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TS少女の異世界人生録  作者: 千智
俺が私になった理由
11/33

10 託すもの

 目の前に立つテオに聞こえるのではないかというぐらいに心臓が激しく鳴る。

 鳥肌が立ち、身体中の毛が逆立つような感じがする。

 唾を飲み込む事すら一苦労な程に、口の中がカラカラに乾いた。

 明確なまでの殺意。言葉に込められた感情そのもの。それを受けて動揺の一つもしない方がおかしい。


 がさがさがさと木が揺れ、森がざわめく。

 それは風によるものか、それ以外の要因によるものかは俺にはわからなかった。


「…………」


 息を殺して周囲の気配を探る。

 一瞥するが、そこにはまだギリギリ陽が当たって咲いている花がある小さな広場以外には何もない。

 姿を現さないところから(かんが)みるに、俺達を見つけて叫んだわけではなさそうだ、と考えるのが普通なのだろうが。

 あの『(みなごろし)』という言葉と、その後感じた威圧。

 どう考えても、俺達に向けられたとしか思えなかった。

 どうすべきだろうか。よしんば父の言っていた通りに俺とテオで追い払える魔物だとしてもなるべく危険は犯すべきではない。きっと、周囲を警戒しつつセーブポイントに逃げこむのが最善手だ。


「……あー、びっくりした……」


 そんな中、テオは間の抜けた声を出す。

 ぎょっとしてそのテオを見遣ると、本当に驚いただけの様子で俺と同じように周囲をきょろきょろと見渡してる。

 その行動に警戒心はない。その様子こそに俺は驚いた。

 父の言ったことを信じきっているのか、だとしても相手は魔物だ。油断できる要素など少しもない。


「テオ、さっきのが来るかもしれないから早く戻ろう」

「ん? ああ、だから大丈夫だって」


 急かすように言う俺にテオはのんびりと、なんでもないように答える。

 答えになっていないそれに苛立つ俺に対し、さっき足元に落とした何かを拾いあげて俺にも見えるように掲げた。

 それは、例えるなら水晶球のように透明な球体だ。その内部には燃え盛るような炎が浮かんでおり、きっと太陽の下で見たらもっと綺麗に見えるのだろうなと俺は場違いに思う。

 そんな風に見惚(みと)れる俺を見て、やはりテオは満足気に一度頷いて、


「魔物を寄せ付けない魔法具だって、師匠がくれたんだ。だから心配しなくても、」


 大丈夫だ、と。

 テオがそう言い切るより速く、森の奥から『何か』が飛んできた。


「っ――――!?」


 風を切り、木々を()ぎ倒し。

 狙いが悪かったのか、それともただ()ぎ倒された木のお陰で狙いが()れたのかはわからないがその『何か』は俺達よりほんの少し横にずれた場所に突き刺さり、しかしその勢いだけで俺達を空へと投げ飛ばす。

 不意打ちのように訪れた僅かな浮遊の後、一秒もしない内に俺達は地面に叩きつけられて、転がる。

 強打で息が詰まって苦悶(くもん)の声が漏れる。

 テオに至っては地面を転がった後その勢いで木の幹に衝突したようで、俺より酷く咳き込んでいた。


「いっ……っつ……」

「がはっ、ごほっ……っ!」


 何が起こったのか理解が追いつかない。

 コロコロとテオの持っていた魔法具が俺の前に転がってきた。

 地面に打ち付けた身体と擦った腕がじんわりと熱を発する。

 吹き飛ばされたことで方向を見失った俺はうつ伏せのまま手で身体を軽く持ち上げて、顔だけを周囲に向ける。


 先ほどまで鬱蒼(うっそう)とした姿しか見せていなかった森はここに来て光を取り入れることを覚えたらしい、太陽は俺達の立っていた場所から広場を挟んで反対側に一直線、光を差し込んでいた。

