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君が帰らない  作者: みドドド
3/10

3話 嘘つきの朝

 男はひどく都合の良い夢を見ていた。


 兄を失った悲しに溺れるキャサリン・ハーデンバルツ。そこで出会った亡き兄の友人ミクシリオ。身分違いでありながら、次第に惹かれ合う――。

 その甘い願望の溶けた夢から覚めた男、ミクシリオ・クーロは胸を抑えて自らの浅ましい願望に嘔吐した。

「ま、だ……死んでない、だろ、ロドリオットは……」

 そうだ、ロドリオット・ハーデンバルツはまだ死んでいない。

 でも死ぬべきだ。

 傍若無人。誰も理解できない理論と癇癪で平気で暴力を振るう。失踪した今でさえその身を本気で心配するもの一人いない。

 妹キャサリンがロドリオットを探しているのは、兄が学生をしてる期間、当主代理をしている親戚に命令されているからに過ぎない。

 その親戚も、ロドリオットが消えれば、一緒に持っているはずのハーデンバルツ本家の家宝が消えることに焦っているに過ぎない。

 結局のところ、この世にロドリオット・ハーデンバルツを心配している者はいない。

 そうとは知らずに、愚かなミクシリオは何重もの勘違いの果てで、苦しんでいる。

 俺はそれが滑稽で仕方なかった。

 

 俺の名を語った罰、ということにしておこう。

 


 

 吐けば、少しだけ体が軽くなり、楽になったような錯覚に陥る。

 キャサリンに合わせる顔がない。

 密かに尊敬していたのに、僕は最低だ。

 彼女にとても残酷な嘘をついた。

 ロドリオットはまだ死んでいない。

 このままでは彼女に会うたびに罪を重ねることになる。それに、あの手紙は嘘だが、僕が昨日ロドリオットに出会ったのは本当だ。だから、その目撃証言は伝えなければならない

 そして、昨日着いてしまった嘘も、訂正しなければならない。

 僕はロドリオットの友人ではない。おそらく、きっと、僕の名前さえロドリオットは認識していないだろう。

 そのことを、言葉にして彼女に伝えるのは気が引けたが、ここで逃げるわけにもいかず、その日の授業を形だけ受け、放課後になるとすぐに彼女のいるひと学年下の教室へ向かった。

 

「キャサリン・ハーデンバルツ様に会いたいんですけど……」

 扉の作りから、いや教室へ続く廊下から、僕たち平民クラスより良い素材が使われていることがひしひしと伝わってくる。照り返す大理石の輝きが眩しい。細かな彫り物の溝のわずかな隙間にも埃は見えない。僕らのクラスの角で生きる蜘蛛の親子が急に恋しいよ。

「クーロ様!」

 取次係まで僕の名を知っているのだろうか、あっさりとキャサリンが現れた。

「待っていました、兄の話、ですよね?」

 蒼玉を縁取る金糸が不安に揺れ、小さな口から愛らしい音が溢れる。あまりにも眩しい。だが理性の糸を手繰り寄せ、僕は頷いた。やましい心など、一切なしだ。

 

 星読塔は普段授業をこなう学舎とは異なる建物にある。主に貴族クラスの生徒が自主勉強会や部活動など予約させしたら場所を使わせてもらえる。キャサリンは入り口で待機する事務の人に事情を手短に話し、あっといまに最上階の一部屋の鍵を貰い受けた。

 二人で使うにはあまりのも大きい部屋で、僕はしゃんとたっている自信がなかった。

 天井に描かれた無数の星々が、僕の嘘を責めるように瞬いている。

 彼女の信頼に満ちた瞳が苦しい。

 その一瞥にすら値しない人間なのだ。

 僕は息を吸って、覚悟を固めた――。

「ミクシリオ様、と呼んでも?」

 この世の誰が、この誘いを断れるだろうか。

 僕が頷くと、彼女は胸に溜まっていた息を吐いて、僕を見つめて言った。

「兄に、友人がいたとは、全く知りませんでした」

「そ、そのことなんだけど……えっ」

 涙だ。

 ゆっくりと、表情自体はぴくりとも、いつもの感情の隆起なんてはしたないという些か古い貴族の価値観を体現するような顔で、それでも、瞳を揺らして、その揺れは最後には丸い雫を結晶していた。

「すみません、」

 僕の視線に、彼女は俯いた。細い指が瞳のはじにふれる。

「兄は、兄の本当の姿を、どうか、あなたのみた兄を教えてください」

 非の打ちどころのないお辞儀がひとつ。

「そ、その前にっ! あ、あの、思い返してみたら、僕、昨日見てます!ロドリオット、様を!」

「本当ですか!?」

 だが、何か考えるようあごをに触れると彼女は言った。

「どうか、兄の前で兄を呼んだように、呼んでください!」

「え、え……ロディ?」

 ゾッとする。これも真っ赤な嘘だ。

 しかし目の前のキャサリンの方が目をまん丸にして口を開けて驚いていた。

 嘘が破綻する前に、打ち明けたかったのに。

「兄が、そのあだ名を許したのですか!?まあ! 兄は昔叔父にそう呼ばれて、叔父の髪をあっ……いえ、身内の醜聞ですので、いえ、他でもない兄がそのあだ名を許すなんて、本当に、友人とは、すごい立場ですね」

