7.城内おにごっこ
もうすぐ玉座という所で、コトハは足を止めた。
ずきずき鈍い痛みを感じる足首と、空腹。
状態は良くない。
談笑する男女のグループに紛れるように、コトハはカップケーキを一つ手に取った。
それに、ジュースもコップ一杯飲んで。
とりあえず、これで少しおなかも落ち着くだろう。
ふうと息を吐いて、コトハは玉座の方を見た。
「え!?」
突然声を上げたコトハに、そこにいたグループ全員の視線が集まる。
「どうしたの。この子」
「さあ。どこの令嬢だ?」
怪訝そうに見ている一人に、コトハは詰め寄った。
「王女さま!今までいたのに、どこに行ったんですか?」
「王女さま?ああ。ユリア・ロゼットさまか。あの方は体調が優れないとかで、いつもすぐに退室なさるんだ。君、そんなことも知らないの?」
「そ、そんな……」
ここに来て、見逃すなんて……。
「あ、でも、まだあそこにいらっしゃるわ」
令嬢が指差す方を見ると、王女はテラスに通じる開き窓の前で、扇子で顔を覆いながら女の人と話していた。
「あなた。王女さまと話すつもりなの?無理だから、諦めなさい」
「でも、行かなきゃだめなんです」
そうして、また片足を引いて歩き始めるコトハを、彼らは呆れたように見送っていたが、やがて興味を失ったのか、また雑談に戻ってしまった。
コトハは少し歩いて止まってしまった。
ここで王女に恋文を渡せないことに気付いたのだ。
秘密の恋文を衆目に晒すことは出来ない。
(どうしよう……)
カールがいれば何か良い方法を考えてくれただろうに、今彼はここにいない。
己の浅知恵だけで、ここは乗り越えなくてはならないのだ。
逡巡していると、王女がこちらに向かって歩いて来るのに気が付いた。
後ろには何人もの女官を従えている。
(うわ。どうしよ)
コトハは咄嗟に側の衝立の陰に飛び込んだ。
目の前を王女がゆっくり通り過ぎて行く。
その気配を感じながら、彼女は息を殺して隠れていた。
王女が出ていくと、大広間はまた元のざわめきを取り戻した。
(廊下。そうだ、廊下で渡せばいいんだわ)
コトハはあとを追って大広間を出た。
王女ご一行は、すでに向こうの廊下の角を曲がろうとしている。
(足、速いな)
コトハは痛む足を引きずりながら懸命に歩いた。
近いようで、遠い。
全然近付けない。
けれど、諦めることは出来ない。
これは仕事。
主さまの厳しい顔が脳裏に浮かぶ。
廊下の先は渡り廊下になっていて、夜の帳が下りた吹き抜けの廊下を、夜風が吹き過ぎて行く。
コトハはその風に当たって、小さく身震いした。
(寒いな)
悪寒が止まらない。
(あれ?わたし、もしかして……)
自分の額に手をやってみた。
(なんだ。びっくりした。熱ないや)
ホッと息をついて、渡り廊下を渡り終えた。
…
その先の廊下は今までとは景色が一変した。
これまでは割と殺風景で、石壁が剥き出しだったり、所々に騎士の彫像が置いてあったりした。
が、こちら側の廊下は、色とりどりの糸で織られたタペストリーが掛けられ、季節の花々が花瓶に生けられ、美しい絵画が飾られていた。
(凄く綺麗……)
絵画はどれも風景が描かれているもので、山の景色や海の様子など、自然を題材にしたものばかりだった。
同じタッチで描かれているから、同一人物の作品だろう。
淡い色使いに、緊張がほぐされて行くようだった。
「素敵……」
思わず声に出して言ってしまい口を抑えると、「どうもありがとう」と背後から声がした。
「え!?」
振り向いた途端、コトハは硬直した。
「ここにあるものは、全て私が描いたものなんだ。気に入って貰えて嬉しいよ」
にっこり笑うその人は……。
「誰……?」
誰って、怪しいのはコトハの方だ。
(どうしよう。見つかっちゃった……。こんな……超絶美形さんに!!)
カールも美しい。
アウルも恰好いい。
主さまも綺麗だ。
けれど、この目の前の人は。
他者の追随を許さない。まさに神懸かり的な美しさを誇っていた。
加えて、たっぷりとした正装の上からでも分かる、逞しい肢体。
コトハを上から見下ろすような美丈夫。
(この人、ほんとに生きてんだろうか)
まさか神が降臨したわけでもあるまい。
けれど、それ程に、その人は美しかった。
「君がユリアを追いかけて行くのを見かけたから、私は君を追ってみたんだ。
鬼ごっこだ。君を捕まえたよ」
その人は楽しそうに笑っていた。
コトハはそれどころじゃない精神状態だというのに……。