4.王都で配達
この世界には三つの国があって、そのうちの一つ、アルール王国に主さまの恋文専門郵便局はあるのだという。
残る二つは、ファルールとジャニオールという王国で、この三つの国は今のところ友好的な関係を築いているそうだ。
主さまの郵便局には、このいずれの国からも配達の依頼がやって来る。
だからコトハは、国境をまたいで配達をしなければならないところだけど、さすがの主さまも、まだそこまでは任せていない。
新人には負担が大きすぎるからだ。
今のところ、赴くのはアルール王国内でも、郵便局周辺の街や村だけだった。
なら、他国からの依頼はどうしているのかと主さまに尋ねれば、「お前ごときが気にしなくていい」と一蹴されてしまった。
いちいちグサグサくる主さまの物言いにも、半月で随分慣れたけれど、それでも、か弱い少女にもう少し優しくして欲しいと思う時がある。
(甘いのかな)
仕事である以上厳しいことを言われても仕方ないとは思う。
(それでも、もうちょっと、言い方ってあると思うんだけど……)
悶々としてきた気持ちを振り払うようにかぶりを振って顔を上げると、気付かぬうちに王都を囲む城塞が間近に迫っていた。
随分長いこと考え事をしていたらしい。
城門前の広場にはたくさんの人がひしめいていた。
王都から出て行く人と、王都へ入る前の手続きをしている人の行列で、ごった返しているのだ。
王都は交通と流通の要衝。
あらゆる人が訪れては、出て行く。
「今日も凄い人」
王都へ配達に来たのはもう数回目であったけれど、いつ来ても人で広場は埋まっていた。
コトハもその人波に紛れたところで、懐から通行手形を取り出した。
いつまでも学校の制服を着ている訳にはいかないからと、主さまが何着かこちらの世界の洋服を用意してくれたのが、この世界に来た翌日だった。
それからコトハは日本の着物のような袷のある、けれど形状としてはチュニックのような服と、下は動きやすい、裾に絞りのあるズボンを履いていた。
どこから手に入れて来たのか。
あえて聞かなかったけれど、あの主さまがガーリーなセレクトショップで買って来たとは想像すら出来ない。
(きっと、前の人が着ていた物なんだわ)
コトハはそう思うことで納得していた。
…
通行手形を手に、入城を待つ人の行列に加わってから数分後、ようやくコトハの番が来た。
「お、今日も配達か?」
いつもと同じ門兵に手を上げて挨拶された。
すっかり顔馴染みだ。
「はい。お願いします」
コトハが差し出した手形に、ざっと目を通した門兵は「よし。いいぞ。頑張れよ」と言って、ぽんと彼女の頭を軽く叩いた。
「はい。行って来ます」
手形チェックも甘くなり、当初の約半分の時間で城門を通してもらえるようになった。
なんだか嬉しくなって、足取りも軽く城門をくぐった。
「さてと。どこに行ったらいいんだっけ」
一度通った通りはだいたい分かるようになったけれど、今日行くところは今まで聞いたことのない通りの名前だった。
主さまに持たされた地図を出そうと、また懐を探る。
「あ、あれ?」
ない。地図がない。
恋文は大切なものだからと、布で巻いた上に体にも巻き付けてあるから心配ないが、地図がなくても、それはそれで困るのだ。
「どうしよう……」
恋文に書かれた住所を見れば通りの名前は分かるけれど、主さまから、なるべく宛先の相手以外の人目には触れさせるなときつく言われているから躊躇する。
それに、巻いた布を解こうと思えば、服を脱がなくてはならない。
(もう一回戻って出直そうかな)
面倒だが、それしかないような気がする。
せっかく入った城門を出ようと踵を返した時、ポンと肩を叩かれた。
(え?)と思って振り向くと、そこには人懐こそうな笑顔の青年がいた。
「君、何か困ってる?」
「え、あ、あの。いえ。大丈夫です」
咄嗟に身を翻して駆け出そうとした。
けれど、青年の動きの方が早く、コトハの二の腕を掴んだ。
「待ってよ。俺なら、力になれると思うんだ」
「あの、ほんとに大丈夫だから」
「君の落としたのって、これでしょ。城門のすぐ近くに落ちてた」
「え?」
見上げると、彼の手には見覚えのある紙片が。
「それ!」
「ね。力になれたでしょ?」
にっっこりと笑う青年に、コトハは勢い良く頭を下げた。
「ありがとうございます!助かりました」
そうして受け取ろうと手を差し出すと、青年はちょっと小首を傾げて、コトハの顔を覗き込んだ。
「君、まだ王都に慣れてないでしょ?」
「え?」
「この地図の場所に案内してあげようか?」
「ええ?でも、悪いです」
「悪くないよ。俺から言い出してんだからさ。えっと……デコン通りの21番……てことは、あっちだな」
「あの、でも、やっぱりいいです」
「なんで?」
「どう行ったらいいのか教えてもらったら、それで十分ですから」
あくまで案内を断ろうとするコトハに、青年は不満そうな顔をした。
…
「君、この間もこの辺で迷ってたでしょ?」
「え?」
「俺、そこの露天を手伝っててさ。通る人をよく見てるんだけど、君のこと目に付いちゃって。気になってたんだ。この前は、ちゃんと目的の場所に着けたの?」
「あ、はい。着けました。なんとか」
「そっか。なら、いいけど。ここはさ、いろんな人がくる街だろ。当然堅気じゃない奴もいる。そんな所で、君みたいな如何にも迷ってますみたいな子はさ、危ないんだよね。いろんな意味で。だから俺の厚意、受けといた方がいいと思うんだけどな」
