15 気ままに
馬車で一週間というのは、果たして長いのか短いのか。まぁきっと、長い方なのだろう。
というのも、私はこの日まで帝都に行ったことがないからだった。帝都というのだからよくある防衛都市を思い浮かべてしまう私はきっと悪くはないだろう。詳しく聞いたこともないのだし。
しかしその遠くに行くというのにパパもママもとりたてて寂しがった様子は見せなかった。最も落ち込んで見えたのが遊び相手を失うマルタだというところからもそれは察せれるだろう。
いや、他に誰も落ち込んだり寂しがったりしなかったというわけではない。現にここ二年で遊ぶようになった子供達は少ししおらしくなっていたのはきっと見間違いではない。
けれどそれはどちらかといえばテオに向けてだったように思える。あくまで私は妹的な立ち位置であり、金魚のふんのようなものだった様だ。
そういえば、同じく金魚のふんだった、遊んでいた中では最年少の男の子が別れ際に花をくれたのだがあれはなんだったのだろうか。よもや私に気があったとか?
……いやいや、ないない。何のためにあまり表情を動かさない様にしているのだ、そんな簡単に好いた惚れたなどされたらこれから先が思いやられる。
というか別れ際に花というのもどうなのだろう。花瓶もない世界で数日ならまだしも一週間だ、簡単に枯れてしまうだろう。現に二日で枯れたのだからもう少し考えてほしい。
ああ、今思い出したけれど、その時に私がそう呟いた時のテオは――――
ガタン! と私のお尻から一際大きな衝撃が突き抜ける。
ぼんやりと掘り起こしていた記憶は脳の彼方へと吹き飛び、眠気もまたどこかへと飛んでいった。
キョロキョロと周りを見渡すと、やはりそこは動く箱の中。同じく周りを見渡していたテオと目が合った。
しかしそれもほんの一瞬だけ。外から聞こえて来た、御者をしているパパの声に私とテオは同時に気を取られる。
「起きろ、リリィ、テオ! 見えてきたぞ、帝都だ!!」
その言葉に弾かれたように私とテオは足場の悪い馬車の中でも立ち上がり、頭だけを外に出して進行方向を我先にと覗きこむ。
そこには遠目からでもわかる、数十メートルはあろうかという高い壁が聳っていた。
「でっけー……」
テオが呆然としながら零す。
私もそれに答えるようにうんうんと頷きながら、パパから聞いていた帝都のことを思い返すのだった。
☆
ウレア帝国の首都サデルス、通称帝都。
この世界で有名な都市を挙げよと言われれば確実に上がるだろう四つの都市、これまた通称四大都市の一つ。
その理由は大きく分けて三つあるようだ。一つは最先端を行っているだろう都市機能と技術力。二つ目は他の都市と比べて比較的安全であること。そして最後の一つは、その都市を首都とするウレア帝国が大陸のおおよそ三分の一の国土を誇る、世界最大級の国家であることだ。
同じく四大都市である聖都、正式名アムシュリアを内包するアムシュリア教国もそれなりの国土をもっているが帝国には及ばないようだ。そもそも通称が示すように、その場所を宗教の聖地であると定めている宗教国家なのだから純粋な技術を持つ国に真正面から勝とうと思うのは難しいだろう。
残る二つの都市は、片方は別の大陸でありもう片方は自由都市と言って冒険者ギルドが仕切っている別名迷宮都市。それが国と同等の権利を持つ独立都市となっている理由は、その別名から推して図るべきだ。
つまり帝都は、他にない優れた都市なのだという。
両親ともこの国の生まれだし、その首都を悪く言いたくはないのだろうと考えて話半分で聞いていたのだが、どうやら本当のことだったようだ。
ほう、と町並みを眺めていた私から思わず息が漏れる。
木で作られた建物は少ない。地面は石畳がしっかりしていて、馬車の揺れも街道に比べてとても少なくなった。
そして何より、活気がある。
門を抜けた直後、メインストリートらしい道をゆっくりと進むと露天に近い店が多く立ち並んでいた。
そこらで会話が飛び交い、ただ立っているだけで情報収集が出来るのではないかと思うぐらいだ。
