14 揺れて、揺られて
ガタガタ、と激しく世界が揺れる。
地震とかそういうわけではなく、ただ単純に私が座っているものが、乗っているものが揺れているだけだ。
隣に座るテオを見ると、すっかりと疲れたような顔をしている。酔ってはいないようだが、うとうとしては揺れに起こされてしまっている。
私も大概そのようなもので、そう思うとこれの何倍ものスピードでしかもあまり揺れがなく走ることの出来る車や電車はすごかったのだなと思う。
「……リリィ。俺、馬車ってこんなに揺れるものだって知らなかった」
「……私も」
そう、今の私達は馬車に乗っているのだ。
最初の一日二日は初体験に興奮していた私達も一週間もすれば何もすることがなく、更に眠れもしないのだから言葉少なに元気がなくなってしまうのも当然と言えたのかもしれない。
そんな揺れの中、なんとか座りっぱなしと揺れで痛い尻を誤魔化そうと私もまた眼を閉じてつい一ヶ月前の事を思い返す。
☆
「ていやっ!」
鋭く振られた木剣は袈裟斬りに私へと襲い掛かってきた。
それに合わせるように剣を打ち付け、弾き、返す刀で横切りを放つ。
テオは距離をとってそれを回避し、息をつかせずに踏み込んでくる。
「うおらっ!」
「ッ!」
渾身の力で振るわれたそれを私は受け止めきることが出来ずに剣が弾かれて飛んで行く。私自身も蹈鞴を踏むが堪えきれずに尻もちをついた。
その時の痛みに眼を逸らしてしまって慌てて顔をあげると、そこにはテオが嬉しそうに小躍りをしている姿が映る。
「うっし俺の勝ちっ!」
「…………」
目の前でガッツポーズをするテオを半眼で見つめると流石に目の前でやるのはあれだと思ったのか、目を泳がせた後に咳払いを一つして手を伸ばしてくる。
それを見た私はピンと閃いて、その手を掴んで力強く引っ張った。
「うぉ!?」
入れ替わるようにして私は立ち上がり、入れ替わり際に力の限りテオを地面に叩きつける。その時に剣をスッておくのも忘れない。
全く予想だにしていなかったのか受け身もとらないまま地面に叩きつけられたテオは剣をスられたことにも気が付かずに痛みが口から漏れていた。
その目前に剣を突き刺し、驚きの顔がこちらに向けられると同時に私はにんまりと笑みを浮かべて宣言する。
「私の勝ち」
「……はぁ!? いやそれはズルいだろ!?」
「ずるくない。負けだと思わせないほうが悪い」
慌てて起き上がり、食って掛かってくるのを憮然と跳ね除ける。
剣を弾いて転ばせただけで(いや本当はそれで負けだけど)勝ったと思って小躍りしている方が悪い。
しかしテオはそうは思わないようで納得せずに口を尖らせた。
「剣を弾いた時点で俺の勝ちだろ! あの時、リリィだって転んだんだからそれに止めを刺せば終わりだし!」
「止めを刺さずに変な踊りしてた」
「それは止めを刺すまでもないと思っただけ! それに変な踊りじゃない!」
「へんたい」
「おっ、おま……まだそれ言うか!? あれからもうあんなことないだろ!」
あれから二年、テオも、私もつい先日十歳になった。
テオと私の関係はあまり変わらない。強いて言えば、一人称に割と慣れたとか、少し鍛錬の量を減らして村の他の友達とも遊ぶようになったとか、事あるごとにテオが兄妹風を吹かせるなったとかもある。
だからたまにテオの古傷を抉るようにしている。この年で黒歴史持ちとかある意味将来有望だ。
「なんだ、どうした二人とも」
「パパ」
「師匠! 聞いてよリリィがさ!」
テオが必死に俺の持つ変態疑惑を解消しよう(というかもう解消はしてるから弄られないようにしようとしても無理)と奮闘しているとパパが現れる。
テオがパパに報告するのを尻目に、パパが両手に一つずつ持つ鞘入りの剣に目が行く。
パパがいつも使っているものより短いのが二本。双剣と呼べるタイプのものでもないようだし、なんだろうか。
「……なるほど。本当か、リリィ?」
「ん? ……うん、大体あってる」
テオの話は聞いてなかったけど、多分さっきのは卑怯だったとかそんな話だろう。
でもテオも力がついてきたし、正直正面からやるだけじゃ少し厳しくなったきたというのも現実だ。参ったといわせなかったのだから反撃したっていいじゃないか。
その意図を汲んだのかパパは俺の目を見て一度納得したように頷いて、しゃがんでテオに視線を合わせる。