 一人で納得してしまった彼女は、僕が口を挟む間もなく、次の質問をする。

「ミクシリオ様は、ミクシリオ様はなんと呼ばれていたのですか!?」

 偶然とはいえ、ロドリオットが本当は嫌なあだ名を、嘘とはいえ僕が呼んでると言ってしまったのだ。だから、ここは僕も呼ばれたくないあだ名をあげるべきだろう。

「み、ミク」

 僕はこのあだ名が大嫌いだった。まあ親しみを込めて呼ぶ人はいないが。

「そうですか、あ、いえ。申し訳ありません、脱線いたしましたね。実はこちらの調べても、兄の最後の足取りはある程度追えているのです」

「じゃ、じゃあ僕の話はいらなかったか」

 そう言われると頬が暑くなる。ハーデンバルツ家の規模を考えれば、たとえ帝都と離れていても手足のように動かせる人員は山ほどりるだろう。つまり僕如きが知っている情報なんて向こうも知っている。

「そんなことは断じてございません!! も、もちろん聞かせてくださいませ、一体何を、話したのです?」

 意外ど、キャサリンは自分の好奇心主導で行動するようだった。今彼女が僕の話を聞きたがっているのは、兄の安否情報のためではなく、兄が友人とどのような会話をするのか、を知りたいからのような気がした。

「ああっプライベートな話をねだるなんて、はしたないでしょうか。いえ、無理して話さなくて結構です。ですが、その代わりともいえない頼みですが。私も、私も、ミク様と呼んでいいですか?」

 ほっそりとした彼女の手が、僕の手をぎゅっと握る。おそらく、この振る舞いの方がよっぽどははしたないが、その言葉を喉元で押さえて苦々しく首を縦に振った。

 

「兄は、ミク様にどんなことを話しましたか?家のことなどは?」

「いいや、ロディはそういことは……」

「……では、私のことは、話しましたか?」

 一息吸って、まるでそのことを聞くには、肺まるごと、空気の代わりに勇気を詰めなければいけなかったように、彼女は言った。

 彼女が溜め込んだ息はまだ呼吸にならない。

 そして僕はまた罪を重ねた。

 彼女の言葉の裏に、私のことを話していて欲しいという願いを見てしまったから。

 それはきっと僕の思い上がりで、幻想なんだろう。

 それでも、僕も同じように思ったから。

 散々ロドリオットの振る舞いに、同じ学年の同じ家名を持つ『妹』という立場で彼女は苦しんできた。

 せめてそこに、愛があれば、愛が、一筋の光のように、彼女の心慰めるもの灯になればと、願ってしまったのだ。

「ああ、たくさん、話していたよ」

 また彼女の瞳は波打った。重力方向へ、揺れ動いた波は、睫にあたって砕けた。

「あぁ……、ああっ」

 膝から崩れ落ち、顔を覆うその指の隙間から、彼女は懇願した。振り絞る声は掠れて、聞き苦しいが、彼女の叫びはよく理解できた。

「教えて、ください。兄は、兄は私をなんと言っていましたか?」

「――愛しい妹。大切な家族。最後に、残されたもの」

 建国の御三家が一つ、ハーデンバルツ家直系の血はもはやロドリオット・ハーデンバルツとキャサリン・ハーデンバルツにしか流れていない。このことは僕でさえ知っていることだった。

 だからこの知識を利用した。

「っ、他にはっ、他にっ、、兄の、言葉は……」

「君の笑う顔を知っている。大勢の前でした入学スピーチ、立派な姿だった。緊張している時に言葉の最後が跳ねる癖が愛おしかった。重役を終えた時、駆け寄って労いたかった。秋の金剛試合、魔法部門でお前を傷つけたやつを許せなかった。俺が暴れれば、キャシーがどれほど辛い思いをするか、知っていたのに、止められなかった。

 俺が未熟だから、お前に会えない。お前に愛されない。お前を、愛する資格がない――」

 スラスラと、言葉が溢れて出た。

 僕が口を押さえても、もう遅い。

 体は氷を胃にいっぱい飲み込んだように冷えて行く。吐き気を堪えて、彼女を見ると、彼女もまた、床から立ち上がることもできず、目を見開いて震えていた。

「それ、も、手紙で、兄が語ったのですかっ!?」

 寒さに次いで頭痛に襲われ出した身体に意識を引っ張られていると、立ち上がったキャサリンが僕の両肩を掴んで叫ぶように尋ねた。

「う、うん」「どうかっ、どうか、私にも、見せてくださいっ、兄の言葉をもう失いたくない」

「もう?」キャサリンは一瞬で顔をもう一トーン青くさせ、涙を拭うと教えてくれた。

「兄は、ハーデンバルツ家所有の遺跡に行きました。なんの装備もなく、あの遺跡にいくことは自殺を同じ意味を持ちます。だからっ、兄は、もう……」

 その言葉の続きを、キャサリンに言わせたくない。

 言ってしまえば、最も傷つくのは彼女自身だ。

 だから、僕は十分だ、と頷いた。

 見たことのない、下手くそな笑みを見せてくれた。

 ハンカチを差し出して、僕たちは秘密の会合を終えた。

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