現代社会に比べれば全然大したことがないのはわかっているのだが、この十年間何もない田舎暮らしだった私にはこのあたかも歴史の中世から飛び出してきた様な世界は衝撃以上に衝撃的だった。
「凄いだろう」
そんな私を見越したように、パパは言う。
「パパも帝都に初めてきた時は驚いた。当時は何でも手に入るんじゃないかって思ったぐらいだ。今でもそう信じてるぐらいだからな」
その言葉はどこか誇らしげだ。
自分が思ったことをその娘もまた思う。そのことに感慨深く思っているのだろう。
テオもまた感嘆の声をあげながら挙動不審に辺りをきょろきょろとしている。
しかしそうかと思えば少しばかり首を傾げ、パパに対して質問を投げた。
「師匠、学校っていうのは何処にあるんだ?」
「ん? ああ、ここからそう離れた場所じゃない。けど、学校は明日行く予定だ」
「えっ、今日いかねぇの!?」
予想外だとでも言うかのように声を上げる。いやしかし、私ですら今日は行かないことは予想していた。
何も予定がなかったにしてももう昼はとうに過ぎている。入学の手続きにはそれなりに時間がかかるだろうし、もしかしたらクラス分け試験なんてものもあるかもしれない。
よしんばそれらが無い、或いは短時間で済むものだとしても一週間の長旅だったのだ。今は興奮して忘れているだけで疲れは溜まっている。
それなのに広い、はぐれそうな場所ではぐれて行方不明にでもなることを考えれば安全策をとるのは当たり前だろう。
そんなことを思いながら(同時に、尚も食いつくテオの声を聞きながら)周囲を見ていると、店が途切れたところで緩やかに馬車が停止する。
「よし。じゃあ二人とも少し待っていてくれ」
そういって馬を軽く撫でながら御者を降り、大きな店に入っていく。
外に掛かっているのは三日月の空いた空間に乗っている……羊だろうか、それがが凭れ掛かって寝ている鉄看板だった。洒落ていると思うけれど恐らく識字率は高くないこの世界においてはこれが普通なのだろう。
さしずめ、夜の羊、といったところだろうか。真っ先に向かったということは宿屋かと適当に当たりをつける。
一分もしたら二人の店員? を連れて店から出てきたパパは私達に荷物を持って馬車から降りるように促した。
無論それを断る理由もなく、私達は手分けして両腕に着替えなどが入った鞄を抱えて降りた。これから暫くの間この街に滞在する予定だが、鞄の中は案外に軽い。
それもそうだ、必要最低限以外の荷物は最悪現地調達すればいいのだから。
パパがさっき言っていた通り、この街はそれこそ『なんでも』手に入るのだろう。ホッチキスの芯から、宇宙船まで……なんてことは言わないけれどこの世界の常識に当てはまるものは、きっと。
「それじゃあ頼む。テオは荷物をこっちの人に渡してくれ。リリィの荷物はこっちだ」
私達が降りてきたのを確認して、二人のうちの一人が馬を撫でながら誘導し、移動を開始した。恐らく宿泊客専用の馬小屋かどこかにだろう、しかし馬車はどこに置くのだろうか、そのまま置くのだとしたら実に幅をとるのだけど。
そんな疑問を浮かべながらパパに荷物を渡しつつ、そして去っていく馬車を見送っていると視界の端に何か黒い影が過ぎる。
思わず眼で追いかけると、次の瞬間には私の心中は歓喜に染まっていた。
猫! それも真っ黒!
私は犬も好きだが猫も好きだ。というかペット系の動物は大抵好きだ。
黒猫は不吉だとかいう話もあるけれど関係なしに良い。寧ろそれがいい!
私はパパに荷物を渡し終えるとそっと、ついさっきの私のように馬車を見ている黒猫に近づき始める。
数歩も近づくと野生の勘なのか、くるりと振り返ってこちらの顔を見た。
ほんの一瞬の緊張。猫のしっぽがしゅるりと立ち上がる。
確かそれは警戒の合図だったはずだ。目は口ほど、ではないけれど動物は人間よりも感情が分かり易い。
そして私はこちらを見詰める金色の瞳に気が付いて、また感情が高ぶった。
黒の体躯に金の瞳。最早理想的だ、黄金律だ。猫には滅多に出会わないレアさと、飼ったことがないという隣の芝的な考えが相乗効果で私を更なる昂奮へと導く。
ああ、触りたい、撫でたい、抱きしめたい!
外猫だから抱きしめるのはアレだけど、せめて撫でるぐらいは!
