5.令嬢気分でがんばってみる。
「さあ、出来ましたわ」
ハンナは満足げに手を打った。
コトハはドレッサーの前に座り、鏡の中の自分をじっと見つめていた。
長い黒髪を高く結い上げ、毛先を少し巻いてある。くるくると落ちて、顔の両側で綺麗なシルエットを作っていた。
そのくるくるを一房持って弄んでみる。
ビヨンと伸びて、またくるっと戻った。
それからコトハは、直視出来ないでいた顔面へと視線を移す。
(お化粧なんて、七五三以来……)
マスカラも、チークも、口紅も。
自分の顔じゃないみたいに違和感たっぷり。
「さあ、お立ちになって」
ハンナに促され、コトハはよろよろと立ち上がった。
長いドレスの裾を踏みそうになってふらついた。
「あらあら。でも大丈夫。本番はカールさまが支えてくださいますわ」
ほほと気楽に笑って、ハンナはコトハを姿見の前に導いた。
「本当に可愛らしい。よくお似合いですわ」
(七五三だ……)
だめだ。見られたものじゃない。
本当のお姫さまが着れば、きっと美しいドレスだろうに。
コトハはがっくりと肩を落とした。
それを知ってか知らずか、ハンナはとてもマイペースで、「さあ、カールさまの元へ」と、またコトハの手を取った。
「あ、あの。わたし、やっぱり無理です。こんな格好、全然似合ってないし。カールさまにも、きっと恥をかかせることになると思います。だから、あの」
「可愛いよ」
ハンナの声とは違う声が返事した。
(え?)と思って振り向くと、カールが扉に寄りかかるように立っていた。
「俺からすれば、十分可愛いと思うけど。さあ、行こう。そろそろ時間だ」
(お世辞……だろうけど)
でも、カールがお世辞を言うような人とは思えない。
(少しは似合ってるのかな)
「とにかく胸を張って、自分がどんな令嬢よりも一番綺麗だって思うんだよ」
カールの前まで行くと、そう言われた。
とてもそんな風には思えそうにないけど。
ここまで来た以上、やるしかないのだ。
自分が他人からどんな風に見られているか。
すごく気になるけれど、今は余計なことを考えずに、カールに付いて行こう。
コトハは腹を決め、差し出されたカールの腕に、自分の腕を絡めたのだった。
…
舞踏会の会場となる王宮の大広間は、すでにたくさんの人で溢れていた。
女性は皆、自分好みの煌びやかなドレスを身に纏い、男性はカールのような軍服や、チュニック型の上着にマントという正装など、それぞれの身分に応じた格好をしていた。
コトハはその人の多さに気後れして、カールの背中に隠れてしまっている。
「おい。知り合いに挨拶するから、せめて横に並べよ」
「カールさまだけで行ってきたらいいじゃないですか」
「あれ。そういうこと言うんだ?契約違反になっちゃうけどいいのかなあ」
「うう……」
そう言われては仕方ない。しぶしぶ背中の後ろから出て、またカールの腕に手を添えた。
「よしよし。じゃあ、最初は大公夫妻からだ」
楽しげに言って、カールが大広間を横切って行く。
彼が動けば、女性たちの視線も動く。
当然彼と共にいるコトハの上には、嫉妬の込められた視線が注がれていた。
大公夫妻は、温和な初老の夫婦だった。
大公は国王の弟だった。
「ご機嫌いかがですか。大公殿下」
「おう、これは親衛隊長ではないか。王都に戻っていたのだな」
「はい。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。妃殿下にもご壮健で何よりです」
白髪の上にティアラを載せた、上品そうな大公妃は、扇子で口元を隠してほほほと笑った。
「わたくしのサロンでは、いつもあなたの話題で持ちきりなのですよ。またいらして頂戴ね。ご本人がサロンに来て下すったら、皆が喜びますわ」
「はい、是非お邪魔させてください」
「それにしても、大佐。今日は珍しく女性を同伴されているようだが、紹介はしてくれるのだろうね」
(来た!)
カールは、身を小さくしようとするコトハの腰に手を回し、グイッと自分の方に引き寄せた。
(ちょ、ちょっと!)
