16 入学式の日
三の月、二十六日。
三の月の末も末なこの日は、ここ一ヶ月から二ヶ月以内に帝都に集まった人間、特に子供達にとってはこれ以上ないほどに大切な日だろう。勿論テオや私にとっても、だ。
それほど重大だと言わしめるイベントが何だといえば、それは何も特別なことじゃない。
いやしかし、この世界においては特別に違いないだろう。なぜならそれを行える場所が、この帝国中にはこの帝都にしか存在しないのだから。
しかし、私は楽しみにしていた日が来たのだと思うと同時に一抹の憂鬱を心に抱いてる。
部屋の窓から道を見下ろす。
そこでは子供達が保護者に連れられ、或いは友人と共に、はたまたたった一人で歩いている。そして、その彼らには揃ってある共通点があるのだ。
真白い長袖のシャツに、ウグイス色のベスト。そして赤地に黒のチェックの、女子はスカートで男子は長ズボン。そして胸には紐リボンやネクタイが結ばれている。
制服だ。
……そう。制服、なのだ。
なんというか、調べるまでもなく確定した。この学校を提案した人は、少なくとも文明レベル的には私と同じ世界で、生まれ変わってこの世界にきた人なのだと。
というか世界すらも一緒かもしれない。だってこんな制服見覚えがあるもの。
「どこかのアイドルが着てそうな感じ」
脳裏に思い浮かぶのは総選挙やら握手券やらで当時話題を掻っ攫っていたアイドルグループ。
もうこちらに来て十年も経つし、あまり興味もなかったけれどスカートはこんな風だったような記憶がある。上の方は知らない、どこにでもありそうな感じ。
百歩譲って学校や制服の概念が奇才の手によって出来たものだとしても、この見覚えのある制服のデザインを提案したのはやはりあちらからこちらへと来た人なのだろう。
まだ生きているのか、それとももう死んでいるのか。どちらにしても趣味を持ち込む人だから、あまり会いに行きたいとは思わないが。
「…………」
私はスカートを持ち上げて、目の前で広げる。シャツとベストは既に身に纏っているが、下は下着一枚だけだ。かれこれこの状態から五分は経っているだろう。
だって、制服だ。
女物の服なら、まぁまだ我慢できる。デザインは度外視するとして、ママが無理矢理私に着せた服はどれも肌の露出は大きくないものだったから。
しかし、制服だ!
スカートが短い! 心許ない! 加えて、コスプレでもしている気分になる!
よくもまぁ、現代人はこんな頼りないヒラヒラを毎日履いていたものだ!
ちなみに今まだ履いていないのにそれを知っているのは、入学手続き時に試着をさせられたからだ。ズボンの方がいいとは言ってみたけれどにべもなく却下された。さもありなん。
……他人事じゃないんですけどね。
「はぁ」
愚痴るように、私は溜息を吐く。
結局、履くしかないのだろう。私も(心は)男だ、いつまでもグチグチしてはいられない。流石に腹を括ろう。なに、どうせ違和感を感じるのも一ヶ月程度のことだ。どうせすぐに慣れる。
そう思って(諦め、とも言う)スカートを履こうと、行動に移しかけた瞬間、不意に扉が開く。
突然の来訪者に頭が真っ白になり、びくっ、と身体が強張って持っていたスカートを握って胸の前に持っていくのは仕方のない事だ。シャツなどを着て万全である上半身より、もっと隠すべきところが他にあるというのに。
「おいリリィ、流石にもう着替え終わっただろ、にも……すまん」
つ、と言いかけてテオの視線がこちらを向いて一瞬だけ固まった後、すぐに一歩下がって扉を閉めた。その対応ももう慣れたものだ。
それから五秒ほどの間を開け、またか、と私は小さく嘆息する。
アレほど人の着替えている所に入るときはノックをしろと言ったのに、学校に行くからと気が抜けていたのだろう。久方ぶりのラッキースケベだ。される側はたまったものじゃないが。
私は手早くスカートを履き、シャツの裾が出ていないかなどを確認してから俺の寝ていたベッドの上に乗っかっていたバッグと、テオの寝ていたベッドの上に乗っていたバッグを手に持つ。多少重いが、少しだけなら特に問題はない。