そんな私の想いに気がついているのか、黒猫は私から眼を逸らさず、警戒も崩さない。
きっとあと一歩でも近寄ろうものなら一目散に逃げていってしまうに違いない。だとすれば、私はどうするべきだろうか。
答えは簡単だ。私は心の中でそっとほくそ笑む。
『おいで』
瞬間、その眼が驚いたように真ん丸になる。
私がしたのはただ猫の言葉で語りかけた、ただそれだけだ。
ああ、この『祝福』を持っていた意味があった! ありがとう神様!
『……おいで?』
同じようにもう一度訊ねる。今度はしゃがみこむと同時に手を差し伸べて。
くいくい、と指先を軽く動かした。マルやマルタはこれを行うだけで可愛がられにとびこんできたものだ。
しかし猫と犬の生態系は当然ながら違うのか、警戒の色は若干薄まったにせよ驚きの眼のままで私をじっくりと観察していて、ゆっくりと足を引いた。
どうやら猫語(?)を喋るのは間違いだったようだ、本当使えない。
私は言葉を通じさせて撫でるのを諦めて、別の作戦にシフトする。
猫との戦いは根気勝負。じれて先に動いたほうが負ける。
じっくり、じっくり。
秒速にミリ単位で足を動かし少しずつ、また少しずつ近付いていく。
猫じゃらしがあれば楽なのに。相手が警戒してたら時間はかかるけど、そのうち寄ってくるのは前世で実証済みだ。
そんなことを思っていると、また街中を馬車が通る。その馬車の車輪が、地面に落ちていた石を弾いて黒猫のすぐ横を跳ねた。
「あっ」
しまった、と思う時にはもう遅い。
黒猫は身を翻して私から離れていくように駆け出し、反射的に私も追いかけようとした足が空を掻き、息が詰まる。
手を延ばすが勿論届くわけもなく、そうしている内にも黒猫は私からどんどん離れて行っていずれ喧騒に紛れて見えなくなった。
「あぁー……」
行っちゃった……
私ががっくりと肩を落とすと、途端に苦しかった息が元に戻った。
恨めしそうに振り向くと、すぐ目の前には呆れ顔をしたパパが立っている。
「……リリィ。猫が気になったのはいいが、追いかけて迷子にでもなったらどうする」
「大丈夫、パパが見つけてくれるから」
「親として頼られるのは嬉しいが、そういういうことじゃない……」
鍛錬中は手を抜かないでも、こういうところに甘いのが今世のパパだ。
私はそれなりにわきまえているから良いけれど、お転婆な娘だったらもしかしたら何も言わずにいなくなって人攫いにあっていたかもしれない。
まぁその場合でもきっと、パパは見つけ出してくれるのだろうけれど。
贔屓目が入っているかもしれないが、そのぐらいの信頼を抱くほどパパが優れているのもまた事実だ。
「師匠、リリィはこの前だってマルタとか他の犬に埋もれて幸せそうに寝てたし、今更動物好きはどうしようもないと思う」
「あぁ、そうだったな……ついこの間まではそんなこともなかったのに、最近は枷が外れたみたいになってるからな……」
テオの言葉に同調するように、パパがしみじみと言う。
けどどうしようもないというほどじゃない。単に鍛錬より他の事をすることが多くなったからそう見えるだけだと思う。
確かに見かける度に構ってはいるが。
「……とにかく、気をつけてくれ。これからはパパがいつも傍にいるわけじゃなんだからな」
「ん」
「本当にわかってるのか……まぁいい、とにかく宿に入るぞ。リリィのせいで散々待たせているんだからな」
見ると、テオから荷物を受け取った店員は私とパパの方を見て苦笑していた。テオも仕方がないなとでもいいそうな面持ちで私を見る。
テオもさっき散々にはしゃいでたのにどうして私を責めるのだろうか。納得いかない。
それにしても。
猫、撫でたかったな。野良かどうかは知らないけど、綺麗な黒だったし。
そこまで考えた所で、そういえば、と疑問に思い浮かぶ。
パパは部屋に先導する店員と顔見知りのようで談笑しているので、すぐ前を歩くテオの裾を軽く引っ張ってこちらへと注意を向ける。
「ねぇ、テオ」
「ん? なんだ?」
「学校に獣人っていると思う?」
「リリィ、やっぱりお前師匠の言ってたことわかってないだろ?」
テオの諦めたような溜息が、嫌に私の耳に残った。
前話から遅れてしまい申し訳ありませんです。