 それによって照らされる木もただの木ではない。根本から折れた木もあれば、大きく枝を揺らして緑の葉を振り落としている木もある。

 そしてその道を、『それ』は悠々と突き進んでいた。


 俺達の数倍はあろうかという巨体。

 人間とは明らかに異なる、緑色の肌。

 醜悪(しゅうあく)で見るに耐えない、歪んだ外見。


 『それ』は(まさ)しく――――化け物だった。


『■■■■■■――――!!』


 (ほえ)る、うなる、たける。

 どうともとれるそれは、やはり俺にはれっきとした言葉……いや、意味として届いていた。


『殺殺喰殺犯殺殺殺喰喰殺喰』


 言語とも呼べない、本能に任せて発された(つたな)い言葉。

 しかしそれは今度こそ俺達に向かって放たれたもので、それに込められた意味にたじろいだ俺は、言葉もわからないテオも、息をすることすらままならなかった。

 ビリビリとした衝撃が肌を震わせ、悪寒が全身を駆け巡る。


 一頻(ひとしき)りその叫声(きょうせい)を轟かせた後、ゆったりとその両眼は俺達を捉えた。

 そしてその脚は動く。言うまでもなく、俺達へと向かって。


 ()られる。

 脳がそう警鈴を鳴らしているのに俺が思うのは、(ろく)な知性がなくとも知能があれば言葉というか言いたいことはわかるのか、ということだった。


「リッ、リリィ! さっきのどこいった!? あれがあれば……」


 ようやく現状を理解したのか、テオは慌てて吹き飛ばされた時に落とした魔法具を探す。

 しかし、今更魔物を寄せ付けない魔法具を持ったところであの化け物に意味があるとは思えない。というよりその『寄せ付けない』にはきっと、『自分より弱い魔物』という但し書きがつくのだろう。

