1.王女への恋文
このところ、恋文配達の依頼がない。
先日の失敗を取り戻す機会がないまま、コトハは洗濯や掃除に精を出していた。
コトハは庭掃除の途中に箒を持ったまま、ぼんやり突っ立っている。
(はあ。依頼がないのって、わたしのせいなんじゃないだろうか……)
そのことが頭から離れてくれないのだ。
あれから主さまがどのように解決してくれたのか、主さまから詳しい説明がないのも、コトハを不安にさせる要因だった。
話す機会はいくらでもあるのだ。食事の時は毎回顔を合わせるのだし。
主さまに教える気がないとしか思えなかった。
(よっぽど、わたしって頼りにされてないんだわ……)
あんな失敗をした以上、仕方ないとは思うけれど。
それでも、もう少しフォローがあってもいいんじゃないかと思ってしまう。
(わたし、ここにいる意味あるのかな)
今までここで働いた人は、きっともっと要領良く仕事をこなしていたに違いない。
はあと溜め息を吐いて、思い出したように箒を持つ手を動かし始めた。
広い庭をあらかた掃いてしまうと、そろそろお茶の時間かという頃になっていた。
食事は主さまが手際良く作ってくれるけど、女の子だもの。せめてお茶くらいは淹れなきゃと、コトハはお茶の用意は担当していた。
箒を片付け、中に入ろうとした時、街道を通る馬車の音がして、何気なくそちらを見た。
馬車が通るのは珍しいことではない。
真っ直ぐに王都へと続く街道だから、むしろよく通る。
この馬車も王都へ向かうのだろうと、コトハはさして気にもせず、入り口の扉に手をかけた。
すると馬車の音が、通り過ぎることなく、彼女の背後で止まったのだ。
(あれ?)と思って振り向くと、庭の端に馬車が止まっていた。
そして中から、一人の男性が降りて来た。
彼は入り口で佇むコトハに気付くと、軽く会釈した。
コトハもつられて会釈する。
とても上品な男性だった。
若そうだけれど、浮ついた感じはなく、地に足が付いているような、落ち着いた雰囲気だった。
彼はコトハの前まで来ると、被っていた帽子を取った。
羽付きの、豪華な帽子。
そして、マントも取って、片手に抱える。
「こちらが、恋文を届けてくれるという郵便局ですか?」
「は、はい。そうです」
依頼人だ。
仕事だ。
コトハはたった今目が覚めたように、きびきび動き始めた。
男性を中に招き入れ、カウンター前の椅子に座らせたところで、主さまを呼びに行った。
また書き物をしている最中だった主さまは手を止めると、コトハにお茶を淹れるように指示して部屋を出て行った。
…
カウンター越しの二人は、なんだかとても深刻そうだった。
コトハは遠慮がちにカップを置くと、お盆を持ったまま壁際に控えた。
上品な男性は、光の加減もあるのか、先程よりもやつれて見える。
主さまはいつもの通りのようにも思えるけど、それでも幾分表情が厳しくなっているように思えた。
(どんな依頼だったんだろう)
コトハは緊張してきて、お盆を持つ手に力を込めた。
「おい」
その時主さまがコトハを呼んだ。
「は、はい!」
いきなりなことで驚いて、声が上ずってしまった。
「こちらは、今回の依頼主のモンティーノ卿だ。これが、その恋文。きっちりかっちり配達して来い」
「え?」
声を上げたのは、そのモンティーノ卿だった。
「何か?」
「あの、失礼だが……あなたではなく、こちらのお嬢さんが届けてくれるのですか?」
それは、至極当然な質問だった。
(わたしだって、わたしよりは主さまに配達してもらいたいって思うわよ。絶対)
「これが、うちの配達員ですから。ご心配なく。きっと、あなたの恋文をお相手に」
「はあ」
モンティーノ卿はまだ不安そうに、コトハと主さまを見比べている。
「あ、あの、それで、どなたに配達すればいいんですか?」
モンティーノ卿は一瞬言い淀んだが、すぐに顔を上げ、
「王女さまに」
と思いの外はっきりとした口調で言った。
「王女さま?」
王女さまと言えば、あれだ。王さまの娘だ。
「え?ええ!?王女さまあ?」
コトハはひっくり返るくらいに驚いた。
まさか、まさか、王女さまに配達するの?
「落ち着け」
主さまの鋭い声が飛ぶ。
「王女だろうとなんだろうと、お前がすることはただ一つ。恋文を無事に届けることだけだ。しっかりしろ」
「それは、そうですけど……」
あまりにハードルが高い気がするのは、コトハだけなのだろうか。
いや。やはりモンティーノ卿は不安なようだった。
「無理でしたら、いいのです。所詮叶わぬ恋ですから。私も諦めがつきます」
きっと、モンティーノ卿は悩みに悩んで、ここを訪れたのだろう。
コトハの胸がキュッと痛んだ。
(わたし、仕事頑張るって、この前誓ったばかりじゃない)
不可能に思えるからと、やる前から無理だと諦めてしまいたくない。
やるだけやってみよう。
コトハはモンティーノ卿に近付いた。
「わたし、王女さまに必ず恋文届けます。だから、モンティーノ卿も諦めずに待ってて下さいね」
「……いいんですか?」
「はい。わたし、頑張ります」
拳を握り締めるコトハを、モンティーノ卿はあまり期待していないような目で見ていた。
…
モンティーノ卿が帰ったあと、主さまは細かな指示をコトハに出していた。
居間のテーブルに地図やら書類やらを広げ、いつもよりも念入りに、コトハに説明する。
それは、やはり届け先が王女だからだろう。
「王城の警備は固い。それをどう突破するかは、お前の運と度胸次第だ」
あっさりと言われ、コトハは愕然とした。
「……どっちもなかったら、どうしたら?」
恐る恐る尋ねると、主さまはにやりと笑った。
「荷物まとめて、さっさと元の世界に帰るんだな」
(うわーん。冷たあい)
もうちょっと、ここにいたい。
それが、コトハの正直な気持ちなのだから。
それを知っていてそんなことを言っているなら、主さまはよっぽど意地悪だ。
コトハはシュンと項垂れたが、主さまの次の言葉で一気に立ち直った。
「まあ、今回は特殊なケースだ。俺もサポートしてやる」
「え、本当ですか?」
「あくまでもサポートだからな。直接手は下さないぞ」
念を押すように言われ、コトハはこくこくと首を縦に振った。
「はい。それでも、主さまにサポートしてもらえてると思うだけで安心です」
「じゃあ、この恋文。きっちりかっちり配達して来い」
いざ、王城へ。
コトハの小さな胸は、不安と緊張でいっぱいになっていた。