抗議の眼を向けると、カールが優しく微笑んでいる。
(そんな微笑、反則です……)
「こちらの娘は少々複雑な事情を抱えておりまして。これから、父と交渉しなければなりません」
「まあ」
「なんと。では、大佐は身分違いの恋をしているということかな?」
「大公殿下。そこのところは察してただきまして。若い二人を応援して頂ければ……」
「まあ。カールさまが……。とても可愛らしいお嬢さんね。わたくし、応援して差し上げますわ」
「心強いお言葉、ありがとうございます。妃殿下」
「お嬢さん。あなたもカールさまとご一緒に、サロンにいらしてね」
疑うことを知らないのか。妃殿下は人の好さ丸出しで、コトハに微笑みかけている。
「はい。ありがとうございます……」
コトハは消え入りそうな声で礼を言った。
こんないい人たちを騙していると思うと心苦しくて、本当のことをぶちまけそうだった。
でも、そんなことをしたら、カールとの契約を破ることになる。
破ったら最後、王女さまの所には辿り着けない。
大公夫妻と話すカールに腰を抱かれながら、コトハは耐えるように唇を噛んでいた。
しばらくして、カールとコトハはその場を離れた。
「ふう。これだけ、お前のこと印象付けておいたら、いざという時役立ちそうだな」
「カールさま」
「ん?」
「あんな立派な人たちを騙してまで、わたしと恋人のふりをする理由は何なんですか?」
「……言わなきゃ、ダメか?」
カールは少し困った顔をした。
「だって。カールさまに声をかけてもらいたい女の子はたくさんいるのに。どうして、そういう子に頼まなかったんですか?」
「面倒くさいだろ」
「え?」
「お前みたいに、俺のことなんとも思ってない奴の方が気が楽だからさ」
そう言って、カールは薄い金の髪を掻き上げた。
「それに……」
「それに?」
「……いや、何でもない。この辺で待ってろ。飲み物持って来る」
「え、ちょ、カールさま!」
衝立の陰にコトハを置いて、カールは行ってしまった。
「もう!はぐらかした、カールさま」
「気安く呼ぶのね。モンティーノ大佐のこと」
その時突然冷たい声がかけられた。
背筋がひやっとするほど冷たい声に、恐る恐る振り向くと、そこにはコトハを睨み付ける女性がいた。
「今日こそは、大佐にエスコートして頂けると思って待っていたのに。あなたのような小娘を伴っていらっしゃるなんて……」
女性の歯ぎしりが聞こえてきそうだった。
(なに、この人。怖い)
コトハは後ずさった。
「あら、逃がさないわよ」
「泥棒猫がいい気になってんじゃないわよ」
後ろには、この女性の取り巻きと思われる女の子たちが控えていた。
(がびょ〜ん)
これでは逃げ出そうにも逃げ出せない。
「わたくし。大佐の許婚なの。あなた、大人しくお帰りになった方が身の為よ。どうせ、身分卑しい方なのでしょう?」
口調は丁寧だが、放つ言葉は酷いものだった。
「許婚?」
「そうよ。お分かりになったら、とっととお帰り!」
ドンと肩を押された。
「キャッ」
バランスを崩して、コトハは床に倒れてしまった。
「っつ……」
しかも足首を痛めてしまったようだ。
けれど、女性や取り巻きは謝るどころか、ケラケラ笑っている。
コトハは頭に来て、床に座ったまま女性を睨んだ。
「あなたみたいな意地悪な人。絶対カールさまは嫌いなんだから!あなたの方こそ帰りなさいよ!!」
これ程頭に来て、声を荒げたのは、17年の人生で初めてだった。
女性はこめかみの辺りをピクピクさせて、怒りに震えている。
「あなた……。よくも、わたくしに向かって、そんな口がきけたわね」
「どこの娼婦が口汚く喚いているのかと思えば、あなたでしたか。バーバラ嬢」
「あ……」
聞き慣れた声に、肩の力が抜ける。
足の痛みもあいまって、コトハは床に手をついた。
「ごめん……」
コトハだけに聞こえる声で言って、カールがコトハを横抱きに抱え上げた。
「ええ!?カールさま、どうして!」
「怪我、したんだろ?」
「だ、大丈夫です!歩けます。このくらい」
「だめ。控えの間まで連れてくから」
それからカールはバーバラ嬢とかいう女性に目をやった。
彼女は顔面蒼白になっている。
「こいつをこんな目に合わせた償いはして頂くので、そのおつもりで。あなたとの縁談も、近い内にお断りする」
そう言い捨てて、カールは身を翻した。
「キャー、バーバラさま」
衝立が音を立てて倒れる。
どうやらバーバラが気を失ったようだった。
そんな騒ぎを無視して、カールは大広間を横切って行った。