 だが俺は目の前にある球を掴み取り、そしてテオの腕を引っ張る。

 ただアレの走ってくる反対側に走ろう。うまくいけば、セーブポイントに辿り着けるかもしれない。


「走るよ」

「えっ、だから魔法具っ!」

「もう持ってるっ!」


 俺達が通ってきた比較的広い草むらの道を行くのではなく、森の中へと逃げこむ。

 相手の身体の大きさからして、走りやすい場所を選んでも逃げられない。ならば少しでも小回りの効く道を。もしかしたら()くことができるかもしれない可能性もある。


 森の中に逃げ込んで数メートル進んだ所で後ろを振り返ると、化け物は広場に入るところだった。

 その巨体を支えるのもまた巨大な脚。もしかしたら岩すらも砕けるのではないかと思うほど巨大なそれは、俺が何を思う間もなく花を蹴散らした。

 無残に散る花弁(はなびら)がその生命(いのち)の終わりを雄弁(ゆうべん)に告げ、それに俺は唇を噛み締めながらテオの腕を引いた。


「急いで!」


 走る。

 走る。走る。走る。

 走る。走る。走る、走る、走る、走る、走る、走る走る走る走る走る走る走る走る――――


 背後からミシミシ、と木が折れて倒される音がする。

 時折、本能に身を任せた咆哮が響く。

 それでも俺達は走って、走って、走った。


「なんだよ、なんなんだよあれ! 魔物寄ってこないんじゃなかったのかよっ!?」


 テオが誰に言うでもなく怒鳴る。

 それに答える(すべ)を俺は持たず、奴との距離を確認するために一瞬だけ振り返る。

 目の前に広がるのは、黒い何かが視界いっぱいに迫る姿だった。


「テオッ!」

「ぅあっ!?」


 テオを後ろから覆いかぶさるように押し倒し、その頭上を風を切りつつ木を薙ぎ倒しながらそれが駆け抜けていく。一歩遅れて地面に突き刺さり、ズン、と振動を響かせた。

 それは、読んで字の(ごと)根刮(ねこそ)ぎ抜かれた一本の木だった。

 恐らく先ほど吹き飛ばされた時も木を投げていたのだろう。今度は地面に伏せていたためにそんなことはなかったが。


「な、ん……」


 信じられない光景に、俺の下でテオは驚愕の声をあげた。

 出鱈目(でたらめ)だと俺ですら思う。

 木を引っこ抜いて、それを投げるだなんてどれほどの怪力があれば可能なのか。


 ズン、と。

 木が地面に突き刺さった時とは違う、地均(じなら)しのような振動が身体を突き抜けた。


 ふしゅる、と。

 興奮をしているような、或いは一仕事終えた後の一息のような鼻息が耳に届く。


 木を薙ぎ倒した道を、それは一歩ずつ足音を鳴り響かせながら歩く。

 これが自分の力だと言わんばかりに、醜悪な顔を更に歪ませた。

 身体の色しか確認できなかった先ほどとは違い、今度こそははっきりとその姿がわかった。


「オーク……」


 成人男性よりも更に一回り、二回り大きい体躯。緑色の肌に、豚に似た(みにく)い外見。更には巨大な棍棒(こんぼう)を持っていた。

 生前の知識と照らし合わせると、それが一番近いのではないだろうか。


 気が付くと、息が切れていた。

 体力には自身があったつもりだが、当然だろう。あくまでそれは平時でのもので、精神面でも追い詰められた時の消耗は尋常じゃない程速いのだから。

 俺でこれなら、きっとテオも尚更だ。


 オークは走ってこようとはしなかった。きっとこちらが逃げようとすれば、また走ってくるか或いは木を投げて来てこちら消耗を狙うのだろうけど。

 俺はテオの上から避け、そして目の前にしゃがみこんでその手をとる。

 一時的に俺の持っていた魔法具を握らせて、真直(まっす)ぐに眼を見つめる。


「テオ、逃げて」

「……は?」


 何をいわれたのかわからない、という風にテオは聞き返してくる。

 だから俺はもう一度わかりやすく、言葉を砕いて答えた。


「ここは、リリィが残る。だから、テオはセーブポイントまで逃げて」

「な……二人で逃げるに決まってんだろ!? ふざけんなよ!」


 俺が何を言っているのか理解したテオは身体を持ち上げて視点を合わせ、食って掛かってくる。

 首を振って、ふざけていない意を示す。

 急がなければ。あまり時間がない。


「でも、このままじゃ二人ともやられる。だったら、どっちかが残って逃げた方がいい。もしかしたら、パパだってもう戻ってきているかもしれない」

「だったら俺が残る! なんでリリィが残らなきゃいけないんだよ!」

「…………」


 俺は、テオの問いに眼を(つむ)った。

 そして少し、ほんの少しの間を開けた後に答える。


「お姉ちゃん、だから」


 俺と、生前時の姉……歩は、その当時はそうとは思わなかったけれど、仲のいい姉弟だったと思う。

 そりゃあ、理不尽もあった。明らかに歩に近い物を部屋の反対側にいる俺に取れなんていうのはしょっちゅうだったし、高校生の時には噂されたくないからかどうかは知らないが、隣を歩くなとまで言われたこともある。

 けれど、それ以上にいい思い出だってあった。

 幼少の頃、疲れきって歩けないと言った俺を背負って家まで帰ったことがある。

 小学生の頃、喧嘩で負けて泣いていた俺に大事なおやつをわけてくれたことがある。

 中学生の頃、先輩に少し(からか)われた事を先生に教えて先輩達を叱らせてくれたことがある。

 それからだって、バイトを始めてからは誕生日には必ず何かを買ってくれたし、デザート系を買ってくれるなんていうのはいつもの事だった。

 それを、歩は当たり前の様にしていた。


 (ゆえ)に、『姉だから』。それだけで十二分。

 姉は弟に理不尽を振るうものだが、その弟を守るのが姉の仕事なのだから。

 まぁ俺は精神的には男だし、それ以外の理由も勿論あるが……テオに言う必要はない。


「それに、テオが残る理由だってない。違う?」

「それっ、はっ、そう……だっ、けど……!」


 納得しない。わかってる。

 実際にはテオの方が年齢が上だけれど、それほど差がないのもテオ自身も知っている。

 それなら俺が残る理由だってないが、テオが残る理由だってない。

 だから後は、やったもの勝ちだ。


「あ……おい、リリィ……!?」


 俺は剣を抜く。

 剣と言っても木剣だ。必要ないからと普通の剣を持たせてくれなかった父を少し恨めしく思うが、どちらにしても結果はあまり変わらないのだからと思い直す。言わなかった自分も悪いのだし。

 そしてその木剣を構えて、テオとオークの間に立ちはだかった。


「行って」


 オークからの距離はもう十メートルもないだろう。

 一歩近づいてくる度に地鳴りがほんの少しずつ大きくなってくる。

 きっと俺なんて鎧袖一触(がいしゅういっしょく)だ。こんな馬鹿でかい筋肉ダルマ相手に生き残れるわけがない。

 精々、一合。それで死ななければ御の字かな、と思う。


 距離は五メートルを切る。

 テオには迷う選択肢も、時間もない。

 俺はもう一度、テオの背中を押すように叫んだ。


「行けっ!」

「あ……っ、っ………!!」


 ダンッ、とテオは地面を蹴る。

 そう、それでいい。

 残るのは、俺だけでいい。


『■■■■■■――――!!』


 同時にオークも吠えるが、その先には俺がいる。

 大振りに振りかぶった棍棒に合わせるように、俺は剣を振るう。


 乾坤一擲(けんこんいってき)

 スキルの発動を示す紅い線が、俺の眼前に残影を残した。

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