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スターチャイルド計画

作者: 田神りょう

一.隕石


 火星を思わせる荒涼とした赤茶色の大地に覆われた惑星、モリガン星に隕石が衝突しようとしていた。

 なすすべもなく、星の住人たちは愛する者どうしで手に手をとって最期の瞬間を待つしかなかった。ただ一人、モリガン星の王子だけが長距離移動が可能な脱出用ポッドで脱出させられようとしていた。

「お前だけは助かってくれ!」王は無理やり息子を抱きかかえた。

「いやだよ!ぼく一人なんて」

「地球まで行けるポッドはたった一つしかないんだ。そして小さなお前しか入れないのだよ」

「そんな……」

「あきらめるんだ!もう時間がない」

 王はそう言って空を見上げた。隕石はもう肉眼で確認できるほどの距離まで来ている。これからあまりにも無数の命が消えようとしているのに、隕石はそんなことも知らずにまばゆく輝いている。

「生きるんだ。いいね」

 王子はあきらめたように目を閉じた。父親はポッドのハッチを開けると息子を中に押し込み、その小さな身体をハーネスで座席に固定すると座標設定の操作をした。ハッチが閉まり、ポッドは垂直に浮上すると、空中を切り裂いてまたたく間に宇宙へと消えて行った。



二.遭遇


 真っ暗闇の中、車のライトだけが頼りだった。

 星空を楽しもうと山のほうへ向かったが、帰り道で迷い、カーナビに示されていたルートから外れて一時間近くが経過していた。街明かりも見えないくらいのところまで来てしまっていた。

 冬の那須高原は底冷えのする寒さだ。道に迷ってから、ガソリンをもたせるため暖房の設定温度を低めにしていたので、助手席に座っていた智美は寒そうに両手をこすり合わせた。

「それにしても、カーナビがあるのに道に迷うなんて……」智美が言った。

「だから、ごめんって何度も謝ってるじゃん」運転席にいる達也はふくれっ面で言った。

「雪が降ってないのがせめてもの救いね」

「いったん車を停めて、広域マップでちゃんと確認してみるか」

 栗原智美と達也は三十一歳と二十九歳の夫婦で、古臭い言い方をすると姉さん女房だ。二人で小さなカフェを経営している。智美は結婚前は化粧品会社でマーケティングの仕事をしていて、会社の近くにあるチェーン系コーヒーショップで働いていた達也と親しくなり結婚したのだった。那須へは一泊だけの旅行で来ていた。

「えーっと、今はここだから、この道に出るには……」

 達也が地図とにらめっこしているとき、夜空に星よりも大きく見える何かが光った。しかし流れ星はたいていすぐに消えてしまうが、いま見えているものはなかなか消えなかった。

「ちょっと、達ちゃん!見て!」智美が達也の肩をゆすった。

「えっ、なに?」達也が顔をあげた。

「ほらほらほら!落ちてくる!流れ星?すい星かな?とにかく何かが落っこちてくるわよ!!」

 謎の光はまっすぐに地上に向かっていた。

 二人は決定的瞬間を見逃すまいと、まばたきもせず光を目で追った。光はそのまま木々の中に一瞬消えたように見えた。そのとき大きな音がした。

ドスン!

 衝撃が智美と達也の乗っている車を揺らした。そう遠くないところに落下したらしい。

「落ちたわ!隕石かしら。見に行ってみようよ!」

「うん!」

 二人は突然の予期せぬ出来事に興奮した。達也は地図を後部座席に放り出すと慌ててエンジンをかけた。

 車は細い山道を進んだ。智美は、さきほどの衝撃と音で、誰か他に気づいた人がいるのではないかとあたりを見回したが、他の車のライトなどは全く見えなかった。街からだいぶ離れたところに迷い込んでしまっていたので、周辺は暗闇と静寂に包まれていた。

「あのへんかなあ?」達也が言った。

ほどなく謎の物体が落下した場所に行き当たった。物体が地表に落ちるときにぶつかったのか、木がなぎ倒されているところがあり、それが目印となった。

「ここから先はちょっと車は入れないから、ここに停めるよ」

 二人は車から降りると木々の中に分け入った。

「あった!あそこに何か落ちてる」智美が叫んだ。

 寒さ対策のため内側に厚手のボアのついたブーツをはいていた智美は走りにくそうだったが、はやる気持ちをおさえられず、落下物までかけよった。

「待って待って!」達也が追いかける。

 二人は自分たちの目の前に横たわっている物を見て呆然とした。

 そこにあったものは……長さ一メートルほど、両手で抱えられるほどの幅のカプセルのようなものだった。

「な……何これ」智美が恐る恐る近づいた。

 カプセルは銀色で、最近モーターショーで大手自動車メーカーが展示した一人乗りのコンセプトカーの車輪をとったような形をしていた。前方にはハッチのようなものがあった。それなりの衝撃があったはずなのに本体にはかすり傷一つなかった。

「下手に近づかないほうがいいんじゃない?」

 達也は、カプセルの中からエイリアンのような生物が出てくるかもしれないと思い、その場で立ちすくんだ。しかし好奇心もあったので中身を確認してから逃げようかなどと考えていた。

 その時だった。ぷしゅーっ!と音をたててハッチが開いたのだ。

 とっさに身構える二人。

 ハッチは開いたが中から誰もでてこない。

 逃げるべきか。しかし好奇心に抗うことができず、智美も達也も今か今かと異星人の登場を待った。

 するとカプセルの中から小さな身体が姿を現した。

「誰か出てくるよ!」

 この大きさなら襲われてもなんとか平気と思ったのか、達也は逃げ腰体勢をやめ、数歩カプセルに近づいた。

 異星人が二人の前に姿を現した。

「かわいい!」智美が思わず叫んだ。

「カワイイ……」カプセルから出てきた異星人は繰り返した。そして一瞬考えるように目を閉じた。

「ここは日本という国ですね?」目を開いて異星人が言った。

「そ、そうです!日本です」智美が答えた。

(よく宇宙人と普通に会話なんかできるな……)達也のほうは自分の目の前で起きていることが信じられず、あっけにとられていた。ずっと平凡な人生を送ってきた自分が、宇宙人に遭遇している。ありえない。夢でも見ているのか?達也は自分の頬をたたいた。痛い。

 あたりは何事もなかったように静まり返っていた。街から遠く離れた場所の深夜。どうやら落下物の存在には他の誰も気づいていないようだった。

 異星人は身長六十センチ程度、小さいだけで外見は人間と変わらない。人間でいうと四歳児くらいに見える。やや色白で、ほっぺたと鼻の頭は熟した桃のような色をしている。明らかに人間と違っているのはロード・オブ・ザ・リングのエルフやスター・トレックのスポックのようなとがった耳と、白目部分のない黒水晶のような目だった。頭は映画に出てくる宇宙人っぽいツルツルのスキンヘッドで、月の光を反射していた。

「ぼくはモリガン星というところから地球に逃げてきたんだ。隕石が衝突して、粉々になってしまった。ぼくは唯一脱出した生き残り。名前は、トトっていうんだ」

 トトと名乗る異星人はそう言ってカプセルから地面にジャンプして降りた。

「日本語……お上手ですねえ」達也は宇宙人の親しみやすい外見にすっかり安心して、外国人観光客にでも言うように言った。

「地球のことはよく知ってる。地球の言語も、十か国語勉強したよ」

「それはその……いつか地球を侵略しようと思って?」

「達也、失礼じゃない、そんなこと聞いて」智美が横やりを入れた。

「侵略なんてしないよ。資源とかは足りていたし、コストを考えると必要なかったはず。ぼくらのほうからはしないけど、いつかそっちのほうから攻撃してきたら困るから、いざとなった時に交渉できるように、っていうのが目的だったんだよ」

 異星人は淡々と語った。見た目や声は子どもでも、口調やボキャブラリーは大人である。

「こんな立派な乗り物でここまで飛んでこられる技術力を持っていたんじゃ、いざとなっても、ぼくら地球人は君たちに到底かなわなかったと思うよ」達也が言った。

「もっと話が聞きたいわ。ここじゃ寒いから、一緒に来ない?」智美が言った。

「ちょっと!宇宙人を連れて帰るのかい?」

「危害を加えるようには見えないじゃない。大丈夫、大丈夫」

(またいつものこれだ……)達也はため息をついた。

 達也は仕方なく智美に言われるままカプセルをかついだ。

「あたりに何か残骸とか落ちてないかしら。後になって誰かに見つかってUFO騒ぎにでもなったら面倒くさいわ」

「見たところカプセルは無傷みたいだから、部品とかが外れたなんてことはなさそうだよ」

「木が二本倒れちゃってるけど、これはどうしようもないわよね」

「こんなところまで、誰も来ないっしょ」

 トトは二人の後をちょこちょことついてきている。

 智美は腕時計を見た。すでに夜中の一時をまわっていた。

「さあて。これからペンションまでなんとか帰らなきゃな」達也は水色の軽自動車のトランクスペースにカプセルを置いて運転席に座った。智美はトトを抱き上げ、助手席に座って膝の上に乗せた。

 達也はカーナビをあらためて操作すると、エンジンを入れた。

「どこに行きたいの?」しばらく走っているとトトが言った。

「そっちは、山のほうだよ」

「どうやってわかるの!?」智美が聞いた。

「山の活動が……いまはとても静かだけど……呼吸みたいなものかな、そういうのがわかるんだ」

「じゃ、逆方向に行けば最初に通った道に戻れそうだな」達也は車をUターンさせた。

「すっごーい!さすが宇宙人さん」智美はパチパチと拍手をした。


 その後、車は順調に走行を続け、なんとか宿泊先のペンションにたどり着くことができた。部屋数が四つしかない家族経営の小さなペンションなので、物音をたてないようそっと入口のドアを開けた。階段をそろそろと上がり、部屋のカギを開けた。

「ああ、やっと着いた」達也がベッドに倒れこんだ。

「しっ、声が大きいわよ」

「ごめんごめん。とりあえず僕は寝るよ。あまりにもびっくりすることがあって、疲れたよマジで」

 達也は着替えもせずにそのまま寝てしまった。

 智美はトトのほうを向いてヒソヒソ声で言った。「宇宙人も睡眠をとるのか知らないんだけど、地球人は、夜になると寝て、朝になると起きるの。話の続きは、明日聞かせて。この部屋からぜったいに出ちゃダメよ」

 子どもに話しかけるように智美は話した。

「うん、わかった。ここにいる」

 智美はパジャマに着替えると、いつも通り顔を洗って歯を磨いてベッドに入った。どんなに夜遅くなっても肌に汚れをのせたまま寝ない。美容業界にいた時からの鉄則だった。


 トントントン。部屋のドアを誰かがノックしている音で智美は目が覚めた。

「達ちゃん、出てぇ」智美は寒さでベッドの中で丸くなっていた。

 達也は仕方なくベッドを出た。

 ドアを開けるとペンションのオーナーが立っていた。

「おはようございます、朝食の用意ができてますよ。起こしてしまうの申し訳ないと思ったんですが、もう九時でして……一階のダイニングでどうぞ」

「あっ、もうそんな時間でしたか。すみません、すぐ仕度します」

「昨夜、寝るの遅かったもんね」智美もモソモソと起きてきた。

「おはよう」トトが背後から声をかけた。枕元にいたらしい。

「わっ、びっくりした」

「やっぱり夢じゃなかったんだ」達也が言った。

「ええっと……私たちは朝ごはんをこれから食べに行くんだけど……宇宙人さんは何を食べるの?何か持ってくるけど」智美が言った。

「石とか岩を食べるんだ。地球にあるやつでも大丈夫なはずだから、いくつか持ってきてくれるかな」

「そんなもの食べるの!?わかった、そのへんで拾ってくるわね」

 智美と達也は部屋を出た。


 ダイニングルームには他の宿泊者はもう誰もいなかった。席に着くとオーナーの奥さんが次々に食事を運んできた。クロワッサンにロールパン、ベーコンエッグにヤギミルクのチーズ。チーズは近くにあるヤギ牧場から買っている新鮮なミルクから作られていて、スイスの山小屋をイメージしてつくられたここのペンションらしさを演出している。