「テオ、確かに試合では相手の武器を弾いたり壊したりしたら、そこで決着がつく。その点では今回、テオはリリィに勝ったんだろう」
「だよな! 聞いたかリリィ、今回は俺の」
「まだ話は終わってないぞ」
パパは少しばかり苦笑しつつ、テオの言葉を遮った。
テオって最後まで言わせて貰えないことが多い気がする。よく遮る私が言えたことじゃないけど。
「でもな、勝負だったら話は別になるんだ。例えば相手が徒手空拳の使い手だとしたら、テオが油断している隙をついて反撃をくらうかもしれない。或いは賊を追い詰めて彼らが参ったと言っても、今回の様に武器を奪われてもしかしたら自分が殺されてしまうかもしれない。ましてや、今回はリリィに止めを刺さなかったんだろう?」
「それは……そう、だけど」
「二人がしてるのは試合じゃなく、どちらかというと勝負に近い。問答無用の殺し合いというわけじゃないが、その模擬戦のようなものだ。だからテオは試合に勝って勝負に負けたってところだな。次からは勝ったと思っても、相手が降参するまで油断しないようにしろよ」
師匠に言われてもまだ納得がいかないテオを慰めるようにパパはテオの頭をくしゃくしゃと撫でた。
それが終わると、今度はこちらへと視線を向けて口を開く。
「リリィも、負けたのが悔しかったからってあまりそういうことをするんじゃないぞ? 負けは負けなんだからな」
「……はぁい」
「よしよし」
捻くれた返事をすると、今度は私の頭にも手を伸ばしてくる。
子供は親からすればいつになっても子供なんだ、という言葉があるが子も大人にはなる。しかしいつまでもそうやって、何の躊躇いもなく頭を撫でられると成長している気がしない。
テオには離されてきているがこれでも少しずつ身長は伸びているのだ。一応、胸だってなんとなく程度には大きくなっている筈だ。
しかし、少し成長が遅くないだろうか。日本人はそうでもないようだが、外国の方では成熟が早いと聞く。ママは全体的に見てバランスの良い美人だし、私にもその片鱗が出ていてもおかしくはないのだが……
と、そんなことを考えていたらパパの手が私から離れていく。少しばかりの名残惜しさを覚えつつも私は何も言わずにそれを見送った。
パパは私とテオを撫でて満足そうな顔をし、地面に置いておいた剣を持って立ち上がる。
「さてと。それじゃあ二人の話は済んだことだし、今度は俺から話をしてもいいか?」
「話? ……そういえば師匠、何しにきたんだ?」
「それを今から話すんだけどな……」
苦笑するパパに私も心の中で少しばかり呆れる。
さっきの立ち会いの判定を求めておいて、今更何しにきたはないだろう。テオが言う通り師匠なのだから抜き打ちで様子を見に来て真面目にやっているかを判断するのも師匠の役目だ。
「まずは二人にこれを渡そう」
そう言って目の前に出されたのは、先程から手に持っていた剣だ。
柄と鞘しか見えていないけど、中身は多分金属。大きさからしてショートソードだろうか。
一瞬だけテオと顔を見合わせて手にとったのを確認してからパパは手を離す。と同時に、結構な重さが手にかかってきた。
木剣もささくれてきたり壊れたりした時に錘を追加して定期的に取り替えていたけれどそういうものとは比べ物にならない。
柄に手を掛けて鞘から剣を少しだけ引き抜くと、綺麗な銀色の剣身が太陽を反射して煌めく。
「丁度いい時期だし、そろそろ木剣も卒業だと思ってな。木剣と比べたら重いから今までみたいにうまく扱えないと思う。だから怪我をしないように注意して使えよ」
「ありがとう、師匠!」
「あ……ありがとう、パパ。 でも、丁度いい時期?」
ようやく一端の剣士として認めてもらえたことに喜色を全面押し出したテオに釣られてお礼をいうが、私は別のところに疑問を抱き首を傾げる。
確かに私はつい先日十才になったばかりだが、この世界には誕生日という文化があるわけではないし、キリの良い年齢を祝う風習もない。
そんな私の疑問も当然わかっていたとでも言う風に、パパは答える。
「ああ。四の月から二人には、帝都に行って冒険者学校に通ってもらおうと考えててな。実はついさっきまで、テオの両親にはその許可をとりに行っていたんだ」
その言葉の意味を考えようとして、思考が一瞬凍った。
ぼうけんしゃがっこう。冒険者学校。……学校?
え、学校? あるの?
