12.王女さま、郵便です。(3)
「配達って、それは失礼だろ」
思い切り呆れている声に、コトハは拳を突き上げたまま振り返った。
「カールさま!それに……」
「お兄さま……」
「人払いはしているから心配いらない」
カールが扉を閉めるのを待って、ゼノ王太子が話し始めた。
「さて、ユリア」
王女は泣き腫らした顔を隠そうともせず立ち上がった。
「美貌が台無しだ」
ふうと深い溜め息を吐いて、王太子は妹を憐れんだ。
本当に、二人並べば、よもや天上の世界に迷い込んだのではないかと思うくらい神々しかった。
(ああ!絵に描きたい!)
王太子は妹を絵に収めたけれど、自分は是非二人を描いてみたいとコトハは心底思った。
「グレニーの恋文は読んだのか?」
妄想の世界に飛んでいたコトハは、その言葉に現実に引き戻された。
王女も恋文を持つ手を体の後ろに隠してしまった。
「あの。そう言えば、お二人、どうして一緒に」
話題を逸らそうと慌てて言うと、カールが肩をすくめた。
「ああ。俺がこちらに向かっている時に偶然」
「朝から騒々しいと思って来てみれば、お前だったのだな。コトハ。女官たちが曲者を捕らえろと武器を手に外で控えていたぞ」
「朝餉を食べてから迎えに行けばいいとのんびりしていたら、お前の行動力を見くびっていたよ。縄でベッドに括り付けておけば良かった」
王太子とカールと、二人から脅されたが、今のコトハには通じない。
「王女さまの恋を守るためです!」
「恋、ね。……ユリア」
「はい。お兄さま」
「国よりも、己れを優先するか?」
「……そんなつもりは……」
「その言い方は卑怯です。王太子さま」
「卑怯だと?」
「お兄さんなら、王女さまの本当の幸せを願うべきです。そんなに国が大事なら、あなたが守ればいい。あなたが異国からお嫁さんを貰って、国を守ればいいじゃないですか」
コトハは仁王立ちになって王太子に言い募った。
そんなコトハを、王太子は感情の読み取れない表情で見返している。
カールがコトハを守るようにそっと寄り添った。
「コトハさん、と仰るのね。あなた」
「は、はい。王女さま」
「ありがとう。あなたの優しさに感謝します。でも、やはりわたくしは王族であらねばならないのだと思うわ。それが、王室に産まれた、わたくしの定めなのです。あなたのおかげで、一瞬でも夢を見られたわ。ありがとう」
「王女さま……」
コトハは泣き出しそうだったが、本当に泣きたいのは王女の方だと、ぐっと我慢した。
「ああ。女ってのは、全く面倒な生き物だな。カール」
「私に同意を求めないでください」
「おいおい。お前まで、私を非難するのか。融通の効かない兄だと?」
「私は何も言ってないじゃないですか」
「その目が言ってるんだ。その目が」
「被害妄想ですよ」
何故か言い合いを始める王太子とカール。
「二人、仲いいんですか?」
「カールとお兄さまの付き合いは、妹であるわたくしよりも長いわ」
そ、そうなんだ。
延々と続くかと思われた二人の口喧嘩だったが、王太子の「よし」という何か決意したような言葉で打ち切られた。
「ここからは、全て私の責任だ。コトハとカールで、ユリアを連れ出せ」
「へ?」
「……丸投げですか?」
「女官並びに親衛隊の引き留めは私に任せろ。親父への報告も全て私がやる。無事にユリアをグレニーの元へ送り届けろ」
「お兄さま!」
「息災でな、ユリア」
包み込むような笑顔で妹を見つめる王太子に、コトハは言った。
「ありがとうございます」
「決意した女ほど扱いにくいものはない。さっさと行け」
「はい!」
コトハはその場にあった布を王女の頭にかけ、彼女の手を引いて駆け出した。
「ゼノさま」
「お前も早く行け。あとで報告に来い」
「は」
カールは敬礼すると、先に行った二人を追い掛けて行った。
残された王太子は開かれたままの窓をそっと閉めた。
これからの騒ぎを思えば頭が痛むけど。
ユリアとグレニーがずっと秘密の恋を守っていたことを知っている。
だから。
だから許した。
「幸せにな。ユリア」
そうして王太子は騒々しい次の間に向かった。
グレニーの元へ向う三人が、一刻も早く城を出ることを祈りながら。
…
「俺は馬で、グレニーの元へ向う。港で落ち合おう」
走りながら、カールが言った。
「港!?」
「軍が動けば、直にグレニーの屋敷も包囲される。一刻も早く国外に亡命した方がいい。よろしいですね。王女」
布を被った頭がこくりと縦に動いた。
「ここにゼノさまの文がある。これを、ファルールの宰相に。彼が庇護してくれるはずだ」
「じゃあ、最初から王太子さまは……」
「妹大好き人間だからな。ゼノさまは」
布の下で、今王女はどんな表情をしているのだろう。
「じゃあ、俺は厩にいく。気を付けろよ」
「カールさま!」
「お前の行動力を見習うさ。王女を頼む」
立ち止まってはいられない、
王女を早く城の外へ……。
植栽の中に隠れて窺うと、城門はすでに何人もの衛兵に固められていた。