「なんだか昨夜のことは、夢でもみてたみたいだよね」達也が言った。

「信じられないわよね。自分たちの身に起きてるなんて」

「アメリカの国防省とかが嗅ぎつけて、軍事利用しようと企んだりして僕たちを追う……とか、ないかなあ」

「SF映画の見過ぎ!でも、あの物体が落下してるところを目撃した人は、黙ってないかもしれないわね」

「どこらへんに落ちたかとか、専門家なら簡単に割り出せるよ、たぶん」

「でも、今からあんまり心配してもしょうがないわよ」

 智美は根っからの楽天家で、小心者の達也とは正反対の性格だった。

「もしかして家に……トトを連れて帰るの?」達也はパンをほおばりながら言った。

「ここに置き去りになんてできるわけないでしょ。家族が一人増えたとでも思えばいいんじゃない?うち、子どもいないし。石っころが食べ物なら、お金もかからなくって最高よね」

 智美は竹を割ったようなサバサバした性格で、外見もそんな気質をそのまま表している。すっきりと整った目鼻立ちに、長い黒髪はいつも一つに束ねていた。化粧品会社でマーケティングを担当していたが、その外見は職種にぴったりだった。しかし恋愛のほうはあまり得意ではなかった。仕切りたがり屋なため、男性に媚びたり、話を聞いてあげるふりをしたり、相手の好みに合わせたりすることができなかった。何でも自分が主導権を握っていたいのである。圧倒的に女性の多い職場で、ただでさえ出会いがないのに加えて、その容姿が男性を尻込みさせてしまっていた。そこで知り合ったのが達也である。達也は智美の会社のすぐ近くにあるチェーン系コーヒーショップで契約社員をしていた。智美はほとんど毎朝そのコーヒーショップで朝食を食べてから出勤していたので、自然に二人は何気なく軽い会話を交わすようになっていた。達也は接客業の似合うソフトな雰囲気の好青年で、少し気が弱くおとなしい雰囲気だがオドオドしているわけではなく、智美は自分の職場でアグレッシブな男性に気疲れしていたせいか達也に好感を抱いていた。ある日の朝、智美はいつものようにカフェラテとブルーベリーマフィンを注文すると、さりげなく達也に名刺を渡した。これがきっかけでデートをするようになり、半年後に結婚したのだった。智美の年収は達也の年収を大きく上回っていたが、達也は気にしていないようだったので問題にならなかった。


 朝食を食べ終わると、二人は部屋に戻ってきた。

「さて、ぼちぼち仕度して、出発しようか。寄りたいところ色々あるもんね。温泉、牧場、アウトレットモール……東京に着くのは夜になっちゃうかな」達也が言った。

「あまり遅くならないうちに帰ったほうがいいよ」トトが言った。

「どっ、どういうこと?」智美が慌てた。

「六時間後に地震がある。そんなに大きくはないけど、そのころには家に着いていたほうがいいよ」

「そんなこと、わかるの?」

「昨日、山がある方向を教えてあげたでしょう。ぼくは自然界の変化や気象の動きを察知することができるんだ。火山活動とか、地殻変動とか、ハリケーンの進路とか。地球にいる生き物も、君たち人間より早くわかって逃げ出すというけど、ぼくはそれよりはるかに早く察知できるんだ」

「へえ」智美と達也が声をそろえた。

「厳密に言うと、微弱な音や振動、電磁波がわかるっていうことなんだけど」

「じゃあ、ここは素直に従って、寄り道しないで帰るとするか」

 達也はそう言うと、荷物をまとめ始めた。

「一か所だけ、牧場のしぼりたてミルクのソフトクリームはどうしても食べて帰りたいんだけど」智美が言った。

(地震が来るって予言されてるのに、ぜんぜん動じてないなあ)達也は思った。

 二人は清算を済ませると、ペンションのオーナー夫妻に挨拶をして駐車場に向かった。トトは達也のリュックサックの中だった。車に乗ると、智美はトトをリュックから出して後部座席に座らせた。

「さすがに明るいうちは……膝の上に乗せると、対向車とかに見られたらまずいわ」

「よし、じゃあ出発」達也はエンジンをかけた。


 車の中で智美はトトに色々な質問をした。

「こんなこと聞いていいのかなと思うけど……どうして、トトだけが助かったの?」

「地球まで飛べるカプセルはモリガン星の技術を結集させて作られたもので、お金がものすごいかかるから、隕石が来たときにはまだたった一つしかなかった。しかも子どもしか入れない大きさだったんだ。ぼくはモリガン星の王子だったから、王が、せめてぼくだけは助かるように、って無理やりカプセルの中に押し込めて地球に向けて発射させたんだ」

「王子様だったのか!」達也が運転しながら言った。

「隕石は、衝突のわずか十二時間前にその存在が確認された。どうしようもなかったんだ。こういうことは地球にもありえることなんだよ」

「その十二時間の間、国民たちはどうしてたのかしら」

「ぼくは王宮の中にいたからわからないけど、聞いた話では、街の様子はいつもと変わらなかったみたい」

「ところで、大変な出来事があったのに、どうしてそんなに平然としていられるの?」

「起きてしまったことを嘆いてもどうにもならないもん。無数の星や銀河、ぼくたちも全て宇宙の一部だから、宇宙で何が起ころうがそれを受け入れなくちゃいけないんだ」

 トトは仏教僧のようなことを落ち着いた口調で語った。

 智美と達也は目を大きく見開いて顔を見合わせた。


 帰路は道に迷うこともなく、渋滞もなかったので午後三時前に自宅に到着した。自宅は達也の実家で、築二十年の一戸建ての一階を改造して小さなカフェにし、二階を住居としていた。達也の両親は達也が大学生のときに交通事故で他界しており、達也はずっと一人でこの家に住み続けていた。父親が残してくれた家に愛着があったので、コーヒーショップで仕事をしながら、いつか自宅でアットホームな雰囲気のカフェを開きたいと願いコツコツと貯金をしていた。智美もその考えに賛成してくれたため、結婚を機に思い切って開店にこぎつけた。智美はしばらく仕事を続けようと思ったが、カフェを達也が一人で切り盛りできるか心配だったので退職し、一緒に経営することにしたのだった。

 夕方になって達也はテレビをつけた。ニュースをしばらく見ていると、ソファの前の小さなテーブルの上のコーヒーカップがカタカタと揺れ始めた。

「地震だ」達也が身構えた。

 震度四程度の揺れだった。小さくはないが、たびたび経験している大きさなので二人はさほど動じず、ソファに座ったままテレビを見続けた。

「トトが今朝言った通りだわ!」智美が言った。

「時間もぴったりだね。トト、あのとき『六時間後』って言ったよね。今がちょうどそのくらいだよ」

 智美の隣に座っていたトトは、こくりとうなずいた。

 各地の震度情報はすぐにテレビに表示されたが、それよりしばらくすると、アナウンサーのもとに局のスタッフが走ってきて一枚の紙を手渡した。

「えー、たった今入ってきたニュースをお伝えします。長野県内の東北自動車道で落石事故があったもようです。さきほどの地震の影響とみられます」

 二人の顔色が突然変わった。詳細が明らかになるにつれ、今日まさに帰路に車で通った道路だった。落石で玉突きとなり、死者二名、重軽傷四名とニュースは報じた。

「トト、ありがとう!命の恩人ね」智美はトトの小さな手をとって言った。

「モリガン星人は、みんなそういう能力を持ってるの?」達也が聞いた。

「うん。人によって程度の差はあるけどね。モリガン星は地球と同じで、しょっちゅう自然災害が起こるから、そういう能力が進化の過程で発達していったんだ」

「いいなあ、僕たちにも欲しいよね、そんな力」

「でもそれなのに、隕石の衝突は前もって察知できない。レーダーが検知できたときには、もう手遅れだった。自分たちが足をつけてる大地で起きることならわかるけど、外からやってくる脅威には完全に無力なんだ。皮肉なことだよね」トトはうつむいた。


 カフェの営業は、朝七時に開店しモーニングセットを食べにくる客の対応をしたあと十時にいったん店を閉め休憩にし、午後二時から五時まで再び営業する、というパターンだった。カフェはカウンター五席、二人掛けテーブル席二つ、計九席だけの小さな店だ。自宅を改装しているためこのくらいが限界だった。カフェというよりは昔ながらの喫茶店という雰囲気だ。午後は近所の主婦たちが多い。一見「さわやか好青年」の達也はオバサンたちに人気だった。「私の好きな韓流スターに似てるわ!」などと言われて、達也は迷惑そうに引きつった笑みを浮かべるのだった。

「そういえばトト、毎日退屈じゃない?モリガン星ではいつも何をしてたの?」午前中の仕事を終えて二階に上がってきた智美がトトに聞いた。

「勉強ばっかりさせられてた。でなきゃこんなに日本語できないよ。他にも地球の言語は英語、中国語、ドイツ語、フランス語……」

「私たちが出会った日に、たしか十か国語できるって言ってたわよね」

「もちろん勉強してたのは言葉だけじゃなく、物理学や工学もだよ」

「物理!?トトって一体、何歳なの?」

「ぼくはもう二十年生きてる。でも、モリガン星人の寿命は百三十年から百五十年くらいだから、地球人でいったらまだ子どもだよ」

「ハタチなのか、トトは」達也も会話に入ってきた。

するとトトはふと何かを思いついたように「そうだ、地球儀もってる?」と言った。

「地球儀?何で急に?まあいいや、ちょっと待って」

 達也は押入れを開けると段ボールの箱をガサゴソとさぐり始めた。

「小さいころ父親に買ってもらったやつ、ずーっと大事にしまっておいたはずなんだ。えーっとたしかここらへんに……お、あったあった」

 地球儀を取り出すと、達也はホコリを軽くふいてトトの前に置いた。トトはくるくると地球儀を回転させた。どこかの場所を探しているようだった。

「ここらへんで、山が噴火するよ」

「えっ」智美がふりむいた。

 トトの小さな指はヨーロッパの火山国を指していた。

 

 その日の夕方、智美はツイッターの画面を開いた。数十人のフォロワーしかいないカフェのアカウントとは別に新規のアカウントを登録すると、トトが言ったことをツイートした。数日後それが現実のものとなったときに誰かがこのツイートのことを思い出して拡散してくれるのを期待し、適当に色々な人をフォローし、「フォロー返し」を待った。これから想像以上の大騒ぎが起きることも知らず……



三.計画


 カフェでは午後にケーキセットを提供していて、近所の主婦などがおしゃべりをしに来る。この日は五十代とおぼしき主婦の二人組が話に花を咲かせている。智美はいつも専業主婦たちの繰り広げる噂話やママ友の悪口、夫の愚痴などをおもしろおかしく聞いている。小さい店なので聞きたくなくても耳に入ってしまうからだ。最初はくだらないなあと思っていたが、ヘタな昼メロより面白いことに気づいてからは楽しむようになっていた。