部屋の中を一瞥して忘れ物がないか確認した後、ゆるりと扉の前に立った。
「テオ、開けて」
両手にバッグを持っているためこのままでは開けられないので扉の向こうにいるテオにそう声を投げかける。すると、数秒の間があった後に気をつかうように扉がそっと開く。
私はほんの少しばかり開いた隙間に足を突っ込み、あまり勢いをつけない程度に足でその隙間を広げた。そこには無論のこと、気まずそうなテオが立っている。自分が悪いことをしたとわかっているのだろう。
まぁ、一概にテオが悪いとは言えないのだけど。私が着替えるからテオはパパの部屋で着替えていたし、私の着替えがすぐに終わると思っていただろうから荷物はこの部屋に置きっぱなしだったし。
今更だけど、帝都に着いてからの宿は二部屋で私とテオが相室で過ごしていた。パパが言うには、寮でも大抵の場合二人部屋であるからその予行演習だと。
しかし、理由はどうあれテオは『へんたい』と言われる(罵られる)のはやはりよほど堪えるようだ。粛々と、私の小言を甘んじて受け容れるような姿勢になっている。
故に私はすぐには何も言わず、テオにテオのバッグを突きつける。何か言われるのだと思っていたテオはポカンと口を開いたままそれを受け取り、私はテオを押しのけるようにして部屋を出た。
その際に、耳元でぼそっと呟くのも忘れない。
「変態」
遂に平仮名から漢字へグレードアップ、やったね。
がっくりと肩を落とす気配を感じ、私は思わず小さな笑いが漏れる。
それからようやく、私はスカートを履いていることにあまり違和感を感じていないことに気がつく。どうやら、テオに着替えを見られたことで羞恥心がどこかにいってしまったらしい。
意識をしてしまえばほんの少しばかりの恥ずかしさはあるけれど、履く前の葛藤などは無いも同然になっていた。
ある意味テオのお陰かな、と少しテオの行動に感謝しつつ、私はパパが待っているだろう宿のロビーへと向かうのだった。
☆
入学式とは銘打っているものの、実際にはこれといってやることはない。
入学者の全員が椅子に並んで座り、静粛に代表者の話を聞くどころか、それ以前にどこかに集まるようなこともない。
いや集まっているといえば集まってはいるのだが、現代人の誰もが想像するようなものではないのだ。無論、私も含めて。
「ねぇ、どこの寮だった?」
「確か、剣って言ってたよ。あってる?」
「どれどれ……うん、あってるあってる。私は弓だって。場所はあっちかな?」
そんな会話がすれ違う新入生から聞こえ、視線でその背を追いかけた。
耳を澄ませると先ほどの彼女達だけではなく、至る所から同様の話題が聞こえる。それはどれも入学式を終えた新入生達で、例えば親に、例えば学校のスタッフに寮の名前やら場所やらを言ったり尋ねたりしていた。
全員が同じ寮に入るとは流石に思っていなかったけれど、結構な数の寮が存在するようだ。
「同じ寮になるといいね」
「そうだな、知り合いも特にいないし。流石に部屋は違うほうがいいけど」
「覗く甲斐がないから?」
「違ぇよ! そもそもわざとじゃねぇし!」
「冗談」
しかしテオの着替え遭遇率は本当に割と高いと思うから、少し心配だ。最早私の着替えのシーン=テオの覗きとなっているぐらい。
仕方がないなと理解のある私だからまだいいけれど下手をすれば暴力沙汰になる可能性もあるのだ。
よもやどこぞの主人公みたいにそう何度も遭遇するとは思えないが、私という前例がある以上楽観的に思うことも難しい。主人公だとすればきっと何度覗いても無事だと思うが、それなら私もヒロインの一人ということになってしまうからその説に関しては全力で遠慮したい。
というわけで厳重に注意を促しておこう。
「いつも言ってるけど、ちゃんとノックして」
「わかってるよ、ほら! もう次だ、先いけよ!」
テオが指差し、誤魔化すように私の背を押す。見ると、丁度私の前の人が入学式を終えたところだった。