青年は人の良さそうな笑みを浮かべて、コトハの返事を待っている。
(いい人だな)
コトハは素直にそう思った。出来ることなら、彼の厚意に甘えたい。
そう思った。
けれど、主さまの怒った顔がちらついて離れない。
(他人に知れたらいけないのよ)
人の恋心を衆目に晒すようなことは、配達員として決してしてはならない。
それは、コトハが最も守るべき心得だった。
「じゃあさ。デコン通りの入り口まで連れてってあげよう。そうしたら、あとは目的地を探すだけだろ?」
「……」
それは、心得には反しないかもしれない。
コトハの心がぐらっと揺れた。
実際、心細さは常にあるのだ。
知らない街で、こうして親身になってくれる人に少しくらい甘えたっていいんじゃないだろうか。
「じゃあ、入り口までなら……」
コトハの口からポロリと零れ落ちた言葉に、青年はパッと嬉しそうな顔をした。
「良かった。うん。それなら、俺も君がどうしてるか心配しなくて済みそうだ。じゃあ、さっそく行こう」
青年は意気揚々と前に立って歩き始めた。
コトハは少し後をついて行きながら、(本当にいい人っているんだなあ)などと考えていた。
…
「えっと……俺はアウル。君の名前、聞いてもいい?」
コトハが付いて来ているか確認するように振り返っては前を向きを繰り返していた青年が、何度目かの振り返りの時にそう言った。
「わたしは、コトハです」
「コトハかあ。可愛い名前だね」
アウルという青年は少し歩調を緩め、コトハと肩を並べた。
「可愛いだなんて、初めて言われました」
照れて俯くコトハに視線をやりながら、アウルという青年も心なしか顔を赤らめている。
「初めてって、意外だな」
「そうですか?」
「うん……。コトハは、どうして王都に来てるの?」
突然聞かれて、コトハは戸惑った。
「え、えと。仕事です」
「仕事?なんの?」
「……」
どこまで言ったらいいのだろう。
悩むコトハを、アウルはじっと見つめていたが、やがて溜め息混じりに言った。
「なんだか訳ありみたいだけど、君みたいな子が厄介な仕事してるんだね」
「厄介、ではないです。わたしがまだ慣れていないだけで」
「……本当に?辛い思いとかしてないの?」
アウルは心配そうに眉を寄せている。
「わたしが子供だから、心配なんですか?」
「え?」
「でも、大丈夫です。子供でも頑張ったら出来ると思うから」
するとアウルはぷっと吹き出した。
「アウルさん?」
「子供とか大人とか関係ないよ。コトハ自身が大変なんじゃないかって、少し心配だっただけ。言えない事情があるなら無理には聞かないけど……。もう少し親しくなったら、教えてもらえるのかな?」
「え?」
「俺、コトハと友達になりたいんだけど、ダメ?」
「友達……ですか?」
「ん、うん……。いや。この前見かけた時から、本当に気になっててさ。あの時声かけてたらって悔やんでたら、今日もコトハが来たから。これはもう、声かけるしかないって思ってたら、地図落としただろ?渡りに船って言ったらおかしいかもしれないけど。俺にとってはラッキーーだったというか……。だからさ、ここで友達になれたら、本当に嬉しいんだ」
アウルのまなざしが、真っ直ぐにコトハを捕らえた。
(主さまとは違うんだ……)
漆黒ではない。亜麻色の瞳。
関係のないことを思って、友達云々のことをはぐらかそうとしたけれど、アウルの真っ直ぐな視線に負けてしまった。
「あ、なら、友達に……」
消え入りそうな声で答えると、アウルが「やった」と小さく声を上げた。
(大丈夫。主さまには、黙ってたら分かんない。分かんない)
知られれば、配達中に何をしているのかと叱られそうだった。
(わたしの主さまのイメージって、そんなんばっかだな……)
そう思いながらも、コトハは内心嬉しかったのだ。
この世界で、知り合いと言えば主さまだけで。彼とは何でも話せる間柄というわけでもなく。
こうして、異性とは言え、同世代の人と親しくなれて、本当は凄く嬉しかったのだ。
…
デコン通りの入り口まで、コトハとアウルはいろいろな話をした。
彼がコトハより二つ上だと知ったし、今は経済的な理由で断念しているけれど、働いて貯金が貯まれば、いずれは大学に進学するつもりだということも知った。
「親にはこれ以上苦労かけられないから」
そう言って、はにかんだアウルは一層大人びて見えて、コトハはいよいよ自分のことが幼く思えて仕方なかった。
「コトハだって、仕事してるじゃないか」
「え、だって、それは……」
「ん?」
何て答えたらいいのだろう。
答えようによっては、また彼に心配をかけることになるだろう。
それにコトハも今の仕事が面白くなって来ているから、無理矢理させられていると、彼に思ってほしくなかった
だからコトハは、どうして仕事をしているのか、それに対してどう答えたらいいか分からなかった。
「そろそろデコン通りだな」
アウルの声に顔を上げると、彼が立ち止まった。
「ここで、待っててもいい?」
「そんな、悪いよ」
「悪くない。俺が待ちたいから、待つだけだし」
彼はどこまでもいい人だった。
「なら、出来るだけ早く戻ってくるね」
言って、コトハは駆け出した。
デコン通り21番は、もうすぐそこである。