「そうそう、田中さんのダンナさん、リストラされそうみたいよ」

「あらそう」と言いながら嬉しそうだ。他人の不幸は蜜の味か。

「この前パクちゃんのファン交流会に行ってきたのよ」

「うちの嫁ったら、ひどいのよ。聞いてくれる?」

 話があちこちに飛ぶ。智美は苦笑いした。すると、

「そうだわ、正午のニュース見た?イタリアで火山が噴火したみたいよ。わたしこの前イタリアに娘と旅行に行ってきたばかりだから驚いちゃったわよ」五十代の主婦はいわゆる「ドヤ顔」をして得意げに言った。

(噴火ってたしか、トトがこの前……)智美はこの話を耳にしてから閉店時間まで落ち着かなかった。

 仕事を終えると智美は急いでパソコンを立ち上げ、トトの予言をツイートした後ほったらかしにしていたツイッターの画面にログインした。今日になってたくさんリツイートされて「予言が的中!」「一体誰のしわざ?」などと話題になっていることを知った。

智美は画面を見ながら「いいこと思いついた」とつぶやいた。


「新興宗教ぉ!?」達也は、味噌汁を飲もうとして手をとめた。

「おおざっぱに言うとそうなるけど、そんな大げさなやつじゃなくて、もうちょっと小規模な、スピリチュアルっていうか精神世界の団体みたいなのあるじゃない。知らない?ホ・オペケペケとか、ラオリエン・ムーブメントみたいなやつ」智美が言った。

「そういうの、よくわかんないけど……トトの力を利用するってことだよね」

「ネットの反応、ちゃんと見てる?びっくりよ。利用しない手はないと思うんだけど。今度トトがまた何か察知したら、同じようにツイートしてみるつもり。二回当たればさらに話題になるでしょ。ある程度盛り上がったら、ホームページを作って公表するの。『予言の主』をね」

そう言うと智美は焼き魚の小骨を取り始めた。料理があまり得意でないので、グリルで焼くだけでいいアジやサバが定番の夕食だった。

「トトの姿を、世間にさらすってこと?」達也は不安そうに言った。

「ウェブサイトでは、ティーザー広告の要領で、鮮明な画像じゃなくて、ちょっとボカすか、イラストっぽく加工した画像を載せるのよ。『チラ見せ』で好奇心を刺激するってわけ」

「てぃーざー広告?」マーケティング用語は達也にはさっぱりだった。

「じらす戦略のことよ。で、ホームページのアクセス数がそれなりになったら、セミナーとかワークショップみたいなのを開催する。そこでトト本人の登場よ。お金を払って会場に来た人だけに姿を見せるの」智美はプレゼンでもしているように語った。

「身長六十センチを、一体、どうやって説明するの」もはや達也は動揺し始めていた。

「ずっと前テレビでやってたじゃない、インドでギネスブックに載った、世界最小の少女。たしかあの子もそのくらいの身長よ。すっごいかわいくて、中身は普通の子よ。世界にもう一人くらいいたって不思議じゃないわよ」

「どっから来たってことにするわけ?まさか宇宙人なんて言うわけないよね」

「私たちの子どもってことにするわ」

「はあ?」全然似てないじゃないか、と達也は心の中で言った。

「心配しないで、もう勝手に色んなアイデアがわーっと頭に浮かんでるんだから」

 当のトトはというと、二人の会話を聞いていたが、聞いてないふりをしていた。


 ホームページの立ち上げや、いずれ開催するセミナーの準備のため、智美はニューエイジやスピリチュアル、自己啓発系の本を何冊も買って読んでいた。かつては「聖なる予言」や「アガスティアの葉」など、この手の本が一世を風靡した時代があったが、最近は霊能者と自称している人物が詐欺で訴えられたり、スキャンダルなどで週刊誌を賑わせたり、洗脳が話題になったりしたせいか、一部では根強い人気がまだあるものの、こういったものへの世間の関心は薄れてきているようだった。テレビもオカルト特集や超常現象を扱う番組はめっきり少なくなっている。景気が回復しているのも影響しているのではないかと智美は感じていた。昔、オウム真理教が国外で最も多くの信者を獲得したのはロシアだったが、これはソ連崩壊後、ロシア国内では経済も精神的なよりどころも不安定になっていたから、という見方がある。もともと危機意識の足りない日本では、ありきたりなものを打ち出してもダメだと思っていた。しかし、トトの予言に、厳密にいうとノストラダムスのようなオカルトめいた予言ではなく電磁波などを「検知」しているだけなのだが、そんなことを知る由もなく反応する人が大勢いるということは、この先何が起きるのかという不安はいつの時代になっても消えはしないのだとも考えた。

(不安を少し煽って、いま行動すれば遅くないと思わせ、自分たちは選ばれた、とちょっと自尊心をくすぐってあげる……よし、これでいこう)

 智美は読んでいた本を閉じると、パソコンの電源を入れた。

 そんな折、ちょうどよいタイミングでトトが智美のそばにやってきて言った。

「次は南米で集中豪雨だよ。場所は……」

「ちょっと待って!またツイートするから」智美はパソコンが起動するのをイライラしながら待って、ツイッターの画面を開いた。


 閉店後、智美は店の片付けを達也に任せて自分はしばらくパソコンをいじっていたが、達也が二階に上がってくると手招きした。

「おつかれさま。達ちゃん、みてみて。ホームページができたの!そうそう、その前に言っておかなきゃ。トトの予言を昨日の夜また発信したの。今度は集中豪雨よ」

「犠牲者がこれから出るっていうのに、どういう神経してるのかねえ」

 達也はやれやれ、という顔をして画面をのぞきこんだ。

 ホームページのトップ画面にはこんな文字が躍っていた。


    スターチャイルド・ムーブメント

    現代に生きる神の化身


 画面は全体的に宇宙をイメージしたデザインで、一番上に無数の星がきらめく美しい銀河の画像をもってきた。

「スターチャイルドって、トトのことだよね」達也が言った。

「既存の宗教のいわゆる『神様』ではなく、神イコール宇宙とか宇宙意識、っていうコンセプトなの。それを人類に伝える子どもってことで、スター(星)のチャイルド(子ども)。語呂もいいでしょ」智美は得意げに言った。

 画面左側にはメニューが並んでいた。


    ごあいさつ

    スターチャイルドの生い立ち

    危機に瀕する地球

    私たちの使命

    チャイルドの「予言」について


「なかなかよくできてるでしょ」智美は胸を張った。

「うん、さすが元マーケッターだね。センスあるね」

「このホームページへのアクセス数とツイッターの反応を見て、ある程度広まったらセミナーの案内を載せるつもり。前にも言ったけど、セミナーに来た人だけがトトに会えるってことを強調してプレミア感を出して、チケットをウェブ上で販売するのよ」

「何してるの?」

 トトが智美の足元に来たので智美はトトを抱き上げて膝の上に乗せた。

「あなたの能力はね、私たち地球人は持ってないの。自然災害を言い当てたでしょう。それでみんなびっくりしてるのよ。だからその力をうまく使わせてもらおうかなーと色々考えてるの」

 (まさか金儲けを考えているなんて言えないわ)智美は内心そう思った。

「ふーん。なんだかよくわからないなあ」トトが言った。

 達也は熱心にホームページを見ている。

「ねえ、『生い立ち』読んだけど、軟骨無形成症で体が小さいっていう説明のところだけど……」

「うん、あのインドの、ギネスブックに載った小さい少女を参考にしたの。だってそれ以外に説明がつかないんだもん」

「いや、それはいいと思うんだけど、生まれてすぐ外国にいる智美の両親に預けられたって設定はどうかなあ?」

「どうかなあ、って?」

「誰か、裏をとったりしないかな」

「そこまでしないでしょ。ウェブサイトから私たちを特定することはできると思うけど、別に詐欺とか、何か悪いことしてるわけじゃないんだから。現に予言は嘘じゃないし」

「ならいいけど……ハワイにいるご両親は、このこと知ってるの?」智美の両親は、父親の定年退職後ハワイにロングステイしている。

「ううん、何も。でももし詮索されるようなことがあったら、事情を説明して口裏合わせをお願いするわ」

 達也は気が弱く心配性だが、智美は胆のすわった性格だった。

「さて、反響が楽しみね。あらっ、もうこんな時間」

 智美は立ち上がってトトをソファに座らせると、開店の準備に一階へ降りて行った。達也もその後に続いた。


 ホームページを立ち上げてから一週間が経過した。なりすましと思われないよう、予言をツイートしたツイッターのアカウントからホームページ開設の案内を発信した。ホームページへのアクセス数は達也と智美の予想をはるかに超えていた。誰も予想していなかった季節外れの集中豪雨も実際に発生し、「またも的中!」のタイトルがネットのあちこちで見かけられる。

「こりゃ大変だ」達也が言った。

「コメント欄を見て!大勢の人が、予言した本人を見てみたい、って書き込んでる」

 智美も驚いて目を丸くした。

「セミナーの準備にとりかからなくちゃね。このアクセス数なら、絶対それなりの数の人が来るはずだわ」

「よっしゃ!まず、何から?」

 最初は消極的だった達也もすっかりやる気になっていた。

「チケットをホームページ上で販売するの。eチケットにすれば紙がいらないからコストも手間も省けるわ。会場を探さなきゃね。とりあえず都内で、市民ホールみたいなあまり大きくないところからコンサートホール並みに立派なところまで、いくつか候補をあげといてくれる?収容人数と費用をリストにしといて」

「了解!」達也はさっそくパソコンに向かった。


 智美が風呂に入っている間、達也はトトと話でもしようとソファに腰かけた。

「そういえば、あんまりゆっくり会話したことなかったね」達也が言った。

「うん。……トモミ、忙しそうだね」トトが言った。

「忙しく動き回ってるのが好きなんだよ。僕が頼りないから、っていうのもあるけど」

「タツヤとトモミは、オスとメスだよね。子どもはいないの?地球の生き物はほとんど何でもオスとメスが組み合わさって増えるよね」

「よくそんなこと知ってるねえ」達也は困った顔になった。

「地球と地球人のことは色々勉強したよ」

「僕はその……いわゆる草食男子ってやつで。もともとそっちに熱心じゃないし、たまにやらなくもないけど、タネが薄いのかなあ」

 達也は気まずそうに笑って言った。

「ソウショクダンシ?その単語は知らないな。新しい言葉かな」

「とにかく、別にぼくたち夫婦は、子どもがすっごい欲しいってわけじゃないんだ。智美も、仕事するほうが好きみたいだし。ところで、トトの住んでた星では、どうだったの?そういえばトトのお父さんお母さんのこと、まだちゃんと聞いてなかった。トトが王子様ってことは、お父さんは王様だったんだよね」達也は話題をそらした。

「ぼくの種族はオスもメスもなくて、無性生殖をするんだ。でも見た目はどちらかというと、地球人から見れば、オスに近いかもしれない。人間にわかりやすく言うと、父親しかいなくて、父親から分裂したのがぼく。うん、その『父』がモリガン星の王だったよ。ある程度の年齢に来ると体が分裂して、もう一つ個体ができて、それが成長していくんだ。地球の生き物でアメーバっているじゃない、そのイメージかな。もちろん中身はあんなに単純じゃないけど」

「へえ!そうなんだ。SF映画みたいだな」

「でも分裂が起きる人と起きない人がいる。そうでないと人口がどんどん増えちゃって困るでしょ。地球の自然界の法則と同じように、それはうまくできていて、適当にバランスが保たれているんだよ」