アナログなのに結構早く列が進むのだなと思いつつ、横に並んでいたテオの一歩前に出る。
その時に背後から聞こえた、『あんまり成長してないくせに』なんていう呟きは聞こえなかったことにしよう。
「次の方、どうぞ」
その声を聞くと同時に、私はその声の主に顔を向けて一歩踏み出す。
それなりに小奇麗な私服を着ている女性は笑みを絶やさない。無表情な私に対しても微笑みを返してくる。きっとこの学校の事務員か今回限定で雇われているギルド員辺りなのではないだろうか。
即席のカウンター越しにその人の目の前に辿り着き、私は足を揃えて直立不動する。一応入学式であるのだ、キチンとするのが礼儀だろう。最も、前世の知識を持つ私には入学式というより合格発表的な感じがする。合否判定などないが。
そう、これが『入学式』。制服を着た男子女子が一列に並んで、その瞬間を待つ緊張の時間。
本来の入学式を知っている私としてはどうしてこんなことになったのか不思議でならない。ネットや配達技術が普及していないから入寮の案内が難しいのは仕方がないにしても、なんでこんな変としかいえない形式をとっているのか。
「お名前は?」
「リリィ・オールランド……です」
申し訳程度に敬語をつけると、受付さんは貼り付けたような微笑みではなくクスリと笑みを浮かべる。
しかし、それもほんの一瞬。慣れたように、すぐに仕事へと戻った。
「リリィ・オールランドさんですね、少々お待ち下さい」
そういうと、受付の女性はカウンターの上に手を翳すと一言二言、何かを唱える。
それが唱え終わると同時、ほぼタイムラグなしに一つの茶封筒が出現した。
魔法だ。私的には、荒い作りだとしてもこの世界に茶封筒がある方が驚いたのだが。
学校についてのこともそうだし、もしかしたら発展しすぎない程度に色んな所で現代技術が持ち込まれているのかもしれない。
そんな風に考えている私に何を思ったのか、女性は封筒から一枚の紙を取り出しつつ私に笑みを向ける。
「こちらが、入学証明書になります。失くさないようにお気をつけください」
「はい」
こちらに向けられた紙には、入学手続きの時に口頭で答えた私のプロフィールが示されている。
プロフィールと言っても名前や出身地、あとは訓練経験の有無程度だ。そんな特別なことはない……と、思いきや。一つ、自分でも新たに知る情報も記されていた。
女性はその部分を指差し、説明を続ける。
「リリィさんの入る寮は『魔』で、部屋は301。簡易的な地図は封筒の中に同封していますが、寮の名前を忘れてしまったり、迷ってしまった場合にはこの証明書を、この腕章をつけている人や警備兵に見せて、お尋ねください」
「……? あっ、はい」
「それでは、これで入学式は終わりです。これから頑張ってね」
紙を茶封筒にしまい、差し出してくる。私は小さく一礼した後それを受け取り、邪魔にならないようにそそくさと退散した。
歩きながら封筒から紙を纏めて取り出すと、もう一度ざっと目を通す。
うん、間違いなく自分のプロフィールだ。無くさないように注意、ということはこれが在学中の身分証明になるのだろう。
しかし、と周りを軽く見渡す。
どちらかといえば立派で同じ服を着た子供達が一列に並ぶさまは傍から見れば結構壮観だ。並んでいた時は視界不良だったからあまり気が付かなかったが、こうして一歩離れて見てみると割といろんな人がいる。
勿論基本的には私やテオのような普通の人が多いが、褐色肌の人もいるし、長耳……俗にいうエルフ耳の人もいる。ホビットやドワーフと思わしき小さな体躯の人もいるし、逆にジャイアントかと間違えるぐらいに頭一つ飛び抜けて大きい人もいる。
極めつけは髪の色だ。私が言えた義理ではないが、前世で二次元にしか存在していなかった赤や青、緑といった錚々(そうそう)たる面子が並んでいる。逆に白や金、銀は少なく、日本人のような黒に限ってはいない。お国柄……ではなく、世界柄というやつなのだろうか。日本的な島国がある可能性も考えていたけれど、もしかしたらないのかもしれない。