「ここからはだめです」
「コトハさん。王族しか知らない抜け道があるの」
「え?早く言ってくださいよ〜」
「でも、そこにも兵がいるかもしれない。そうなれば、諦めるしかないわ」
「とにかく行ってみましょう」
庭を抜け、城を囲むようにしてある森へとやってくると、王女は記憶を辿るように歩き始めた。
「確か、あの大きな木の辺り……」
細い道を歩いて行くと、人の気配がする。
「やっぱり兵が……」
「い、いざとなれば、これで」
コトハは先ほど拾った木の枝を構えた。
とてもじゃないが頼りにならない。
この時、王女は脱出を半分諦めていたかもしれない。
木陰からそっと窺うと、木漏れ日の中に誰か背の高い人が佇んでいた。
黒いマントを身に纏い、漆黒の髪が木漏れ日に艶やかに光る。
「あ、あ、主さま……」
彼の足下には数人の衛兵が転がっていた。
「なんで……」
「ったく。帰りが遅いから来てみれば、騒ぎを起こし、挙げ句の果てに王女を拉致するなど。信じられんな、お前は」
主さまは明らかに怒っていた。
「あ、主さま……。あの、お叱りはあとでいくらでも。今は急いでいるんです」
「ふん。だからこうして、手を貸してやっただろうが」
「こ、殺したんですか!?」
「この上、殺人まで犯す阿保がいるか。よく考えて喋るんだな」
「す、すいません……」
「わたくしがコトハさんを巻き込んだんです。ごめんなさい」
王女は頭から布を取っていた。
ふわふわの髪が風にそよいでいる。
「急いでいるんだろう?ここが抜け道の入り口だ。早く行け」
「はい!」
王女とコトハは入り口に取り付いた。
中は暗く、冷たい風が外に吹き出ている。
「風が吹いているということは、出口が開いているということだ。これを」
コトハの持っている木の枝の先に、いきなり火がついた。
「キャッ」
驚いたが、落とす訳にはいかない。しっかり握り締めると、王女を先に行かせ、コトハは行きかけた足を戻し振り向いた。
「主さま。ありがとうございます」
「帰ったら、お仕置きだ」
「ひえっ」
けれど、主さまの漆黒の瞳が笑っていた。
それに力を貰って、コトハは抜け道に飛び込んだ。
…
海風が心地いい。
ユリアとグレニーを乗せた客船は、もう小さくなっている。
「行っちゃいましたね」
二頭の馬の手綱を持つカールを見上げた。
「ああ。行ったな」
「あの。カールさま」
「ん?」
「グレニーさんて、もしかして……」
「ああ。俺の兄貴だ」
胸がキュッと痛んだ。
「ごめんなさい」
「どうした?」
「わたし、思い立ったら、ほんとに止まらなくなってしまうから。カールさまのお兄さんを遠くに行かせてしまったと思うと、ちょっと……」
すると、くしゃっと髪を撫でられた。
「カールさま?」
「それで、兄貴が幸せになるなら本望だ。ゼノさまも同じ気持ちだろう。事後処理がいろいろ大変だけどな」
「うん。結構大変だ」といいながら、カールはどこまでも朗らかで、藤色の瞳がキラキラ輝いている。
その輝きを見ていると、間違ってはいなかったのだと思えてホッとした。
「幸せになりますよね。お二人」
「ああ。愛し合ってるなら、どんな境遇でも乗り越えていけるだろ」
不意にコトハとカールの視線が絡み合った。
海風に二人の髪が弄ばれる。
「コトハ。俺……」
カールが何かを言いかけた途端、キュルルルウと物凄い音がした。
「ああ!わたし、朝から何にも食べてなあい!!」
安心した途端、身体が空腹を思い出したらしい。
くくくと肩を揺らして笑うカール。
(コトハはこうでなきゃな)
彼はそう思いながら、恋には程遠い彼女に翻弄される未来を、ここでようやく認めたのだった。
船の甲坂で、寄り添う二人がいる。
お互いを見つめながら、微笑んでいる。
弟と、兄と、そして初めて会った小柄な少女と。
彼らに感謝しよう。
共に手を携え、生きていける未来を与えてくれたことを。
身分も何もない。
ただお互いを想う気持ちだけを信じていけばいい。
「コトハさんがお兄さまのお目付役になってくれないかしら」
「おや。それを言うなら、カールだろう?」
二人は笑い合った。
どこまでも二人の世界。
幸せな海の旅だった。
…
ユリア
あなたが王女でなく、農婦であっても、私はあなたに恋しただろう。
あなたに恋した。そして、あなたも私を想ってくれた。
それだけでいい。
私はこれからの人生を誇り高く生きていけるだろう。
ユリア。
どうか、あなたも誇りを持って生きてほしい。
それだけが、私の願い。
あなたに恋した男の、最後の願いだ。
生きる道を分かたれた私達は、恋しいと思うことすら許されない。
だから、私は願おう。
あなたがいつも凛と頭を上げ、その美しさを異国の人々に愛されることを。
あなたは一人ではない。
今までも、そして、これからも、あなたを愛する人のいることを。
どうか信じて。
ユリア。愛しい人よ。
あなたがとこしえに幸せであるように。
『グレニー・モンティーノ侯爵、恋文より』