「へえ」達也はさっきから大きくうなずいて聞いている。

「……でも、もうモリガン星はなくなってしまった。モリガン星人も、ぼくがたった一人の生き残り。大きくなっても分裂しなかったら、ぼくが死んだら絶滅ってことだね」

 達也が何か言いかけたとき智美が風呂から出てきた。

「あれっ、トトが珍しくしんみりした顔してる。どうしたの?」

「ううん、なんでもないよ」

「じゃ、僕も風呂入ってくる」達也はソファから立ち上がると居間から退散した。

 智美は髪を乾かすとパジャマに着替え、トトを抱きかかえると寝室に行った。

「ぼくは人間みたいに六時間も七時間も寝る必要ないんだけどな」トトが言った。

「そんなこと言わないで、一緒に寝ようよ、ね。子どもができたみたいで、ちょっと嬉しいのよね」

(さっき達也は自分たちは子どもがいなくても平気だ、みたいなことを言っていたのに……人間のオスとメスには、色々な事情があるんだな)とトトは思った。

 智美はベッドに入ると、小さな声でトトに「おやすみなさい」と言った。

トトはとりあえず目を閉じて寝たふりをした。


 ネット上で販売したセミナーのチケットはすぐに完売となった。ホームページ開設前からすでにツイッターなどで話題になっていたことも影響した。

「さあて、これからが勝負よ!達ちゃん、会場では、来場者の案内から金属探知機チェック、それに司会者までやってもらうわよ」智美がはりきって言った。

「ちょっ……金属探知機?どういうこと?」

「携帯、デジカメ、隠しカメラ、レコーダー、とにかくそういうものは一つも会場に持ち込ませないためよ。トトの姿がこっそり撮影されてネットに動画が載っちゃったりすると、それを見た誰かが映像を検証するかもしれないでしょ」

「そこまで考えてるのか……さすがだね」

達也は妻の用意周到っぷりに心底感心した。

「よく空港の職員とかが手に持ってるじゃない、ああういうやつ。レンタルできるみたいだから、さっそく手配してくれる?」

「りょうかあい。それはまあよいとして、司会はカンベンしてほしいなあ。大勢の前でしゃべるのって苦手なんだけど……」

「いまから練習してもらうわよ」智美はフフフと笑った。

「台本を用意しておいてあげるから、その通りにしゃべればいいだけよ。そうそう、肝心なのは変装ね。これは私についてもいえることだけど。確率的には低いけど、万が一にもセミナーの申込者の中に、過去にうちのカフェに来たことがある人がいたらバレちゃうじゃない?」

「はいはい」

「達ちゃんは、度の入ってないメガネをかけるだけでいいよ。私は、何を着ようかなあ。ギリシャ神話の女神のコスチューム、天照大御神、あるいは……」

「おいおい、主役はトトでしょ」達也がさえぎった。

「ごめん、そうだったわ。いやちょっと待って。私のポジションは神の化身の母というか庇護者なんだから、イメージは聖母マリアだってば。それなりの風格を持たないと」

「もう、好きにしたらいいよ」達也は苦笑いした。

 

 チケット販売が終了してからセミナーの準備に力を入れている智美は、カフェのほうでは気分がのらなかった。会場を盛り上げるためにどんな演出をしようか、話をどう進めていこうか、といったこと頭がでいっぱいになっていた。もともとそんなに混雑することのない店なのでなんとかやりくりしていたが、心ここにあらずといった感じでいた。そこへ常連客がやってきた。カランカラン、と入口のドアにぶら下げているチャイムが鳴る。

「おう、おはよう」

 近所に住む五十代後半の男性、山内だ。大企業を早期退職し、暇を持て余してこの店によく来るのだ。奥さんとあまりうまくいっていないらしく、家にあまりいたくないせいもある。しかし達也の淹れるコーヒーはおいしいといつも言ってくれる。

「今日はいつもより遅いですね」

 智美は考え事をしていたが、ドアチャイムの音にハッと我に返って言った。

「モーニングセット、まだある?うちのカミさんが今日は朝早くから友達と温泉旅行に行くとか言って家を出ちゃってさ、犬の散歩を代わりに頼まれて遅くなっちゃったよ。もう腹ペコペコ」早口でまくしたてると山内はいつものカウンター席に座った。

「ありますよ、トースト最後の一枚、ギリギリセーフ」達也が言った。

「ところでさ、知ってる?予言の話。今まで二回とも、場所も日付もぴったり当たってるんだよね。最初のがイタリアの火山の噴火、次にベネズエラの季節外れの豪雨」

 智美と達也は顔を見合わせた。智美は、『黙ってて』と達也に合図した。

「聞いたことあります。すごいですよねえ。ベーコン切らしちゃってるので、代わりにソーセージでもいいですか?」

 智美はいそいそとモーニングセットを用意しながら話をそらそうとした。

「今度、その予言してる張本人がその姿を見せるっていうんだよ。ホームページまでできちゃってさ、すごいんだ」

 まずい展開だ。しょっちゅう間近で顔を合わせている人に会場に来られては、二人して変装しても見破られないか不安だ。智美は、この前カフェの客が来場する確率なんぞ低いだろうと思ったばかりなのに、世の中やはり狭いのだと実感した。智美はおそるおそる聞いてみた。

「ああ、ツイッターでたくさんリツイートされてましたよね……でも、チケットたしかもう全部売れちゃったんじゃありません?」

「そうなんだよお。昨日ホームページ見たら、『完売しました』だって。ああ残念!どんな子なのか、神童をこの目で見てみたかったのになあ」山内は悔しそうに言った。

 智美と達也はまた顔を見合わせると、安心したようにため息をついた。


 チケットの販売期間終了日からセミナーの開催当日までは二週間しかなかった。人々の関心が冷めないうちにやらねばと思った智美は、不安がる達也を説き伏せて無理やりスケジュールを決めた。司会をやらされる達也は、智美が作った台本を何度も声に出して読んだ。人前で話すなど何年ぶりかわからない。智美のほうは会社でプレゼンをしょっちゅうしていたし目立つことが好きなので、むしろ人前に出るのを楽しみにしていた。主役はトトで自分は引き立て役だということを何度も忘れそうになるほどだった。開催の三日前からはカフェの営業を休みにし、会場の担当者と照明や音響について打ち合わせを行った。

「わかった?こんな感じで、できそう?」智美はセミナーの趣旨や、トトに話してほしいことなどを一通り説明した。

「できるけど、大地震が起きるとか火山が噴火するとか、そういうことってその地域にいる人たちに直接教えてあげたほうがいいような気がしてきてるんだよね。今さらだけど。これからはそうしたほうがいいんじゃない?関係ない人たちに言っても……」トトが珍しく困惑したように言った。

「教えてあげたいのはやまやまなの、トト。でも、知らせてあげたとしても誰もたぶん信じないし、パニックになったらかえってそっちのほうが災害……人災を引き起こしてしまうかもしれない」

「ジンサイ……」トトが繰り返した。

「いい?人間っていうのは、たぶんあなたたちより愚かな生き物よ。日常の行いを改める気はないのに、困ったらヒーローや救世主に助けてほしい。そう考えてる人が多いの」

「助ける価値は、人間にはない、って言いたいの?」

「そういうわけじゃないけど……何て説明したらいいかしら」智美は眉間にしわを寄せた。

「あるテレビドラマでやってた話なんだけどね。あるところにどんな病気も治せる力を持つ人がいたの。そしたら、その人のところに大勢の人が押し寄せてきて、その人は疲れきって死にそうになっちゃったり、悪い人に『俺専属の主治医になれ』って言われて連れ去られそうになったり、病気を治す順番がまだまだ先の人に『早くしろ!こっちが先だ!』なんて怒鳴られたり、逆に恨まれたりしちゃうの。そんなの、いやでしょ?」

「……うん、それはイヤだ」いつも大人よりも冷静なトトが泣きそうな声で言った。

「みんなを救うことなんてできないの。それに、助ける人と助けられない人、どこで線を引くの?人間にはどうすることもできないのよ」

智美は言いながら矛盾を感じていた。トトを独り占めにして自分は助かりたいのが本心なのを自覚していた。


 いよいよ第一回目のセミナー当日がやってきた。

 都内にある中規模の貸しホールの前には開場を待つ人が列をなしている。智美とトトはステージ裏の控室にいたが、達也は司会だけでなく来場者の案内も担当しているので朝からてんてこ舞いの忙しさだった。智美が特に「撮影・録音一切禁止」にこだわったので、金属探知機によるチェックが一苦労だった。来場者の数が多く、さすがに一人では対応しきれないのでこの時だけアルバイトを雇った。しかしホームページでの告知を徹底したせいか何ごともなくスムーズにすんだ。次々と参加者たちがホールに入場していく。

 会場はほぼ全席埋まっていた。開始時刻が近づくと達也の緊張は頂点に達していた。数年前に友人の結婚式で着て以来のスーツ姿で、ネクタイをしめた首が苦しくてたまらなかった。智美の命令どおり伊達メガネをかけたが慣れないので落ち着かない。


 ステージの上で達也はカンニングペーパーを握りしめていたが、いまのところそれを使わずにすんでいた。なんとか冒頭のあいさつを終えると、いよいよ主役の登場である。

「それではお待たせいたしました、スターチャイルドをステージにお呼びしましょう」

 ステージにはドライアイスの煙がもくもくとたちこめている。神秘さを盛り上げる演出だ。会場の照明が少し暗くなった。

智美はギリシャ神話の巫女をイメージした白い衣装に身を包み、スモークの中から浮かび上がるように登場した。ハロウィンの仮装用衣装をネット通販で買ったものに細工し、安っぽく見えないようにしていた。腕には同じく白い衣装を着たトトを抱いている。トトも言われた通りまっすぐ前を見て神々しいような表情をなんとか保っていた。

(大げさだなあ……でもコスプレけっこう似合ってるな)達也は苦笑いした。

 客席は一斉に立ち上がって歓声をあげた。小さい体に大きな耳、きらきら輝く黒い大きな瞳。トトの姿に参加者の視線が注がれた。会場の後ろのほうにいる参加者たちは身を乗り出すようにしたが、ステージ上に設置されたスクリーンに二人の姿が映し出されると元の体勢に戻った。

 会場のどよめきがおさまると、智美は玉座のような装飾を施した椅子にトトを座らせた。

「みなさん、ようこそお越しくださいました。みなさんが今ここにいるのは偶然ではありません。みなさんはここへ『引き寄せ』られて来たのです」

智美はマイクを持ち、客席のほうを向いて語り始めた。

「これまで自然災害を予言し、みなさんを驚かせてきましたが、それはただ単に、みなさんの意識を目覚めさせるためのものなのです。神がこの子を通じて本当に私たちに伝えたいのは、もっと大切なことです」

 参加者たちは真剣なまなざしで智美の話を聞いている。

「この子は軟骨無形成症により、身体の成長は普通の子どもたちのようにはままなりませんでした。しかし慈悲深い神は、その代わりに、この子に特別な能力をお与えになったのです」

 智美は一呼吸おいてさらに続けた。

「他の人と違う、ということが大きなハンデになってしまうこの島国・日本の社会ではこの子を育てていく勇気がなく、私はこの子を外国に住む私の両親に預けていました。しかし、やはり母子がはなればなれというのはよくないと思い、日本へ連れ帰ったのです。この子の能力を知ったのは、それからでした」

 これから先ネット上などで様々な憶測が飛び交うのは避けられず、隠せば余計にああだこうだと騒がれるかもしれないと思った智美は、これまでのいきさつを、当然全てでっち上げた話なのだが、詳しく語った。