そして最後に獣人だ。ぱっと見た限り、全体の一割から二割ぐらいだろうか。犬や猫を始めとして、色々いるように見える。更に血の濃さも影響しているのか、毛深くて動物に近い人もいれば、耳や尻尾を除く部分は普通の人種と大差なく見える人もいる。
私的にはもふもふとかさせて貰えれば嬉しいけど、多分難しいだろうな。耳ぐらいは触らせて貰えないかな……
と若干邪なことを考えていると私の視線に気がついたのか、一人の犬耳少女がこちらを見た。
比較的人に近くて、気弱そうな雰囲気。押し倒せばそのままイケそう。無表情な私がじっと見ているから、その顔に動揺が広がっていく。
やっぱり表情というのは情報として大事だ。マルタは言葉がわかっても、中々分かり辛いことも多かったし。
そういえば、今ふと思ったが犬語があるということは獣人もそれを喋れるのだろうか。
丁度都合よく、こちらを確認している犬耳っ娘がいる。もし話せるのだとしたら、これを足掛かりに仲良く出来るかもしれない。
よし、そうと決まれば思い立ったが吉日。まだ列に並んでいるあの娘に話しかけようと、私は足を踏みだし、
「いたっ!?」
髪をぐん、と引っ張られて痛みに怯む。
何事かと思い頭を抱えながら振り向くと、そこには手の中に残った数本の銀髪を見てやり過ぎたと表情で語っていたテオがいた。
それを見てイケると思った私はあからさまな不機嫌をつきつけるが、テオはたじろぐことはなく一度溜息を吐いてからやはり諭すように言う。
「……リリィ。他の奴ビビらせるなよ。さっき、いつもと変わんないけどすごい顔してたぞ」
いつもと変わらないのにすごい顔とはどんな顔だろうか。
私が首を傾げていると、『まぁ俺にしかわからんけどな』と前置きをしてから続ける。
「髪は、本当ごめん。今度、なんでも言うこと聞くから」
「ん、別にいい」
悪気があったようには見えなかったし、本当に悪いと思っているようだから不問にする。ちょっと痛かったから、事あるごとに誂うネタにはするけど。
しかしテオは納得がいかないようで、結局美味しいものを奢ってくれるということで落ち着いた。もう少し要領よく生きればいいのに。
「それで、リリィの寮はどこだ? 俺は剣なんだけど」
「ああ……これ」
テオの問いに先ほど目を通した紙をそのまま突き出すと、テオは眉に皺を寄せる。
「いや、読めないし……あれ、もしかしてリリィ字読めるのか?」
「え、うん……あっ」
そういうことか。さっきの入学式で、寮の名前を忘れたら読めばいいじゃんとか思ったけどそもそも字が読めない人が多いのか。
少し前にはこの世界の識字率は高くないはずだとか思ってたのに頭のなかから抜け落ちていた。
テオは今始めて知ったことに驚きを隠せないのか、目を見開いて興奮したように私に詰め寄ってきた。
「すげぇ! いつ習ったんだ!? 師匠か、それともエミリアさんか? リリィだけずるいぞ!?」
「え、いや別にズルくな……」
……くもないのか? だって、私のこれって言ってしまえばチートだし……
しかしテオはそんな私の反応に気付くわけもなく、本気で悔しがっているように見える。
「あーくそ、これなら俺もエミリアさんに魔法じゃなくて字教えてもらうんだった!」
私的には、字より魔法のほうが嬉しいんだけど……
周りに迷惑ではないかと周囲を軽く見渡してみるけれど人数が多い分喧騒も凄まじく、テオの叫び嘆きもその一部として取り込まれてしまっていて誰も気にしていなかった。
周囲をダシにテオを咎めることも難しい。その事実を受け入れ、私はテオを諌めるのを早々に諦めた。
長い付き合いだ、実力行使でないと止まらないことはよく知ってるし、まさかここでそんなことをするわけにはいかない。
早くパパがこちらに気づいてくれないかなと祈りつつ、私はテオの詰問をのらりくらりと躱し続けるのだった。
少年少女達の列は未だ途切れず。
私達の入学式はまだ終わらない。