4.契約
長い廊下を歩いている間に、何人かの人とすれ違った。
玄関にいた衛兵と同じ軍服を着た男性や、飾りのないシンプルなドレスを着た女性など。
彼らは皆一様に、カールに挨拶しては、コトハに好奇の目を向けて行く。
一度などは、明らかに睨んできた女性もいる。
(ああ、怖い……)
コトハはなるべく目立たないように、カールの陰に隠れるようにして歩いた。
「ここが、俺の部屋だ」
そう告げられた時は、どんなにホッとしたか。
しっかりとした木製の扉を開け、カールは先にコトハを中に通した。
中は広々としてはいたが、調度はベッドとテーブルと椅子、そしてクローゼットだけの、至ってシンプルなものだった。
「部屋では寝るだけだからな」
言って、カールは肩をすくめた。
暖炉には湯が湧いていて、カールは手際良く急須に湯を入れると、コトハに椅子に座るよう促した。
「そんなとこに突っ立ってないで。取って食いやしないからさ」
「当たり前ですっ」
けれど彼には前科がある。
コトハは警戒心を解かないで、椅子に座った。
「どうぞ」
それを見計らったように、カールは品のいいカップにお茶を淹れ差し出した。
物腰はさすがに貴族。優雅だった。
カールは自分もゆっくりとお茶を味わうと、コトハを見た。
「さてと。落ち着いたところで、本題に入ろうか」
「本題?」
「君を城に入れてあげる代わりに、条件があるって言っただろ?」
(そういや、そうだった……)
城に入れたことに気を取られ、すっかり忘れていた。
「これは契約だ。君が城にいる間、俺は全面的に君を守る。その代わり、今夜の舞踏会に俺の恋人として出てくれ」
「……な、なんですと?」
「簡単なことだ。俺の隣でちょっと愛想笑いを浮かべてくれてたらいいんだ」
「い、いやです」
「いや?」
「だって、好きでもないのに恋人のふりなんて。わたし、そんなこと出来ません!」
「なら……君を城に置いておくことは出来ないな。俺の庇護がなければ、君はただの不法侵入者だ。すぐに衛兵に捕らえられるだろう。俺の命令でね」
ニヤリと笑うカールを、コトハは呆然と見返した。
「恋人のふりなんて、今夜だけだ。舞踏会が終われば解放してあげる」
「舞踏会……」
「当然、王女もお出ましになる」
その一言で、コトハの心は大きく揺らいだ。
「王女さまも?」
「そう。今夜は王族主催の舞踏会だからな。俺はこのためにわざわざ国境から戻って来たんだ」
「……」
王女さまも出る舞踏会。
チャンスはこの時しかない。それはコトハにもよく分かった。
「分かりました。でも、でも、半径1メートル以内には近づかないでくださいね」
カールはくくっと笑った。
「それじゃ、恋人にならないだろ。腕を組むんだ。がっつり密着するさ」
かあと顔が赤くなるのが分かった。
「じゃ、じゃあ、キ、キ、キ、キスは絶対なしですよ」
必死に予防線を張るコトハだったが、一枚も二枚も上手のカールには通用しない。
「それも……保証できないな。酒が入れば、どんな女でも可愛く見える」
「最低ですね」
「よく言われる」
「……」
むーんと口を尖らせるコトハを尻目に、カールはまた肩を震わせ笑っていた。
「じゃあ、契約成立ということでいいんだな?」
「……腕組むだけですよ」
「努力しよう」
「……腕組まなきゃいけないんですか?」
「しつこい」
「……分かりました」
かなりしぶしぶだった。
「ふむ。それじゃ、その格好で舞踏会に出るわけにもいかないな。さっそく支度に取り掛かろう」
思い立ったら、カールの動きはかなり早く、すぐに女官が数名やって来た。
「この子を、今夜の舞踏会で一番の姫君にしてくれ」
そんなの無理です!
反論する間もなく、コトハは女官に別室に連れて行かれた。
「初めまして。コトハさま。わたくし、カールさま付きのハンナと申します。今からドレスを仕立てるのは無理ですから、王宮の貸衣装がございます。これが何とか合えばいいのですが……」
それからコトハは取っ替え引っ替え、まるで着せ替え人形のようにドレスを着せられた。
ようやくハンナのOKが出た時には、コトハはぐったり疲れていた。
「カールさまがエスコートされる以上、宮廷一の花にならなけば。さあ、次はお化粧ですわ」
(ああ!お姫さまになるって、た〜いへ〜ん……)
もうコトハはされるがまま、女官たちに解放されるまで、無我の境地に至っていた。