「いま、世界のあちこちで自然災害が起きています。これは私たちの母なる地球、ガイアが悲鳴を上げているからなのです。空を汚し、海を汚し、大地に有毒物質をまき散らしている人間に、警告を発しているのです……私たちは現在、かつてないほどの危機的状況にいます。これまで世界中でどのような悲劇が起きてきたか、映像でご覧いただきましょう。目をそらさないでください。これが現実なのです」

 人々の不安を煽る戦略だ。ここで危機意識を高めておくことで、救世主の存在意義を強調するというわけである。智美は会場の担当者に目で合図をした。照明がさらに暗くなり、映画「プラトーン」で挿入曲として使われた「弦楽のためのアダージョ」の悲壮な音楽が流れてくる。そこへスクリーンに世界中で起きた自然災害の様子、嘆き悲しむ人々の姿、破壊された家々などが次々と映し出された。

 智美は悲しい表情をしながらも次に喋ることを頭の中で繰り返していた。トトはきょとんとした顔をして客席を見下ろしていた。

 映像の締めくくりは東日本大震災の様子だった。会場のあちこちからすすり泣きが聞こえてくる。ビデオが終了すると照明が元に戻った。

映像を流しているあいだステージの袖にいた智美は、中央に戻ってくると再び語りだした。

「この、危機に瀕した私たちの母なる地球を救うには、まず人間である私たちが、自分自身を救わねばなりません。一人一人が、意識を変えることから始まります。私たちの意識も、自然も、宇宙も、すべては無意識の下ではつながっているのです。だからあなたが変われば、世界が変わるのです。世界を良くしていこうと、一人一人が決心しなくてはなりません。全ては一つです。ワンネス、そうです!全てはつながっていることを思い出してください!パラダイム・シフトの到来です」

 智美はこれまでに読みあさったニューエイジやスピリチュアル本に書いてあったことを適当につなぎ合わせて語った。論理的には少々無理があるが、こういうところでは理性ではなく感情に訴えるほうが効果的なのである。

会場に大きな拍手が鳴り響いた。盛り上がってきたぞ!と智美はテンションが上がってくるのを感じた。やはりこの方法は間違っていなかった。マイクを持つ手に力が入る。

「この子は、私たちに神性があることを教えるために、いえ正確に言うと『思い出させる』ためにこの世に神からつかわされたのです。そして迫りくる危険を私たちに、選ばれし者だけに教えてくれるのです」

 智美はトトの小さな肩に手をかけて言った。

 ステージの端では、妻の「熱演」を達也はあっけにとられて見ていた。

(俺なんかと結婚したのは、ほんと、もったいなかったんだなあ)と感心した。

 会場は熱気に包まれていた。大きくうなずいて聞く者、涙ぐむ者、色々な人がいた。

「さあ、神の御言葉を聞きましょう」

 うやうやしくトトに向かって軽くおじぎをするような仕草をすると、智美はトトの半歩後ろに下がった。

 参加者は固唾を飲んだ。

 トトは目を閉じて、しばらく考えたようにすると、目を開けてゆっくりと、はっきりと語り始めた。

「……五日後に太平洋の真ん中で地震がある。赤道付近に散らばる島々が大きな波に襲われる」

 会場は静まり返った。

「これから起こる悲しいできごとのために、祈ってください。一人でも多く、たすかりますように。みんなで祈りましょう」

 トトは智美に教えられた通りにしゃべると、合掌して目を閉じた。


 セミナーは盛況のうちに幕を閉じたが、そのちょうど五日後、トトの言ったことは現実のものとなった。太平洋の島々からなる国キリバスで地震が発生したとニュースで伝えられた。幸い犠牲者の数は少なかったものの、発生日と場所がぴったり一致したため、このことがまたたく間にネット上に拡散した。セミナーに参加した人たちが、またもや予言が的中したとツイッターやフェイスブックに書き込んだからだ。犠牲者数が抑えられたのは、セミナーに参加した人たちがトトに言われた通り祈ったからだ、と主張する者もいた。智美は、トトの能力を知っていながら当事国に警告するわけにもいかずジレンマを感じていたが、被災者の支援に少し寄付をして罪悪感を紛らわした。トトにも説明したように、遠い日本の一般市民がそんな連絡をしたって信じてもらえないだろうし、当たれば当たるで面倒なことに巻き込まれそうだし、そもそも未来の被災者全員を救うことなどできない。どうすることもできないのだった。

 これまでにツイッターに流した予言が二回、セミナー会場で一回、合計三回連続の的中により、トトの地位は不動のものとなった。話題はいまのところネット中心だったが、話題が長く続けばテレビや雑誌などのメディアにも伝わるのは時間の問題だった。『二十一世紀のノストラダムス?』『救世主、到来か』などのタイトルが様々なポータルサイトのニュース画面に登場するようになった。クリック数ランキングでも上位を占めている。ウェブサイトのアクセス数もうなぎ上りで、智美も達也も反響の大きさが予想以上であることに驚いていた。

「なんかすごいことになってるよ」

 カフェ定休日の朝、達也がホームページの更新をしようとした際、アクセスカウンターを見て驚きの声をあげた。

「思った通りだわ!トト、ありがとう!あなたってばまさに神の子ね」

 智美はトトをぎゅっと抱きしめて言った。

「たった一日で、カフェの売り上げ一年分を稼いじゃったわよ」

 智美は達也のほうをちらっと見た。

「イヤミありがとう。ごめんね、甲斐性無しで。でも、パーッと使っちゃダメだよ。こういうのって一過性のブームになることが多いから」

 もともと物欲のない達也は大金の臨時収入に大喜びするわけでもなく淡々と言った。

「わかってますよーだ。ちゃんと次の計画があるの。関連グッズを制作するのよ。ほら、よくあるじゃない、お守りカードとか、ブレスレットとか、そういうやつ。実はもうデザインとかは企画中なのよね。売上の一部は商品開発に使うから」

 マーケッター時代に戻ったかのように智美は生き生きとしていた。達也はもともと智美に引け目のようなものを感じていたので、どんなものであれ智美が自分本来の性分を生かせるものを見つけたことは良いことだと思い、それ以上金の使い道についてはあれこれ言わなかった。自分に言う権利もないと自覚していたからだった。

「あっでも、せっかくだから、セミナーの成功を祝って、お洒落なお店に食べに行くくらいならいいよね。だって結婚してから一度も行ってないもの。ちょうど今日はお店定休日だし、すぐに仕度しましょ!」

「うん、いいよ。行こう行こう」

 達也の心境はもうすっかり「君について行こう」だった。

「トトは、お留守番ね」

 智美は、ごめんね、といった感じで顔の前で両手を合わせた。


「銀座なんて、何年ぶりかしら!ああ懐かしい、和光の時計台。よくここで女友達と待ち合わせしたっけ」

 智美はうきうきと軽い足取りで銀座四丁目の交差点を闊歩した。和光の前だけでなく、三越の正面玄関に鎮座するライオン像の周辺にも待ち合わせの人だかりができている。天気の良い日曜の昼。最もこの街が混雑するときだった。

「ねえねえ、後ろのリボン、曲がってないわよね」

 結婚してからは一度しか袖を通していない、会社員時代に着ていたお気に入りのワンピ―スをクローゼットの奥からひっぱり出してきて着てきた智美は、久しぶりのおめかしに気合を入れていた。

「だいじょぶだいじょぶ。バッチリ」達也は言った。

 二人は銀座三越の二階にある、フランス・パリに本店のある「ラデュレ」に来ていた。入り口のショーケースには色とりどりのマカロンやスイーツが美しく並んでいる。パリ本店の雰囲気を踏襲した、マダム受けする品のいい装飾と色使いの店内は予想通り混雑していたが、十五分ほど待って運よく窓際の席に通された。さきほど通った銀座四丁目交差点を見下ろす、良い眺めの席だった。二人はアフタヌーンティーを注文した。

「さて、ネット上で予言のこと話題になってるの、とりあえず成功かもしれないけど、あまり広がりすぎるのはよくない気がする」

達也は周囲をきょろきょろしながら言った。こんな店に来たことなかったからだ。

「うん……でも、ネット上だけならまだいいけど、テレビ局とかまで出てくる騒ぎになるのは絶対避けたいわね」

「すでに、一回目のセミナーを逃した人たちから、次はいつかって問い合わせがたくさん来てるよ」

「これ以上の盛り上がりをいったん抑えたいなら、すぐには開催しないほうがいいんでしょうけど、あんなに簡単にお金が稼げちゃうんじゃ、つい皮算用しちゃう」

「たしかに。カフェやってるのが馬鹿馬鹿しくなっちゃうよな」

「でも調子に乗ると、マスコミが出てくるわよね」

「そうそう、注目を浴びると必ず叩かれたり、あることないこと書かれたりする」

 アフタヌーンティーが運ばれてきた。伝統的な銀色の英国式三段トレーに、サンドイッチやスコーン、かわいらしいケーキが乗っている。智美は大喜びしていた。

「トトが軟骨無形成症で小さいっていう設定は、あのインドの女の子の存在のおかげで誰も疑ってないっぽいけど、そのうち、学校はどうしてるんだとか言い出すやつが出てくるよ」

 達也が慣れない手つきでカタカタと紅茶をカップに注ぎながら言った。

「年齢については、たしかホームページに書いてないし、この前のセミナーでも触れなかったからしばらく大丈夫よ」

「だといいんだけど」

「いずれにしても、初めからこんなことずっとするつもりないもの。怪しまれる前にさっと手を引くってわけ。要するにお金をガーっと作って貯めるのが目的だから」

「そっか。たしかにそれなら平気かな。日本人は熱しやすく冷めやすいもんね。予言の発表をやめれば、みんなすぐトトのことなんか忘れちゃうか」

「そうよそうよ」

「でも、今朝言ってた、グッズ販売はするんだよね?」

「セミナーは、来月にもう一回開いてみる。で、平行してグッズをホームページ上で販売するわ。グッズの売り上げが好調なら、セミナーは次の開催まで間を空ける、そんな感じ」

 智美はそう言うと、スタッフに紅茶のおかわりを注文した。

「はい、社長!何でも手伝います!」

 背筋を伸ばして達也が言った。

「ちょっとお。社長なんてやめてよね」

 そう言いつつ智美はまんざらでもなさそうに笑った。


 智美はカフェの仕事が終わるといつものようにパソコンを立ち上げ、二回目のセミナーの準備を開始した。前回よりも多くの人数を収容できるホールを手配することにした。会場で配布するパンフレットの作成は今回も達也に頼んでいたが、前回のものを土台に、記載されている日付と場所を変更して手間を省いた。グッズは第一弾として制作コストが安くてすむお守りカードを「タリスマン」と称して販売することにした。カードの表面にはホームページに使用している画像と同じ、トトが目を閉じて合掌している姿の写真をイラストっぽく加工したもの、裏面にはネットで探して見つけた「幸運を呼ぶ魔法陣」の画像をあしらった。古代文字のような字が書かれているが、実際に何て書いてあるかはさっぱりわからない。デザインの良さと神秘的な雰囲気だけで適当に選んだのだった。印刷業者から見積依頼の返事がメールが届いていて、安かったのでさっそく発注した。次回のセミナー会場で販売できるよう急がなくてはならない。

