることはできる。
「あの……その。えっと、あの」
「ん? ん? ん? なっ、なに、なにかな?」
喉の奥の奥。
彼女のその特徴的な瞳をみつめて、私はこの十年間喋ることのなかった言語を引っ張りだす。
『あっ』
「……えっ?」
『あなたは……日本人、ですか……?』
これが。
二年間に渡って私と同室になる、カエデ・タチバナとのファーストコンタクトだった。