「学校……ってなんだ? リリィは知ってるか?」
困惑する私を余所に、テオは怪訝な表情を浮かべて私に訪ねてくる。
それに対して慌てて首を何度も横に振る。テオが知らないということは、知らない方が一般的ということなのだろう。現に生まれ変わってからは聞き覚えもないのだし。
そんな私達にパパは説明するように続ける。
学校とは勉学、武術、魔法などの手ほどきをする為の場所だということ。
入学は十才から五年間で、無事に卒業出来たらそれなりの実力を持っているという証明になること。
成績上位や特別なスキルでも取得できたらもしかしたら、国に誘われていいポストを貰える可能性もあるということ、など。
纏めてしまえば、『冒険者』とは銘打っているものの国の次世代を担う子供達を教育するための機関、といったところだろうか。
「勿論、通いたくないなら無理強いはしない。けどできればリリィには行ってきてほしいとは思ってる」
「……私?」
「ああ、リリィの『祝福』は結局まだよくわかっていないままだからな。帝都にしかないからここから離れることになるが……同年代の友人も沢山作れるし、パパとママみたいに特別な出会いがあるかもしれない」
「えっ、師匠とエミリアさんってその冒険者学校っていうので会ったの!?」
テオの言葉に当時のことを思い出しているのか懐かしそうな笑みを浮かべて頷くパパに、私もまた驚く。
今まで両親の馴れ初めは聞いたことがなかったというのもあったが、一世代以上前から学校があったということにもだ。
日本では戦国時代辺りに寺子屋があったと思うが、海外はいつから教育機関があったのかは知らない。しかしこの世界の文明は恐らく中世程度だ、恐らくまだなかっただろう。
それに学校という存在の理念としても殆ど一緒だ。何らかの作為を感じざるを得ない。
「それで、リリィはどうしたい? ただ冒険者になりたいってだけならこのままでもいい。けどリリィが怪我をした時、ママと話し合ったんだが本当はパパとママに流されて剣術を始めたんじゃないかって思ったんだ」
「え……違っ――!」
思考を深くしようとした所を、パパのその言葉で引き戻される。
それは違う。魔法の適性を調べようとしたのも、剣術を習う道を選んだのも全部自分で考えて自分で決めたことだ。二人が責任を感じる必要なんてないし、二年前のことなんてもっと関係ない。
反射的にそう言いそうになるのを、パパは私の唇に指を当てて押さえつけた。
「自分がどうしたいのか、何をしたいのか。わからないままパパの剣術を続けるぐらいなら、学校に行ってみる方がずっといい。だから、リリィには自分で選んでほしい」
テオにもパパは何もいうな、と言葉で口を封じる。
そして私は再び学校について考える。この中世な世界で学び舎という概念が生まれ、その概念を持っている世界から来た私がいる。果たしてこれは偶然なのだろうか。
もしかしたら、私以外にも前の世界の記憶を持っている人がいるのではないだろうか。
なんで今までその可能性に思い至らなかったのだろう。自分は特別じゃないなんてずっと前から知っていたことだったのに。
もし本当にそうだとするなら、この村はあまりにも狭すぎる。父公認の一端の剣士になってからじゃ遅い、もっと早くから世界を見るべきだ。
――なんて。大仰な理由を考えてみるけれど、実際の所こんなのは理由の一部でしかない。
いつかまたあの場所に帰るために、私は私の為に。それこそが、私にとって一番の行動原理。
だから私は、と。真っ直ぐに瞳を見詰めて、この思いをぶつける。
「学校に行きたい……です。お願いします」
深々と頭を下げる。
結局、私は子供だ。私の知る学校なら、無償で通わせてもらえるわけがない。だから頭を下げる、それこそが自分で決めた道の筋だと思うから。
数秒の間を置いて、パパはまた私の頭の上に手を置いた。
「わかった。ママも、勿論パパも寂しくなるが……もとよりパパとママも通った道だ、リリィが帝都に行くことにはなんの問題もない、お金の心配もしなくていいからな」
心強い言葉に顔をあげる。そこには子の成長を実感し、寂しさを感じながらも見守ることを決意する親の顔があった。
いつか、私もこんな顔をするようなことがあるのだろうか。そんな考えが脳裏を過ぎり、首を振って打ち消す。それだけは絶対にないだろう、多分……ちょっとばかし不安になってくる。
パパはそんな私の考えを知ってか知らずか、今度はテオの方へと顔を向けた。
「それで、テオはどうする? 親の許可はとってあるし、お前も金のことは心配しなくていい。弟子をきちんと育て上げるのも、その援助をするのも親の役目だからな」
「えっ、えっと……」
テオは話を振られて、慌てたようにその目は私とパパの顔を何度も行き来する。
そして最後に私に止まると、動揺して泳いでいた目がちゃんと固定されてテオを見る私を見据えた。
それが突然パパの方に目が向いたかと思えば、その口から叫びに近い大声が発される。
「おっ! 俺もっ、俺も学校行く!! 行かせてくださいお願いします!!」
私の見様見真似で頭を下げるテオに、パパは同じく頭に手を置く。
その行動こそがテオの言葉に対するパパの答えだ。
それを理解してテオが顔を上げて笑みを浮かべるまで、後数秒もかからなかった。
かくして、その一ヶ月後。
つまりまさに今、私達はパパが手綱を引く馬車に揺られて帝都へと向う道の途中なのだった。
帝都については次回説明予定です。