「またやるの?この前みたいなやつ」トトが言った。

「うん……もしかして、内心いやだなとか思ってる?」

 智美は自分のやっていることを楽しみながらも、トトを利用していることに対しては複雑な思いがあったので、トトの顔色をうかがうように言った。

「しばらく何もなさそうだから、この前みたいにみんなの前で言うことがないよ」

「そっかあ」

「おいおい、何がっかりしてるんだよ。何もないのはいいことじゃないか」

達也が片付けを終えて二階に上がってきて会話に割り込んできた。

「不謹慎なのはわかってるってば」

「なんだか僕ら、人々の不安を煽って商売してるような……」

「商売なんて、たいていそうよ。保険、健康食品、化粧品、資格商法だってそう。形は何であれ、いまのうちからやっておかないと将来苦労しますよ、って心理的に刷り込みしてる点では同じよ」

「はいはい」弁が立つ智美に、達也は全くかなわないのだった。

「毎回トトに予言をしてもらうわけにもいかないから、次のセミナーはトーク中心にするしかないわね」智美は肩をすくめた。


 第二回目のセミナー当日、会場のあるフロアは大勢の参加者でにぎわっていた。この日に間に合うよう制作していたお守りカードが入口付近で販売されていて、一枚八百円もするのに次々と売れていく。レジ係に雇ったバイトは大わらわな状態だった。開演時間になると買い物客は一気に会場内へ入っていった。

 来場者数は前回より大幅に増え、智美はスポットライトを浴びながら会場の熱気を感じることが快感になってきていた。よく芸能人は、一回なってしまうと、落ちぶれてもなかなか他の商売はできなくなると聞いたことがあるがわかるような気がした。たった二回ステージに立って拍手喝采を浴びただけで自分がものすごく偉くなったように錯覚してしまう。マイクを持つ手に力が入る。

「……みなさん、今わたしたちの地球の意識が、今大きな変容を迎えています。数々の自然災害、そして地上における闇の勢力の好き勝手な振る舞いが続く中、そのエントロピーに抵抗すべく、高次の意識はガイアアセンションを目指しています」

 智美は、言っていることが自分自身よくわかっていなかった。スピリチュアルっぽく聞こえる言葉で煙に巻く戦法のつもりだった。

「……それによってわたしたちの集合意識も新たなるフェーズを迎えています。古いパラダイムは、まるでヘビが脱皮するように消えていくでしょう。人間はこれからガイアの意識体と強く融合できるようになり、新しい人類の基盤を形成していきます。人間が真に高次の存在へと変容するプロセスの第一歩として、まずガイアと融合する必要があります」

 話を聞いている参加者のほうも意味をあまり理解していないようすだが、ステージ上のスクリーンに次々と映し出される美しい銀河系や大自然の映像や凝った舞台演出に圧倒され歓声をあげていた。ほとんど集団催眠といっていいような状況だった。その中でただ一人、冷めた態度でステージを見ている人物がいた。ウエリントン型フレームのメガネをかけた黒髪のショートヘアの女が、じっとトトだけを凝視していた。


 セミナー終了後、智美と達也、それにトトは控え室にいた。

「二回目も盛況のうちに終わってよかったわ!」智美が言った。

「それにしても、うちの奥さんにこんな才能があるとは驚きだよ」達也は肩をすくめた。

「今日はトトの『予言』がなかったから盛り上がるか心配だったけど大丈夫だったわね」

「うん、ひとまずうまくごまかせたね」トトはそう言って小石を取り出した。「おかなすいちゃったよ」

 そのとき突然控え室のドアが開いた。

「すみません、『スターチャイルド』さんにぜひお花を……と思って」セミナーの参加者らしき、大きなメガネをかけた智美と同年代くらいの女性が大きな胡蝶蘭を抱えて入口に立っている。

「ちょっ……ノックくらいしてくださいよ」智美は思わず声をあげた。

 トトは小石を口にぽいっと放りこんだところだった。女性はそれを見て一瞬目を見開いたが、気づかないフリをして「ごめんなさい」と智美に謝った。

 突然の出来事にあっけにとられているうち、メガネの女は胡蝶蘭を近くのテーブルに置き、そそくさとその場を去って行った。

「よくこの場所がわかったね」達也が言った。

「いきなり、しかもノックもせずにやってくるなんて失礼じゃない?まあでも、すごい素敵なお花だから許してあげるわ。そうそう、この控え室、次の予約があるみたいであと三十分で出なきゃいけないから達ちゃんも早く着替えて」智美はそう言って、ああ忙しいとばかりにメイク落としシートで顔を拭き取り始めた。

 テーブルの上では胡蝶蘭の中に潜む超小型カメラが部屋の様子を撮影していたが、智美も達也もそれに気づかなかった。



四.逃走


 二回目のセミナーから数日後、何やら不穏な空気が「スターチャイルド計画」に漂い始めていた。

 インターネットで様々な話題を配信しているメディアや週刊誌などから取材依頼の電話がかかってくるようになったのだ。電話番号はホームページに記載していないが、ネットで何でも調べられるこのご時世、そんなことをしても意味はなかった。最初の数件は適当なことを言って逃げていたが、すぐに面倒になり電話は常に留守番電話に設定した。すると案の定こんどは留守電に取材したいという伝言が残されるようになった。

「個人情報なんて、今や完全に筒抜け状態よね」智美はそう言って留守電の録音再生ボタンを押した。

『……突然のお電話恐縮です、毎月新聞社ですが、そちらのスターチャイルドのホームページを拝見しましてぜひお話を伺いたいと……』

『……スピリチュアル・トゥデイ編集部ですが、取材をさせていただけないでしょうか?』

 再生の途中で智美は停止ボタンを押した。

「有名人にでもなった気分だね」達也が言った。

しかし無視ばかりしていると余計に詮索されるものである。さらに何日かしていよいよテレビ局からも電話がかかってくるようになった。ホームページにはメールアドレスは掲載していたので、「取材協力のお願い」といった件名のメールも毎日たくさん届いている。

 うんざりしながらメールをチェックしていた智美は、マスコミ以外からもメールが届いていることに気がついた。

「何、これ……『地球外生命研究所』?」

「どうしたの?」達也が心配そうにやってきた。

「なんだかとてもヤバい感じになってきたわよ。宇宙人を探査してる機関だか知らないけど、そんなところから問い合わせのメールがきてるの」

「ええっ!?ど……どこからもれたんだろう。セミナー会場では金属探知機まで置いて厳重にカメラやケータイの持ち込みをチェックしてたのに……」

「わからないけど、もしかするとセミナーに来た人で、トトを見てちょっと変だって気づいたのかもしれない」

「で、宇宙人かもしれないと思ってわざわざ研究所やマスコミに教えてあげたってわけ?」

達也が聞いた。

「わからないわよ、そんなことまで」智美はイライラしながら言った。「とにかく、無視し続けるしかないわね。どこまで逃げられるかわからないけど……」


「地球外生命研究所」は、数多くの研究機関や施設が存在する茨城県つくば市にある。宇宙からの信号を逃すまいと稼働しているさまざまな計器がずらりと並んだ無機質な研究室の一角で、研究員の高木由佳はパソコン画面を食い入るように見つめていた。

「どう?教祖様から返事は来た?」主任研究員の村山が由佳に声をかけた。

「なしのつぶてですよ。そりゃそうですよね。私たちに引き渡したら最後、あちこち体の中をいじくられるんじゃないかって思ってるんでしょうから」由佳はメガネをかけ直しながら言った。「まあ、実際にはそういうことになるでしょうけど」

「昔、そういう映画があったよね。ほら、宇宙人と、彼を守ろうとする少年たちが科学者たちに追いかけられて、自転車が空を飛ぶやつ。ああいうのを想像してるんだよ、きっと」

「E.T.ですよね。懐かしい」

「すぐ科学者は悪者扱いされちゃうんだから困るよね。人々の快適な暮らしに貢献してきたのは科学だっていうのにさ」村山が言った。

「隠し撮りした映像を見るかぎりでは、絶対この子は人間じゃないですよ。だって、小石をバリバリ食べてたんですよ!私、この目で見たんです。それに、ほら、よく見てください……」由佳は画像を一時停止し、トトの顔を拡大した。

「目を見てください。白目がないでしょう?」

「ほんとだ、アザラシの目みたいだね」村山は驚いて眉をつり上げた。

「ステージでは、この子のまわりにドライアイスだか知らないけど煙があってよくわからなかったんですけど、こうやって見ると一目瞭然ですよね。それに、煙でぼかすのも、やっぱり姿をはっきり見せるのは都合が悪いからですよ」由佳は興奮ぎみに言った。

「しかも、腕の長さもちょっとバランスが悪いんです。人間でこれはありえない。主任、これって世界を揺るがす一大事じゃないですか?すでに一部のマスコミも勘ぐり始めてるみたいですし。大騒ぎになる前になんとしても我々が確保しなきゃ……」

「そうだな。所長にお伺いをたてて、承認されたら直接教祖様の家へ出向こう」


 智美と達也は、店に『臨時休業』のプレートをドアノブにかけ、トトを連れて逃げるように車で外出していた。取材を求めてカフェに直接押しかけられては客に迷惑がかかると思ったからだ。

「それにしても、事態が急展開してるよね」運転しながら達也が言った。

「あっという間だったわね。短い春だった……けっこう楽しかったけど」智美は残念そうにため息をついた。

「人を騙すなんて、長続きしないってことだよ」

「騙してなんかいないわ。だって『予言』は全部当たってるじゃない?」

「そういう問題じゃなくて……」

「何が起きてるのかよくわからないけど、ぼくたち、よくない状況にいるの?」トトは後部座席から身を乗り出して言った。

「今までトトは地球人で、私たちの子ども、ってことにしてたんだけど、違う星から来たってことがバレちゃいそうなの」智美は助手席から遠くの景色を見ながら言った。都心から一時間くらい走っているので緑が増えてきた。遠くには山も見える。

「みんなに知られちゃうと、やっぱり色々めんどくさいんだよね?」トトが聞いた。

「世界中が大騒ぎするわ。地球外生命体との遭遇は、人類の夢だもの。色んな人があなたを追いかけに来て、私たちの生活はメチャクチャになっちゃう」

「そっかあ」

「絶対に、マスコミにも、研究機関にもつかまらないようにしなくちゃいけないね」達也が言った。

「そうね、なんか逃亡者にでもなった気分だけど……」

「あと少しで景色のいいレストランに着くよ。ここ数日ゆっくり落ち着いて食事もできなかったから、のんびりしようよ」そう言うと達也はカーナビの画面を見やった。


 久しぶりに自然の中で、電話やメールに煩わされることなくゆっくり食事をして智美も達也も満足していた。

「とりあえず今回なんとか逃げ切ったとして、『スターチャイルド』の活動はこれからどうするの?」デザートのアップルパイをほおばりながら達也が聞いた。

「突然パタっとやめるわけにはいかないわよね。高いセミナー代を払ってきた人たちを怒らせちゃうと、さらにやっかいなことになりそうだから」智美が言った。

「メディアはたいていしばらくすれば次の話題に移るものだから、ほとぼりが冷めるまで、うちの両親が長期滞在してるハワイに『潜伏』しない?そこから細々とホームページの更新をするの。で、だんだん更新回数を減らしていき、フェイドアウトするってわけ」

「ハワイかあ……ご迷惑じゃなかったら、それもありだね」

「けっこう広いコンドミニアムを借りてるから、二人で行っても平気だと思う。観光ビザで三か月滞在できるから、それだけの期間があればたぶんマスコミは私たちのことなんか忘れちゃうわよ。それに、セミナーと関連グッズでけっこう稼いだからお金の心配ならいらないわ。あとで両親にメール送ってみる」


