9.俺は絶対認めない
王太子は女官を集め、すぐに部屋を手配するように指示を出した。
「すぐに、と申されますと、女官用の小さな部屋しかございませんが、それでもよろしゅうございますか?」
「構わん。それと、ダブリング先生を呼ぶように」
「すでにお休みかと存じますが?」
「急患だ。叩き起こせ」
会釈をして去る女官を疎ましげに見送ると、王太子はカールを見た。
「コトハは、なぜ妹を追っていた?そんな体をおしてまで」
カールは目を伏せ、かぶりを振った。
「私も詳しくは聞いていません。王女に会いたいということは聞いていたのですが」
「懲罰覚悟で、貴族でもない娘を城に引き入れたか。カール」
「……ただ、なんとなく、コトハの望みを叶えてやりたいと」
「お前らしくもない。……このことは、秘匿事項だ。女官にも口止めしておこう」
「……よろしい、のですか?」
「その子のことを気に入っているのは、お前だけではないということだ。いずれ、後宮に呼んでもいいと思うくらいには、な」
カールはドキッとして、コトハを抱く手に力を込めた。
「お戯れを」
「戯れだと思うか?」
「……」
胸が、何故かキュッと苦しくなった。
王太子が、コトハを、後宮に?
「ゼノさまは、ご冗談がお好きですから」
目を伏せるカールを、王太子は意地悪く見返している。
「今は冗談と思っていてもいいが、な。その子は、なかなか男を翻弄する素質を持っている。油断しない方がいい」
コトハが?
この、いまだ幼子のような純粋な子が?
男を翻弄する?
まさか。
王太子はこの子を買い被り過ぎだ。
「あまたの浮名を流してきたお前とは思えないな。本気になると、却ってよく見えなくなるものらしい」
ふっと笑んで、王太子は面白そうにカールを見ている。
それから女官に呼ばれ、部屋の中に入って行った。
カールもそれに続いたが、足取りは重い。
俺が、本気だって?
冗談にも程がある。
俺は、この子に恋はしない。
ただ、何となく放っとけないだけだ。
そっとコトハをベッドに横たえた時、ダブリング先生が入って来た。
「おやおや。また、この娘っ子か。まったく、あれ程安静にと言っておいたのに。最近の若者はいうことを聞かん」
「すいません。私が目を離したばかりに」
「恋人のことはしっかり見ておくもんじゃぞ。親衛隊長」
「……ですから、恋人ではないと」
(どうして、皆、俺がコトハをどうか思っていることにしたいんだ?)
自分は王太子やダブリング先生の暇潰しじゃないんだ。
「くくく……」
憮然とするカールを見ながら、王太子が笑っている。
(こんな歪んだ人じゃなかったはずだけどな。ゼノさま)
幼い頃から仕える身としては、王太子の歪みようを心配してしまうのは仕方ないことだ。
(まあ。俺も十分歪んでしまっているし。人のことは言えないってことか)
大人になるということは、幼い頃のままではいられないと言うことだ。
「ゼノさまには、舞踏会にお戻りを、と伝言を受けておりますが?」
「ダブリング先生。私が、ああいうことを嫌いだと知っているだろう?」
「それとこれとは別じゃ。舞踏会に出ることはあなたさまの務めであり、人心掌握の第一歩。しっかり、おやりなされ」
「ああ。先生には敵わないな……」
大げさに天を仰ぐ王太子に、ダブリング先生はコトハの診察を続けながら「ほほほ」と笑っている。
「さて、まあ、足はこれでいい。あとは、目覚めた時に、この薬湯を飲ませておやり」
「え、私が?」
薬湯の入った器を受け取ることを躊躇うカールに、王太子がここぞとばかりに「お前がやらないなら、私がやるが」と言ってくる。
「いいえ。殿下はさっさと大広間にお戻りください」
思わず器を受け取ってしまった。
「けっこう、けっこう。今度は恋人の側にしっかりいてやるんだぞ」
「だから……」
「では私も行こう。コトハは仕方なくお前に任せておく」
「仕方なくって……」
二人が出て行ったあと、カールをどっと疲れが襲ったのは言うまでもない。
…
コトハは時折、呻き声をあげた。
足が痛むのか。熱のせいか。
苦しげに呻くその姿を、カールは眉根を寄せて心配そうに見つめていた。
「ほんと無茶する」
若さゆえか。それとも生来の性分なのか。
思い立ったら行動せずにはおれないらしい。
(そんな風には見えないのにな……)
一見大人しそうな印象を受ける彼女が、思わぬ時に見せる行動力が新鮮だった。
城門の前でカールが声を掛ける時にも、きっと城壁を乗り越えるかどうか考えていたに違いない。
王太子が面白がるのも分かるのだ。
(だからと言って、後宮に呼ぶ必要はないだろ)
爵位のない彼女が後宮に来ても辛い思いをするだけだ。
それが分からない王太子でもないだろうに。
それだけ、コトハに興味を持った?
(だから!興味を持とうが、どうしようが、俺には関係ないだろ!!)
ベッド脇の椅子の上で、カールは頭を抱えた。
(俺らしくもない……)
本当にらしくない。
コトハを大広間で見失った時に、これ以上はないというくらいに動揺している自分がいた。
一瞬でも彼女の傍を離れたことを死ぬほど後悔した。
少々のことでは心を動かされることのない自分が、何故この少女のことでは冷静でいられないのか。
カールは己の心の内が分からなかった。
心の中でどんな変化が起きているのか。
今のカールには、霞がかかったように、その深淵を見ることが出来ない。
(俺もダブリング先生に診てもらった方がいいのかな……)
どんよりした気分で、何気なくコトハを見た。
少し落ち着いたのか、寝息が規則正しくなっている。
「顔色も良くなったような?」
カールは立ち上がり、もっと良く見ようとコトハに顔を寄せた。
ほんのり頬に赤みが戻っている。
ホッとして、顔に掛かった髪を払ってやろうと手を伸ばす。
ふっとこめかみの辺りに手が触れた。
(柔らかいな……)
女性に触れたのは初めてではないのに。
どうして、こんなにドキドキするのか。
「カールさま……」
不意に、コトハが吐息を漏らすように呟いた。
「え……」
カールは絶句して、飛び退いた。
顔がありえないくらいに熱くなる。
胸のドキドキも痛いくらいに最高潮。
寝言?寝言だ。
寝言で、どうして俺の名を呼ぶ?
頭がボーッとして、何も考えられない。
カールは倒れこむように椅子に腰掛けた。
膝の上に肘を付き、まだ熱い顔を両手で覆って、指の隙間からコトハを盗み見る。
何事もなかったように規則正しい寝息を繰り返すコトハ。
王太子の言葉が頭に蘇る。
「この子は男を翻弄する素質がある」
女性との浮名を流しながら、実のところ彼女らと真剣に向き合うことのなかったカール。
(女なんて、分かんねーよ!)
つい数時間前に出会ったばかりの、素姓も詳しくは知らない少女に、彼はすっかり翻弄されていた。