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夏祭

作者: 里見

私たちは、夏祭に必ず2人で行く。

私が9歳、雪子が8歳のときから毎年、必ずだ。

その祭が特別というのでも、私たちが特別祭好きというのでもない。

その祭は地域の小さな盆踊りで、私と雪子は友達だった。

かつて幼かった私たちは、毎年2人でここにこよう、と約束をした。


私は25歳、雪子は24歳になった。

この年の春に雪子は結婚をして、松本雪子から薬師寺雪子になった。



雪子が薬師寺マモルと出会ったのは、彼女が大学3年の秋に短期留学をしたフランスだった。

薬師寺マモルはその3年前に、優れたパン職人になる修行のためにフランスに来ていた。


薬師寺マモルと雪子はフランスで恋に落ち、帰国後、婚約をした。


薬師寺マモルはパン作りが下手だった。

絶望的に下手だった。

ほかのパン職人に言わせると、彼は美味いパンの味を知らなかった。

決して味音痴ではないのだけれど、どういうわけか美味いパンと不味いパンとの区別をつけることができなかった。

それなのにパン職人の道を選んだのは、使命感だ、と本人は言う。

しかし、彼の父親は市役所の役員で、母親はピアノ教室の講師だった。

だから彼の抱く使命感は家のためではなかった。


薬師寺マモルとパンとの関わりといえば、週の半分ほどの朝食(あとの半分は和食だった)と、小中学生時代の給食くらいだった。

高校に入ってからは母親が毎日弁当をつくったので、パンに世話になる回数はさらに減った。


学生時代の彼は、古典と音楽が得意だった。

とくに音楽は音大出の母親の影響もあってか、歌、楽器、音感、なにをとってもトップレベルだった。

小、中、高校時代を通して、合唱部や金管部や軽音部からは何度か勧誘を受けた。

彼自身、歌うことが好きだったし、音感に不安を持ったことはなかったし、楽器の扱い方は自然に理解できた。


しかし彼は高校を卒業したあとのことを考えたとき、パン職人になる以外にイメージすることができなかった。

しつこいようだけど、それは純粋な使命感だった。

それ以外にはなかった。


薬師寺マモルは、15歳の冬にパンを作る人になることを思いついた。

場所は自室のベッドの上だったけど、そのことはさして重要ではない。

その使命感は唐突にやってきた。まるで夕立のように突然やってきて、そして雨が上がる頃には、彼はすっかりパン職人の申し子になっていた。

実際には、その日は雪が降っていた。

だから彼は毎年雪を見ると、パン職人になる(ないしはパン職人でいる)ことの使命感に強く駆られることになる。


薬師寺マモルは、パンを一度も作ったことがないままパン屋に就職した。



雪子は言った。結婚式を終えた4月13日の夜のことだ。

「梓はね、子供のころはパン屋さんになりたいって言ってたのよ」

「でも英語教師になったんだね」と薬師寺マモルは言った。

「そうよ」

「どうして?」

「使命感だって」

「使命感?」

「家系というのでもないのよ。梓のお父さんはメーカー勤めだし、お母さんはスポーツインストラクターだもの」

そう言って雪子は、私の15歳のときに降りてきた使命感について話した。

「そういう職業選択って、ちょっと私には考えられない。梓の得意科目は数学だったのよ。それに小さい頃から習っていた新体操だってすごく上手で、なんとか大会の表彰を小学校の全校集会でされたりとかしてたのに。それも15歳でぱったりとやめちゃったの」


その次の日、薬師寺マモルは私のところにやって来た。

「僕は神様のお告げだと思った」と薬師寺マモルは言った。「君は?」

「ちょっとした気まぐれよ」と私は言った。

そうして彼は小さな街の小さなパン屋で毎日おいしくないパンを焼き、私は高校生に下手な英語を教えている。


25歳の私と24歳の薬師寺雪子は、9歳と8歳のころと同じように、りんご飴を買って舐めた。

ささやかな打ち上げ花火を楽しんで、太鼓の音を聴いた。

そこにパン屋はなく、英語もフランス語もなく、使命感もなかった。

やや退屈な時間がゆったりと過ぎ去り、私たちの優しい約束は、今年も守られた。

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