 都心へ戻る高速道路が渋滞していて、自宅近くまで来たときには夕方になっていた。しかし何やら周辺が騒がしいことに達也は不安をおぼえた。

「いやな予感がするよ、智ちゃん」

 車は速度を落として家の近くまで来た。しかし記者らしき人たちが何人も家の前を張り込んでいるのが見えたので、達也は家より数十メートル手前で横道へハンドルを切った。

「カメラマンまでいるわよ!どうしよう、家に帰れなくなっちゃった」

「しょうがない、もうちょっとどこかで時間をつぶそうか。ガソリン補給しなくちゃいけないけど」

 信号を待っていると近所に住むカフェの常連客、山内が自転車に乗ったまま車に近づいてきた。こちらへ向かって手をふっているので知らんふりをするわけにもいかず、智美は助手席の窓を開けた。

「君たち大変なことになってるよ。とりあえず、うちにおいで。先に行って家の前で待ってて。すぐに追いつくから」山内はそう言うとすぐに立ち去った。

 智美と達也は顔を見合わせた。

「いきなり家に来いって言われても……どう思う?」智美が言った。

「家には帰れないし、ガソリンが少なくなってきたからちょうどいいよ。ちょっとだけお邪魔しようよ」ちょうど信号が青になったので達也はアクセルを踏んだ。


 山内は相変わらず家で一人のようだった。今日も奥さんは友達と遊びに行っているらしい。居間のソファでは柴犬がまったりしていた。

「『スターチャイルド』を主宰してるのが私たちだって、いつ知ったんですか?」智美が山内に聞いた。

「一回目はチケットが売り切れになっちゃって行けなかったけど、ほら覚えてる?モーニング食べに来たときに話したよね。でも二回目は入手できたから参加したんだよ」

「申込者の名前なんていちいち一人一人チェックしてなかったからな……」達也が言った。

「会場で見て、すぐにわかったよ。ギリシャの女神様みたいな衣装だったけど、そりゃ智美さんみたいな美人はわかるよ。そのハキハキした声だってお店でよく聞いてるしね。それで、この前のセミナーの二、三日後に、どこで見たか忘れちゃったけどネットの記事で『予言の主は宇宙人!?』ていうのがあったんだよね。たぶん君たちの家に今マスコミがおおぜい押しかけてるのは、この記事が広がったからなんじゃないの?」山内はヤジ馬的な好奇心に目をらんらんと輝かせて一気にまくしたてた。

「そんなネット記事が出回ってたなんて気づかなかったわ。メールと電話がいっぱい来るのに圧倒されて、ネットのニュースとかあまり見てなかった」智美が言った。

「まあとにかく、僕もびっくりしてるんだよ。で、今その子は?本当に宇宙人なの?」

「誰が言いだしたか知りませんけど、そんな話、信じてるんですか!?違いますよ!ト……いや、えっと、うちの子は親戚の家に預けてます。あちこちから追いかけ回されて、怖がったらかわいそうですから」山内を完全に信用してよいか不安だった智美は、トトを車の中に置いてきたのだった。

「そうかあ。まあとりあえず、暗くなったら記者たちもあきらめて引き揚げるだろうから、それまでここにいたらいいよ。お茶でも淹れてくるからちょっと待ってて」そう言うと山内は居間から去った。

「ありがとうございます」達也は頭を下げた。

 台所まで来ると山内は携帯電話を取り出した。冷蔵庫にマグネットでくっつけておいた名刺に書かれている番号をダイヤルすると、口元を手で覆った。

「あ、もしもし?高木さんって女性の研究員の方お願いします」


 山内の淹れてくれた緑茶をすすっていると、玄関のベルが鳴った。

 智美はすぐにいやな予感がした。ソファで寝ていた柴犬の耳がぴくりと動いた。

「こんな時間に誰だろう」山内はわざとらしく首をかしげると玄関へ向かった。智美はそっと立ち上がり、居間からわずかに顔を出して玄関のほうを見た。

 原発作業員のような仰々しい防護服を着た何者かが数名いるのが見えた。その中には高木由佳もいた。由佳は(この格好じゃまさに、E.T.に出てきた科学者だわ)と苦笑いしていた。

「達ちゃん、逃げなきゃ!」

「えっ、何!?」達也は緑茶のおともに出された温泉まんじゅうを食べている最中だった。

「早く、そこから出ましょ!」

 智美はテラス窓を開けると、達也の手を引いて転がるように外へ出た。

 二人は大慌てで車に乗り込んだ。

「早く出して!」智美は叫んだ。防護服の連中が山内に案内されて家の中まで入ってくるのが見える。そのうちの一人はこちらを指差している。

「どうしたの!?」智美に言われるがまま後部座席でブランケットをかぶって隠れていたトトがおどろいて飛び起きた。

「説明は後で!」

 達也は震える手でなんとかエンジンをかけると、急発進して山内の家から離れた。


 智美と達也は都心のビジネスホテルの一室でぐったりしていた。簡素なベッドの脇にあるデジタル時計を見ると、もう夜の九時になっていた。

「山内のオヤジ……もう店への出入り禁止にしなくちゃだわ」

「さんざんだったね。たぶん研究所があらかじめ手を回しておいたんだろうね」

「おなかペコペコ」智美は腹に手を当てて言った。

「すぐ近くにコンビニあったよね。なんか買ってくるよ」そう言うと達也は部屋を去った。

 智美はテレビの電源を入れた。芸能ネタやくだらない話を繰り返す昼のワイドショーのような雰囲気の番組が放送されている。

『さて、お次はネット上では数か月前から注目を集めている予言者の話題です。』

 智美はぎょっとして思わずテレビのボリュームを上げた。

『えー……あまり鮮明な画像ではないのですが、こちらがその予言者とされる人物です。動画投稿サイトに投稿されていた映像です。まだ小さなお子さんのようなのですが、主宰者の説明によりますと、軟骨無形成症という病気で……』

 動画が世間に出回ってしまったということに智美はショックを受けた。会場に金属探知機を設置していたとはいえ、やはり完全に携帯やスマホを締め出すのは無理だったようだ。画像から、明らかに客席側から撮影されたものだということが見てとれた。

「あれ、ぼくだ」トトがテレビを見て言った。

『……予言が何度も当たっただけでなく、その体型などから地球外生命、つまり宇宙人ではないのかという憶測が飛び交っています』

 達也がコーヒーやサンドイッチを持って戻ってきた。テレビを食い入るように見つめる智美の表情にただならぬ気配を感じ、不安そうに画面を見た。

「うわ、テレビで取り上げられちゃってるんだ」

「参加者がユーチューブに投稿して、広がっちゃったみたい。やられたわ」智美はコーヒーにミルクを入れながら言った。

「あっそうだ、今日ランチの後すぐに母親にメールを送っといたのよね。例の、ハワイ逃走計画の件。返事来てないかな」智美はスマホを取り出した。

「トトのこと、話したの?」達也が聞いた。

「ううん、事情は現地に着いてから話すって言ったの。あ、きてるきてる。『毎日ヒマでしょうがなかったから、事情はどうであれ、お父さんもお母さんも大歓迎です。ホノルル空港まで迎えに行くから、飛行機の予約がとれたら連絡ちょうだい』だって、よかった!」

「定年後にハワイに滞在できるなんて、お金持ちだねえ」達也が言った。

「ビザの都合上、永住はできないし、するつもりもないみたいだけどね。数年リフレッシュしたいだけみたいよ。でも、このメール見る限り、『楽園』も毎日いるとやんなっちゃうんじゃないの?それくらいで十分よ、きっと」

「南の島にいて退屈で文句言うなんて、贅沢だなあ」そう言って達也はサンドイッチにかぶりついた。

「とりあえず飛行機の予約しちゃうわね」智美はスマホを操作して航空会社のホームページを開いた。


 ビジネスホテルに念のため二泊し、もういいかげん記者たちはいないだろうと期待し智美たちは自宅へと向かった。

「ほんと、逃亡犯みたいな気分だよね。こんな経験、ある意味貴重だよね」達也は運転しながら苦笑いした。

 車が家のある通りに差しかかる。レポーターとおぼしき人物やカメラマンなどは一人もいないが、怪しげな黒塗りのバンが一台、家の前に停まっているのが見えた。

「なんか、いやな感じの車が停まってるわね」

 Uターンするとかえって目立つので、達也はそのまま自宅を素通りしようとアクセルを踏んだ。

「智ちゃん、下向いてて」

 智美はうつむき加減に、バンとすれ違うときに横目で運転席を見た。

「あっ、あの女……」思わず声がもれたが、向こうはこちらに気づいていない様子だ。

「何?知ってる人?」達也が聞いた。

「セミナーのあと、控え室にランを持ってきた女がいたの覚えてる?メガネをかけた、私と同年代くらいの……」

「うん、ノックもせずにいきなり来たって、智ちゃん一瞬怒ってたよね」

「家の前に停まってた車に、その女が乗ってたわ。一体何なのかしら……ハワイに行くのに、荷物を取りに家に戻らなきゃいけないのに」智美はため息をついた。

「何者か知らないけど、いつまで張り込んでるつもりなんだろうねえ」達也が言った。

「そうだ、警察に、不審な車がずっと家の前にいるって通報したらどかしてくれるんじゃない?」

「そうだね、それいい考えかも」

 智美はさっそく携帯電話から通報した。少し怯えたような声色で、急いでください、と懇願した。

 期待通り数分でパトカーがやってきて、謎の女の乗るバンは姿を消した。

近所の人になるべく聞こえないよう静かに車を駐車スペースに停めると、二人は家の中へ逃げ込んだ。智美はトトをブランケットにくるんで片腕で運んだ。

「フライトは明後日だけど、ここにいるといつまたマスコミとか防護服の集団に追いかけ回されやしないか不安だから、今からすぐに仕度して、明日の早朝に空港へ向かいましょ」智美が言った。

「そうだね、エアポートホテルにでも前泊すりゃいいか」

 二人は新婚旅行以来使われずうっすらホコリをかぶったスーツケースを押入れからひっぱり出すと、いそいそと荷物をまとめ始めた。

「そういえば……トト、どうするの?手荷物に入れるの?」達也が聞いた。

「そうだわ。ねえトト、今さらこんなこと聞くの変だけど、空気、吸ってる?いつもバッグの中に入れて、苦しいって言ってるの聞いたことないけど……」智美はトトのほうを見て言った。

「呼吸はしてるけど、人間よりずっと少ない量の酸素で平気だよ。だから心配しないで」

「よかった、じゃあ、当日はバッグの中でじっとしててね」そう言うと智美はクローゼットから服を出したり化粧品を小瓶に詰め替えたりし始めた。


 翌朝、まだ薄暗いうちに智美はそっと二階の寝室の窓から外を見下ろした。

「どう?誰かいそう?」あくびをしながら達也が聞いた。

「さすがにまだ五時だから、誰もいないわ。早いうちに出発しちゃいましょ」

 二人はスーツケースを車に積み込んだ。トトは智美のトートバッグから顔を出している。

「成田だっけ?羽田だっけ?」カーナビの電源を入れながら達也が聞いた。

「羽田。たぶんこの時間帯なら道がすいてるはずだから、一時間程度で着くと思う」智美が言った。空が少しずつ明るくなってくる中、車は空港へ向かって走り出した。


 つくばの地球外生命研究所では、高木由佳が浮かない顔をしてカフェテリアでコーヒーを飲んでいた。

「惜しかったね、逃げられちゃってさ」

「あ、主任。お疲れ様です」

「張り込みなんて、刑事みたいなことさせて悪かったね」

「しばらく家に帰ってないみたいなんですよね、教祖の女。一体どこに行っちゃったんだろう……世紀の大発見のはずだったのに」由佳は悔しそうに顔をしかめた。

「犯罪者じゃないから、警察に捜索を依頼するわけにいかないからねえ。所在がわからなくなっちゃたら、もうどうしようもないね」村山が肩をすくめた。

「でも、ずっと隠れてもいられないでしょう。そのうちシッポを出すと思うんですよ。それまでは辛抱強く待ちます、何年でも……。実は、あの映像を映画の特撮技術の専門家にも見てもらったんです。そしたら、やっぱりアニマトロニクスやロボット、特殊メークとかじゃなさそうだって回答でしたよ。だから私、絶対あきらめません」

「そうだね、日本国内で見つかったんだもんな。アメリカやロシアにとられないようにしなきゃな」村山はそう言うと自販機でコーヒーを買い、カフェテリアから立ち去った。


 智美と達也は成田空港近くのホテルに一泊してから空港へ移動した。

「海外行くの、久しぶりでうれしいな」智美が言った。

ゴールデンウィークが過ぎて一週間が経過した成田空港第二ターミナルの出発ロビーは閑散としていた。

「ちょうど空いてる時期でよかったね」すれ違うキャビンアテンダントを目で追いながら達也が言った。

 空港ではマスコミに追いかけられることもなく、研究機関の職員らしき人物もいなかった。トトを入れたバッグも手荷物検査を無事通過し、あとは搭乗を待つだけだ。時間が余っていたので、二人はスターバックスで一息つくことにした。

「そういえば、俺、こういうところで働いてたんだよね。そこで智ちゃんに『逆ナン』されたんだっけ」ドリップコーヒーを一口飲んで、達也が言った。

「懐かしいわね。なんだか遠い昔のことみたい」智美はしゃべりながらブラウニーの袋をあけた。

「良いか悪いかは別として、ここ数か月なんだかんだいってけっこう充実してたよね」

「あんな即興の手作りセミナーであれだけの人が集まるなんて、私、自分には隠れた才能があるんじゃないかって思っちゃったわよ」

 二人はしばらくあれこれしゃべっていたが、達也は時間を気にしていた。

「そろそろボーディングの時間だよ」

 アテンション・プリーズ。ジャパン・エアラインズ・フライト・セブンエイトシックス・トゥ・ホノルル……

「これこれ!このアナウンス聞くと、テンション上がるわよね」智美が言った。

 二人はトレーを片付けると、ゲートのほうへ向かった。


 約六時間半のフライトで、飛行機はホノルル国際空港に到着した。無機質な白とグレーの殺風景な成田空港とはうってかわって、南国らしい「ゆるい」ムードの空港をぞろぞろと道なりに進んでいくと入国審査カウンターに到着した。全ての指の指紋や顔写真を撮影される厳重なものだが、審査官は「アロハ!ハイ、まず、おやゆびのせて」と陽気なので緊張せずに済んだ。毎日たくさんの日本人観光客がやってくるハワイ、職員は初めから日本語を話した。

 ターンテーブルから荷物をピックアップし出口に行くと智美の両親が迎えに来ているのが見えた。

「智ちゃん!達ちゃん!二人そろってよく来たわねえ」智美の母、洋子が笑顔で言った。品の良い白髪交じりのショートヘア、ほんのり日焼けた肌に真っ白のシャツが映えている。

「お出迎え、ありがとう。朝早いから、タクシーでもよかったのに」智美が言った。

「お久しぶりです、突然やってきて本当にすみません」達也はぺこりと頭を下げた。

「いいんだよ、気にしないで。ヒマを持て余してたからね。ゲストは大歓迎だよ」父親の昇一のほうはゴルフ三昧をほうふつとさせる日焼け具合だった。リタイヤするまでは大企業の管理職だったが、いかにもそのような雰囲気だ。学生時代に両親をなくしている達也は、まるでテレビコマーシャルに出てくる熟年夫婦のような雰囲気の智美の両親をいつもうらやましく思っていた。

 四人は智美の父の車に乗り込むと、コンドミニアムへと向かった。

「お父さん、お母さん、これから私が話すことを聞いても、頭がおかしくなったって疑わないでくれる?」智美はいきなり切り出した。

「突然こっちに来るなんて言い出したあたりから、何か特別な事情でもあったんだろうと心の準備はしておいたけど……まさか警察のご厄介になるようなことじゃないわよね」洋子が言った。

「それだけは絶対にないからだいじょうぶ。えっとね、単刀直入に言うと、わたしたち、宇宙人に遭遇したのよ」

「うちゅうじん!?」智美の両親は声をそろえて叫んだ。

「お父さん、ほらほら、前みて!」智美が身を乗り出した。

「おっとっと!」昇一はあわててハンドルを回した。

 智美は那須高原でのトトとの出会いから、トトの能力を利用した「スピリチュアルセミナー」まがいなもので荒稼ぎしたことや、研究機関やマスコミに追われるようなったまでの一部始終を説明した。

「で……その『宇宙人』というやつは、今どこにいるのかね?」なんとか平静さを保っている昇一が聞いた。

「わたしのバッグの中。運転中に見せるのは危ないから、コンドに着いたら出すね」

「これはおもしろくなってきたわ!ねえ、お父さん。老後の楽しみとして、こんな体験、夢にも思ってなかったわよお!」洋子は年甲斐もなく少女のように大はしゃぎしていた。

 一行を乗せた車はヤシの木が整然と並ぶ道路を進んでいた。もうすぐ朝の九時。日差しは感じられるが、まだ少し涼しい。車のラジオからはハワイ語と英語が交互に聞こえてくる。智美は車の中から遠くに見える海を見た。やっとしばらく落ち着ける。智美は、欲に駆られて迷走したことを反省した。ほとぼりが冷めて帰国したら以前と同じ生活に戻ろう。トトには、もし何か察知しても黙っていてもらおうと心に決めていた。未来のことなど、わからなくていい。ただ、明日に何が起きても後悔しないよう、一日一日を大切にして生きるだけだ。


 智美の両親が滞在しているコンドミニアムは広々としていて、三か月ものあいだ居候をしても肩身の狭い思いをする心配はなさそうだった。時差ボケで眠かったが、ハワイの開放的な空気と久々の一家の集合がうれしくて、智美は荷物を部屋に置くと地元名物のコナコーヒーで一息ついて三十分もしないうちに洋子と一緒に近くのスーパーへ食材を買いに行き、久しぶりの母娘の会話を楽しんだ。達也は眠気に勝てずカウチでひと眠りさせてもらった。

夕食は家族そろってテーブルを囲み、日本人にもなじみのあるハワイの定番メニュー「ロコモコ」を楽しんだ。

「お母さんが丸めたハンバーグと、私のやつ、どっちがどっちか一目でわかるね」智美が苦笑いした。

「ちょっといびつなほうが智ちゃんが作ったやつだね」達也が言った。

「一緒に作ったのが楽しかったから、いいのよ、形なんて。智美が小学生のとき以来よね」洋子は目じりにシワを寄せ、楽しそうに笑った。

「達也くんには申し訳ないねえ、まともなもの食べさせてもらってないでしょう」昇一が言った。達也は智美が横目でにらんでいるのに気づき、ただ無言で困った顔をした。

「そうそう、『宇宙人さん』は、人間の食べ物は食べられないってさっき言ってたけど、何を食べるのか聞き忘れてたわ。おなか、すいてないのかしら?」洋子が心配そうに智美の座っているイスの脇にちょこんと座っているトトをのぞきこんだ。

「石とか岩を食べるんです。今はまだ、おなかすいてないです。あと、名前は『トト』っていいます」

「それにしても信じられないなあ。自分が宇宙人に出会えるとは」昇一がハワイの地ビール「コナビール」をぐいっと飲み干して言った。

「うっかり誰かにしゃべったりしないでね、絶対に」智美が釘を刺した。

「だいじょうぶだいじょうぶ、そんなこと言ったら頭がおかしいって思われるだけだから。わざわざ言わないよ、わはははは」

「お父さん、ビール飲み過ぎじゃないの」洋子が言った。

「久しぶりにお嬢さんに会えて、うれしいんですよ」達也が昇一の側についた。

「あ、いま流れ星が見えたよ!」トトはそう言ってイスからぴょんと飛び降り、窓へかけよった。

 遠い宇宙からやってきたトトの目には、夜空はどんなふうに映っているんだろう。智美はそんなことを思いながら小さなトトの後ろ姿を見ていた。


 ハワイへやってきてから数日経ったある日の夕方、智美はワイキキビーチでデッキチェアに寝そべって、地元のスーパーのエコバッグから顔だけ出したトトと語り合っていた。達也は隣のデッキチェアで波の音を聞きながら眠っていた。

「ずっと、トモミがたくさんの人の前でしゃべってること、おかしいなあと思って聞いてたんだよね。だから、もうあんなことやめるっていうのは、賛成だよ」トトが言った。

「うん、実は、自分で言っててもおかしいなって十分わかってた」

「地球には、『意思』とか『意識』みたいなものはないよ。自然を壊さないようにするのはいいことだけど、人間と心が通じ合うとか、そういうものじゃないんだ。何かが存在しているのに、無理やり意味とか理由なんて考えたりしなくていいんじゃないかなあ」

「人間って弱いから、そうやって心の支えみたいなのを作らなきゃ生きていけないのよ。自分は何か大きなものの一部、って思いたいのよね」

 智美はため息をついた。

「ぼくの故郷を襲った隕石だって、ぼくたちが憎たらしくてやったわけじゃない。でも、宇宙にそういう感情や意志がないなら、特に『愛している』っていうこともないはずだよね。地球の人は、自分たちは愛されてるみたいに言うけど……それは自分たちが中心っていう考えで、ちょっと傲慢じゃないかな。宇宙も自然も、ただ一定の法則のもとで存在しているだけなんだ」

「……そうね。隕石に悪意があったなんて、ありえないわよね」

「ぼくのいたモリガン星には、地球人の多くが信じている『神様』みたいな概念もなかった。それでいてとても平和だった。信じてるものが違うからという理由で殺し合ったりなんてことはなかったよ」トトの声にはいつになく力がこもっていた。

「私たち地球人もそうなったら、少なくとも宗教紛争はなくなるのにね」智美は水平線の向こうに沈む夕日の光に目を細めながら言った。

「これから、どうするの?」

「トト、もう『予言』なんてしなくていいから、うちの子になってくれるわよね?ふつうに、つつましく暮らすの。でも、モリガン星人の寿命は長くて百五十年だっけ?私と達ちゃんのほうがとっくに先に死んじゃうけど……そこから先は……」

「ぼくは一人になってもだいじょうぶ。できれば星がよく見えるところにいたいな。オーロラも見えたら言うことないね。そうすれば一人ぼっちでもさみしくないよ」

「オーロラかあ。あと何十年かしたら、アラスカか北欧、あるいはカナダの北のほうにでも移住しなきゃね」

「ぼく一人になったら、誰にも見つからないようなところへ行って、さっき言ったようなことを地球人に発信しようと思う」

「今や北極でもインターネットがつながるもんなあ」達也が割り込んだ。

「あれ、起きてたのね」智美がおどろいて隣を見た。

「お義母さんたち心配するから、そろそろ戻ろうか」

 達也は足の裏についた砂をはらい、ビーチサンダルをはいた。

 夜の帳がワイキキビーチにおりてきた。トトは智美のエコバッグの中から頭を出し、名残惜しそうに海を見た。

「もっといたかった?トト。海なら、ここにいるあいだは毎日だって見られるわよ」

 ビーチに面したレストランからはウクレレの生演奏が聞こえてくる。智美と達也は、人影がまばらになってきた砂浜を背にし、歩き始めた。




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